実験シリーズ

3:二乗する体温




「これで無自覚っていうんだから、手強いコネコちゃんだぜ…」
「いやいやいや、コネコじゃないですから!」
「突っ込みだけは、鋭いんだがな」
 何度目かの長い息を吐いて、ゴドーが少しだけ腕の輪を縮めた。当然、密着度が上がり、今更ながら堅く厚いゴドーの身体を認識する。
「なぁ、まるほどう」
 ちょっとだけ居心地悪そうに身動ぎかけた成歩堂の気を反らすかのように、ゴドーは呼び掛けた。
「またしても、ここ数日気になっている事があってな」
「……悩み多きお年頃ですね」
「全くだ。今日なんて魅惑のアロマも、一杯しか喉を通らなかったぜ!」
「ええ?そんな重症なんですか? び、病院に行きましょう?!」
 順番から行けば4倍コースかと予想した成歩堂は、思い掛けない台詞にゴドーの具合を本格的に懸念してしまった。
 ゴドーと言えば、珈琲。
 ゴドーのデフォルトは、珈琲。
 珈琲を飲まないゴドーなんて、眉間の皺がツルツルな御剣並に、異常だ。
 ぼけっと突っ立っている場合じゃない!、とゴドーのシャツを鷲掴み、そのまま病院まで連れて行こうと引っ張った成歩堂だが。
 腰に廻った腕が、反転しようとする動きを阻止し。
 布地を握った右手が、暖かくて大きな手に包み込まれた。
「医者なんざ、役に立たねぇのさ。昔から言うだろう…?『お医者様でも、草津の湯でも治りゃせぬ』ってな」
「は………?」
 流石に何か違う雰囲気を感じ取って、当惑に瞬きを繰り返す。
「最近の俺は、アンタを見る度。こうして抱きてぇ、この間みたいにキスしてぇ、って衝動に駆られるんだがな。どうしてだと、思う…?」
 ゴドーの顔が傾き、成歩堂の耳朶へ艶やかな囁きを流し込んだ。
 膝から、力が抜ける。
 崩れ落ちかけた身体はゴドーによってそつなく支えられたが、膝だけでなく、骨が一本一本どこかへ消えていってしまうような感覚に襲われる。
「どうして、って……」
 奇妙な浮遊感の中で、成歩堂はそれでも一所懸命思考を働かせた。
『医者でも名湯でも、治せない』
『抱きたい』
『キスしたい』
 純粋に、文脈から抜粋すれば。
 発言者がゴドーである事と、発言先が成歩堂である事を、この際脇に置いておけば。
「告白に、聞こえるんですが…?」
 怖ず怖ずと、殆ど恐いモノ見たさの心境で、ゴドーのゴーグルを窺う。
 否定されるのを、冗談に決まっているだろうとゴドーが今にも悪戯をばらすのを、半ば期待しているような面持ちで。
 だが、成歩堂を最低一日一回からかうゴドーは、今日に限ってお遊びなしだった。
「天然のアンタでも、流石に分かるんだな。安心したぜ」
 ニヤリと満足そうに嗤ったゴドーが、これまでで一番『雄』を感じさせて。
「え、ええっ?!」
 という事は。『実験その1』での触れ合いは、ゴドーからのアプローチ。
「あの」
 『実験その2』で『脈はありますよ』と返したのが、ゴドーへの返事になり。
「だって」
 抱き締められて、ノコノコと『嫌じゃない』なんて応えたのが決定打。
 これで、清く正しく美しい男男交際が成立してしまったのか…?
 パニックに陥った成歩堂は、意味をなさない単語をアワアワと発する事しかできなかった。
 その唇が、近付いて来た大振りの唇で、避ける間もなく塞がれるまで。



 病院に行った方がいいのは、成歩堂かもしれない。
 だって、こんなにも。
 体中の血液が沸き立っているのではないかと不安になる位、体温が上昇している。
 しかも。
 ここに至って尚。
 男に抱き締められても。
 男から告白されても。
 あまつさえ、男にキスされても。
 『嫌だ』という気持ちが、これっぽっちもないのだから。
 重症に、違いない。