顔面一杯に広がる、緑色。
縦糸と横糸の精密な織りまで、はっきり視認できる。
間近で見るとやっぱり高級な仕立てである事が分かり、センスいいよなぁ…と溜息をつきかけた成歩堂だったが。
「ゴ、ゴドーさん……?」
そんな場合ではない事を、遅ればせながら思い出す。
かなりなボンヤリ振りだが、それだけ衝撃が大きく、一種の現実逃避だったのかもしれない。
―――同じ性をもつゴドーに、抱き締められているなんて。
誰かと間違えられたのでも、蹴躓いたのを偶然支えられたのでも、ない。
ゴドーは手を伸ばして『まるほどう』と呼びながら、成歩堂を腕の中に収めたのだから。
トクン、トクン、と成歩堂の心臓のやや上の方から、力強い、そして幾分早い鼓動が響いてくる。
決して小柄ではない成歩堂をすっぽり包んでもまだ余裕のある、長い腕。
鼻先を掠めるのは、いつの間にか馴染んだ珈琲の香りと。
もう一つ、普段はあまり意識していなかったゴドーのフレグランス。ゴドーによく似合った、スコールが通り過ぎて適度に湿った、深緑の森を思わせる馨。
どこをとっても一々格好良くて、羨むより前に感心してしまう。
『ゴーグルしてても、男前だしなぁ』
ちょっと肉厚の唇が造る、傲慢にすら見える笑みや、シャープな輪郭。
何日放置していてもみっともない無精髭しか生えない成歩堂と違って、セクシュアリティ溢れる髭を悠然と蓄えて。
まず赤い仮面の奇抜さが目を引くが、半分だけしか現れていなくともゴドーの精悍さは何秒か眺めていれば、誰だって気付く筈。
しかも、まだ数回しか遭遇した事はないが。
ゴーグルなしの素顔は、また圧巻だった。
ラインを晒した面は、野性味と、相反する洗練さを同居させて。
鼻筋を横切る、凄惨な疵痕といい。
日本人には有り得ない、薄くて緋い色素に彩られた双眸といい。
強烈な印象を脳裏に焼き付ける。
ゴーグルを装着しているのは知っていたが、何となく素顔が見たくなった成歩堂は、そっと上向いた。すると、三本の赤い線が真っ直ぐこちらを向いている。
多分、今、ゴドーと視線が合っているのだろう。
「まるほどう」
甘い低音が近距離で渦巻いて、覚えのないような、それでいて既知のような疼きが、腰骨の脇を撫でていった。
「……何ですか?ゴドーさん」
返事をしようとして、口の中が乾いていた為に唾液を嚥下する分、間が空いてしまった。
発した声も、何故か幾分上擦っている。
ゆるりと笑みの形に吊り上がった口角が、また『大人の男』の色香をたっぷり滲ませて。
成歩堂の鼓動が、理由もなく跳ね上がる。
「クッ…聞きたいのは、コッチの方さ。どうなんだィ?まるほどう」
「は?」
そう尋ねられ、成歩堂の口がポカンと開く。
質問の意図がまるっきり分かっていない、未だ事態を把握していない事が明らかな反応に、ゴドーの笑みがますます思わせ振りになる。
「アンタは今、男に抱き締められてるんだぜ?」
「……ああ。そういえば、そうですね。正直言って、ビックリしました」
男に、しかも自分よりガタイのしっかりした者に、偶発的ではなく抱擁されたら驚愕では済まず、拒絶反応を示すのが一般的なのかもしれない。
しかし、最初の衝撃こそ大きかったが。
そして、こんな体勢になっている状況を不思議には思うが。
ヤメロだの、放してほしいとか、気色悪いだとかは、全く感じない。
「でも、嫌じゃないんですよ。男とか関係なしに、それだけゴドーさんを信頼しているって事ですかね?」
それ位しか説明が思い付かなくて、逆に成歩堂こそが質問する。
返ってきたのは、深く重い溜息だった。