go to シリーズ

3:「歩き初め」に行こう!




 ゴドーも成歩堂も、イベント事に強い拘りを持つ方ではなかった。
 互いの誕生日とクリスマスは別としても、後はゴドーが不埒な真似を仕掛けるネタとして持ち出してみたり、タイミングが合えばノリで祝ったりする程度で。




「ゴドーさん、只今帰りました」
「お疲れさん。・・・で、カップの中身は一滴残らず飲み干してきたんだろうなぁ?」
 挨拶もそこそこに、玄関口でゴドーに躙り寄られた成歩堂は、目をパチクリさせた。比喩の対象が一瞬分からなかったのと、ゴドーの迫力に気圧されたのだ。
「え、あ、はい。明日は完全オフです。仕事は残ってません」
 驚きながらも、そう告げると。途端に、ゴドーの雰囲気が至極上機嫌なものに変質した。
「やればできるコネコちゃん、嫌いじゃないぜ!」
 お帰りのキスを額へ落とし。鞄を受け取って、成歩堂がコネコ呼ばわりに抗議する暇もなく、風呂場へと追い立てた。




 成歩堂の仕事は基本土日が休みだが、調査や書類整理で休日を返上する事も多々ある。同じ職業故に可変部分を知っているゴドーは、2週間前位から、明日の土曜日は仕事を入れるなと成歩堂に何度も念押ししていた。
 こんな風にゴドーが特定の日に執着するのは、珍しい。成歩堂が仕事に真っ正面から取り組んでいるのを理解してくれているからこそ、仕事優先の生活でも不平を漏らしたりはしない。(というより、隙間隙間を縫って己の思う通りにする手管に長けているから、別段不自由していないようだ)
 だからこそ成歩堂もスケジュール管理をいつもより慎重に行い、オフを作ったのだが。
 てっきりどこかへ出掛けるなりと土曜日に用事があると考えていたのに反し、どうやら、メインは今日だったらしい。
 何故なら、風呂場からリビングへやってきた成歩堂の足が部屋を間違えたかと止まってしまう程に、中は様変わりしていた。
 目に優しい照明の代わりに、幾つも灯されたキャンドル。焔が揺れる度、仄かな薫りを燻らせて。
 テーブルに隙間なく並べられた数々の御馳走。ゴドーは料理のセンスも抜群だが、盛りつけにもセンスの良さを発揮してレストランで供されるのと遜色ないゴージャスさを演出している。
 ゴドー拘りの、重低音を強調したアンプから流れる、気怠いサックスの調べ。
 リビングのあちこちに置かれた、花瓶から溢れんばかりの花束を見るに至っては、『花瓶なんてあったんだ・・・』と明後日の感慨を抱く。
「何を突っ立ってるんだ?まるほどう。アロマも料理も、できたてが最も魅力を発するんだぜ?」
「あ、ああ。すみません」
 ワインクーラーからシャンパンを取り出したゴドーがニヤリと笑い、我に返った成歩堂は慌てて定位置についた。
「・・・えーと。大変不躾だとは思うんですが。何のお祝いですか・・?」
 リビングの入り口から、着席するまでの短い間に、成歩堂は思考をフル回転させてみた。ゴドーのかつてない気合いの入れように値する慶事を思い出そうとして。
 誕生日ではないし、クリスマスでもない。先日また白星を重ねたが、とりたてて特別な案件でもなかった。世間一般のイベントも、今日の日付では閃くものがない。やはり個人的な出来事だとあたりをつけたものの、そこで推理が止まってしまう。
 同棲してから、2ヶ月半。中途半端だ。一年前まで遡ってみても、付き合い始めたのは更に数ヶ月前だったような気がする。
 ここまでの思考に要した時間は、僅か数秒。追い詰められれば追い詰められる程底力を出す崖っぷち弁護士だが、生憎とそこが限界だった。
 なので、正直に愚直に尋ねる事にした。
 ここまでゴドーがセッティングするのだから、二人にとって重要な事は間違いない。成歩堂が思い出せないだけならば、ハッタリをきかせるより、思い出せない事を告白する方が誠実だと考えたのだ。
 神妙な面持ちで判決を待ち構えるかのごとく息を詰めている成歩堂を、やはり面白そうに見下ろしたゴドーは、グラスにシャンパンを注ぎ終わると腰掛け、堂に入った仕草で取り上げた。
「豆の種類なんざ知らなくとも、そのアロマが美味いか不味いかは分かるだろうよ」
「はぁ・・・」
「まずは俺の愛情料理を堪能する事に、意識を集中させるべきだぜ!」
 はぐらかされている、とは感じたものの。これ以上突っ込んでも返答がない事も短くない付き合いで把握していたので、成歩堂はすっぱり気持ちを切り替えて心づくしの料理に取り掛かった。




 埋もれてしまいそうに長い毛足のラグへ直接座り、成歩堂はワイングラスをくるくると廻した。シャンパンの次に出されたワインは、赤ではなくきりりと冷えた白なのだから空気に触れさせなくても充分に味は開いている。
 くるくるしているのは、成歩堂の思考の現れ。食器を洗浄機にセットしているゴドーが戻ってくるまでの時間、手持ちぶさたになった途端、頭の隅に追いやっていた疑問が蘇ったのだ。
 しかし熟々考えてみても正解が見付からず、ローテーブルにぺたりと顔を伏せた。
「・・・悪い、よなぁ」
 ゴドーは、成歩堂が何の祝いなのか思い出せなくとも頗る上機嫌だった。片付けは成歩堂の分担なのに、『主賓はふんぞり返っていればいいのさ』と嘯いてたっぷり継ぎ足したワイングラスと共にラグへ追いやった位に。
 ゴドーが『今日』を楽しんでいるのが伝われば伝わる程、成歩堂は罪悪感を覚える。
「何かオイタをしたのかい?コネコちゃん」
「ご、ゴドーさん!」
 ゴドーは家の中でも殆ど足音を立てない為、急に降りかかった低音に、成歩堂は勢いよく身を起こした。いつリビングに来たのか、ゴドーがシングルモルトの入ったタンブラーを手に、ニヤニヤと成歩堂を眺めている。
 ちら、とゴーグルの奥の双眸を窺ったものの、すぐに成歩堂の視線はくるくると回り続けるグラスへと落とされた。
「どうしても、思い付かないんですよ。・・・これじゃあ、コネコ呼ばわりされても仕方ありませんよね」