The grapes of wrath:2
「直斗ちゃんは暇潰しに来てるだけだから、全然、気にしなくていいヨ」
「局長に押し付けられた、『本来の仕事』じゃないから全然心配しなくていいんだよ。それより、ここおいで〜。美味しいお菓子、持ってきたんだ」
二人の目的は成歩堂なので、追い返す筈もなく。何気に、いやあからさまに互いを邪魔者扱いしつつ成歩堂を呼び寄せる。
「ちょっと、ボクのナルホドちゃんを餌付けしようなんて厚かましいんじゃナイ? 沈めちゃうヨ?」
「ははっ、上司の教育がイイからですかね。安心して、俺に成歩堂くんを任せて下さいー」
「いやいや、ですから―――」
少々スパイスの効いた、それでも長閑な日常。
それを護る事に関して労苦を厭わないのが、成歩堂の周りにいる者達の特徴だった。
新任の検事局長・室町の経歴で最も目を引くのは、海外での活動。生まれは日本だが高校からずっと外国で育ち、有名所の大学で修士号を取得し、国際弁護士の資格を得、法律関係の論文を多数発表している。地元法曹界から度々協力を仰がれる、権威と言ってもよい。
そんな室町を呼び寄せた上層部は、彼の実力を高く評価したのだろう。不祥事続きに対する世間の目を逸らす目的があったようだ。
しかし、ずっと海外にいたという事は。日本の法曹界に関して疎いのと同意。通り一遍の情報は入手していても―――勢力地図、とか要注意人物とか―――決して実感を伴うものではない。
つまり。
巌徒の脅威を過小評価し、軽んじる可能性があった。
そして・・・時において、無知は命取りになる。
検事局の、とある廊下にて。成歩堂は、室町とファーストコンタクトを果たしていた。
高らかに鳴り響く靴音に視線を向けたが、反対側からやってくる人に見覚えはなく、軽く会釈だけして擦れ違―――おうとした時。
「成歩堂龍一。ちょっと、待て」
「はい?」
名前を呼ばれるとは思っていなかった為、少々裏返った声を出して成歩堂は振り返った。再度顔を見てもやはり記憶にないけれど、細く眇められた双眸はしっかり成歩堂を捉えているから、空耳ではないのだろう。
「すみません、どちらかでお会いしましたか?」
内心で『やばい覚えてないどうしようココにいるって事は検事か?御剣の知り合いだったらまた嫌味を言われる・・!』と冷や汗を掻きながら、無難な言葉を返す。焦っている割に、社交辞令としては及第点のつく対応だった。
しかし成歩堂より数センチ高い、そこそこ鍛え上げられた体躯と。整ってはいるが、どこか冷徹で傲慢な雰囲気の造作を有した男―――室町は気に入らなかったらしい。ダークブラウンの、鬣のように波打つ髪を掻き上げ。苛立たしげに眉根を寄せた。
「己に非があるかどうか分からない内から謝罪するなど、弁護士のする事じゃないな。胸のバッチは飾りか?」
「ええ・・?」
出会い頭に、それも成歩堂の記憶が確かならば初対面の相手から侮蔑の色も露わに切り込まれ、成歩堂はぽかんとしてしまった。ここでムッときたりすぐに言い返したりしないのは、生来の茫洋とした性格と。不名誉ながら、御剣などで罵られ慣れているからである。
挑発的な態度に対峙して挑発的な反応をしないお人好しさは、決して悪いものではない筈だが。室町の機嫌はますます下降していった。
「反論の一つもないなんて、日本人の日和見主義はどこまで行くんだ。情けない」
「・・はぁ・・」
『突っ慳貪な挨拶をして、居丈高な対応をすればいいのか? ・・この人、御剣と気が合いそうだな』
知られたら室町は勿論、御剣からも叱責されそうなツッコミを頭に浮かべつつ、成歩堂は困り顔で曖昧な相槌を打った。室町の立て板に水的な勢いに圧倒され、未だに腹が立たない所か妙な感心まで沸いてくる。
「ここまで言われても、平和ボケした顔付きのままか。・・・というか、お前本当に弁護士なのか? 大学生じゃなくて」
「いやいや、偽造バッチじゃありません! 段ボールでもないですし!!」
ここに至って、ようやく恒例のツッコミが炸裂した。少々方向性がズレたような気もするが、苦労して苦労して苦労に苦労を重ねた金の向日葵を疑われる事は耐え難い。それ位、偽物騒動は成歩堂にとってトラウマと化していた。
襟を布地の限界まで引っ張ってバッチを見せてくる成歩堂を、室町が嘲笑う。
「ふん。巌徒局長の噂からすると、司法制度さえ捻じ曲げかねないしな」
「―――ぁ」
ようやく。
成歩堂は初めて会った男に敵意と軽視を向けられる訳を、悟った。