The grapes of wrath:3



 公にはしていなくても、巌徒との仲を知っている者は存在する。その事を、ちゃんと理解していた。覚悟していた、と言ってもよい。様々な思惑で標的にされる可能性は、高い。
 成歩堂が共に歩む事を選んだ巌徒という人物は途轍もない影響力を持ち、尚かつ巌徒自身に全く隙がないのだ。『将を射んと〜』の故事を踏襲しようと考えるのは、権力の切り崩しなどを目論む者達にとって酷く妥当。
 成歩堂には、何も言わないが。接触しようとする輩は巌徒が排除しているのだろう。それなりの時が過ぎても、今のように悪意に晒された例は極僅か。巌徒の気遣いに感謝すると同時に、心を強く持つ事が巌徒への感謝の現し方だと思っている。
「巌徒さんは、そんな事しませんよ。邪推しないで下さい」
 正確には『それだけの力はあっても、成歩堂が望まないのを知っているから敢えてしない』。決して巌徒が高潔故に法を侵す真似はしない、と言ってはいない。が、巌徒の甘やかしっぷりも巌徒に対する評価も、わざわざ伝える必要はなかった。
 真っ直ぐ、怯懦も後ろめたさもなく室町を見詰める。睨んだり、怒りを宿している訳でもないのに成歩堂の黒瞳は合わさった視線を離さない。
 あれだけ挑発しておきながら、まさか反撃されるとは思っていなかったのか室町が微かに息を呑んだ。しかしすぐ強気で見下した態度に戻り、成歩堂のバッチを小突いた。
「大切なバッチを剥奪されたくなかったら、御稚児趣味の巌徒局長とは縁を切る事だな」
 鼻で笑い、廊下へ靴音を高らかに響かせて去っていく室町。
 その後ろ姿を、角を曲がって消えるまでぼんやり見ていた成歩堂は。はぁ、と大きな溜息をついてから、しみじみ呟いた。
「・・・結局、誰だったんだろう・・」
 仮にも一戦交えた相手の名前を知ったのは、翌日。




 成歩堂が未知の人物に第二種接近遭遇したのと、同時刻。
 警察局の、とある会議室には巌徒と直斗。その他3人が表面上は極々穏やかに、けれど内容は物凄くえげつない話を展開していた。事実上、この部屋で『未来』は創られているのだ。
「ウン、それで行こうか。―――ンン? ちょっと失礼」
 多数の人に多大な影響を与える判断を微笑み一つで下した巌徒の碧瞳が、机に置かれた端末へと動いた。数秒端末の画面を眺め、それからリモコンを操作して壁に据え付けられた大型ビジョンを起動する。
「あ、成歩堂くんだ」
「・・・室町局長ですね」
「あっちゃぁ、トラブってんぞ」
「うわぁ・・」
 この場に居るのは、直斗についで重宝している部下だったから、巌徒は遠慮も躊躇もなく成歩堂の音声付きライブ映像を流し。
 巌徒の溺愛ぶりを熟知しており、加えて動じる所かさらりと受け入れている者達は。突然大画面に映し出された映像が検事局の廊下で、検事局が設置した防犯カメラ以外の位置から撮影されていて、ピンポイントに室町が接触してきた場面を拾い上げていても誰もツッコまず。ただ、成歩堂の様子だけを心配そうに伺っていた。
 巌徒が盗聴・盗撮、及び鼓動にリンクさせた追跡システムで詳細に成歩堂の行動を把握している事は、彼らの間では既に常識。
 要注意人物が成歩堂へ近付いたのをどうやって察知するのかは知らないが、はっきり言って知りたくもない事柄。こういう有事の際に役立っているのだからと、彼らはスルーを決め込んでいる。
『お前本当に弁護士なのか? 大学生じゃなくて』
「成歩堂くん、童顔だからねー。外国帰りじゃ、余計幼く見えるかも」
 直斗が何故かウンウンと頷いたけれど、他の3人は引き攣った笑いを返した。巌徒の背後に漂う黒いオーラがどんどん会議室を埋め尽くし始めているのに、直斗のように暢気な態度を取れる程逞しくはない。流石巌徒に一番近い男、と畏怖すら抱く。
 しかし、数秒後。
 直斗と3人の思考は、ぴったりシンクロした。
『御稚児趣味の巌徒局長とは縁を切る事だな』
「「「「あーあ」」」」
 彼の発言を聞いた人々は、絶句しながら思った。
 愚か者か。
 ドン・キホーテか。
 それとも。
 自殺志願者か、と。
 さっ、と漆黒の暗雲が霧散した。それは巌徒の機嫌が上向いた訳では、決してなく。ギアが第二段階に移行した事を現している。
 元々、成歩堂を軽んじる発言をした時点でレッドゾーンへ片足を突っ込んでいた。この辺りまでなら、辛うじて希望はある。成歩堂は酷評にも屈せず己の信じる道を進むから、巌徒も成歩堂の意志を尊重し、強運の持ち主なら逃れられるレベルの『予期せぬ不幸』で留める。
 が、どんな意図があるにせよ。巌徒から成歩堂を引き剥がそうとする者を巌徒が見逃すだろうか?答えは勿論、否。万が一、成歩堂自身が離れようとしても完璧に阻止する筈。況んや碌に巌徒と成歩堂の仲を知らぬ、第三者による介入など暇潰しにも許したくない巌徒だった。
「あー、ゲームオーバーだー」
「まだこんな怖いもの知らずな人、いたんですね」
「知らなかったんだろうけど・・」
「知らない、では済まされないさ」
 これから巌徒がどんな行動にでるかを容易に想像できた4人が、呆れを多分に含んだ口調で語り合う。
 室町は、能力も、野心も、志も、そう悪くなかった。『マシ』な部類だった。
 けれど。
 あの瞬間―――成歩堂へ暴言を吐いた時、全ては決まった。
 そして、決定事項を現実のものとするべく、巌徒がスクリーンから顔を戻し。黒手袋に包まれた両手を、高らかに打ち鳴らした。




 翌日、成歩堂は突っかかってきた男が室町検事局長だと知ったのだが。その切っ掛けは、御剣からスケジュール変更の連絡を貰った事。変更理由が、突然局長が更迭されて検事局がちょっとした騒動に陥っている為で。
 そこから派生して、室町(元)局長の情報を入手したのだ。
 ピンと来るまでではないけれど。モヤっとした成歩堂は、夜、巌徒へ率直に尋ねてみた。
「アア。彼はホームシックにかかったとかで、アメリカへ帰ったヨ」
「そうなんですか・・」
 成歩堂を膝の上に座らせた巌徒は、あっさり答えた。
 黒いオーラも発生していなかったし。双眸が冷たく凍てついてもいなかったし。口調も、平素のままだったが。何となく。ほぼ、第六感的なもので。室町の更迭に巌徒が関与している事を察知した成歩堂は、眉をへたらせた。
 過保護というか、耽溺というか、過激というか。おそらく成歩堂の為に画策されたのだろうアレコレは、成歩堂自身にとっては行き過ぎ感が否めない。それでも巌徒を止める事は難しくて―――。
 せめて被害をできるだけ抑えるべく、成歩堂の自己防衛意識は日々高まっていくのである。



最後のラブラブが少なかったような。