聞けない:3
3日後。金曜日の夕方。
成歩堂から『夜、御剣の家に行ってもいいかな?』と電話で聞かれた時。
御剣の手の中で、握り締められた携帯が異様な音をたてた。
とうとう、『終焉』が来たのだと、足元が突然奈落に変化したような絶望に襲われた。
『御剣?都合が悪いのなら、今度にするけど』
御剣が込み上げる吐き気を堪えていると、成歩堂はその沈黙を誤解したらしく、どこかションボリとした声を出す。
「いや、大丈夫だ。少し電波の受信状態が悪いようだな。………何時頃になるのだ?」
『ああ、多分――』
殊更普通に成歩堂と会話を続けながら。
もう終わりだというのに、未だ成歩堂をほんの少しでも哀しませる事を許さない己の傾倒振りを、御剣は嘲笑った。
「お邪魔しまーす。――御剣!?」
3日間、御剣が気取られぬよう細心の注意を払って会う事を避けていた成歩堂は。
玄関まで出迎えた御剣を一目見るなり、素っ頓狂に叫んだ。
「お前、風邪でもひいたのか!? すっごく顔色が悪いぞ?」
「特に不調は感じない。成歩堂の気の所為だろう」
御剣は受け流そうとしたが、酷い顔色なのは自覚しているから、成歩堂が誤魔化されるとは思っていなかった。
「いやいや、そんな訳ないって! 熱はあるのか?」
案の定、成歩堂は強がる御剣を一層心配して近距離から覗き込み――手を、御剣の額へあてた。
「………っ」
身体が揺れ、駆け抜けた喜悦と哀惜に御剣はきつく目を瞑る。
「熱くないだろう? 納得したら、離れたまえ。玄関で立ち話なぞしては、それこそ体調を崩す」
「あ、悪い。それもそうだな」
ぎりぎりと食い縛った歯から平静な声を発するのは存外に難しかったが、気力だけでやってのけ、成歩堂の手を外す事に成功する。
――畢竟、御剣の方から成歩堂と離れる事など、できはしないのだ。
「最近忙しそうだったのに、押し掛けちゃってごめんな…」
リビングに移ってからも、成歩堂はしきりに御剣の体調を気遣っていた。
3日間というもの、一睡もできず、担当外の仕事まで引き受けて日付が変わってからしか帰宅しなかったのだから、窶れていない訳がない。
頭痛はするし、身体中怠いし、立ち眩みも吐き気も頻繁に起こる。
けれど、身体の不具合など取るに足らない。
最凶に絶不調なのは、『精神』。
「構わないと言っただろう。……で、用件は何なのだ」
足を組み。
祈りの形に重ねた手を、腿に置き。
やがて訪れる衝撃に、備える。
成歩堂の用件など事前に分かっていたが、承知しているからといって、飄然と聞ける筈もない。
聞きたくもない。
「あ、うん…。大した事じゃ、ないんだけど」
少し俯き、照れたように頭を掻いて時間稼ぎをする成歩堂。
そしてこの後、御剣に告げるのだ。
『狩魔検事と、付き合う事になってさ』と。
冥は、御剣の妹のような存在でもあり、冥は御剣の事を弟分と認識しているような感がある。
意外に古風で義理堅い成歩堂の事だから、きちんと御剣に報告をしなければならないと考えたのだろう。報告をするのは冥ではなく、成歩堂から、とも。
だから、冥に口止めをしていたのだ。
「それより、ますます具合が悪くなってるように見えるぞ。病院、行くか?」
「くどい。何度、同じ事を言わせる気だ。さっさと話したまえ」
成歩堂の指摘は正しかったが、御剣が認める事はない。眉間の皺が数本増えたのは、嘔吐きを耐え、正気を保つ為に10指全てを肌に食い込ませていたから。
「じゃ、せめて早く退散するよ。――これ、渡したかっただけなんだ」
殆ど成歩堂を睨み付けているような状態の双眸に、はい、と暢気なリアクション付きで紙袋が突き付けられる。
「・・・・・・・ハ?」
滅多にない事だが。
御剣の脳が、完全にフリーズした。
何が起こっているのか、全く把握できなかった。
「1日遅れちゃったけどな。誕生日、おめでとう」
「・・・・・・・ハ?」
これも、滅多にない事だが。
頭脳明晰な御剣が、同じ台詞しか繰り返せない。
「あ、やっぱり忘れてたんだな。御剣らしいよ」
御剣の驚愕を誤解した成歩堂は、御剣の真似なのか、やれやれと肩を竦めてみせた。
「よかったら、使ってくれ。……具合が悪いのに、夜遅くごめんな。早く寝て、しっかり休みなよ」
未だピクリとも動かない――受け取りもしない御剣に。
戯けていた成歩堂も次第に表情を曇らせ、御剣の膝の上でなく隣へ紙袋を置くと、気まずそうにソファから立ち上がった。
「ま、まて!成歩堂!!」
どことなく淋しそうな後ろ姿を見た途端。御剣の思考は轟音と共に、やっとの事で起動し始めた。
慌てて紙袋を左手で掬い上げて成歩堂を追い、右手で成歩堂のそれを引っ掴む。