聞けない:4
「もしや、これはAURORAのFUOCO AUREA MINIMAか?!」
「嫌味な発音すんなよ、分かんないだろ? ……その、アウロラなんたらだよ」
包装から推測した中身を告げると、成歩堂は顔を顰めたものの否定はしない。
「AURORAは日本に輸入されていない。一般人が入手するのは不可能に近い。となると――」
ぶつぶつと、成歩堂がちょっと引き気味になっているのも無視して呟く。凍っていた分を補おうとしてフル回転した御剣の脳は、差程時間をかけずに、一つの仮定を弾き出した。
「冥に頼んで、購入したのか…?」
冥の名前が出た瞬間、成歩堂の頬に朱が走った。
「え?まさか、狩魔検事喋っちゃったのか?! あれ程、内緒にしてくれって言っておいたのに…」
その一言で、全ての点が繋がり、線となった。
またしても、お笑い種の思い込み。
御剣は、勘違いしていた。
成歩堂が『冥との交際』を隠していて、それを告げに来た、と。
しかし真実は、成歩堂が隠していたのは『冥に御剣への贈り物を取り寄せてもらった』事であり、それを渡しにきたのである。
AURORAのFUOCO AUREA MINIMAは御剣が愛用している日本未輸入の高級万年筆で、紹介者がいて初めて、購入できる仕組みになっているのだ。御剣がその万年筆を使用した切っ掛けは冥だから、冥ならば当然、橋渡しが可能。
成歩堂が冥と食事に行ったりスイーツを贈ったのは、感謝の表れであり。
冥に内緒にしてほしいと頼んだのは、御剣を驚かせようとした為であり。
御剣にしか見せない表情を冥に披露していたのは――これは推測の域を出ないが――御剣の事が話題だったから。
「いや、冥は話していない。――冥と成歩堂が話していたのを、見たのだ」
「ん?見たって……3日前の事か?」
「そうだ」
あちゃあ、と成歩堂が額を抑え、更に紅潮していく。
「何だよ、バレちゃってたのか。つまらないなぁ……」
たまには御剣を驚かせようと考えたのに、と成歩堂はぼやいたが。
驚いた所ではない。
御剣は、危うく人生を儚む寸前だったのだから。
現金なもので事実が判明したら、今までは押し込めていた分も疲労がどっと押し寄せ、成歩堂の手を握ったままソファに崩れ落ちる。
「うわっ! おい、何かホントに変だぞ。病院、行った方がいいんじゃないのか…?」
引き摺られて無理矢理御剣の隣に座らされた成歩堂は、だが文句を言う前に御剣の体調を窺ってくる。
その、成歩堂の黒い瞳。
御剣だけを映して、御剣の事だけを想って、御剣だけでいっぱいになっている双眸と間近で見合った時に。
御剣の、最後の鍵は外れた。
「………ずっと、誤解していたのだ。誤解して、3日というもの一睡もできなかった」
「御剣…?」
成歩堂を永遠に失ったと早合点した際に味わった絶望を、現実のものにしたくないという恐怖は拍子抜けする程あっさりと、御剣を告白へと駆り立てた。
「私は……成歩堂と冥が仲良く話しているのを見て…冥に、嫉妬した。君を奪われたと思い込んで、失意に暮れていた」
「え…?」
今度は、成歩堂が呆然とした顔を晒している。何か今、とんでもない事を耳にしたという驚愕をありありと浮かべて。
御剣とて恥ずかしくて成歩堂を見続けるのは一種の苦行だったが、ここで逃げてはならない事も承知している。
「えーと。それって…何だか……」
御剣の迫力にたじろいでいた成歩堂の頬と、耳と、首筋が。
さあっと色付く。嫌悪に青ざめるのではなくて。
それに勇気づけられた御剣は、ずっと言い出せなかった、そしてずっと言いたかった言葉を、有らん限りの想いを込めて、紡いだ。
「成歩堂、好きだ」
「……っ!?」
告げた途端、音が聞こえそうな位赤面した成歩堂に――御剣は今までの苦悩も、苦痛も、苦悶も、全てが砂のごとく霧散するのを感じた。
想いを告げあって、ぎこちなくも満ち足りた初めてのキスを交わした二人は。
何をするでもなく何を話すでもなく、ただソファに並んで座り、手を繋いだままお互いの温もりを味わっていた。
そんなどこか気恥ずかしい空気の中、成歩堂が突然クスリと笑って御剣に突っ込んだ。
「それにしても、冷静沈着・泰然自若と名高い御剣検事さまが、勘違いで3日も眠れないとはね。みんなに言っても、信じないだろうなぁ…」
「ム……」
からかわれ、図星を突かれ、シャープなラインの眦が羞恥で染まる。
しかし一度地獄に突き落とされ、そこから這い上がってきた、しかも現在は幸せ真っ直中の男は余裕綽々だった。
「仕方あるまい。昔から、言うではないか。――『恋は盲目』、と」
「………お前、バッカじゃないの」
憎まれ口を叩きながらも御剣と同じように赤くなった目尻へ、御剣は込み上げる愛しさのまま、優しい接吻を落とした。