hideaway:2
「士龍さんてば・・」
頬は赤らみ目は潤み・・と甚だ迫力に欠けている事など自覚せず、成歩堂が恨みがましい視線を送る。狼は短く喉奥で笑って躱し、広い背を見せてリビングへと戻っていった。
「送ってやるから、ゆっくり支度しな」
「え・・? もう、こんな時間!? うわぁっ」
からかわれっぱなしではいられないと口を開きかけ、しかし狼の言葉に慌てて洗面台脇のデジタル表示を見遣ると、電車で行くならとうにアウトな時間。結局何も言えないまま、成歩堂は急いで顔を洗い始めたのである。
支度しな、と言った割には。洗った顔を上げれば、ラックに着替え一式が用意してあり。リビングに向かえば、車の中で摘めるサンドイッチとコーヒーがテーブルに置いてあった。
「おう、行くぞ」
「・・・ありがとうございます・・」
ジャケットを羽織り、車のキーを持った狼に促され、成歩堂は急いで軽食セットを取り上げ後に続いた。その頬は、うっすらと赤い。
甘やかされている、と実感する度。面映ゆくてむず痒くて、わーっと叫んで髪の毛を掻き毟りたくなる。当たり前だが、これまでは『大切にする』事を心掛けていて。『大切にされる』経験値なんてない。
しかし狼は、成歩堂を愛しいと思う気持ちも溺愛したいという意志もかなりオープンで。控えめにして欲しいとの願いを、不思議がる。文化の違いというか、性格の違いを切々と訴えて人前では遠慮してもらう約束を取り付けてはいても、心底納得した訳ではないだろう。
それでも成歩堂の意志を無碍にしないのが、愛情表現の一種と成歩堂は推察している。・・・非常に照れるけれど。一向に、慣れないけれど。
「疲れてるのに、ありがとうございます」
頬の赤みが治まった頃、サンドイッチを食べながら礼を告げる。
「龍一の為なら幾らでもするし、疲れる訳がねぇよ」
「ははは・・」
引いた筈の赤みはあっさり戻り、耳朶まで広がった。滑らかにシフトチェンジし、ステアリングを切りつつの台詞だった為、贔屓目なしでも格好よかったのだ。
同じ台詞を成歩堂がさらりと言える日は、多分一生来ない。
「―――奴等にウカウカ触らせるんじゃねぇぞ。終わったら、メールしろ」
「は、はい。また後で」
車が検事局から少し離れた細い路地に止まるまで、狼の醸し出す甘ったるい雰囲気に翻弄される時間は続いた。成歩堂が動くまで発車しない事を知っているから、最後に軽く会釈して歩き出す。腕時計は、ここからなら待ち合わせの場所に5分前には着くと知らせてくれた。
―――大雑把なようで意外に計算高いのが、狼という人物。
今日は土曜日。本来なら、検事局に来る予定はない。実際、仕事とも言い難い。
成歩堂がここを訪れたのは、ラウンジでランチを摂る為。相手は、その時々によって多少面子が入れ替わるが、成歩堂が関わった事件の中で知り合った検事や刑事やその他諸々。
要は、仕事外でも成歩堂に会いたいと思った者達が互いの抜け駆け防止と折衝を行った結果、不定期に休日ランチをする事で合意したのだ。
とはいえ当事者の成歩堂に真意は知らされず、『親しく交流・意見交換して今後の法曹界をよりよくして行こう』などと尤もらしい且つよくよく考えたらあんまり必要はないんじゃないかとツッコミできそうな理由で丸め込まれている。
成歩堂も今一理解できていないものの、彼らと会える事自体は嬉しくて毎回誘いを快諾した。
「お待たせしました」
待ち合わせの時間ぴったりでも、相手が皆揃っていた場合はこの台詞が相応しいだろう。
「ジラすなんて、いけないコネコちゃんだぜ」
「5分前行動を心がけたまえ」
「俺の隣においでよ〜」
今日のメンバーはゴドー、御剣、直斗。他の面子でも言える事だが、毎回、休日にわざわざ会う必要があるのか首を捻りたくなる。
ゴドーはアドバイザーとして週に2回、事務所を訪れるし。幼なじみの御剣は、プライベートでも付き合いがあるし。直斗はいつも突然現れ、春一番のようにちょっとした騒動を起こしては爽やかに笑って去っていく。
「相変わらず元気そうで、何よりです」
個性的な面々に揉まれに揉まれた成歩堂は、ツッコミの腕と共にスルースキルも向上させた。いろいろオカシい発言を右から左へ聞き流して、程良い間隔をあけて座る。
「つれないコネコちゃんも嫌いじゃないぜ! ん・・?」
「貴様とは後でじっくり話をしなければならないな。 ・・ム」
「だから、隣に座りなって・・・あれ?」
「・・え? 何です?」
だいぶ大人の対応をできるようになった成歩堂でも、3対計6個の瞳に凝視されては平静を保っていられない。寝癖が直っていないのか、ゴミでもついているのか、変な格好でもしているのか心配になる。
とりあえずツンツンにたった髪の毛を触り、顔を擦り、己の身を見下ろしてみたけれど。異物は触れなかったし、白いシャツも濃紺のスラックスにも染みなどはない。
「そんなに凝視して、どこかヘンですか・・?」
恐る恐る問い掛けてみたが、彼らの視線は成歩堂の失態を目の当たりにした時とは少し異なっていた。
ゴドーなら対象の箇所を含めて広範囲をセクハラしまくってから、エロい手付きで直してくれるし。御剣は『社会人としての自覚があるのかね? 情けないにも程がある』と罵倒しつつも処置し、『だから貴様には私がついていないとダメなのだ』と訳の分からない一言で締め。
直斗にいたってはさりげなく整えてくれる一方、それを盾に意味不明な事―――頬へのキスや膝枕や暇潰しの付き合い―――を要求してくる。
しかし今回はどこか訝しげに、興味津々で成歩堂の事を見詰めているだけ。