全力恋愛



じりりり・・・

ベッドサイドにおいてある目覚まし時計が朝のまどろんだ空気を一掃した。すぐさまソレを止めた手は、そのまま上等な桃色の上掛け布団を身体から退かす。さらさらとした肌触りのそれは容易くベッドの隅に追いやられ、軽く冷えた空気に身体を震わせてからよいしょと身体を起こした。

時計の針は6時前を差している。普段なら目覚まし時計など使わずとも、己の生体リズムに則って起床が出来るのだが。・・・今日はそういうわけにも行かないのだ。軽く目を擦ってから、ベッド下にあるスリッパに足を滑り込ませて早速洗面台へと向かう。

ここは生前の御剣の父が仕事用に使っていたマンションで、築年数は経っていたが中々に使いやすい間取りが気に入っている。ファミリータイプなのが幸いして、1部屋丸々御剣の蔵書保管庫にしているくらいだ。

ざばざばと顔を洗ってから洗い立てのタオルで水分を拭う。少々前髪も濡れてしまったがそれはそのまま放っておいて、軽く後ろへと撫で付けた。鏡の中の己の顔には少々疲れが見えていたが、それも今日でお終いだ。・・・なぜなら、今日のために無理してスケジュールを調整していたのだから。

『・・・偶には、僕から誘ってもいいか?』

検事と弁護士という時間など関係ないような職種において、何とか二人を繋いでいたのはいつでもこの手元にある小さな携帯電話。一回メールで所在を確認してから、改めて電話を入れるというのが二人の暗黙の了解になっていた。会えない日々が段々と増していくにつれ、焦れていったのは成歩堂の方だった。

何とか調整が付けられるのがこの日なんだ、という伺うようなその口調に、御剣は自信満々に大丈夫だと返答した。本当は全然全く驚くくらいに予定が立て込んでいたのだが・・・そこは検事局のナンバーワン。最近では『人を使う』という事を憶え始めた。尤も、それも己と同じくらい有能な人物がいてこそ可能なわけだが。

ふらふらしているようでそれでいてやるべき事はしっかりとしている・・・名前だけは新人な年上の仮面の検事。クッといやらしい笑いを浮かべてからコーヒーを啜るその人物に、御剣は深々と頭を下げて申し出たのだ。『手伝って欲しい』と。

「・・・しかたねえ、上司の命令じゃ逆らえねえしな。」

その代わりと、さり気無く『成歩堂が弁護する裁判を担当したい』などと言い始める辺り油断は大敵なわけだが。ここは背に腹は変えられぬと、それすらも苦虫を噛み潰した顔のまま御剣は了承したのだった。

パンと一度頬を打って己に活を入れると、するりとパジャマを脱いでシャワールームへと入っていった。頭からざぶざぶと熱い湯を浴びながら、今日の予定を確認していく。定時で終わる算段がついた頃には、既に泡を流している段階。ルーチンワークの中でなら身体は自動で動いてくれるのだ。

しゅるりと白いシャツに袖を通し、着衣を整えていく。朝食をとる時間すら惜しい御剣は出勤途中の車の中でパワーバーを齧ることで栄養だけを補っているのだ。こんな味気ないモノでも、ニコニコ顔の成歩堂と差し向かいで夕食を楽しめると思えば・・・逆にその喜びを増幅させるスパイスに過ぎなくなる。

どんな顔をして己を見てくれるのだろう。笑ってくれるのか、それとも少し拗ねてみせるのか。それを想像するだけで御剣のパワーになっていく。くるくると表情を変える成歩堂に御剣は随分と救われていると改めて感じると、フッと小さく笑いを零した。

カウンターにおいてあった車のキーをちゃりと鳴らしながら、玄関へ向かう。皺一つ無い赤の三つ揃いに身を包んで、まるで磨きたてのような輝きを放つ革靴をするりと履いて。

「よし。」

パンと上着の裾を引いて肩口をぴんと張ってから、がちゃりと扉を開くのだった。



***



「なーるーほーどーくん!」
「・・・んあー・・・。」

ソファでだらしなく転がっていた成歩堂が目を開くと、逆さまになった真宵が頬を膨らませて其処にいた。ぴたりと額に付けられた冷たい感触に飛び起きて、ふわわと大きく伸びをした。とんがり頭はあっちこっちに跳ね回り、顔には疎らに無精ひげ。随分と酷い有様に真宵は呆れた様子でため息をついた。

「ねえ、なんか最近おかしいよ?随分と無茶してない?」
「いや・・・そんなこと・・・ないって。・・・ちょっと、頭覚ましてくる・・・。」

ぼりぼりと頭を掻きながら、成歩堂は真宵から受け取った缶ジュースをローテーブルに置いてからシャワールームへと消えていった。流石に着替えはしているようだが、スラックスは皺だらけ、上着も肘に変な癖がついていて。同じスーツを買えばいいのにと真宵は一人ぶつぶつ文句を言いながら、それらをハンガーにかけた。アイロンのスチームで何とか皺を伸ばしながら、ふと目の前にある大きなカレンダーに目を向ける。

「・・・あれ?今日って何かあったっけ・・・?」

赤いペンで花丸がつけられていたのに軽く首を傾げた真宵は、まさか私が見落としていた予定でもあったのかと、アイロンを切って急いでデスクについた。ぱらぱらとスケジュール帳や個人用のカレンダーをひっくり返してみても、特にコレといったものはないようだ。

「あー、腹減った。」
「おはよう、なるほどくん。ねえ、今日何かあるの?」
「え?いや。別に。」

わしわしと頭を拭きながらやって来た成歩堂の表情は、徹夜仕事の疲れの中に何故か嬉しそげな雰囲気。何かにぴんときた真宵は、ははーんとその成歩堂の鼻先に人差し指を突きつける。それにぎくりと揺れる成歩堂は、思わずごくんと唾を飲み込んだ。

「よーし!私も、今日はいっちょやるよ!!真宵ちゃんの本気を見せてあげるから!」
「・・・えと。」
「まあまあ。ほら、無駄話してる暇なんて無いよ!さっさとシャツ着て、ネクタイ締めて!」

お腹がすいたという成歩堂の口にはコレでもかと甘い饅頭を突っ込んで、真宵はぐいと腕まくり。真宵のデスクにおいてある『未処理箱』をトントンと整理して、早速ペンを走らせ始めた。口中が甘ったるくなった成歩堂は必死でそれを飲み込んで・・・ありがたいと心の中で拝んでから、デスクにすとんと着くのだった。

裁判の事後処理書類の中の『御剣怜侍』の文字を見るたびに、ふうとため息が零れてしまうようになったのはいつ頃からだったろうか。仕事が忙しいのは互いに嫌というほど分かっているのだが、それに全然ついて行けないのはメンタル面だった。メールを入れても電話をしても、だんだん追いつかなくなっていくこの感情に、遂に成歩堂は耐え切れなくなったのだ。

「なあ、御剣。最近どう?」
「相変わらずだな。」
「じゃあ、いいや。ゴメン。」
「何だ、途中までで話を切るな。気になるだろう。」
「いやいや。お前の休みはいつ頃なのかなって思って。僕の方が一段落するのはこの辺りなんだけど。」

「偶には、僕から誘っても・・・いいのかなって思ってさ。」

思い出すだに恥ずかしい。まるで駄々っ子じゃないかとすぐさまこの言葉を取り消そうとしたのだが、返ってきた言葉はまさに求めていたもので。呆れてやいないか、そして無理してやいないかと心配してみれば、そんな事あるかと優しい口調。・・・嬉しさで疲れが吹き飛ぶという経験は初めてだった。

成歩堂はデスクに山と積まれた書類を幾つかに分けた。一日コレだけ進めればその日がオフに出来るという目安のためだ。ぐっとワイシャツを腕まくりして、早速今日の分にけりをつけてやるとペンを走らせていったのだ。

一日分を終えたら、カレンダーのその日付に小さな丸。次の日は少し大きめな同心円とそれを繰り返していって、やっと昨日その丸の重なりにひらひらと花びらを付けられたのだ。とはいえ、途中で仕事が舞い込んだりして結局デスクには書類がまだ残っているのだが。


***


トントン。

既に真宵も帰宅している事務所の扉をノックする音が響く。中指の骨だけを使って軽い音を立てる人物に心当たりは一人しか居ない。逸る心を抑えつつ、成歩堂はそっと扉を開けてみた。薄暗い廊下から段々と明かりに照らされていった人物は、ひどく辛そうな表情を浮かべて。

「御剣・・・?」
「・・・。」

成歩堂の言葉が全て言い切られる前に、御剣は成歩堂の身体をかき抱いていた。スーツからふわりと漂う互いのタバコの香りが交じり合い、互いにすうとそれを吸うだけでも今まで心で澱んでいた感情があっという間に消え去って。成歩堂も赤いスーツの背に腕を回して、これでもかと力を込めた。

肩口に額を押し付け合いながら、まるでダンスでも踊っているかのようについと足を運んで事務所の中へと身体を滑り込ませる。ばたんと閉じられた音がした瞬間に、くるりと成歩堂の身体が扉に押し付けられていた。・・・気がついたときには互いに舌を絡め合わせて、忘れていたこの体温を相手に与え合っていく。

「酷い顔だな、成歩堂。」
「・・・お前に言われたくないよ、御剣。」

ほんの僅かに顔に隙間を作ってまじまじと観察してみれば、目の下にはクマが出来ていて、食生活の乱れから肌も少しだけがさついていて。御剣は少し爪が伸びていて、成歩堂はシャツに酷く皺がよっていて。それでもやっとこの胸に収められたという安堵に互いが包まれると・・・。

ぐぅうううう

「・・・。」
「・・・。」
「なあ、明日は一日オフなんだろ?」
「そうだ。車も置いてきたからな。今夜はトコトン君に付き合ってやるぞ。」
「・・・僕、最近うちに帰ってなくってさ。すっごく汚いと思うんだよね。」
「フッ・・・では、私のうちに来るか?」

こくんと頷くその仕草に御剣が柔らかく笑うと、後5分したら行こうと呟いて・・・成歩堂はまた首を傾けていくのだった。




ミツナルの、お互い一杯一杯な感じがらしくってイイですよね☆ 次の日には、ナルの肌はある意味ツヤツヤ(笑)