サンタからの残念賞



王泥喜は近頃すこぶる機嫌がいい。

成歩堂が幾らぶどうジュースをがぶ飲みしようが、ゴドーが幾ら成歩堂といちゃつこうが・・・

「だめじゃないですかー。」

そうニコニコしながら言うだけなのだ。流石に気持ちが悪いとみぬきがその原因を聞いてみても、何でもないとはぐらかすばかり。ゴドーもむむむと眉間を寄せては見るものの、そんな王泥喜にイヤミも全く通じることなく。一体どんな心境の変化だかと軽く肩を竦める始末だ。

「平和が一番。良きかな良きかな。」

唯一その理由を知っていると思しき成歩堂も、そう言うだけで。意味深に王泥喜をちら見してはにっこりと笑いかける。たったそれだけでぼんと顔を赤らめる王泥喜を見れば、浮気はないという事は明らかなのだが・・・どうにもこうにも尻が落ち着かない。

暇さえあれば王泥喜はカレンダーを捲ってにんまり。照れくさそうに頭をかいてそれをそっと元に戻す。もう11月に入っているので捲った先は12月。24日に青く花丸が描いてあるが、まさかコイツかとゴドーが成歩堂を視線で問うが、成歩堂はふふんとニット帽を押さえてその返答を濁している。るんるんと鼻歌まで浮かばせてカップを洗う年若い弁護士に、ゴドーは『可哀想にな』と思わずにはいられなかった。

12月24日。世間一般ではクリスマスイブと言われる日。恐らく多大な誤解が生じていると思われたが、当の成歩堂は知らん顔だし何より王泥喜の機嫌がいい。この花丸の描き方に注目すればその誤解は解けるはずだが、生憎其処までの考えに至っていないだろう事は明白で。・・・面倒になってきたゴドーは成歩堂に遠慮なく腕を絡ませながら、当日の種明かしを楽しんでやるかとニット帽に半分隠れている耳にふうと息を吹きかけるのだった。

***


「ねえ、オドロキ君。この日ってなんの日だか知ってる?」

ある日カレンダーを捲りながら成歩堂が王泥喜に問いかけた。その指の先は24日。そりゃ流石にと王泥喜が答えると、くるりと王泥喜に向き直った。ぱさりと落ちていくカレンダーのホンの僅かな風にさえ色気を乗せたその雰囲気に、ぐっと王泥喜は声を詰まらせる。なんだなんだと混乱する王泥喜に一歩近づいて、くすりと笑い声交じりでも凛とした張りのある声が王泥喜の鼓膜を揺らす。

「君と一緒に、過ごしたいなって。」
「え?!だ、だって・・・!い、いいんですか?!」
「オドロキ君が居ないと、ダメなんだ。・・・いいかい?」

現在の王泥喜と成歩堂の距離はこぶし3つ分くらい。ここまで二人が接近したのは初めてである。ゴドーが常に傍にいるというのもあるが、王泥喜の方も出来るだけ成歩堂とは近づき過ぎないように気を配っていたのだ。・・・何時でも何処でも、これでもかといちゃつく二人にじりりと胸の一部を焦がしている事に気がついてから、それは王泥喜のルールであった。・・・この気持ちを始めてはならないと。

ふんわりとパーカーと素肌の隙間から立ち上る甘い香りは熟しきった葡萄に似ており、それにタバコの香ばしさが膨らみを持たせて鼻を擽る。これ以上はダメだと理性は悲鳴を上げているのだが、足は一歩も動かなかった。恐る恐る腕を持ち上げて・・・緩くこの葡萄の芳香を纏う身体を抱きしめようとした刹那、警報の様に突然コーヒーのアロマが王泥喜を襲う。

やっと我に帰った王泥喜が、すかさず3歩ほど後ずさりして成歩堂にこれ以上寄らないようにと手を翳した。一度ぶるんと首を振ってから大きく息を吸い込むと・・・

「よ、喜んでー!!!」

どこぞの居酒屋もかくやの大声で、それだけを答えた王泥喜はばたばたと顔を洗いにトイレへと駆け込んでいった。ついとその後姿を見送る成歩堂は、耳まで真っ赤にしている王泥喜にくすくす笑いが止まらない。

「そっか・・・。オドロキ君も随分と自覚が出てきたもんだ。」

ぺらりとカレンダーを捲った成歩堂は、とんとんと24日をもう一度見直した。あれ、と小さく書かれているカタカナに、ようやくこの日付のもう一つの意味を知る。・・・この本来ならありえないすれ違いがこれから起こる王泥喜の悲劇を物語っていた。



***


12月24日。快晴。

あれから成歩堂からは何の話もない事に段々焦りが出てくる王泥喜であったが、終始くっ付いているゴドーの監視をかいくぐって己に連絡を取るのは中々に難しいからだろうと、非常に都合のいい事を考えていた。一応レイトショーの指定席チケット2枚だけは用意して、其処に至るまではどうやって過ごそうかと散々シミュレーションした内容をデスクでもう一度おさらいしている。

「ただいまー!」
「おかえり、みぬき。」

昼下がりに帰って来たみぬきは扉をくぐるなり成歩堂に飛びついていく。そんな様子に、言われてみればみぬきちゃんも葡萄の香りがするよなあと、そのスキンシップの多さに王泥喜は小さくため息を零していた。

「はい、パパ。2学期は結構頑張ったよ?」
「どれどれ・・・。お!スゴイな。」

鞄から取り出された通知表を穴が開くほど眺めた成歩堂は、心底嬉しそうにみぬきの頭をくりくりと撫でる。ほら、とみぬきはゴドーと王泥喜にもそれを見せて回り、同じ様にくりくりと頭を撫でられて至極ご満悦だ。丁寧に通知表を仕舞ったみぬきは、また成歩堂の傍に駆け寄って、にこりと笑う。

「ねえ!じゃあ約束守ってくれるよね!みぬき、すっごく楽しみにしてたんだから!」
「そうだった。・・・じゃあ、ちょっと行って来るよ。」

ふらりと扉から出て行く二人に、口をパクパクしながら王泥喜はそれを見送るしか出来なかった。広いおでこに人差し指を当ててうーんと考え始めると、すぐさまコレだとぽんと手を打つ。

・・・きっとみぬきちゃんがビビルバーに出勤してからなんだ。

レイトショーにして良かったとほっと胸をなでおろしている王泥喜に、クックッと低い笑い声。百面相の王泥喜にさも可笑しそうに笑うゴドーに、流石にむうと口を尖らせる。そんな表情にひらりと手を上げたゴドーは、何も言わずにキッチンへと消えていった。コーヒーでも入れるのか、あの人はホントに飲みすぎだろうと心の中で突っ込むも、一人ぽつんと残される形となった王泥喜は一先ず目先の事を片付けてしまおうといそいそとデスクに戻るのだった。

程なくしてごそごそとビニール袋の音がして、楽しそうな話し声が大きくなってきた。成歩堂とみぬきが帰って来たようだ。そちらに顔を出そうとした王泥喜だったが、ちょうど手が離せない書類に取り掛かってしまったためそれは叶わなかった。まだ書類と意識を分離させるほど弁護士の仕事に慣れていないため、王泥喜の思考はあっという間に書類の方に傾いていった。

とんとペンを置いたとき、鼻を通るのは・・・潮の香り。

「は?!」

そのありえない香りにすっとんきょうな声を上げながらやっと王泥喜がキッチンの方へと向かうと、そこにはコトコトと音を立てている土鍋が一つ。蓋の穴からは勢い良く蒸気が噴出しているので、そろそろ出来上がりのようだ。一体何が起こっているのか混乱の極みの王泥喜に、キッチンでゴドーの隣にいる成歩堂がきょとんとした表情の視線を向けた。

「どうしたの?そんな所で。そろそろ始めるよ?」
「え?!は、はい。じゃあ、俺・・・箸の準備でも・・・。????」
「ボウズ、ビールも忘れるなよ。」
「あ、はい。」

両手に取り皿やら箸やらを人数分抱えて、ローテーブルに揃えていく。あれ?と未だ疑問符の残る王泥喜はいつもの癖で成歩堂とゴドーの箸を隣同士に配置してしまう。半分ぼんやりしながら言われたとおりにビールとぶどうジュースも用意して、ぼすんとソファに腰を下ろした。

「みぬき、できたよー!」
「うわあー!!いい匂い!!」

ニコニコ顔のみぬきは当然のように王泥喜の横に座り、正面には成歩堂とゴドーが隣り合う。いつの間にかこの応接ソファには指定席が出来ているのだ。かぱりとゴドーが蓋を開けると、もうもうと立ち上る湯気の向こうでは未だぐつぐつ煮えている音がして。ふうとみぬきが息をかけると、さっき感じた潮の香りの正体が其処にあった。

「えへへ、牡蠣鍋ー!!だーいすき!」
「冬はこれだよな。」
「さあ、早速食べようか。」

その成歩堂の言葉にみぬきがすっくと立ち上がる。えへんと軽く咳払いしてジュースのグラスを捧げ持った。それに合わせる様にゴドーと成歩堂も缶ビールを持ったので、王泥喜も慌ててそれを真似する。

「では、成歩堂なんでも事務所、忘年会を始めマース!今年一年お世話になりました!来年もヨロシクね!かんぱーい!!」
「「乾杯。」」

・・・この空気に呆然としている王泥喜に三人の視線が集中した。ほれ、とゴドーが顎で指示するのに気がついて、小さく乾杯と声を上げる。その声にやっと三人はごくごくと喉を潤し、勢いよくぷはっと息を吐いた。早速みぬきは成歩堂に牡蠣を幾つか取り分けてもらうと、はふはふと本当に美味しそうに食べ始めた。

「美味しいね、パパ。やっぱりお鍋はみんなで食べるのが一番なんだね。」
「僕はみぬきと二人でもいいけどね。まあ、今年は家族が増えた初めての年だし。」
「ねー。」
「・・・。」

取り皿を手に固まった王泥喜に気がついたみぬきは、目の前でひらひらと手を振ってみる。ゆっくりとみぬきに首を向けた王泥喜は、ようやく言葉を喉から発した。それはそれは力なく情け無い声色で。

「ねえ、これは一体・・?」
「忘年会です!ほら、夜はみぬきはステージがあるから、お昼にやりたいってパパにオネダリしたんですよ。」
「ボウズ、まるほどうから聞いてねえのかい?『12月24日、みぬきの終業式の日に忘年会をする』って。」
「は・・・はああああ?!」

成績が上がっていたら贅沢に好物の牡蠣鍋、下がっていたら普通に鳥の水炊きにしようと成歩堂と約束していたらしく、結構期末テストを頑張ったらしい。だから嬉しくて花丸つけちゃったとみぬきは笑って。・・・という事は、随分と前からこの予定は決まっていた事になる。わなわなと小さく震える王泥喜に、成歩堂はすっと取り皿を差し出した。

「あれ?もしかしてオドロキ君って牡蠣嫌いだった?」

だったらゴメンねと、悪いとは全く思っていない口調で成歩堂はほれとまた皿を揺らす。何かが喉からこみ上げてくるのを感じた王泥喜は、乱暴にそれを受け取るとがつがつとソレを一気に口の中へ流し込んでいった。行ける口だねと楽しそうに囃し立てる成歩堂は、まるでわんこそばのようにドンドンと皿に盛ってはそれを差し出していく。



***


その後粗方満足した王泥喜は次にビールをがぶがぶ飲んでいき、みぬきがビビルバーへ向かう頃にはすっかり出来上がっていた。いってきますという明るい声を意識の遠いところで認識した王泥喜の視界に映るのは、味気ない白い天井のみ。食べすぎと飲みすぎでソファに仰向けに転がっているのだ。

「なあ、アンタはボウズに何を言ったんだい?」
「別に、普通に聞いただけですよ?24日空いてるか?って。」
「・・・ふうん。」

二人はゆったりとコーヒーカップを傾けながら、王泥喜を正面に見つつ肩を寄せ合っていた。恐らく忘年会のぼの字も言っていないんだろうと、ゴドーはことりとカップを置く。放り出している長い足を組んでから、うんうん腹を擦りながら唸っている王泥喜に声をかけた。

「ボウズ、少しは反省できたか?」
「は、はい・・・。」
「よし。じゃあそんなボウズに残念賞をくれてやる。・・・シンデレラ気分を味わって来い、まるほどう。」
「へ?」

タバコをポケットに仕舞いつつ成歩堂の額に軽く唇を落としてから、ゆらりとゴドーが立ち上がると、鞄を手にして扉に向かう。

「午前様は許さねえからな。終わったら真っ直ぐ帰ってこい。」
「は、はあ。なんだか良く分かんないけど、分かりました。」
「かみのぎ、さん・・・?」
「・・・ポケットから、大事な証拠品が覗いてるぜ?」

背中を向けながらゴドーはひらりと手を上げて、そのまま事務所を後にした。残された成歩堂は首を傾げながら、ゴドーの言っていた王泥喜のポケットに視線を向ける。そこからちらりと見えていたのは、レイトショーのチケットだった。

「あ!僕これ見たかったんだけどさ、もしかしてオドロキ君も?!」
「なるほどさん・・・。あの、2枚あるんで・・・良かったら一緒にどうですか?」
「うわー!やった!今日はオドロキ君がサンタさんだ!」

三十路とは思えない無邪気に喜ぶ成歩堂に、王泥喜は冷や汗を掻きながらふわりと笑って見せた。神乃木さんが俺のサンタだ、とその心遣いに感謝しつつ・・・逆に二人の決して割って入ることの出来ない絆を見せ付けられたような気がしていた。王泥喜は、こんな最初で最後のデートをいい思い出に昇華しようと・・・今は悲鳴を上げている消化器に叱咤激励してやるのだった。




どこまでいっても叶わないおデコくんが、いい出汁(笑)になってますね・・。だるまいとさま、これからも素敵なお話を書いて下さいませvv