一歩も引かず:2
「でも今回は、幾ら局長さんでも邪魔できない筈さ。この微妙な時期、勘繰られたくはないよね」
「・・・・・」
眉間がより一層険しく寄せられたのが、答えだった。
対象の事件は複雑でデリケートで、かなり重要なもの。またしても、法曹界の不祥事が絡んできているのだ。弁護士が今や時の人である成歩堂故、ここで実力不足の検事などを宛がったら隠蔽工作の一環ではないかと確実に検事局へ疑惑の目が向けられる。
法曹界の改革を推し進めている御剣とすれば、万全の態勢で臨む必要がある。しかし、最有力候補の夕神は、諸般の手続きで二週間の有給休暇を半強制的に取らしており。お灸を据えたばかりの亜内(弟)は論外だし、冥は海外。
正式な裁判なので、再度御剣自身が出廷する訳にはいかない。―――どれだけ、望んでいても。
即ち、該当者は響也だけ。響也とて抱えている案件は多数あるので、それを理由に候補から外していたけれど。他の者と異なり、調整が付けられる。―――奇しくも。偶然にも。
「致し方ない。今回ばかりは貴殿に任す他、方法はないようだ」
フウ、と御剣が肩を竦める。本家本元の動作は更に嫌味っぽくて響也の蟀谷が波打つが、御剣は素知らぬ振りで当該ファイルを抜き取り響也へ渡す。
「今回だけじゃなくて、成歩堂さん相手ならいつでも引き受けるから、さ」
早速パラパラと書類へ目を通した響也は、全て必要書類が用意されているのを知り、わざとアイドルスマイルを披露した。キラキラしい笑顔を歌詞に変換したら、『やっぱり出し惜しみしてやがったなこの陰険眼鏡狐』とハードロック気味にシャウトした筈。
「愚かしい事を言っていないで、準備に取り掛かりたまえ。醜態を晒す羽目にならぬよう、願っている」
「・・・心得ておくよ」
最後は二人共、表情筋を痙攣させつつ。積もりに積もった相手への鬱憤をちょろっと漏らした所で、空気の張り詰めた会見は終了した。
カツカツカツ
元々リズムにのってステップを踏む響也だが、今日のそれは比較にならない程、弾んでいた。
実際、宙に浮かんで舞いかねない心持ちだった。響也が長い長い年月望み続けた事が、ようやく実現したのだ。過去開催して大成功を収めたどんなコンサートより、充足感を味わった。そう、半端なく昂揚している。
「お疲れさまです。あともう一歩でしたね!」
「ありがとう」
「次回こそ、勝利して下さいっ」
「頑張るよ」
急ぎ足で廊下を進む間も、人気者の響也には次々と声が掛かる。響也は一つ一つ愛想良く答えていたけれど、正直言って条件反射に近い上辺だけのもの。今日だけは、許して欲しい。後に傑作と呼ばれた曲が生まれた時のように、響也自身でも溢れ出すものを抑える術はない。
結果だけ取り上げれば、検事側の敗訴。響也の黒星だ。
しかし、成歩堂と同じ法廷に立って。
証言を吟味し。
矛盾を洗い出し。
論戦を繰り広げ。
二人で、真実へと至るロジックを紡ぐ。
それが、響也の願い。―――証拠を捏造したと、成歩堂を弾劾したあの日以来の。
響也は正しい事をしたと信じていたし、正義に悖る行いをした成歩堂を軽蔑すらした。なのに、退廷する前に垣間見た成歩堂の双眸がずっと心に引っかかっていて。やがて明らかになった真実が、響也を根底から揺さぶる。
響也は、陰謀に目を曇らされてしまった。響也が意識できない位に深い所では成歩堂が無実だと気付いていたのに、素知らぬ振りをして。だから、もう二度と同じ過ちを繰り返さないよう知識を得、実践で腕を磨き、真実に共振する弦の感度を限りなく上げた。
道程は、決して容易いものではなかった。実の兄とバンドのメンバーが実行犯と判明してからは、響也の評価も地を這い。表面上しか捉えず安易な判断を下す世間には腹が立ったものの、真相を見抜けず暗黒時代の幕開けを担った事は事実なので中傷誹謗も甘んじて受けた。
煌びやかな活躍の陰で、血の滲むような地道な努力を積み重ね。少しずつ、信頼を取り戻していって。確固たる地位と実力を築き。けれど、完全な区切りは成歩堂と法廷で対峙する事だと響也は考えていた。
そして、今。やっと新たな一歩を踏み出せる。
成歩堂と、過去に囚われない前向きな関係が築ける。
「成歩堂さん!」
今ならラヴバラートを無限に作れそうだ、と浮き浮きしつつ弁護士控え室の扉を開け放った響也の目に飛び込んできたのは―――。