一歩も引かず:1




 トン、トトトン!
「・・・・・」
 たかだかノックだというのに、殊更軽快でリズミカルな音が局長室へ響き渡り。書類から目を上げた御剣は、まず一日のスケジュールが一覧で記されているメモを確認し。その後、眉間の皺を深くした。
 ノックの仕方で訪問者は区別でき、連鎖的に訪問理由も推察できてしまったのだ。
「入りたまえ」
 受話器についているボタンを一つ押し、短く許可を出す。
 局長室には隣接している前室があり、歴代の検事局長は秘書を据えて取り次ぎをさせていたが、合理的な御剣は案内しかできない者の代わりに有能な事務員を配置した。とはいえ、予定外の訪問者が御剣の予想通りなら事務員では止められる筈もない。
 カチャリ。
「失礼するよ」
 扉の脇に備え付けられたインターフォン越しに許可を受け取った訪問者が、しなやかな足取りで入ってくる。
 日本人離れした、八頭身のモデル体型。肩を越す長髪を特徴的な形に捻って垂らし、それが奇異に見えない程、濃い紫のスーツを纏い。威圧的な装飾品を多数身に付けている彼を、初対面で検事と見抜く者は皆無だろう。
 数年前までロックスターだった彼―――牙琉響也は、お堅い重鎮が思わず眉を潜める軽薄な容姿をしているものの、間違いなく若手検事の中では抜きんでた実力の持ち主だ。
「インターフォンを使用しろと、何度言ったら分かるのかね?」
 音符を刻んでいるかのごとく、単調とは程遠い靴音を立てながら執務机の前にやってきた響也を眼鏡越しに睨め上げ、御剣は挨拶抜きで注意した。
 事務員にしろ来訪者にせよ、第一段階はインターフォンを利用して御剣とコンタクトを取るのがルール。しかし響也は毎回、重厚な扉を堅い指輪で叩いて存在を知らしめる。
 無論、わざとだ。
「ちゃんと聞こえてるんだから、いいじゃないか。視力はともかく、耳はまだ健在だよね?」
「何やら誤解があるようだが、視力にも問題はない」
「え? ソレ、老眼じゃなかったのかい? そいつは、失礼☆」
 ヒク、と御剣の口元が引き攣る。若く、格好からして軽薄そうに見える響也だが。フェミニストだし、礼節は心得ているし、自信家でも奢った所はない。
 ただ。
 御剣と相対している時だけ、微妙に、当の御剣からすればあからさまに敵愾心をぶつけてくるのだ。その根本原因は、判明済み。
「まだ優秀な頭脳を保っているのなら、用件はお見通しかな」
「―――ああ」
 惚けた童顔の、腐れ縁の、ハッタリとツッコミを多用する青い弁護士だ。
「単なるミスだと思うんだけどさ。B038号の裁判資料がまだ届いてないんだ。開廷まで時間があまりないから、直接受け取りに来たって訳さ」
 少し屈み込むような姿勢で机へ手を付き、落ちてきた前髪を掻き上げる仕草は、それなりの美的センスを持つ御剣さえ洗練されていると高く評価する。アイドルを止めた後も、響也を一目見ようと出待ちをするファンが減らない事から、世間の評価も同じなのだろう。
 響也なら相手には不自由しない筈なのに。響也が追い求めるのは、年上で同性で最近までピアノの弾けないピアニストで今は弁護士に返り咲いて血の繋がらない娘を育てている成歩堂ただ一人。その事実を知った時、御剣は『選りに選って』と特大の溜息を吐いたものだ。
「いや、ミスではない。担当検事を誰にするのかは、現在考慮中なのでな」
 溝の痕が残ってしまいそうな眉間を揉みつつ御剣が返すと、響也はここぞとばかり長い指を鳴らしてみせた。
「考える必要なんて、ないだろう? ボクと成歩堂さんとで、情熱的な愛のステージを創り上げるから、局長さんは許可だけ出してくれればいいよ」
「法廷に個人的感情を持ち込むのは、止めたまえ」
 成歩堂が法曹界から追放された切っ掛けは、響也との裁判だったにもかかわらず。いや、だからこそなのか、八年もの間響也は成歩堂に執着し。成歩堂が弁護士資格を取り戻した後、初めて法廷に立つ時の検事を担当させてくれとそれはもう、御剣への直訴が凄まじかった。
 正当な理由と権限と―――決して表沙汰にはしないが、御剣の『私情』とで響也の申し立てを退けた際は、裁判で勝利したのと同等の充足感を覚えた。
「アナタがそれを言うのかい? 最高のジョークだよ」
 どうやら、御剣が響也の思惑を知っているように、響也もまた直感かロジックを辿ったのか御剣の思考を看破したらしい。大袈裟に気取って肩を竦めてみせたのは御剣の真似であり、そこには皮肉が込められている。


                                          


リクを頂戴したのは、いったい何時の事やら…(滝汗)