「ゴドーさん、大丈夫です。具合が悪い訳じゃないんです。心配かけちゃってごめんなさい…」
「だが、アンタ―――」
医者はいらないと首を振る成歩堂が無理しているのではないかとよくよく観察しながら言葉を継ぎかけたゴドーが、ふと口を噤む。
「アンタ、まさか……自分で処理しなかったのかい?」
「っ!」
躊躇いつつも推測をぶつければ、大きく揺れた身体と反らされた視線が無言の返答となる。
下肢も厭らしい輩に悪戯されていたようだったから、その始末もできるようにとゴドーは傷の手当ても後回しにして風呂へ追いやったのに。
「単なる生理現象だ。我慢なんざする必要はねぇぜ」
「・・・・・・」
刺激を与えられれば、意志に関係なく反応するのが男の生態。成歩堂の場合は、そういう行為に慣らされたのも相乗効果になるのだろうけれど、そんな事をわざわざゴドーが言う訳もない。
「一晩、寝れば、落ち着きますから…」
しかし、成歩堂は頑なで。
初めはゴドーの家である事への遠慮か、ゴドーが同じ空間にある事への羞恥かと思っていたゴドーも。
成歩堂の顔色の濃度に変化がなく。表情も、男として自然な情動を純粋な性格故に恥じているといった風情とは異なっていた為に、事態がそんな単純ではないのだと悟る。
そして、ゴドーが導き出した結論は。
「まるほどう。一つ、質問したいんだがな」
あの日、透明で堅固な仕切りをぶち抜いて忌々しい男に制裁を下さなかった事を、心底後悔しながら問いを発する。
「ここ数ヶ月……一度でも、処理したかい?」
「!!」
ただでさえ蒼白な成歩堂の横顔が、更に追い詰められたような悲愴さに彩られていく。色のない唇が、噛み締められて。
「沈黙をもって、否定とみなすぜ?」
質問する前に、答えは予想していたけれど。質問の形をとった、確認だったのだけれど。
胸で逆巻くのは、憐憫と慨嘆、どちらの割合が大きいのかゴドー自身も判別できない。
おそらく。薬と暗示と強烈な印象とで成歩堂の意識下に刷り込まれたモノが、手淫を不可能にさせているのだろう。強要されての自慰か、他人の手によってしか絶頂に至れないような身体に造り替えられてしまったのだ。
これが、巌徒の示唆した『絆』。仕掛けられた、時限爆弾。
「ゴ、ゴドーさん…?」
用意したという客室ではなく、主寝室のベッドに降ろされた成歩堂は、よからぬ空気を感じ取ったのかシーツの上を後退ろうとした。成歩堂に続いてベッドへ乗り上げたゴドーは、バスローブの裾を膝で踏んで、それを阻止する。
「アンタができないっていうなら、手伝っちゃうぜ!」
言い方こそ普段通りだったものの、男達の欲望に晒し続けられた成歩堂が、異様な雰囲気を読み違える訳がない。激しく頭を振って、手を突っぱねて、本格的に抵抗し始める。
「ダメです、ゴドーさん!アナタがこんな事しちゃ、いけないんです…っ」
巌徒の思惑が、罠が、成歩堂には嫌という程分かるから。この悪辣な遊戯に嵌るのは、己だけでいい。ゴドーを巻き込んではならないと、成歩堂は堅く決意していたのだ。
「言っただろう?我慢する必要なんて、ねぇってな」
「あぁっ!」
しかし、乱れたバスローブの合わせから忍び込んだ大きな手に、勃ち上がったままの成歩堂自身を包まれ、肉体は情けない位あっさりと陥落してしまう。
昼夜を問わず巌徒に調教された身体が、いきなり数ヶ月も自慰すら叶わない状態に放り出されたのだから、鬱積した欲望はそれこそ誰の手であっても歓喜をもって迎え入れようとする。
「いけま、せん……ダメ、…ぁ…ぁ…」
譫言のように拒否を呟いても、ゴドーの愛撫にあわせて腰が戦慄く。
「俺が、してぇんだ。そういう事に、しちまえよ」
ゴドーは耳元で囁いて、心をも陥落させようと試みた。成歩堂が気に病む必要はないのだと、身を委ねろと唆す。平行して、既に濡れている鈴口に爪を立てれば―――成歩堂の四肢は、一気に芯を失った。
「は、……っ…」
肩で呼吸している成歩堂からバスローブを剥ぎ、軽く右手を拭って床へ放り投げる。現れた裸体はゴドーより細いとはいえ紛れもなく同じ性を持っているのに、かつてない位に煽られるのは、恋情が所以。
「ごめん、なさい…ゴドーさん、すみません…っ」
けれど、成歩堂はゴドーに謝る。一回でも吐精させられてしまえば、もう言い訳は成り立たないから、抵抗しない代わりに嗚咽混じりの謝罪を繰り返す。
切なかった。この場面で最も聞きたくないものがあるとしたら、まさに許しを求める言葉。
それ故に、ゴドーは成歩堂の頬をそっと掬い上げて、思いの丈を打ち明けた。
「もしまるほどうが、少しでもすまないと思っているのなら。一つだけ頼みがあるんだが、聞いてくれるかい?」
「何、です…?」
悦楽に堕とされていても、その返答は慎重で。
込み上げる哀惜を、ゴドーは敢えて無視した。
「もう二度と、俺に謝らないでくれ。アンタに謝罪されるのは、辛いんだ」
ゴドーの我が儘であり。
成歩堂への思いやりであり。
更に翻って、帰結する所はゴドーの奸計。
この夜を、このチャンスを逃したくはない。
この夜だけでも、想い人が手の中に堕ちてきたと思いたいのだ。
「…分かりました、ゴドーさん」
涙を溜め、官能に烟っていても、真実を見通す双眸に欠片の曇りもなくて。
きっと、成歩堂はゴドーの浅ましい想いまで、的確に見抜いたのだろう。
その上でゴドーに微笑みかけ、ゴドーの望みを受け入れ、腕を伸ばしてくれる。
それが嬉しくて、愛しくて―――哀しかった。
畢竟、ゴドーの想いだけは成就する事がないと、思い知らされたが故に。
成歩堂の心は別の所にあると、またしても声なき声で告げられた為に。
だが、ここまできてゴドーは己を抑えられなかった。
愛しい者への劣情は、飽和寸前だったのだから。
だから、ゴドーは。
ゴドーこそが謝罪を胸の内で綴りながら、抑制の効かない段階にまで達した情動のまま成歩堂を組み敷いた。