巌ナル

222:2




 ピンと立った、レッドタビー色の耳。お揃いの短い毛に覆われた、ちょっと太めの尻尾。温かくて、ふわふわで、モコモコのそれらは、特に猫好きではない成歩堂でも良い感触だと思えた。
 が、しかし。
 歴とした人間の成歩堂に、猫耳と猫尻尾が生えているとなれば、話は別。
「本来は、完全に猫へと変化させる仕掛けのようです。かなり古いものでして、効果は3日とありましたが、変化自体が部分的な事から推察しますと、おそらく1両日中には元へ戻るのではないでしょうか」
「・・・安心しました」
 1部猫化するというハプニングに見舞われてから、30分後。椎木の報告を聞いた成歩堂は、ぐったりとソファへ寄りかかった。
 『即刻、調べテ』と、当たり前のように命じた巌徒の無茶振りにツッコめばよいのか。
 命令通り、短時間でびっくりな現象を引き起こした置物の起源・作用・影響まで調査してきた椎木のハイスペックさにツッコめばよいのか。
 そもそも、人間を猫に変身させるなんて荒唐無稽な代物が巌徒邸に存在している事へツッコめばよいのか。
 耳が4つになった不可思議さにツッコめばよいのか。
 1人混乱している成歩堂。
 まぁ不幸中の幸いで、今日は土曜日。邸内で大人しくしていれば、このみっともない姿を晒さずにすむだろう。などと、少し落ち着きを取り戻した(開き直った)ものの。実は成歩堂の災難は、ここからが本番だったりする。
「巌徒さま、ご用意できました」
「ありがと」
 ドアがノックされ、メイドを中に入れる事なく椎木がワゴンを受け取り、巌徒の横へ設置した。
 ピクリ。
 成歩堂の増えた猫耳が、反応し。しなやかな尻尾が、パシリとクッションを叩く。真っ白なナプキンを掛けられたワゴンが、どうしてか気になって気になって仕方なかった。
「ナルホドちゃんの大好物、集めてみたヨ。楽しんでネ」
「!!」
 リネンの下から現れたのは―――ニットキャップ。または、木天蓼。そのものや、それを使用・加工した、ありとあらゆるグッズであった。
 例え限定的だとしても、今の成歩堂は猫の性質を持っている。即ち、木天蓼には酷く弱い。現にそれなりの距離があるのにもかかわらず、知覚した途端、激しく反応してしまった。
 目が、潤む。身体が熱くなる。意識がフワフワする。
 酒を呑んだ時と似通った症状だが、もっと強烈でもっと甘ったるくもっと支配的で。逆らおうなんて気持ちは、これっぽっちも湧いてこない。
「凄い効き目ダ。興味深いね」
 巌徒の声音が愉しそうなのも、気にならない。普段なら、それこそ尻尾をぶわりと膨らませる響きを有しているのに。成歩堂はただ本能に従い、魅惑の香りを強く発する場所―――巌徒の手―――へ近寄り、顔を擦り付けた。
「巌徒、さん・・」
「ちゃんと分かるんだ。嗅覚も変化したのかナ」
 見えないように拳を握っていたのに、成歩堂は掌に在る木天蓼の原木を嗅ぎ付けてきた。一心不乱に頬や鼻をくっつける様も、猫そのもの。
 本物の猫は好きでも嫌いでもない巌徒だが、成歩堂が猫化すれば別。巌徒はワゴンへ木片を戻し、代わりに小さな瓶を取り上げた。中身は、木天蓼のエキスをたっぷり練り込んだ蜂蜜。無論、猫にも人間にも無害。
「ホラ、ナルホドちゃん。甘くて美味しいヨ」
「・・・ん・・っむ・・」
 指に蜂蜜を垂らした途端、成歩堂は差し出される前に首を伸ばして舐め始める。熱心に。丁寧に。念入りに。余程気に入ったのか蜂蜜が塗られていない指まで熱い舌を這わせると、もっと欲しいとばかり小瓶を持つ手へ両腕を伸ばした。
「おっと」
 トサリ。
 実年齢より断然若い肉体故、成歩堂に寄り掛かられてもビクともしない筈だが。巌徒は押されるまま、横たわった。―――ベッドへ。成歩堂は意識を木天蓼のみに集中しており、この先待ち受けている展開など二の次。
「巌徒さん・・・もっとください」
 その証拠に、正気の成歩堂ならまず言う訳のない危険な言葉を焦れったそうに発言してしまった。
「ンン、いいよ」
 眼鏡の奥で、碧の瞳がキラリと光る。
「積極的なナルホドちゃんなんて滅多に見られないから、存分に堪能しなくちゃネ」
 成歩堂には、優しく笑いかけ。同時に、不穏な呟きを漏らし。巌徒は木天蓼に酔っぱらう成歩堂を心行くまで楽しんだ。




 その頃。巌徒の命を受けた椎木は、同じ猫の置物を1つと犬の置物を発掘していたとか。