日 程 2001年2月3日
地 域 滋賀県 三国岳雪山ハイク
メンバー 芳沢・波多野・梁瀬・平岡(記録)

2月3日(土)、平岡率いるOGK隊は雪山ハイクを楽しむべく朽木村生杉へと向かった。目指すは三国岳、小さいながらも村営クロカンツアーが催されたり京大ブナ演習林があったりと、地元では割にメジャーな山域である。

 積雪30cm程の林道を小一時間進み、登山口の休憩所に着く。ここから急登で一挙に山頂へと向かうのだが、どうも道らしきものが見当たらず、「ええぃ、何でもエエから尾根目指して登ってけ!!」と適当に取り付いた。 
 
 「え〜ん、のーぼーれーなーいぃぃぃーーー」「膝で先に固めてから足置くんです!!」「こうやってストック水平にして!!」 イキナリ胸を突く様なラッセルであった。「ちょー何これハイキングちゃうやん」「いーえハイキングです!!」「野鳥観測どころちゃうで、カメラ持って来んかったらよかった!!」「水(注:梁瀬氏は調理用に2リットル持たされていた)持ってくる意味あったんか!!」 気の毒なるは数年振りに参加する芳沢氏であった。    先陣梁瀬氏は「うおぉーーーわおぉーーーブリザードだぁぁぁーーー!!!」(注:粉雪は降っているが無風で非常に暖かい一日であった。)とか何とか喚きながら一人でラッセルし通したので、芳沢氏がしきりに「さすが現役アルパインクライマーは違うな・・・」と感心していた。 

 長い長い急登を終え、ようやく稜線に出た時に梁瀬氏がつぶやいた。
「降り口分からんようになったらマズイから何か赤いモンもってねエ?」
(しまった・・・)L平岡はテープも旗も用意していなかった。「よし、はた姉をそこに埋めて置こうぜ!」「それかひらぱーその木にしがみついとけよ」 −−−相変わらずの梁瀬節であった−−−。

 山頂は「ブリザード」により眺望もなく少し時間も遅かったため、記念撮影だけ行って引き返すことにした。長く長く感じていた登りは、降りてみると非常に呆気なかった。

 登山口の休憩所でラーメンを作って食べた(サワッチよ、すまぬ!芳沢氏がメールで「メニューは言わない方がいい」と書かれてたのはこの為です。)直後、突如梁瀬氏が叫んだ。「行くぞ!!」   (エッ、まだ準備できてないっっ・・・)慌てて荷物を片づけた平岡が振り返って見ると、氏の荷物が「何もここまで散らかさんでもえーやろ」というくらいに散乱しているではないか。   氏いわく「写真を撮ろうとトリに向かって言った」そうな。  
 そろそろ帰ろう、と林道を引き返すが、行きがけに付けたはずのトレースがスキーの跡(多分村主催のクロカンツアー)で消され、帰りもラッセルを余儀なくされた。 「このシュプールは荻原健司だな!!」とか言っていた梁瀬氏は、芳沢氏に「何しに来とんねん」としっかり突っ込まれていた。
また、プラブーツに団子状となった雪をストックでたたき落とす平岡に向かって「イヨッかっちょいイイ〜」「さーすが冬のアルプスに行った人は違うねぇ」などと茶々を入れてばかりだったため、皆「”嫌なせさん”とはウマイこと付けたなぁ」と感心することしきりであった。
 
 帰りの林道は記憶していたよりも遙かに長く、駐車場に着いた頃にはとうに日が暮れていた。 すっかり疲れ果てた4人は車に乗り込むが、気が付くと道に迷っていた。梁瀬氏が迷ったのも少々意外であったが、はた姉がナビをしていたのはたいそう意外であった。 因みに彼女は自販機でジュースを買う時、梁瀬氏から頼まれていたモノと間違って「塩味のポカリ」を買ってしまったが、「いらないんですかぁ?いらないんだったら貰います、私結構コレ好きなんですぅ」とか言って飲んでしまった。氏の頼んだジュースが買い直されることはなかった・・・。

 ついでに梁瀬氏によると今回の山行は「冬期初登頂かも知れぬ」との事、記録的な山行であった。

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