日  程 2001年12月28日〜2002年1月1日
地  域 南アルプス 甲斐駒ケ岳赤石沢奥壁
メンバー 梁瀬・前川(記録)

年末年始で行った甲斐駒ケ岳赤石沢奥壁中央稜の報告をします。
結果は私が風邪を引いてしまい敗退しました。
梁瀬さん申し訳ありませんでした。
 
12/28 
 前川自宅へ梁瀬さん集合し、前川号で出発するも既にのどが痛くなってきていました。
 このときは車内でいろいろ話しをしていたためかと思っていましたがそうではありませんでした。

12/29(晴)
 黒戸尾根の登山口「竹宇駒ケ岳神社」を8時に出発した。2時間くらいはそんなに調子は悪くなかったが、その後腰のつけねあたりが痛くなり更に背中も痛くなる。5合目の小屋に到着するあたりにはへろへろになっており、ここで今日は終わりにしたいと思ったが鬼少尉の梁瀬さんは7合目まで行くとおっしゃる。軍曹と呼ばれている私には少尉に楯突くことはできず、へろへろの体にムチを打ち歩く。
 後ろからきた人全てに抜かれ明らかに自分が風邪を引いていることを認識した。

 16時30分7合目に到着。当初テントどまりの予定であったが小屋泊まりに変更した。(心から助かったと思いました。→シュラフは夏用であったため)結局風邪のため全部小屋泊まりになってしまいました。こんなことならテントとフライは置いてくれば良かったです。ハイ!一泊2500円寝具、ビール付き。

12/30(小雪)
 夜中から発熱し風邪を引いたのは間違いないと認識しました。小雪ということもあり今日のアタックは中止してもらう。この日は1日休養したが結局風邪は直らなかった。梁瀬さんは3時間ほど中央稜の偵察に行く。

12/31(晴、風強し)
 今日行動しないとアタックチャンスはないため、6時30分に出発する。体調は最悪であるが後がないのでしかたない。
 風のため8合目までのトレースは消えておりいきなりラッセルとなる。通常1時間のところを2時間かけて8合目に到着した。私はこの時点で体調が悪く中止したいと思っていましたが、まあ取り付きまでは行こうということでそのまま梁瀬さんについていきました。

 取り付きへのラッセルは深いところで胸くらいまでありましたが弱層テストをしたところ積雪はきわめて安定しており、雪崩れはでないことがわかりました。→敗退する理由がひとつ消えた。
 赤石沢奥壁は風もほとんどなく、陽光のため暖かくベストといっていいコンディションでした。→敗退する理由が更にひとつ消えた。
 ただ積雪だけは例年の2倍くらいあり壁に雪がべっとりとついていましたが、これが○となるのか×となるのかは登ってみなければわかりません。

 結局、私の体調が悪いので壁の取り付きまでで敗退し、この日は甲斐駒ケ岳の登頂のみで終わりました。梁瀬さん申し訳ありませんでした。→結局敗退理由は私の風邪しかなかったということです。13時ごろに7合目の小屋に戻った。
 
 明日は正月ということもあり、この日小屋はたくさんの宿泊者がありましたが、私のとなりに寝るように小屋の親父から言われた客は、私が風邪を引いていることに気がついたら、あいてる他の場所に移動していました。→賢明だと思いました。私も見習おう。
 
1/1(曇り)
 9時ごろ出発。下るだけでしたが、緊張感がなくなったのか安全なところで頭から転んでしまいました。(誰かを見習ったわけではない)
 やはりへろへろになりながら13時山行終了。

 反省

 帰ってから更に3日間も寝込んでしまいました。風邪を引いたら無理をせず下山しましょう。小屋の親父も言ってましたが山では風邪は治 りにくい。今にして思えば2日めに下山し、完治後連休後半でトレースのつきまくった他のルートを登ればよかったです。
 連休を有効活用できなかった。残念です。

 今回のリベンジ(償い)として1月3連休に錫丈3ルンゼに行く予定です。

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