日  程 2001年8月18日〜19日
地  域 北アルプス 前穂高四峰正面壁 北条-新村ルート登攀
メンバー 梁瀬・河野・波多野(記録)

2001年8月18日(土)

 6:00 上高地BTにて梁っち、こうちゃんと合流。ギアが少ないしロープもなく、大きくなるはずのない私(食担)のザックが一番大きい。「いったい何持ってきてんの」とチェックされ、「レトルトぉ?あほ重いはずじゃ。」「水そんなに(2リットル)いらんやろ。このあと水場いくらでもあんのに。」「なんやこの大きいゼリーは?(ハンドボールくらいの大きさのゼリーを3つ)」というわけで、中畠新道の急登に備えて水は減らされ、ゼリーはその場で食べてしまうことになった。(明朝用に持ってきたのになあ、、がっく。)でも、結局食料は、梁っちに持ってもらった。もうしわけなかったです。 

 6:50 上高地発。

 8:40 徳沢着。こうちゃんがMLで知り合ったクライマーTさんのご主人(奥さんは、別の山に登っているらしい)に会った。前穂にはもう雪渓がないという。それを聞いた私が、不要な4本爪のアイゼンは、少しでも荷物を軽量化するために、そのへん(の木のうろとか)に隠しておこうかなあと提案したが、2人にはとりあってもらえなかった。小休止。すでにお腹がすいていて、各自持参のものを食べる。今日は奥又までだけとわかっているので、なごやかだった。

 9:00 徳沢発。新村橋を渡り、照りつけるじゃり道を歩き、林の中の登山道を少し登り出した頃、後ろを歩いていた梁っちが私の足元をまじまじと見ながら、「はたねえ、ちょっと止まってみて」と言う。言われて立ち止まり、靴を見てびっくり!かかとのところのビブラムソールが、ぺらーんとはがれていた。よく見ると登山靴本体と、すり減って、厚さ1pくらいになったビブラムソールとをつないでいるウレタン部分が劣化してぼろぼろになっていたのだ。ウレタンのスポンジは、粉状になっていくような崩れ方で、かかとのところはすっかり崩れていて、ソールがはがれてぺらぺらしている。しかも、横から見ると、靴本体とソールの間のウレタン部には、土踏まずのあたりまで、裂け目が入っていて、ウレタン部が全部崩れてしまって、ソールがすっかりはがれてしまうのも時間の問題という感じだった。「それ何年はいてんの?」「わからない。5年かな、もっとかな、、、」と、まずは驚いたが、そのうち、「降りる?」という話になってきた。「白骨温泉行こ」「降りて靴調達して錫杖は?」という案が出た。でも、私は降りたくなかった。どうしても奥又に行きたかった。錫杖に行きたくないわけではなかったけど、気持ちがすっかり、奥又前穂に向いてしまっていて、簡単には切り替えられなかった。テーピングテープを出してそれ以上裂け目が進行しないように、土踏まずのところをぐるぐる巻きにし、それからかかとのところもぐるぐる巻いた。軽量化を考えてテーピングテープもちょっとしか持ってきていなかったので、その時点でテープはほとんどなくなってしまった。私が強く行きたがっているのを察してくれてのことだと思うけど、とりあえずは、様子を見ながらもう少し歩いてみる ことになった。30分ほど歩いてから、もう一度止まって靴の具合を見てみた。土踏まずに巻いたテープは、それほど痛んでなかったので、ウレタン部の裂け目は進行していないように見えたが、かかとにまわしたテープは既に切れかかっていてテーピングがさしてもたないというのは明らかだった。何でこんなことに、、、と思えば思うほど、どう考えても自分のミスなので、あまりに自分が情けなかった。でも、どういうわけか私は「行きたい行けるなんとかなる靴は絶対大丈夫」という根拠のない自信に満ちてしまっていて、自分から「降りる」とは言いたくなかった。もちろん自分のミスなので、2人に「降りる」と言われたらそれは仕方がない、迷惑をかけて申し訳ないとも思った。「無理でしょー。奥又まで行けたとしても、その靴が5・6のコルからの下りでもつわけないでしょう」と、こうちゃんに言われ、じわじわと雰囲気は暗くなっていったところに、4,5人の登山者のグループが降りてきた。
涸沢からパノラマコースを降りてきたらしい。何だか忘れたけど、すれ違いざま、何か話しかけられて、梁っちが、どういう脈絡か、壊れた靴の話をしたら、登山者のうちの一人のおじさんが、すぐさま立ち止まってザックを肩からおろし、ザックにつけていた 黒いゴムひも(タイヤのゴムか、ゴムチュープか板状のゴムの切れ端みたいなゴムひも)をシュルッ、シュルッ、と抜き取って、「これで 応急にしばれば何とかなるでしょう」と言って、 計5本、ゴムひもをくれた。何度も何度もお礼を言っておじさんを見送り、それから、靴のつちふまずのところとかかとのところと、先のところも縛れるだけ縛ってみると、靴はとても具合がよくなり、相談の結果、とにかく、今日は奥又まで行こうということになった。

11:30 中畠新道のとりつき。懐かしい。4年前、岳士会の門をたたいたあの2週間ほど前に、西村さんと大西さんに連れられて、前穂北尾根に行くつもりでここに来たことを思い出す。

15:00ごろ(?時間不明) 奥又着。何とか靴はもった。奥又に着く少し前に、4峰正面壁がよく見えるところがあり、そこで、ルートを確認する。T1とりつきのところまでが、ザレていて急で、とてもロープなしで行けるような感じには見えない。う。雪渓も少ないが残っている。そこからもう少し池近くまで登ったあたりで、アプローチになる踏み跡を確認する。奥又に着いてしばらくしたら、クライマーが2人降りてきた。地震で崩れた前穂東壁右岩稜のところに(?違うかも。実は私は聞いてもよくわからなかった。梁っちやこうちゃんはわかっていたみたい)新たにルートを開拓したらしい。いかにもタフそうな2人だった。幕営はその2人の1張りと、写真を撮っているらしい年配の男性(あとで、若い頃ばりばりやっていたクライマーだとわかった)と、あと、遅くに登ってきたふつうの登山者らしいグループと我々の4張り。明日のため、早々に食事を済ませて寝る。 

8月19日(日)

2:30 起床。いつになく緊張していて、12時頃から何度も目がさめた。でも、睡眠はじゅうぶん。

4:00 奥又出発。草が生えていて、踏み跡のあるところは歩きやすかったが、雪渓までのガレ場で、私はひと苦労。小さな岩片は安定していないので、踏むところ、踏むところが崩れてしまうのだ。雪渓でもまたひと苦労。雪渓は他で何回も渡ったことがあるので、 実は甘くみていたが、予想以上に斜度があったため、4本爪アイゼンでのトラバースは、恐くて、ほとんど4つんばいだった。みっともないとか言ってられず、右手で梁っちに借りた先のとがったハンマー(ミゾー)を雪渓に突きたて、左手は泥だらけの雪渓を支えながら渡った。もちろん、こうちゃん、梁っちは2足歩行、問題なし。梁っちは、私が雪渓をころがり落ちていってしまわないか、かなり心配したみたいで、付きっきりで歩いてくれました。迷惑かけてすみませんでした。

6:00ごろ(?) T1とりつき着。C沢からT1まで、実際に来てみると、ロープを出すほどではなくほっとした。でも、手にする岩が本当によく動く。 整備されたフリーの岩場で安定した岩ばかり触っているので、やっぱり本ちゃんは、違うなと思う。T1から見下ろすと、奥又白池がよく見える。とても天気がいい。

6:40 T1より1pめ、登攀開始。こうちゃんトップ。すぐ見えなくなる。フォローで私が続いたあと、時間を惜しんで梁っちもビレー点のギアを回収するとすぐに登ってくる。

7:00(?) 2pめ、こうちゃんトップ。軽快に登っていく。私も、なるべくもたもたしないようにと、急いで登っていく。それにしても、手にする岩が  よく動く。動いた岩片は、落とさないようにそっと元に戻しておく。こうちゃんは、2pめを、わりと短めに(?)切ったみたい。

7:20(?) 3pめ、こうちゃんトップ。「ロープ足りないかもね」としつこく心配する梁っち。「ふん?足りなかったら切ります。」とこともなげに言い放つこうちゃん。頼もしい。ロープはきちきち。解除のコールを聞いたとき1mなかった。

7:40(?) ハイマツテラス到着。広い。水を飲んですぐトップを交替する。4pめ、梁っちリード。あらゆるところにスリングが下がっている。
梁っちはハングごえが2つではなく、1つになるようなラインで登っていく。梁っちが、かなり長くフリーにこだわって時間をかけていると、こうちゃんが控えめに「フリーで行ってるんですかぁ?」と声をかける。(言外に、私たち今日中に下山ですよ。時間ないですよという含みがあるように聞こえなくもない)。あぶみ登場。続いて私も登る。水平のクラック(というのか?)のところから、右へ。迷う余裕もなく、あぶみに乗り移る。あぶみの次のハーケンがかなりぐらぐらしていてA0で引っ張るとぬけそうだったので使えなかった。

8:40 5pめ、梁っちリード。ひらぱに教えてもらった写真が参考になったトラバース。梁っちは、迷わずルートをたどっていき、まわりこんで見えなくなる。私も続く。少しガスがわいてきて、まわりが見えなくなってきた。

9:00 6pめ、梁っちリード。どこでも登れそうで、どこを行こうか迷いそうなところだ。梁っちは、よどみなく行く。登っていくと、上のハイマツで確保していた。

9:20 7pめ、コンテで行けそうなだだっ広さ。梁っちリード。右上していく。1本だけとれたあと、残置なし。見えなくなる寸前で、切って待っていてくれる。そこから後はコンテみたいな感じでこうちゃんと2人で梁っちを追う。

10:20 北尾根の稜線に出た。奥穂や北穂が見えるかと思ったが、奥穂や北穂の稜線はガスがかかっていて、下のほうしか見えなかった。残念!5・6のコルをめざして北尾根を降りる。最初ロープはつけたままだったが、途中ではずした。これまで、登山道の縦走しかして来なかった私は、ついつい尾根の片側をまきたくなってしまうのだが、ザレザレしているところなんかは、かえって危ないとかで、梁っちやこうちゃんは、まかずに、尾根の先の岩が重なりあったところを、さっさっさーと歩いていってしまう。躊躇しない。登山道だと、危ないところには、たいていまき道があるものだったので、自分の常識をくつがえされた私は2人の歩き方に仰天してしまった。なるほどなあ。

11:30 5・6のコル着。左を見ると涸沢小屋の赤い屋根がよく見えていて、右には奥又白池。ああ、とうとう来たなあ。とうとう両方を見下ろすこんな所に立っているんだなあ、、と感傷にひたるまもなく、ハーネスをはずし、登攀具を片づけ、靴を登山靴に履き替える。いよいよだ。下りの苦手な私はしっかり気合いを入れなくては。昨晩の打ち合わせでは、5・6のコルに12:00に着ければ、そこから奥又まで2時間かかったとしても、ぎりぎりタクシーには乗れるだろうという計算だったので、こりゃ、ひょっとして、ホントに今日中に帰れるのじゃないかという気になってきた。急がねば。

11:50 5・6のコル出発。最初は草の生えた踏み跡をたどっていくので、歩きやすかったが、傾斜のかなりきついところも出てきて、足元、膝上に力が入った。草が切れると、ガレたところを右へ右へと降りた。私一人、しょっちゅう座りながら降りていた。降りていたんだか、お尻で滑っていたんだか。途中、雪渓は避け、雪渓の下をトラバースしたあと、奥又に続く草の茂みに戻っていくのだが、茂みについている踏み跡の入り口(というのかな)がかなり上のほうにあるのを、梁っちが確認していたとかで、梁っちは、茂みの手前のガレたところをぐんぐんと、真上に登って行った。でも、そこがまた悲しいくらい岩の落ち着かないガレ場で、岩が細かくて、踏むところ踏むところがまた、ざらざらーっと流れてしまうのだ。私は、ありじごくの巣を登るアリ状態になってしまい、梁っちを追いかけるのがものすごく厳しかった。

12:50 奥又着。驚いたことに、予想に反して、5・6のコルから1時間で帰ってくることができた。これで、今日中に帰れるのは、ほぼ確実である。ほっ。

13:50 奥又出発。テントを撤収して下山。1張りだけ残っていたテントのカメラ氏と少し話す。積雪期にここから見えているルートはほとんど登ったという話を聞く。「涸沢はきらいなんだ。ここは静かでいいよ。」と、しみじみおっしゃる。奥又白池を離れるとき、振り返ると、カメラ氏は池の側に張ったテントの横で、仰向けに寝転がって、前穂のほうを眺めていた。私も今日の登攀を味わいながら、ここでもう一泊できたらなと、ちょっとうらやましかった。

15:10 中畠新道の登り口の水場着。厳しかった〜。中畠新道の下りは、ホントに厳しかった。途中から膝の上に力が入らなくなってしまった。私があんまり何度も何度も「もうあかん」とか、「膝に力が入らない」とか「梁っちもこうちゃんも元気だねぇ」とか、ぐちぐち弱音を吐いていたら、一度梁っちがふりかえって「はたねぇ。みんなしんどいねんで」と言った。すみません。 一人でうるさく文句言ってました。反省です。

16:10 徳沢着。

17:00 明神着。それから河童橋まで帰ってきて、橋の横の売店でおみやげを買う。昨日とうってかわって、人が少なく、静かだった。

17:50ごろ(?)上高地BT着。タクシー乗り場について、ほっとしてザックを降ろし、タクシーの後ろに荷物を入れようとしていたちょうどその時、足元のゴムが1本切れた。私を助けてくれたゴムが役目を終えたみたいに切れたのには、ちょっと驚いた。

18:40 沢渡駐車場着。

感想と反省
 今まで何度も何度も涸沢周辺に入っていて、岩に登るというのがものすごいあこがれだったのですが、それが初めて実現して、ほんとうに嬉しかったです。あと、やっぱり本ちゃんの岩はほんとにもろいのだと実感しました。それから、アプローチや、北尾根から奥又までの下山など、特に勉強になったと思います。 
 反省は
   1)靴−いつまでも古い靴をはかない。
   2)軽量化−シュラフ、食料など、削れるものはないか、再度検討。
   3)脚力、体力、精神力のなさ−文字通り、もっとトレーニングを。
   4)人並みの荷物が持てるよう歩荷の力−荷物を持ったら、とてもさっさかとは動けないような気がして、バスケットボール大のアタックザックを使いました。おかげでかなり楽でした。ただし、ロープは、末端を長めにとって、背負っていけばいいと思っていましたが、朝露がひどく、もし、ロープを持ってもらわなかったら、濡れて重くなって大変なことになっていたのではと思いました。せめて、ロープは入るようなザックにすべきか
   5)ハンマー・アイゼン
    雪渓の残るルートに行くなら、ヨセミテハンマーではく、先のあるハンマーを持っていくか、6本以上のアイゼンを使うべき。
以上、非常に長くなりました。


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