1 酒類と健康

(1)Jカーブ

最初に、みなさんが、最も関心をお持ちであると思われる話題「お酒と健康」について取り上げてみましょう。

「酒は百薬の長」と言われますが、この言葉は、1981年にイギリス人のマーモット博士によって科学的に証明されております。すなわち、まったく飲酒されない方より、少量飲酒される方の方が長命であることが統計により明らかにされたのです。今日では定説になっておりまして、図―1J字型死亡率曲線はこのことを表したものです。縦軸が死亡率、横軸が毎日の飲酒量を表しています。曲線は、飲酒量が清酒で1合くらいの時に最小値を示しておりますので、毎日1合くらい飲酒すると最も死亡率が低く、それ以下でもそれ以上でも死亡率は高くなることを表しています。全体的に見ますとこの死亡率曲線はアルファベットの「J」の字に似ている事からJカーブと呼ばれます。JではなくてUの字であると主張される酒類メーカーがあります。つまり、飲酒されない方と大量飲酒者とは死亡率が等しい、というものです。メーカーとしてはたくさん飲んでいただきたいのはわかりますし、本当にそうであれば、私にとってもうれしいのですが、残念ながら間違いです。飲酒量と死亡率の関係はJの形になります。

マーモット氏のデータはイギリス人を中心に集計されていますが、1994年には滋賀大学の研究グループが同様の発表をしていますので、Jカーブは日本人にも適用されるようです。しかし、一部の方が異論を唱えています。つまり、まったく飲酒されない方の中には体調を崩し、医者から飲酒を禁止されている人たちが入っており、これらの方は当然、死亡率が高くなるので飲酒をされない方の死亡率を真の値より高めていると主張されるのです。しかし、それらの方々を除いてもJカーブは成り立つそうです。

 少量の飲酒が人間の寿命を延ばす原因は、アルコールの持つ血管浄化作用によるとされています。飲酒者は心疾患の死亡率が低く、血栓溶解酵素活性が向上している、という研究結果があります。私の知人に警察の鑑識課に勤務されている方がいます。彼から聞いた話ですが、監察医は解剖した故人が生前、飲酒習慣をお持ちであったかどうか、わかると言う事です。飲酒習慣をお持ちの方の場合は血管が非常にきれいなのだそうです。

 要するに、アルコールは良い作用と悪い作用を体に及ぼすのですが、摂取量が少量の場合、良い作用のみ現われるということでしょうか。Jカーブは、アルコールは健康に良いからたくさん飲んでも大丈夫とは言っておりません。「節度を持って飲酒すること」と、とらえるべきであると考えます。私をはじめとして、お酒の愛好者には、実行することは非常に難しいことですが。

 

(2)ストレス解消

 もう一つ酒類の持つ有益な作用はストレスの発散です。お酒を飲むことが、様々なストレスの解消にどれほど有効であるかは衆人認めるところでしょう。現代のようなストレスの多い社会では適度の飲酒ほど簡単なストレス解消方法は見当たりません。これは想像の域を出ないのですが、個人的には、酒類の持つ「ストレス解消」作用がJカーブ成立の要因の一つではないか、と考えています。しかし、「ストレス解消」を目的に飲酒すると、つい飲酒量が多くなりがちです。適量の飲酒を心がけないと、ストレスによる疾患は回避できてもアルコールの持つマイナスの作用によって体調を崩してしまいますからご用心ください。

 また、飲酒することにより、人とのコミュニケーションが上手にとれることがあります。酒なしの懇親会は考えられませんし、お酒は、社会の潤滑油の作用を果たしているとも言われます。現在、世界中で様々な争いが起っていて、多くの尊い人命が犠牲になっています。争いの根底に貧困があることは論を待たないと思いますが、イスラム教に般若湯があれば犠牲者はもう少し少なくなるような気がします。不謹慎でしょうか。

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2 清酒と健康(清酒を愛飲すれば健康に良い。)
                       

 これまでは、酒類全体と健康との関係を取り上げましたが、ここでは、清酒に絞って話をしたいと思います。最後には「ワインを含めた酒類の中で清酒こそが一番健康に良いのだ。」と結論しますが、はたして、みなさまにご賛同がいただけるでしょうか。

(1)清酒と他の酒類との比較

ワインは最も健康に良いとされる酒類です。「フレンチパラドックス」という言葉があります。これは、フランス人がフランス料理という世界に冠たる高蛋白・高脂肪料理を食しているわりには近隣諸国と比べ長寿であることを表現したものです。このパラドックスは次のように説明されます。フランス人はワインを大量に摂取するので、ワインそれも赤ワインに多く含まれるポリフェノールが、体内で造られてしまう有害な活性酸素を除去し、その影響から生体を防御してくれている。だから、フランス料理を食していても長寿なのであると。また、ワインは果実を原料としているためカリウムやナトリウム等のアルカリ成分を多量に含有しており、アルカリ食品に分類されます。なるほど、酸味は強いのですが酸味の原因物質である有機酸は、体内で代謝され炭酸ガスと水になって排出されてしまいますから。これもワインが健康に良いイメージを持つ一因です。これまで何度かワインブームがありましたが、ワインが持つこうした機能性もブームを起こした一因になっています。

また、最も消費量の多い、ビールや発泡酒等のホップを用いた発泡性低アルコール飲料(以下、ビール類と称します。)では、その利尿作用やホップの持つ薬効に注目して健康に良いことがアピールされます。また、アルコール度数が低いことで体への悪影響が少ないと考えている方もおられます。単式蒸留しょうちゅう(従来の乙類しょうちゅう)も摂取することにより血栓溶解活性が向上するとして健康へ寄与することを主張しています。

清酒はと言いますと、血圧を下げる効果のある成分が含有されているという研究報告がありますが、そのインパクトは他の酒類に比べるとはなはだ弱いと言わざるを得ません。ワインのように抗酸化作用を持つポリフェノールは存在しませんし、米を原料としていますので、体内で代謝された後にはリン酸が残り、酸性を示しますからアルカリ食品でもありません。その上、醸造酒にしては飲酒される時のアルコール度数が高く、エキス分も5%くらいあり、酒類としての総カロリーも高いと思われがちです。これは誤解ですので後ほど説明させていただきますけれども、一般的に言って「清酒は、他の酒類と健康に関する作用を比較すると「見劣りする。」と考えられているようです。このことは消費者だけではなく、清酒業界の関係者全員がそのように思っている節があります。

(2)食中酒の健康への寄与は料理との相性で

食事を召し上がる時に共に味わい、同時に料理の味わいを引き立てる酒類のことを食中酒と申しますが、清酒も食中酒に分類されますし、主な酒類である、ビール類、単式蒸留しょうちゅう及びワインはほとんどの場合、食中酒として消費されています。

酒を愛する方にとっては.酒を飲むということは夕食をとる、と同じことであると考えても良いのではないでしょうか。ですから、食中酒である清酒の健康への影響を考える場合は一緒に食する「さかな」まで含めるべきではないか、と思うのです。一緒に体の中に入るのですから、「さかな」と食中酒の組み合わせでその酒類の健康への寄与を論ずるべきであると私は主張したいのです。

「さかな」の中身を考えて見ましょう。清酒と相性の良い「さかな」の中で最高なのは、「おさしみ」でしょうか、次は、「焼き魚」、「豆腐料理」、「煮物」、「酢の物」等、いわゆる、おふくろの味と言いましょうか、日本的な料理が頭に浮かびます。早く、夕方になってくれ、という気分になりませんか。たまってくる唾液を抑えて、頭に浮かんだものをちょっと整理してみましょう。還暦を過ぎた私には、すぐにこれらがメタボリックシンドロームを予防するために摂取すると良い、と医者に勧められている食品群と一致することがわかります。つまり、魚肉、植物蛋白質、食物繊維を含む低カロリー食品なのです。清酒が酒類の中で一番健康的であるとする理由はここにあります。酒類の健康への寄与を考える場合は、「一緒に食するものまでを考えること。そうすれば、清酒の健康への寄与は他の食中酒に負けない。」と主張したいのです。

(3)酒類の持つ「リフレッシュ力」と食品の「落ちやすさ」

では、何故、清酒が日本的な料理に合うのかと言う疑問が残ります。これを証明しない限り私の考えは説得力を持ちません。この疑問に答えるために酒類がある機能を持っていると考えます。その機能を「酒類が持っている舌を洗浄する力(今後は省略して「リフレッシュ力」と呼びます。)」と定義します。最も「リフレッシュ力」の強い食中酒は強烈な酸味とポリフェノールを有する赤ワインであり、逆に最も弱い食中酒が淡く麗しい清酒であると思います。一方、洗われる食品素材にも、「落ちやすさ」があると考えられます。つまり、食品と味を認識する舌上の味蕾との間には、ある種の親和力が存在するのではないかと考えます。動物性蛋白質や油は、強く味蕾と結びつきそうですが、豆類、魚肉及び野菜などは水を飲んでも簡単に洗い流されそうです。

それでは、「リフレッシュ力」と「落ちやすさ」によって、食中酒と料理の相性をご説明しようと思います。

今日の夕飯は焼肉です。焼肉を食べた時の舌の上を想像して見てください。味蕾は、恐らく油まみれで焼肉が付着していることでしょう。そこにワイン、それも赤ワインが入ってきます。強烈な酸と、ポリフェノール(ポリフェノールは蛋白質と良く親和します。)により、味蕾にへばりついていた油と動物性蛋白質はあっという間に洗い流されて行くことでしょう。舌が、正確には味蕾がリフレッシュされました。それと同時にワイン自身が味蕾と接触しワインを「うまい」と感じていると思います。ここで、焼肉をもう一口食べますと味蕾からワインが除かれ、リフレッシュした味蕾は最初に焼肉を口にした時と同じ「うまい」という信号を脳に送るはずです。以後はこの繰り返しで、満腹になるまで食べ始めた時と同じおいしさで焼肉を堪能し、ワインのうまさも食事を終えるまで味わうことができます。ワインが焼肉の食中酒として見事に機能していることがご理解いただけますでしょうか。

では、赤ワインで日本料理の代表として、冷奴を食べる時を想像しましょう。味蕾には大豆蛋白質が付着していると想像できます。赤ワインが入ってきます。その圧倒的な洗浄力によって舌の上は赤ワインで占領されます。ワインそのものの持つ「うまさ」を味蕾は感じます。次に、醤油などを付けた豆腐を口に入れますが、占領しているワインに邪魔されて繊細な豆腐の「うまさ」を味蕾は発信できません。味の切れの良いワインでしたら、こんなことは起らないのですが。再び、ワインが入ってきて、大豆蛋白をあっという間に流し去ります。以後はこの繰り返しになりますが、結果として、ワインを一口含んだ後の豆腐の「うまさ」はあまり感じられず、ワインの味が舌の上を占領したまま食事が進行します。これでは、赤ワインを単独で飲んでいるのとあまり変わらないのではないでしょうか。これは酒と料理のミスマッチ以外の何者でもないと思われませんでしょうか。

そこで清酒の登場です。清酒のリフレッシュ力は弱いのですが、味蕾に付着した「落ちやすい汚れ」である大豆蛋白質を洗い流すことができます。同時に味蕾は、清酒の「美味しさ」を脳へ発信します。次に豆腐を食べた時、豆腐は清酒に取って代わって味蕾を占領することができます。淡く麗しい清酒は、豆腐や醤油に味蕾におけるその座をすぐに譲ってしまいます。そして味蕾は最初に感じた豆腐の繊細な「うまさ」を脳へ発信するはずです。焼き肉とワインの関係が成立します。

今度は清酒を食中酒として焼肉を食べる時を想像してみましょう。清酒は「リフレッシュ力」が弱いので味蕾に付着した肉と油を洗い流せません。水で油汚れを洗う時を想像してください。その結果、焼肉の味に飽きてきますし、清酒の「うまさ」も感じないということになります。

(4)納得いただけましたか。

料理と酒類の相性を説明するために酒類の「リフレッシュ力」と食品の「落ちやすさ」という考え方を提唱しましたが、うまく説明できるとご賛同いただけますでしょうか。賛同いただけるとすれば、清酒の健康への寄与は決してワインにも負けていない、いや赤ワイン以上に健康的な食中酒であると、主張するのもあながちでたらめではないとお考えいただけますね。清酒と相性の良い料理は、医者の勧めるメトボリックシンドローム予防食であり、ワインと相性の良い食品は、取りすぎると健康を損ねる肉と油ですからね。夕食に清酒を飲みたくなる料理を食すること、これが、メタボリックシンドロームを回避する一つの手段であると考えます。

(5)他の酒類の「リフレッシュ力」

他の酒類の「リフレッシュ力」も考えてみましょう。ビール類の「リフレッシュ力」は、オールマイティではないかと思っています。オールマイティと表現したのはどんな料理とも適当にマッチする、ということです。料理の味を引き立てますし、酒類の持つ味わいも楽しむことができるということです。アルコール飲料を召し上がらない方が食事の時にお茶や水で味蕾をリフレッシュされていますが、ビール類は飲酒習慣のある者にとっての「水」に相当している、と思える時があります。

単式蒸留しょうちゅうも飲酒の機会ごとにストレート、お湯割りなど、飲酒形態に選択の余地が豊富にあり、芋、米、麦など、原料の多様性とも相まって料理に対する相性の柔軟さを持っています。ビール類の販売量が、断然他の酒類を圧倒していますし、最近の単式蒸留しょうちゅうの販売量の進展も顕著なものがあります。これらのことは、料理との相性、私流に言えば「酒類の持つリフレッシュ力」が影響している結果ではないかと考えています。

食中酒としてオールマイティであるビール類や単式蒸留しょうちゅうですが必ずしも常にベストではないと思います。人にもよると思いますが、食中酒として和食にも洋食にも適応できますが、清酒と和食、赤ワインと焼肉ほどの「料理とぴったりとした」感はないのではないでしょうか。あえて、ビールと最も合う料理を上げれば、油をたくさん使用した料理、代表的なものが「揚げ物」ではないかと思います。酒類別のカロリーの所でご理解いただけると思いますが、俗に言うビール腹は、ビールの持つカロリーが原因ではないと思います。酒類の持つカロリーは大部分がアルコールによって占められていますからビール腹の原因は、相性の良い料理、つまり高いカロリーを有する「揚げ物」であると私は推測しています。せっかく苦心されて低カロリービールを造り出された技術者の方には申し訳ないのですが、ビール腹を引っ込めるためには「つまみ」を工夫するしかないことを消費者に広報すべきであると考えます。ちょっとおせっかいですかね。

(6)酒類別のカロリー

 清酒は他の酒類と比較するとカロリーが高いという誤解を解くために、酒類ごとのカロリーについてお話しましょう。現在の国際度量衡の呼称に従えばジュールで表現しなければならないのですが、みなさんもピンとこないと思いますので使い慣れたカロリーで表現することとします。カロリーを比較するために酒類のアルコール度数を1%まで希釈したとします。次に希釈した酒類の100gを摂取した時の各酒類の持つカロリー数を算出します。こうすることで同じ土俵で酒類の持つカロリーを比較できます。結果は表−1酒類別のカロリー数に示しました。清酒の場合、アルコール度数は15%ですから15倍に希釈しその内の100gのカロリー数を計ると6.9キロカロリーになることを示しています。しょうちゅうが5.7キロカロリーで最も少ないですけれど最も多いビールでも8.4キロカロリーです。倍も差があるわけではありません。この表から理解していただきたいのはどんな酒類を召し上がっても同じ量のアルコールを摂取した時はその総カロリー数はそれほど変わらないと言うことです。つまり、酒類が持つカロリー数はアルコールの量でほぼ決まってしまうのです。お医者さんの中にはこのことを理解していない方が結構いらっしゃいます。糖尿病の方はどうしても酒を飲みたいならしょうちゅうを飲みなさい、とおっしゃる方がいるようですから。間違っているとは言えないのですが、他の酒類とのカロリーの差を正確にご存知なのでしょうか。アルコール自体が高カロリーなので酒類はすべて高カロリー食品であることを知っておいてください。現在のカロリー摂取過多の時代にあっては、これが、全酒類共通の悪い側面です。残念ながら糖尿病の方は、飲酒は避けた方が賢明です。

表―1 酒類別のカロリー数 

 

アルコール度数

アルコール1%当たりの熱量

日本酒

15.4 %

6.9 kcal

赤ワイン

11.6 %

6.3 kcal

ビール

5.0 %

8.4 kcal

焼酎

25 %

5.7 kcal

(7)痩せの大酒飲み

飲酒とカロリーの関係を考える時いつも不思議に思うことがあります。「痩せの大食い」という言葉がありますが、「痩せの大酒飲み」も存在するのです。酒に強く、大量に飲酒されている割りにスリムな方がいらっしゃいます。うらやましい限りですが、それらの方をよく観察していますと飲酒の機会におつまみをほとんど食べていらっしゃいません。本当にアルコールがお好きなのでしょうね。私も時としてつまみを食べずに飲酒せざるを得ない時がありますが、こんな時の翌日の方が「美味しいさかな」をたくさん食べた時よりアルコールの影響が少ないように感じます。栄養学的には、アルコールというエネルギー源のみを摂取し、ビタミンや蛋白質といった栄養素が不足して体には悪いはずなのですが。「さかな」の不要な美味い清酒に会えればダイエットができるのでしょうか。

()飲酒後のラーメン

つまみをあまり召し上がらない方がいらっしゃる一方で飲酒後にラーメンや甘い物を求める方もいます。私もその一人で、飲酒後、ケーキやアイスクリームをつい食べてしまいます。その理由として、肝臓がアルコールを代謝するためにカロリーを消費するのでその補給用に澱粉質や糖質を身体が要求する、という説をこれまでは信じていました。

ある時、血糖値をコントロールしている知人から、飲酒した翌日は確実に血糖値が下がっているのはどうしてなのでしょうか、という質問をいただきました。前述した考え方でも説明できないことはないのですが、どうもしっくりしません。先日、ひとつの学説に出会い、こちらの方が、説得力があるように思えましたのでご紹介します。

この説にしたがえばアルコールとぶどう糖は化学的に構造が似ていることが原因であるというのです。なるほど、アルコールもブドウ糖も炭素、酸素及び水素が結合したCHOHという分子構造を持っています。ですから、体内で血糖値をコントロールしているところが、アルコールをぶどう糖と間違えてインシュリンを分泌するように指令を発するのだそうです。インシュリンが血中のぶどう糖濃度を低下させることはご存じと思います。インシュリンの分泌でぶどう糖濃度は下がりますが、アルコール濃度は低下しませんのでインシュリンは分泌され続けます。その結果、ぶどう糖濃度が極端に低下するので澱粉や糖質を摂取したいと感じるようになるのだそうです。そして、飲酒によりインシュリン負荷が高まることになりますから糖尿病と飲酒の因果関係も無理なく説明できます。しかし、いずれの説であっても血糖値の高い方には飲酒はリスクを伴うようです。

(9)食中酒と食前及び食後酒

先ほどはいきなり「清酒は食中酒である。」として話を始めましたが、ここで食中酒と食前酒及び食後酒についてまとめてみました。

習慣的に、酒類はその飲酒機会によって、食中酒と食前及び食後酒に分類されます。食前及び直後酒は、酒類そのものを味わうことが目的の一つであり、料理の存在は必須のものではないと考えられます。食前酒にはリキュール等の糖分の高いものが、食後酒には、ブランデー・ウイスキー等の蒸留酒が用いられことが多いように思います。これらは個性豊かで酒類のもつ特徴、味わいを堪能できる酒類ばかりです。「私だけを味わってくれ。」と酒が主張します。卑しくも料理の引き立て役には回らない、「つまみなしで美味い、味わいがある。」という酒だと思います。私はブランデーが大好きです。かつては、消費量が伸びないのは高価格が原因しているためなのかと考えていました。しかし、今では「ブランデーは食前及び食後酒として最適な酒だが、食中酒ではないから」と理解しています。近頃のウイスキー需要の減少もウイスキーが食中酒になり得ないことを証明しているように思えます。食前及び食後酒の消費量は少ないのです。たくさん売れる酒は、食事と共に飲まれる、飲酒時間の長い食中酒なのです。

清酒の中にも食前及び食後酒に分類した方がよいと思われるジャンルがあります。吟醸香の高い吟醸酒がこれに該当すると思われます。この酒は、その香りの高さが邪魔して料理の引き立て役になれないのです。簡単なつまみでじっくりと味わってやりたい酒なのです。どんなに杜氏さんが苦労して造ったのだろうか、と想像しながら味わってやりたいのです。

では、ブランデー、ウイスキー、吟醸香の高い吟醸酒を食中酒として飲んではいけないか、ということですが、そんなことはありません。嗜好品ですから。一方で食中酒には一つ条件があります。甘さはできるだけ控えた酒類が望ましいのです。糖分を取ると満腹中枢が刺激されますので甘い酒類は早期に満腹感を感じさせてしまいます。したがって、酒自体の消費量も伸びないことになるのです。清酒は、他の酒類と比較すると甘く感じられますが、それは酸味が感じられないことと、アミノ酸の含有量が多いことに起因しています。確かに一部には糖分の多い甘口のものもありますけれども。表―1酒類別のカロリー数から、アルコール分1%当たりの糖質の含有量は赤ワインより多いですがビールより少ないのです。

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3 「リフレッシュ力」から見えてくる清酒の需要                    

 食中酒であるという視点から清酒が健康的な飲料であると主張してきたのですが、同じ観点から清酒の需要について考えてみました。

(1)清酒の需要減退の一因

「リフレッシュ力」という考えを別の角度から見ると清酒の需要減退の一因が見えてきます。清酒は、焼肉に合わないと申しました。焼肉は多くの若者に代表されるカロリー及び蛋白質を大量に消費する人に好まれます。したがって、清酒は若者向けの酒類ではないことは自明の理です。清酒業界の中には、若い頃飲んだ酒類を一生愛飲するから、宣伝によって若者の清酒離れを防ごうと考えておられる方がいますが、疑問が残ります。今の酒質の清酒では焼肉との相性は最悪だからです。これまでは酒類の需要の大きな部分を若者が占めていましたので、私にとっては清酒の需要が減退することは自然なことに思えるのです。

しかし、自分自身や同僚の中高年鑑定官の観察から、酒類に関する嗜好も年齢と共に変化するように感じています。若い頃は、清酒に関連した仕事をしているのに清酒大好きの、いわゆる清酒党ではありませんでした。内心、忸怩たる思いがありましたが、最近は見事に清酒党に変身しました。別に努力したわけではありませんが、加齢により、食事に関する嗜好が大きく変化したためであると考えられます。一日に必要なカロリー数が減少し「洋食」から日本的な料理に回帰したのでしょう。確かに、肉の料理も好きですし、その時は赤ワインを飲むこともありますが、ほとんどが清酒にマッチした食事を好んで取っています。“幸い”、これから日本は高齢化社会を迎え、日本的な料理を好む人口は増え続けます。これからの日本の人口構成は清酒向きになる、と言っても過言ではないと考えます。なるほど、一人当たりの酒類の消費量が若者ほど多くはないと思いますが、清酒と相性の良い食事を選択する人口は確実に増加するのです。これから清酒の宣伝をするなら中高年向けとすべきでしょう。高齢化社会を迎え、清酒業界の未来は明るいものに感じられるのですが。

(2)一抹の不安

しかし、時として清酒需要の将来に不安を感じることがあります。若年層を中心としてファーストフードが好まれているからです。

米飯を主食としている日本人の食事の取り方を見ると、味のうすいご飯とおかずを口中で混ぜ合わせて味を造り、味わっています。このような食事の方法ですと、自然に、食品の組み合わせからどんな味わいになるか、想像しながら食事をしているはずです。大袈裟に言えば、日本人は食品の混合による味を推察し、より自分の好みに合った味覚を追求しながら食事を取っている、とも言えます。この様に味覚センサーを駆使しながら食事をしていますから、米を主食とする日本人の味覚センサーはかなり発達しているのではないのでしょうか。味覚の発達した日本人だから淡く麗しい清酒の味わいが理解できる、そう考えています。

このことを証明するかのように、かつては、日本人に味盲はいないと言われていました。しかし、最近の若者の食品に対する嗜好を観察していると心配です。味わい方が受動的になっているように思えてなりません。つまり、ファーストフードのようにすでに味の完成した食品を多く食しているからです。このような食事では口中で自分好みの味は造り出せません。ですから、若者の味覚のセンサーの感度は鈍くなっているのでは、と心配しています。日本人だから加齢により清酒に回帰する、と申したのですが、一抹の不安はここにあります。米を主食とする者のみが真の清酒の味が理解できると思えてならないからです。相変わらず米の消費量は長期低落傾向に歯止めがかかっていないのです。清酒の需要と同じく。

現在、清酒の輸出は順調に伸びているようですが、前述した理由から、近い将来、輸出量は鈍化する、飽和すると思っていた方が良いのではないでしょうか。醤油が、海外で調味料としての地位を確立し、日本食がブームであるといっても、米飯食が世界を席巻するとは到底思えません。米飯食なくして清酒なしです。清酒は日本文化の一翼を担っているのです。清酒や日本食を輸出するということは日本文化の輸出に他ならないのです。今売れている清酒は食中酒ではない香りの高い吟醸酒が多いと聞いております。まだまだ、輸出が本格的に伸びるには時間がかかるでしょう。それより清酒業界は、国内に目を向けるべきです。日本文化をこよなく愛している飲酒可能人口が一億人はいるのですから。世界的に見ても日本という市場は巨大なのです。

(3)清酒需要の積極的な喚起のために

積極的に清酒の需要を喚起するためには、今の清酒の酒質を変えて焼肉に適したものとしなければなりません。このことは、前述した「リフレッシュ力」を考えればご理解いただけることと思います。若者向けに闇雲に宣伝しても費用の無駄だと思います。今の清酒は「淡麗辛口」と一言で表現される酒質に統一されてしまいました。もう少し、「甘いか」、「酸っぱいか」、「熟成しているか」した清酒を開発し提供すべきだと考えています。キーワードは「焼肉に適する。」です。清酒業界はどこかの焼肉チェーン店と協力して焼肉に合うジャンルの清酒を開拓する必要があるのです。

また、別の視点から提案するとすれば、清酒に合う若者向けのつまみを開発することです。私が最後に勤務した秋田県には美味しい食品素材が溢れかえっています。鰰、じゅんさい、とんぶり、きりたんぽ(米)、比内地鶏などです。すべてのものが全国的に知られているとは言えないのですが、これらを若者が好むように、また、清酒で洗い流せるように工夫して美味しいつまみを造れば若者を清酒にふり向かせることができるのではないでしょうか。パンはビール類の美味しいおつまみになります。大小の違いはありますが原料である麦から酒とつまみができています。米も寿司にすれば清酒のつまみになりますが、手軽なもう一品を開発したいものです。

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4 清酒を評価する                                            

(1)清酒を評価するための基本ルール

退職前の私が、名刺をお渡しした方から受ける一番多い質問は、「美味しいお酒をお教えてください。」です。立場上、銘柄をお知らせすることはできませんので、かつては、「人に個性があるように清酒にも個性があり、おいしいと感じる清酒は一人一人異なりますから自分にあった清酒を探すことを目的の一つとして清酒を楽しむようにしてはいかがですか。」と答えていました。今は、清酒の味わい方と申しますか評価する方法をご説明してご質問に回答するようにしています。ここではその内容についてお話しましょう。酒は味と香で楽しむものですから、まずは味から。

清酒業界では、味の表現方法と、美味しいお酒の定義がされています。酒を楽しむ時に理屈は不要なのかもしれません。我々プロフェッショナルだけが知っていれば良いことかもしれませんが、ご存知であれば味を記憶することへの一助になりますし、酒質を他人に上手に説明することができます。「美味しい」だけで片づけていた味の表現がより客観的にできます。つまり、清酒の酒質に関する情報を人と共有することができるのです。このための基本ルールを知っておいて損は無いと思います。

基本ルールは、まことに簡単です。清酒には、甘味、酸味、辛味、苦味、渋味、の5つの基本味(五味、ゴミと読みます。)があり、五味が良く調和していれば、美味しい清酒である、というものです。調和しているということは、五味のいずれの味も感じられず、その代わり、酷(コクと読みます。)があると表現される味わいがあり、さらに、飲み込んだ後に、舌の上からコクが消えてゆき、後口がすっきりしていることを言います。(コクの代わりに、「味の濃さや巾」と言った言葉で表現する人もあります。)むかし、ビール会社のキャッチフレーズに「コクがあって切れが良い。」というのがありました。この言葉は、五味の調和を巧みに表していて、すべての酒類に(いやすべての飲料にと言って良いかもしれません。)当てはまり、言い得て妙です。このキャッチフレーズのコクがある、はご理解いただけると思いますが、切れが良い、とはどう言うことでしょうか。これは、味が舌に残らないことを表します。つまり、このキャッチフレーズは、美味しさを感じ飲み込むと舌の上から味わいが消えてゆくことを表しています。消えてしまうと美味しさが無くなると思われるかもしれませんが、味わいがいつまでも舌の上に残っていると飲み飽きてしまうのです。次の一口のためには飲み込むと同時に味わいが消えてくれることが必要なのです。したがって、このキャッチフレーズは「美味しくて、しかもいくら飲んでも飲み飽きしない。いくらでも美味しく飲める酒です。」と言っているのです。このような酒を造りたいものです。造れないまでも、巡り合いたいものです。

一方、五味が調和していないと、欠点を持った酒として表現されます。甘すぎる、酸が浮いている(酸っぱい)、辛すぎる、苦い、渋い、などと表現されます。甘すぎる、酸っぱい、辛すぎるなどは、一緒に食する料理によっては、好ましく感じられる時もあります。しかし、苦いと渋いは、いけません、たくさんは飲めません。飲み続けますと舌の上が苦く、または、渋くなり酒がすすまなくなります。いずれにしましてもコクを感じることはありません。

(2)五味の各論

イ 甘味と酸味

最初に、二つの基本味、甘味と酸味を同時に取り上げご説明したいと思います。そうするには理由があるのです。意外と思われるかもしれませんが、「清酒の甘辛」は、甘味と酸味の2つの基本味から成っていて、甘味と酸味の差として表現されるべきものなのです。甘味が甘さの尺度であるのは当然ですが、清酒では酸度(すっぱさ)が辛さの尺度になっているのです。もちろん酸味が多すぎると辛いというよりは酸っぱいと感じるようになりますが、はっきりと酸っぱいと感じる直前までは酸味は辛いという味覚を生じさせます。一般的には清酒の辛味といえばアルコールに起因していると考えられてきましたが、修正が必要なのです。

甘味を呈する成分は、エキス分の中のぶどう糖などの糖質です。したがって、エキス分が多いほど清酒は甘く感じられ、酸味を呈する成分(乳酸、コハク酸、りんご酸などの有機酸)が多いほど清酒は辛く感じられます。清酒の容器に記載されている尺度としては、甘味は日本酒度、酸味は酸度が用いられます。日本酒度が小さいほど(日本酒度は甘味と逆比例する。)、また、酸度が低いほど清酒は甘く感じられ、日本酒度が大きく、酸度が高いほど清酒は辛く感じられます。

酸味と甘味が相反する味覚であることを納得いただける簡単な実験を紹介します。水に酢を数滴入れ、酸っぱく感じられるようにしたところで徐々に砂糖を溶かしてみてください。溶かしながら、味わってください。砂糖が少ない間は酸っぱいだけですが砂糖がある量に達すると酸っぱくも甘くもなくなります。甘くも酸っぱくもないのですが、一種のコクを感じることと思います。この点を過ぎると今度は甘さがどんどん増してゆくはずです。甘味と酸味はお互いに打ち消し合い、また、味の濃さにも関係していることが体感できると思います。

要するに甘味だけでは正確に清酒の甘辛を表現できないのです。多く清酒愛飲家が、清酒の甘辛は、甘味だけと申しますか、エキス分だけで決められると考えていらっしゃいますが違います。このような誤解が生じたことは次のような理由が考えられます。

甘さは、「美味しさ」と混同されることが往々にしてあります。食料が今ほど豊かではなかった敗戦直後は、特にこの傾向が顕著であったと考えられます。まさに、甘ければ、うまい、という時代だったようです。清酒も甘い酒であれば売れた時代でした。この時代の清酒は、甘味が酸味を圧倒しており、甘味だけで甘辛が表現できたものと推察されます。もちろん、歴史的に甘辛の尺度として日本酒度だけで“甘い辛い”を表現してきたことも一因ではあると思いますが。こうした背景の下で、年配の清酒党の一部は清酒の甘辛が日本酒度だけで表されると思っておられる方が結構います。

高度成長期に入り清酒は辛口化して行きます。辛口化がある程度進行した段階で日本酒度だけで甘辛を表現することに矛盾が生じてきました。そこで、時の国税庁醸造試験所(現在の独立行政法人酒類総合研究所)の故佐藤信博士らのグループが「甘辛度」を提唱し、その数値が、きき酒で表現される“甘さ辛さの尺度”と一致することを実験で証明しました。甘辛度は、甘味に比例する清酒の比重に係数を掛けた値と、酸度に係数を掛けた値の差として表されます。この尺度は30年前に既に提唱されていましたが広く清酒業界へ浸透したのはここ20年くらいでしょうか。

佐藤博士らはもう一つの味覚の尺度として「濃淡度」を提唱しました。濃淡度は、清酒の濃さを表現するための尺度であり、甘辛度と同様に、甘味と酸味を代表する分析値に係数を掛けてから算出するのですが、甘辛度とは反対に、甘味の項と酸味の項の和で表されます。その和がきき酒で表現される“濃さ”と一致することが実験で証明されたのです。甘味と酸味は甘辛では相反する作用を示しますが、コクと言いましょうか濃さでは協調しているのです。平成19年度に国税庁が調査した県単位での全国の清酒の甘辛度と濃淡度が国税庁のホームページの中のPDFファイル18ページに表示されています。御興味の方は下記のアドレスに移動してみてください。みなさんが関係している都道府県はどの位置にありますか。私が感じていた秋田県の甘辛はもう少し甘い方ではないかと思っていたのですが。

http://www.nta.go.jp/shiraberu/senmonjoho/sake/shiori-gaikyo/seibun/h19pdf/01.pdf

甘味と酸味が、甘辛はもとより濃淡も担っており清酒の味わいに大きく影響する重要な味覚であることをおわかりいただけましたでしょうか。その様な理由で、ちょっと込み入った話になりましたが最初に取り上げました。

ついでに甘味と酸味はノンアルコール飲料でも重要な働きをしていることをお話しておきましょう。

運動をした後には、甘い飲料を欲しますが、酸の少ない甘いだけのものは大量には飲めません。飲み飽きしてしまいます。酸(すっぱさ)があれば喉の渇きが癒された後でも飲むことができます。ジュースを思い浮かべてください。果物の王様と言われる、メロンや桃などのジュースはめったにお目にかかりませんでしょう。これらの果実は、高価なこともあると思いますが、酸が少ないため大量に飲めないので需要が限られるのです。いかに優れた香味を有していても酸味がないと飲み飽き、食べ飽きするからです。飲料には酸っぱさが必須なのです。リンゴやブドウは適当に酸がありますから美味しいジュースができます。さらに、美味しいジュースができるということは美味い酒ができる必要条件でもあります。しかし、十分条件ではありません。かんきつ類がその例でしょうか。

甘味に関連しての話題として、料飲店の清酒の売上を増やす方法をひとつお示ししましょう。宴席の最初は少し甘口の清酒を提供するのです。甘いものは口当たりが良いですから、けっこう飲めます。そのままでは糖分の影響で飽きられてしまう可能性がありますので、タイミングを計って辛口の清酒に替えるのです。若い女性などは甘いままでも良いかもしれませんが。一人当たりの飲酒量は増えると思います。しかし、明らかに二次会というグループには適用できませんのでご注意を。この場合は最初から辛口酒を出すべきでしょう。提供する料理の内容によると思いますが、糖分の少ない酒の方が飲酒量は多くなる傾向が見られます。清酒で売上げ増をねらうのでしたら辛口酒がお勧めです。

少し甘辛の話題からはずれますが、昔、とある料理屋さんで会食していましたところ、途中から清酒の味が変わったことに気づきました。仲居さんにその旨を質問すると正直に答えてくれました。その地域で評判の良い銘柄から二流銘柄に変えられていたのです。しばらくたってから、その料理屋さんが廃業されたことを風の便りで知りました。このような「取替え」は問題ですが、同じ銘柄の甘口と辛口を使い分けることは料理屋さんの営業成績に結びつくと思います。そして是非その様に清酒を提供してほしいと願っています。「日本料理のプロは清酒のプロでもある。」そういう世界になってほしいのです。

ロ 苦味

今度は、「苦味」をとりあげましょう。

苦味は、ビールを除くと酒類の味覚としては嫌われます。清酒でも「感じさせてはならない味」です。けれども、苦味がないと清酒は「ボケた」、「味の厚みのない」飲みごたえのしない、いわゆる、コクのない酒になってしまいます。清酒は五味の調和によりコクを感じさせるのですが調和の大きさに苦味が関与しているのです。清酒の苦味成分は、米の蛋白質が分解されて生成したアミノ酸やペプチドであると言われています。また、一部のミネラル分も関係しているのではないかと私は、考えています。

自然界では苦味を呈するものは動物にとって「有毒」物質であることが多く、苦味は、人間にとっても食物として摂取可能か否かを判定する味覚として使用されてきたものと考えられます。苦味のあるものは摂取すべからず、と本能が働くようです。子供の苦味に対する忌避は激しいものがあります。ところが成人になり様々な食品を摂取し経験を積んで味覚が発達してくると、嫌悪していた苦味が、時には「快」になることを理解します。苦味は、経験を重ねることで本能に打ち勝って、「快」になる、そういった特徴がある味覚であると思います。苦味が隠し味になっている清酒は幼児に誤飲される危険がありますが、苦味が味覚を代表しているビール類はまったくその心配がないと断言できます。

私自身も齢を重ねることによりビール党から清酒党になったのですが、実は飲酒を経験して間もない頃は清酒党でした。その後、数年を経てビール党になるのですが、そのためには私の味覚にある変化が起ったようです。それは、苦味に対するものです。酒類を飲むようになってしばらくはビールの苦味が文字通り苦手だったのですが、ある時から苦味を爽快と感じるように変身したのです。家族を含め付き合いの長い友人から、私と同じような味覚の変遷を経験した人が何人もいることがわかりました。みなさんも味覚の変遷が起っているか思い起こしてみてください。だいたい25歳頃までに起こっているのではないでしょうか。中には、苦味に対しての味覚が変わらず、爽快にまで至らない人も居られるように思います。若い女性の清酒党にはこういう方が結構多いようにお見受けします。清酒は女性にとって飲みやすい酒類の一つなのではないでしょうか。食中酒の中では甘口ですし、各種のアミノ酸も多く含有されています。なにより苦味が酒類の中では少ないのです。科学的に証明されているのかわかりませんが、大相撲の世界では清酒を飲むと肌がきれいになると言われているそうです。日本酒の「本」をとり「ポン酒」と呼んで清酒を愛飲している女性が多数居られるようです。

ハ 渋味

渋味については、基本味としての価値が時々問われます。ちなみに食品の基本味からは外れています。私も苦味と一緒にしても良いのではないかと感じる時もありますが、ここでは伝統を踏襲して基本味として記述します。清酒の渋みは、渋柿の渋味と似ています。舌を収斂させるような作用があります。苦味と同じように、清酒では「感じさせてはならない味」で、隠し味というべき性格を有しています。また、五味の調和の大きさ、コクに関わっていることも苦味と良く似ています。逆に苦味との相違は、渋味が、清酒が熟成すると次第に隠されていくように感じるのに対し、苦味は熟成すると増加するように感じられる点です。経験上、新酒の内は、渋味に関する欠点を、熟成酒では苦味に関する欠点を指摘することが多くなるように思います。

春先に、その冬に醸造された新酒のでき映えを評価するきき酒会の審査員を務めた後、渋味のために舌が締め付けられ円筒状に変化したように感じることがしばしばありました。渋柿をそうとは知らず口いっぱいに頬張り思わず吐き出した後の舌の上の感覚に似ています。

渋味成分の主体は諸説ありますが、有機酸の一種である乳酸の希薄水溶液を口にしますと清酒の渋味を連想させられるところから、私は、有機酸と関連があると推測しています。

ニ 辛味とアルコール

先ほど、辛味は酸味が担っている味覚なのですという話をしましたが、五味の中の辛味は、アルコールの“辛味”を指したものです。ですから、清酒の辛味という場合は、酸味からのものと、アルコールからのものと2つが存在することになります。しかし、甘辛度が、アルコール度数に関係していませんから2つが合わさって辛味を形成しているとは考え難くいのです。したがって、2種類の辛味が共存していることになり清酒業界は、辛味に関して矛盾を抱えていると言えます。特に断りがなければ、辛味は酸からの辛味を指しているものとお考え下さい。アルコールの辛味は、一種の刺激味であると考えられます。

そもそも、アルコールの辛味が、基本味としての資格があるのかということですが、アルコールが清酒たる味を実現させるための必須要因であると思われますから、基本味とすべきであると考えます。(成分的にも15%も占めているのですから)アルコールの辛味は、味覚的には新酒の時は荒々しさとして感じ、熟成することによりマイルドな感じに変化してきます。熟成による美味しさに関係していると思います。

清酒の需要が低迷している現在では、新製品としてアルコール度数を抑えた“低濃度酒”が話題になります。おかしなことにアルコールは、清酒業界の嫌われ者なのです。清酒醸造に携わっているすべての技術者が「低濃度酒の開発を強いられている。」と言っても過言ではありません。しかし、市場から評価を受けている低濃度酒はほんの一握りにすぎません。いわゆるニッチ商品です。メジャー商品にはなり得ないと私は考えています。清酒のアルコール度数は15%が最も適していると感じているからです。13%未満の清酒は、清酒とは異なったジャンルの酒類のように思えますし、薄いアルコール度数の酒を飲むのであれば清酒以外の酒類を選択した方が満足度は高いと思います。13%未満の清酒では他の酒類に「美味しさ」で負ける、と思います。各酒類には最も得意なアルコール度数の範囲が存在しているように感じます。清酒では15%±1%ではないかというのが私の持論です。

(3)塩と清酒の関係

実は、五味以外で清酒の味に影響を与えている味覚があります。「塩味」です。「塩は食肴の将」という言葉をご存じでしょうか。冒頭で健康について論じ、漢書の中の「酒は百薬の長」の話を取り上げましたが、「酒は百薬の長、塩は食肴の将」と繋がっているのです。塩は、食物や肴、調味料の中の将軍であり、食物のうまみを引き出す、健康の要である、くらいの意味でしょうか。どこかの酒屋さんの宣伝に、清酒を満たした一升枡の一隅に盛塩があり、盛塩の対角にある一隅から枡の清酒を飲みはじめる人を撮ったものがありました。実に清酒がうまそうに見えます。本当に塩は清酒に合うのです。“窮極の酒のさかな”は“塩”と言っても言い過ぎではないと思います。食塩摂取量が多いことから、日本人は好塩民族と呼ばれますが、その好塩民族の酒である清酒が塩に合うのは極めて自然なことと思われます。

この酒はちょっと一味足らないな、と感じた時に持っている箸の先をほんの少し酒につけます。そうしておいてその箸を塩(グルタミン酸などの旨味成分が混和されていないものが良いです。)にそっと触れてやり、箸の先端に少し塩を付着させ、一味足らないと感じた酒にその箸を浸け攪拌して塩を完全に溶解させるのです。こうしてから再びその酒を味わってみてください。何か変わった感じがしませんか。コクが増したように、味の幅が広がったように感じられませんでしょうか。あんこにほんの少し塩を加えると甘さが一層引き立つことはご存知のことと思います。清酒と塩もまさにあんこと塩の関係が成り立っているようなのです。先ほど、甘味と酸味が調和すると甘くも酸っぱくもなく、味の幅が膨らんだように感じられると申しましたが、味と味とを重ね合わせることによってより好ましい味へと導かれる、味の世界ではこのようなおもしろいことが起こっているようです。食品の世界では、塩味は基本味として取り扱われていますが、清酒の世界では、塩味を生成することはできませんので塩は基本味に入れなかった、と考えられますが、塩がはたしている役割は基本味そのものと思えてなりません。

しかし、塩を清酒に加える時には注意が必要です。一つには効果がない酒もありますし、また、当然入れすぎてしまったらしょっぱくて飲めませんから。そうでなくとも塩味に敏感な人もいます。私が経験した塩と清酒に関係する仕事上のエピソードを一つ紹介しましょう。公務員は、仕事上知りえたことは退職してもむやみに公表してはならない義務を課せられているのですが、この件の重要性は既に失われていると思えますのでお話しても許されるでしょう。私は、かつて肝臓と腎臓を同時に病んで入院していたことがあります。その時は、極端な減塩を強いられました。不幸中の幸いで、味覚は仕事で鍛えられていましたから、減塩された食事もそれほど味が薄いと感じたことはありませんでした。つらい入院生活から抜け出してからもしばらくは減塩した食事をとっていました。同時に香辛料の類も極端に減らしました。そんな食事をとっていた間はきき酒能力が非常に高まっていたように記憶しています。そんな時の話です。

みなさんは、清酒に級別制度があったことをご記憶でしょうか。清酒は、特級、一級及び二級にランク分けされており、酒屋さんが特級または一級で出荷したい場合は各地の国税局が開催する地方酒類審議会にその旨を申請し級別審査に合格しなければなりませんでした。(醸造されたばかりの清酒はすべて二級にランクされていました。)審議会の合否は、ほとんどの部分がきき酒の成績で決まりました。きき酒を行うのは私ども国税局の鑑定官と清酒の味に精通した方々が行っておりました。ある地方酒類審議会でのことですが、病気のお陰できき酒能力が高まった私は、しょっぱい酒を数点見つけ「不合格」の判定を下しました。きき酒での評価結果は、審査を行った委員の多数決で決められます。不合格と判定したのは私一人でしたからその酒は合格し一級になりました。許可を得て「しょっぱい酒」の出品者を調べますと、全てある酒屋さんから出品されていたことがわかりました。清酒業界では清酒と塩の関係はほとんどの方が知っています。あの社の出荷担当者はどうしても一級に合格させたかったのでしょう。食塩の含有量は簡単な分析で測れますから、私がクレームをつけたとしたらあの酒は失格した可能性がありました。しかし、そうしませんでした。塩を入れなくとも合格するに値する酒質であったと思えたからです。一級の商品が出荷できなくなることを心配して、あの社の出荷担当者は無駄な努力をしたのです。

 このように、食塩に関する感度は人それぞれです。清酒に食塩を入れる場合はくれぐれも塩梅を誤らないように気をつけてください。

(4)清酒の香り

香りは清酒の特徴を最も良く表します。香りは、その清酒の氏素性を表現していると言っても過言ではありません。きき酒で酒質を判定し評価する場合は香りが重要な評価項目になります。そんな大切な清酒の香りなのですが、実は飲酒段階ではあまり重点が置かれていないのです。味に関しては、先にお話しましたとおり基本味としての五味が古くから確立されていますが、香りに関しては「基本香」なるものは存在しません。推測ですが清酒は伝統的に香りに関しては軽視せざるを得なかった理由があると思われます。それは木桶を清酒の容器として使用せざるを得なかったためではないかと考えられます。琺瑯タンクが登場する以前、大正の初め頃までの木桶の時代は、火落菌という清酒を腐敗させてしまう有害菌を殺菌する目的で、時々、桶中の酒を加熱しておりました。フランスのパスツールがワインの低温殺菌を発見する遥か以前、室町時代にはすでに行なわれていたことが文献にあります。年に最低1回は加熱された清酒が木桶に入れられていました。柿渋が塗られたり、使い込まれた木桶を使用していたことを考慮しても、当然、すべての清酒が木香と称する杉の木の香りに満たされていたことでしょう。清酒の歴史が始まって以来、清酒の香りイコール杉の木の香りだったのではないでしょうか。琺瑯タンクが清酒業界に導入されて初めて清酒本来の香りが楽しめるようになったと考えられます。そして、昭和10年に香りの革命が起きました。秋田県の新政酒造(株)のもろみから分離された優良な酵母が、協会6号酵母として清酒業界で広く使用され始めたのです。それまでは一部の吟醸酒を除けば、清酒は、日本人の繊細な感覚を持ってしても香りを楽しめる酒ではなかったと考えられます。日本酒の香りは歴史が浅いのです。今日でも、燗をして美味しく飲める清酒の香りを上手に表現できる言葉がないのです。清酒の飲酒段階での香りは、吟醸酒を除くとまったくと言って良いほど重要視されていません。それと同時に幾分香りに欠点があったとしても結構美味しく飲めることがあります。確かに一部の悪い香りがあると“鼻に付き”飲めませんが。かように飲酒時に香りを重視しない伝統は、燗をして飲酒する習慣によっているようにも思えますし、また、いっしょに口にする食品の香りに清酒のやさしい香りが隠されてきたためか、はたまた、食品の味とともにその香りまでも引き立てているためなのか、わかりませんが。いずれにしましても食中酒として消費される時に清酒の香りは二の次にされているのです。

このようなわけで、市販酒に良く見られる香りについて簡単に説明し、香りの話といたします。

イ 吟醸香

 清酒の香りの中で唯一好ましいとされる香りです。吟醸香を形成している主体は、たくさんのエステルや高級アルコールであり、それらが渾然一体となって果実用の香気を吟醸酒に付与しています。やや専門的になりますが、主成分は、カプロン酸エチル(リンゴ様の香り)や酢酸イソアミル(バナナ様の香り)です。カプロン酸エチルが吟醸香の主体になっている酒は最近の吟醸酒で、バイオテクノロジーの成果として誕生した酵母が使われるようになって出現しました。このタイプは、非常に華やかな香りを放ち今や鑑評会という清酒のコンクールの主役を務めていますが、私は、熟成酒には向いていないと感じています。フレッシュさを保つように貯蔵し、飲酒時には冷やしてその華やかな香りと、柔らかな味わいを楽しむべきであると感じています。方や、酢酸イソアミルが吟醸香の主体になっている酒は、一時代前の鑑評会の主役でしたが現在はカプロン酸エチル系の吟醸香にその座を譲っています。使われる酵母は協会9号酵母と呼ばれ、香りは華やかと言うよりは爽やかな感じがします。こちらのタイプの吟醸香を持つ吟醸酒が最も真価を発揮するのは熟成した時です。通常は低温で熟成されることが多いのですが、私は、夏場は20℃くらいには酒温を上げ本来の熟成をさせるべきであると考えます。個人的にはこのタイプの吟醸香を有する吟醸酒が好きです。

ロ 欠点臭(オフフレーバー)

清酒の香りは、吟醸香の他はすべて欠点臭と言っても差し支えないと思います。これらについてまとめて説明します。いずれの香りも発酵が順調に行なわれ、貯蔵管理が適切に行なわれたとすれば発生しない香りです。

()老香(ひねか)

清酒が熟成することにより発生する熟成香で、強くなると香ばしく、中国の老酒を連想させる香りになるのですが、中途半端ですと嫌われることが多い香りです。貯酒温度が高い場合や、精米歩合が高い原料米を使用すると発生しやすいことから、きき酒で老香が感じられると評価点数が下がります。熟度が進みすぎ過熟になっていると判定されるのです。市販酒では時々見かけますが、燗をして飲むとあまり気になりません。老香は欠点臭ですが、清酒党は、大概、老香を気にしません。

原因物質はいくつか提案されていますが、焦げた砂糖中に存在するソトロンとか硫黄系物質とかが有力な候補になっています。

()紙臭またはろ過臭

時として、紙を口中に入れたような香りのする清酒があります。これの原因物質は解明されていませんが、私にとっては“鼻に付く”臭いですので、どんなすばらしい味を持った清酒でもこの臭いがあるものは飲みたくありません。清酒を清澄させるため濾紙を使って濾過することがあり、その濾紙の臭いであるとする人もいますが、その他にも原因があるように思います。清酒を嗅いだ時に感じる場合と、口中に含んだ時に感じる場合とがあります。

()木香または木香様臭

琺瑯タンクが出現する以前の清酒は杉桶で醸造・貯蔵されたためすべての清酒に木香があったと推定されます。私は、あまり好きではありませんが、郷愁を感じる方もいらっしゃるようです。樽酒などはこの香りを故意に付香したもので、原因物質は、アルデヒド類であると言われております。酵母の発酵力を十分使いきらず活性があるうちにもろみを搾ってしまった場合にもろみから発生することがあります。また、発酵力の強い、生モト系の酒母を使用した時にかすかな木香が清酒に移行することがあります。この場合は、私でも気にならず美味しく飲めます。

()生老香

清酒の世界もフレッシュアンドフルーティが尊ばれることがあり、ろ過技術の進歩から清酒を生酒で出荷できるようになりました。ろ過により清酒を腐らせる火落菌を濾し取ることができるようになったのです。

火入れ殺菌を行わないと蛋白質が熱変性を受けませんから、生酒ではこうじと酵母由来の酵素の活性が保たれています。その結果、清酒中で酵素反応による色々な化学変化が引き起こされることになりますが、その一つとしてイソバレルアルデヒドと称される物質が形成され、独特の香気を酒に付与することがあります。これが生老香と称される香りの正体です。

清酒技術者の間では、イソバレルアルデヒドの香りは欠点臭ですが、消費者は、香気成分の一種であると前向きに捉えている人が大勢います。たいがいの市販生酒にこの香りがありますので召し上がる際は注意してご賞味いただければ、どのような香りかがわかると思います。しかし、高いろ過技術により、火落菌とともにこうじと酵母由来の酵素までも完璧に濾しとってしまい、まったく生老香がない生酒もあります。ある時、生酒と通常の酒をきき比べる機会に遭遇し間違った判定をして恥を掻いたことがありました。その時は生老香がまったく感じられなかったので丁寧にろ過したのであろうと考え、味が淡い方を生酒としたのでした。ろ過を丁寧にすると酒の味が削られる傾向があるのです。

これ以来、反省して、加齢によるきき酒能力減退対策として香辛料の制限、一層の減塩及び適正飲酒を心がけているのですが・・・。

()ツワリ香

市販の清酒でこのような香りがするものは無いとは思いますが、名前が面白いので取り上げてみました。名称の由来は定かではありませんが、嗅ぐと吐き気を催すほど悪い臭い、という意味ではないかと想像しています。ダイアセチルという物質が発する香りです。もろみ中で何らかの原因でアルコール発酵が順調に行かなかった場合に発生することがあります。また、清酒が火落菌に感染し腐敗した場合も発生することがあります。いずれにしましてもこの香りのある清酒は製造から出荷までの段階に重大なミスが起こったのです。

なお、食品の中にもヨーグルトや一部の納豆のようにダイアセチルを含有する商品があります。特にプレーンヨーグルトの香りは、ツワリ香にかなり近いです。

ハ 香りの不思議

清酒では、絶対あってはならないツワリ香りですが、同じ醸造酒であるワインには含まれていても評価は下がりません。実際に高級ワインの中には、微量含有しているものがあります。しかし、ビールには清酒と同じく、絶対あってはならない香りです。ですからビール会社は優れたツワリ香(ダイアセチル)分析法を開発しました。今日では清酒業界も使用させていただいております。このように酒類間で全く評価が分かれる香りがありますが、同じことが吟醸香に対し、清酒とビールの間に存在します。清酒では、杜氏さんたちが必死になって清酒中に残したいと日夜苦労している吟醸香が、ビールでは好まれるどころか、未熟臭と表現され嫌われるのです。

香りに関する人間の感性は複雑なのですね。味覚にも一筋縄ではいかないところがありますが、ブルーチーズ、くさや、ドリア、鮒寿司等、香りに関しては論理で説明できない部分が多いように思われます。食品以外では、香水などの調合にも単体ではひどい悪臭を放つ物質を、一種の隠し味的に少量くわえることがあると聞きました。そうすることでますます香りが良くなるのだそうです。人間の感覚とは本当に不思議なものなのですね。

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5 きき酒                                               

これまでは清酒の味と香りについてお話してきましたがここでは、どのようにすれば清酒を味わい、評価できるか、清酒業界用語で表現すれば「きく」ことができるかについてお話しましょう。きき酒へのチャレンジです。

清酒をきく場合の「きく」は英語のlisten toに近いと感じることがあります。酒の場合、聞いているのは音ではありませんが、きき酒していると、時々、清酒が無言で語りかけてくるような気にさせられる時があります。広辞苑で「聞く」を調べますと「物事をためし調べる。」、「味わい試みる。」とあります。酒を「きく」は、口偏に「利」を書きますが、JISの第二水準にも入っていない珍しい漢字なので、「聞く」でも良いのではないかと思う時もあります。

(1)きき酒の方法

私がお勧めする清酒のきき方をご紹介いたしましょう。使う感覚器官は舌と鼻、そして目です。使う道具は、きき猪口(チョコ)です。時々、居酒屋さんで青色の円が2重に底に描かれているぐい飲みを出されますが、きき猪口を小さくしたものです。リラックスしたい場で、仕事をしているような気分になりますから、あのぐい飲みが嫌いです。実際のきき猪口は、青色同心円が蛇の目に見えるためか、傘の模様に似ているからか蛇の目猪口と呼ばれます。容量が約250mlありますので、居酒屋さんの5倍くらいの大きさでしょうか。このきき猪口に7割くらい清酒を満たします。残念ながら一般家庭にはきき猪口はありませんから、内部が白い陶器のコップや下部を白い紙で覆ったガラスコップで代用して下さい。プロの世界では、吟醸酒の鑑評会のように清酒の色を無視してきき酒を行う場合もあります。この時は、アンバーグラスと称する琥珀色のグラスを使用し酒の色が判別できないようにしてききます。

イ 清酒を見る

清酒の色を見てください。酒をきく場合は、視覚からの情報も重要です。滅多にお目にかかりませんが、青冴えと称して青味がかって冴えているものが最高であると言われています。次は、無色からうすい黄色が良いです。黄色が強くなると感心しません。きき酒用語としては、「色濃い」と表現します。しかし、熟成酒の中には黄金色を帯びたものがあり美しいと感じさせるものもあります。最悪は褐色です。この中にも美味しい熟成酒があるとは思いますが極めて希です。鉄分が混入した場合はしばしば褐色を呈し、酒質を劣化させます。清酒は、鉄を極端に嫌うアルコール飲料なのです。清酒中の鉄分の含有量は清酒1リットル当たり0.1mg以下(0.1ppm以下)にしなければならないのです。鉄分の多い土を原料とした焼き物を清酒の器にする場合は釉薬を用いた方が安全です。しかし、鉄分が清酒中に溶け込むには時間がかかりますから釉薬を使わなくとも猪口や銚子ならば問題はありません。

青冴えが一番良いと言いましたが、市販酒では、私もお目にかかった記憶がないのです。私が青冴えを見たのは、もろみを搾り清酒になったばかりのところをタンクに移動し上からのぞきこんだ時でした。残念ながら一日経つとうすい黄色に変化していました。酸化されているのでしょう。青冴えは短命なのです。運がよければ酒蔵開放などの機会に、できたての清酒をきき酒できれば青冴えに出会えるかもしれません。

本当は、「清酒の色を見て楽しんでください。」と書きたかったのですが、ワインのようにはいきません。清酒の色は楽しむところまでまだ発展していないのです。これから優良な熟成酒が増加すれば容器もちょこからグラスに変わり色を楽しむことができるようになるのでしょうが、今はまだ発展途上です。

色を見ると同時に清澄の度合いを確認します。清澄度合いは、きき猪口に描かれた青色同心円とそれに挟まれた白い部分の比較から感じとることができます。澄みきっている時は、「テリが良い」、「冴えている」などと表現されます。かつて、検尿に使用する紙コップに青色円が印刷されているものがありましたが、混濁の有無を判定するために使われていたのでしょう。グラスでも清澄度を把握できます。この場合は、グラスに清酒を注ぎ、照明を少し落として、懐中電灯をグラスに押しつけるのです。混濁が多い場合は、混濁原因の粒子に光が散乱し光路がくっきりと観察できます。理科の授業でチンダル現象として教えられたものです。

清澄度が低い場合は原因を推察します。通常、混濁の主体は、熟成することにより清酒中の蛋白質が相互に結合して巨大化して、不溶化したものですから混濁しているほど、または、光路がよく見えるほど「コクのある酒」の可能性があります。しかし、極めて稀に火落菌が繁殖した場合があります。火落菌が増殖した清酒は、ツワリ香を放っていたり、酸度が高くなり酸っぱく感じられるようになりますので、その点に注意して香味をきいてください。現在は、清酒が火落することはほとんどありませんので、もし、火落であれば貴重な経験をされたことになりますが、購入したお店に申し出て酒は取り替えていただくべきです。

(念のため申し上げますが、商品コンセプトとして薄くにごらせた清酒がありますが、この種の酒の場合は前述のことは当てはまりません。)

ロ 上立ち香を嗅ぐ(トップノート)

色と清澄度合いを評価した後は、きき猪口を口に近づけます。猪口が唇に触れる直前で止めるとちょうど猪口の上部空間に鼻が位置しますから、その空間の香りを嗅ぎます。この香りを上立ち香(トップノート)と称します。きき酒に慣れない方は、通常の市販清酒では、心地よい香りを認識することは難しいと思います。一般に清酒の香りは低く、感じ難いものなのです。ですから香りを感じなくとも悲観しないでください。私も市販清酒調査の度に100点くらいききましたが、香りが低くて20点くらいは適切に表現できませんでした。先に記述した欠点臭を感じなければ香りの点では合格であると判断してください。

しかし、大吟醸酒と表示してある商品は、吟醸香を有しているはずですから探してください。大吟醸酒と称しながら吟醸香が乏しい清酒が結構あります。この場合は、お気の毒ですが、香りに関しては外れた、と考えてください。

老香は欠点なのですが、いやな感じがなければ評価を下げないでください。お燗をして飲む時は気にならなくなります。

また、生酒で、独特の香りを感じられたらそれは生老香です。これもいやな感じがなければ生酒の香りとして評価してください。

私は、この段階で、過去に味わった清酒から似たような清酒を選び出し口中に入れる前にあらかじめどのような味わいであるか想像しているようです。大体、当たるように思いますが、意外な酒もあります。上立ち香を嗅ぐことと初対面の人とお会いすることとは似ているところがあります。つまり、上立ち香は人間で言えば第一印象に相当するのでしょう。

上立ち香のきき酒用語としては、「吟醸香」、「老香」、「紙臭」、「木香」、「生老香」、「ツワリ香」などがありますが、これらは、次に説明する含み香の用語としても使われます。

ハ 味と含み香

香りを確認したら清酒を口中に入れてください。多くの教科書には5mlを含むように記述してあります。限度はありますが、たくさん含んだ方が良く味わえます。しかし、味覚の疲労も激しくなりますから慣れたらできるだけ少なくすべきです。含んだら、空気を吸い込み清酒を舌の上に満遍なく広げてやります。このときズルズルと不快な音がしますが気にしないでください。吸い込んだ空気は鼻に抜けるようにします。清酒を舌の上に広げる理由は、五味を感じる領域が舌の上で、甘味は先、苦味は奥、辛味は両側の先端、酸味は両側でも奥、渋味は両側全体に区分されていて満偏なく広げないと五味を適切に感じられないからです。広げながら五味を味わってください。五味のどれも感じなければ調和しており良い清酒と判断します。美味しさを感じているはずです。五味のいずれかを感じた場合は、その味のためにバランスが崩れていると判断します。しかし、甘味と酸味が多いと感じられた時は評価を極端に下げないでください。料理との組み合わせにより美味しく召し上がれる場合があるからです。私は、調和していると判断した時は「きれい」と表現します。きれいの中にも柔らかさを感じる時は「柔らかい」や「ソフト」と表現することがあります。「きれい」より上位にランク付けしたことを意味します。五味に不調和を感じた時は、「甘うく」、「酸うく」、「苦い」、「渋い」など、不調和を表現します。また、五味のどれとは特定はできないけれども邪魔な味がある場合は、「雑味」と表現しランクを下げます。この「雑味」は不調和を表現する時には便利な言葉ですが、苦いのか、渋いのか等の解析的な表現ではないので多用すべきではないのですが、感度の衰えた定年間際はよく使っていました。

舌の上での判断を終えたら、口中の香りをききます。(実際は、香味を同時に感じているはずですが。)清酒を舌の上全体に広げるために空気を吸い込み鼻から出しましたが、この時の香りを嗅ぐのです。これを口中香または含み香と称します。これは教科書的表現であり、私自信は、こうやっていません。不器用なので吸い込んだ空気を鼻に持って行った時、うまく嗅げないのです。しかし、口中で発生している香りは何となく嗅ぐことができるようです。含み香は、上立ち香より安定して知覚できます。上立ち香をあまり感じなかった清酒も含み香でその個性を認識できると思います。清酒の液温が低いとどうしても上立ち香は低く感じられてしまいますが、含み香の場合は口中で清酒の温度が上がりますから。きき酒を行う時の酒の温度で評価結果が変わることがあります。酒を比較する場合は同じ温度で、それも20℃付近で行うべきです。香りは、清酒の氏素性を端的に表すことがありますので、しっかり、きいてやってください。私は、この清酒はどのように造られて、どのように貯蔵され今ここにあるのか想像します。

味と香りを評価したら口中から清酒を排出させましょう。清酒は、ビールのように喉ごしを評価しませんから、吐き出しても良いですし、飲み込んでも可です。たくさんの清酒をきく場合はやむをえず吐き出します。

ニ 後味

味覚を説明するところで、「後味の切れ」が大切だと申しました。舌の上から清酒を除いたらもう一度、舌の上に残っている味覚を探してください。何も残っていなければ「後味の切れ」が良い清酒です。単に「切れが良い」と表現する場合もあります。舌に何も残っていないので次に酒を口に含んでも最初の感動が戻ってきます。このような清酒は飲み過ぎないように用心が必要です。何らかの味が残っているときは、きき酒用語としては、「後味残る」などで表現します。例えば苦味がわずかに残るとします。この酒は飲み進めてゆくうちに口中が苦くなり飲めなくなってしまう酒です。このようにきき酒は少量の酒で大量に飲んだ後の口中を想像し酒の評価を行うことを一つの目的にしているのです。そのために「後味」が大切なのです。

一連の酒を連続してきく場合は、直前の酒の影響を受けないように唾液で舌を洗うようにしてやります。よく、水でうがいをしながらきき酒を行っている人がいますが、唾液で洗うようにしないと評価結果がばらついてしまう恐れがあります。ちなみにきき酒中、水でうがいをする専門家は居ません。一度にたくさんの酒をきく場合は、50点くらいを目安に、きき酒の途中で舌直しにお茶を飲み口中をリフレッシュしています。お茶の他に、生卵やゆで卵、昆布茶、果物などが出されますが、できるだけ食べないようにしています。食べた前後で酒の評価が変わってしまうようで心配なのです。

ホ 清酒のきき酒の特長(誉め言葉が少ない。)

以上できき酒の方法の説明を終わりますが、飲む時はこれほど詳細にきく必要は無いと思います。楽しんでいただければと思います。しかし、美味しさに感動した時や、逆に口に合わなかった時はその理由を表現できるようになっていただければよろしいのではないでしょうか。

さて、きき酒用語の中に酒を誉める言葉が少ないことにお気づきでしょうか。ワインの世界では、いかに美味しいか説明する役割を担っている方々がいらっしゃいます。ソムリエさんです。これまでは清酒の世界にはソムリエはいませんでしたから、技術者の評価がストレートに消費者に聞こえていました。流通業界の関係者からは、酒が美味しくなるようにきき酒の結果を表現してほしいと要請され続けました。しかし、我々技術者は、清酒の欠点を見つけようとしてきき酒しますからどうしても欠点を表す言葉の羅列になってしまうのです。きき酒で欠点を見つけ次年度の酒造りに生かしたり、出荷時のろ過で欠点を修正しようと考えているからなのです。しかし、私自身ももう少し酒の持つ長所も表現したら良いのではないかと考えておりました。近頃は徐々にこの方向できき酒の結果を表現するようになってきております。

また、今日では一定の資格を有する「酒匠」や「きき酒師」といういわば清酒のソムリエさんというべき方々が活動されるようになりました。清酒の需要開拓にこれらの方々のご活躍を期待したいものです。

(2)味と香りの世界へのお誘い

酒をきく能力を獲得するとどのような世界が開けるのでしょうか。私は、視覚、聴覚及び触覚と同じように味覚と嗅覚を鋭敏にすることにより、飲酒や食事の際の快感をさらに高められると考えます。私自身のことで恐縮ですが、きき酒を生業の一つとしてきましたから、他の人より少しばかり味覚と嗅覚が敏感になったのでしょう、三度の食事が楽しくて仕方ありません。食事を取ることから多くの感動を得られるようになったのだと思います。誰しも食事により「食欲」という本能を満たし快感を得ていると思いますが、私は、より深く「美味しさ」を感じ幸せな気分に浸っているような気がします。ちょうどプロの芸術家が、専門とする芸術から日々大きな感動を得ていることと似ているのではないでしょうか。

幸い、味覚・嗅覚の世界は、芸術の世界と異なりプロとアマの差はそれほど大きくありません。どなたでもちょっと訓練すればすぐに、少なくとも今日の私のレベルまでは到達できると思います。トライしてみませんか。私は、元来、特別に味覚・臭覚に優れていたわけではありませんし、国税庁に採用される時にも味覚に関するテストはありませんでした。酒が飲めるか否かを尋ねられた記憶はありますが、それは、現在の採用試験でも同じようです。つまり、日本人であればすべての人間が、きき酒ができるようになることを意味しています。かつて新人教育係をしていた時にきき酒の訓練をさせていましたが、一日30分、週に2〜3回、3ヶ月間くらい訓練すれば鑑定官として使える下地は形成されるように感じました。延べ10人ほど教育しましたが落ちこぼれは居ませんでした。私自身の新人時代にも新人教育はありましたが、きき酒の訓練はありませんでしたのでオンジョブトレーニングを強いられました。先輩のきき酒の結果と自分で行った評価を比べる毎日でした。そして、ある日、「わかった。」ような気がしました。それは詰め碁や詰め将棋、あるいは算数の答えが「わかった。」ときの感覚に似ていたように記憶しています。先輩の採点にあわせられるようになったというわけではありません。なるほど、結果的に先輩と同じように評価するようになりましたが、それは、先輩の評価をまねしたわけではなく先輩と同じ能力を獲得できたのです。しかし、「わかった。」と感じるまでは、かなり真剣でした。できないと仕事になりませんから、今考えるとこの必死になったことがきき酒上達の最大のポイントではなかったかと感じています。

みなさん方の味覚を訓練する方法としてお勧めできることは、清酒を飲む機会ごとに、良く味わうことです。そして最後まで、味わいながら飲んでいただきたいのです。お仲間がいらっしゃれば、複数の酒を注文して差を比べ、意見を述べ合うのです。わかっている同士でしたら答えが近くなるはずです。私が行ってきた、オンジョブトレーニングは、アマチュアのみなさんにはできない相談です。

もう一つは、日常生活においても味覚と嗅覚をできるだけ使うように努めることです。食事の時にどんな食材をどのように調理したのかな、塩梅はどうかな、とよく味わいながら食事を取ることです。外食する時などは特に注意して味わってください。一般の方は、これで十分ではないかと思います。要は、飲食に興味を持って頂ければおのずと味覚・嗅覚が鋭敏になることを申し上げたいのです。そうして感覚が鋭敏になればなるほど食事の度ごとにより幸福感を味わえます。

嗅覚に関しては、香水などの調合を行っている調香師という職業がありますが、その方の言われていることを参考にしてきました。その方もやはり、「嗅覚を鍛えるためには、できるだけ使用することであり、町の臭いを嗅ぐことなどは良い訓練になる。」と記述されていました。

しかし、訓練の必要の無い方もいらっしゃいます。素人の方を対象にしたきき酒会などでは、明らかに私より優れたきき酒能力をお持ちの方を見かけますし、料理をすることを生業としておられる方の中には私より優れた方はたくさんいらっしゃるはずです。ですが、清酒を的確に評価するためには超えていただけなければならないバリアがもう一つあります。これにつきましては後ほどお話します。

(3)清酒を美味しく飲むために

きき酒が上手にできなくとも美味しく清酒を味わう方法はないのでしょうか。清酒の本質を味わうところまで求めなければ、美味しく清酒を飲むことは可能です。その一つが、飲む雰囲気に工夫を凝らすことです。清酒の美味しさは、客観的に評価される酒質の部分だけで決められるわけではありません。飲酒する環境も大切なのです。雪景色が見える露天風呂に入っている時を想像してください。湯船の中にお盆が浮いていて、中に清酒の入った徳利とお猪口が置かれています。この状況でしたら清酒の中身はどうでも良い、とは申しませんが、雰囲気だけで美味しく飲めますでしょう。もちろん美味しい清酒が望ましいのですが、恐らく、普段は酒質のみで評価する私でも、職業のことは忘れて痛飲してしまいそうです。また、男性であれば、女性からお酌をして頂いた清酒であれば美味しくいただけると確信します。

酒の技術者としては認めたくはないのですが、酒質は飲酒する環境に負けることが度々あるのです。このことは、清酒の販売を生業とされている方には、しっかりとご理解いただきたいことです。

(4)酒の温度

清酒を美味しく飲むためにはもう一つ方法があります。酒の温度に留意するのです。清酒は加温して飲むという世界の酒類の中でも特異な習慣を持っています。清酒がいつ頃からお燗されて飲まれるようになったかわかりませんが、理由は推測できます。お燗をすることで寒い時は体が温まりますし、なにより美味しいのです。どうしてでしょうか。考えられる燗の効果は、清酒の温度が上がることで、五味を感じる感覚が少し鈍くなることではないでしょうか。例えば、今まで少し苦いと感じていた酒がお燗により苦味を感じなくなりコクを感じるようになったりする可能性があります。

通常は、お燗の温度は40〜50℃くらいが最も良いと言われますが、酒質にもよります。飲みにくい酒に出会ったときは、熱燗にしてもらいますし、淡麗な酒でしたら低めの燗の方が美味しいと思います。五味の調和のとれた上品な清酒ほど低い温度で味わうべきなのでしょう。吟醸香の高い大吟醸酒などは、加温すると吟醸香が鼻につきますからむしろ冷やして召し上がられることをお奨めします。夏季にはクーラーを利かせて熱燗も美味しいですが、少し高価な酒を冷やして召し上がるもの一法かと存じます。

きき酒は通常20℃くらいで行います。この温度が一番評価しやすいとされているからです。恐らく、五味に対し感覚が一番鋭敏になる温度なのでしょう。清酒は燗をして飲酒されるからその温度できき酒を行い評価すべきだという意見もあります。しかし、温度を上げた清酒の酒質が不安定になることや五味への感度の変化を考えると20℃付近できき酒すべきであると考えます。

(5)清酒党とは

 お燗の話題が出たところで少し横道に外れますが、清酒党と呼ばれる方々のお話をしましょう。これまで多くの人と酒を酌み交わす機会に恵まれてきました。そのため、この方は、本当に清酒が好きなのか、そう振る舞われているだけなのか、わかるようになりました。その判別方法にお燗が関わっているのです。これから私が、清酒党の判断基準を示しますので、ご自身が清酒党か、否か、考えてみてください。

清酒党を見分ける第一の手段が「燗酒」を好むか否かなのです。清酒党は燗酒を好みます。清酒党を名乗りながら「香りの高い吟醸酒」が好きだ、といわれる方がいますが、この方は恐らくワインの方がよりお好きな方ではないかと思います。飲酒量もそれほど多くないはずです。清酒党は、ヘビードリンカーです。私は、清酒党の中では弱い方だと思いますが、一般の基準ではヘビードリンカーに分類されると思います。

第二が老香に対する感性です。清酒党は老香をあまり気にしません。私も老香はむしろ好ましいと感じる時もあります。清酒も数年を経た大古酒になると老香が強くなって老酒に近くなり、むしろ、どこか香ばしく感じられるようになります。貯蔵する原酒と貯蔵条件によって酒質は大きく変化しますが、一般に原料米を磨いて、米の中心部のみを使用して醸造した清酒は貯蔵期間が長いほうがおいしく感じられます。

第三は納得いただけないかもしれませんが、清酒党は純米酒より吟醸酒や本醸造酒に許されている程度にアル添した清酒を好むことです。純米酒が好きな方はヘビードリンカーではないような気がします。したがって、清酒党ではないと考えています。この理由等につきましては後ほどご説明します。

第四に清酒党でも飲み始めはビール類から入る人が多いようです。「のどを潤す。」と言いましょうか、これからアルコールを飲むというシグナルを胃腸に知らせる行為である、と解釈しています。こうすることにより、胃腸がアルコールに対し防御姿勢を取り、いきなり濃い清酒を注入する時よりも体に優しいのではないかと考えています。私を含め多くの清酒党はそんな飲酒行動をとっているように感じています。

(6)鑑定官と素人(きき酒におけるアルコール耐性)

我々鑑定官とみなさんとのきき酒能力は、あまり差が無い、と申し上げました。しかし、みなさんと鑑定官でまったく異なるところがあります。それは、鑑定官はアルコールで味覚や嗅覚が麻痺しにくい、ということです。素人の方の場合はきき酒するとすぐに舌が麻痺してしまうようです。酒を正確に評価できるための最低限要求される能力は、「アルコールで舌と鼻が麻痺しない。」という能力です。そのための鍛錬が必要なのかもしれませんが、きき酒の訓練を行っていれば自然に獲得できると思います。もちろん、気楽に味わう場合はこの限りではありませんが、それでも、麻痺しないようになれば酒の美味しさを最後まで満喫することができます。

きき酒の訓練を始めた新人時代を思い起こすと、飲酒時のアルコール耐性は普通であると思っていたのですが50点ほどきいたころ酔いが回りはじめ、倒れそうになったことを記憶しています。初心者の私には、きき酒用のアルコール耐性はほとんどなかったのです。今は、きき酒の方法にもよりますが100点くらいきいた方が、評価結果が安定しています。最初は、感度が良いのですがノイズも大きいようできき直すと評価結果を訂正しなければならないことが多いのです。また、臭覚は、きき酒時にはむしろ向上します。きき酒の会場と審査員の控え室は離れていることが多いのですが、最初のきき酒をして、控え室に帰ってきた時には、きき酒前には感じられなかった控え室の匂いを感じることができるようになっているからです。

では、どのくらいの点数を再現性良くきくことができるのでしょうか。新潟県酒造従業員組合連合会という組織がありまして新潟県出身のほとんどの杜氏さんが会員になっておられます。ここで毎年、春にその冬の新酒のでき栄えを競う新酒鑑評会を開催しています。平成10年か11年だったと思うのですが審査員として参加させていただきました。その時にきいた点数が一日にきいた最高点数で700点くらいだったと記憶しています。出品点数は、400点くらいだったのですが、上位20点くらいの順位付けをきき酒で行うため1審、2審・・・決審と審査を繰り返えさなければならないのです。決審でも同点の場合は、さらにきき酒を行い、順位を決めます。このような方法ですと同じ酒を複数回きくことになりますからきき酒点数が、大幅に出品点数を上回ることになるのです。

1審や2審査などでは、はっきりと欠点のある酒もありますから評価するのは楽ですが、審査が進行するにつれ粒ぞろいの酒ばかりが審査台に並んでいます。それに加えて、决審のころは、審査員全員がかなり酔った状態できき酒をすることになります。口に入れた酒は吐き出しますが、口の粘膜からアルコールが体の中に浸入しますし、きき酒時に空気を吸い込みますので蒸発したアルコールが肺から直接血液中に吸収されるのではないでしょうか。酔ってから、わずかしかない酒質の違いで酒をランク分けするのは辛いものがあります。

杜氏さん方が、一生懸命、造られた清酒をこんな状態できき酒して失礼ではないのかな、などと考えましたが、他に方法がないのです。時間的には10時ごろから昼食抜きで2時ごろまできき酒を行ったと思います。すべての評価が終わり、審査の裏方を勤めていた人に入賞した酒に各々の審査段階でどのように私が評価したのか、教えていただきました。ある段階では悪い評価をしておきながら次の段階ではよい評価をしていないか心配したのです。(逆の場合は、審査の回数が上がるほど厳しく採点することになるので許されます。)結果を見た限りは、私が心配したほど、非論理的な採点はしていませんでした。しかし、全くないとは言い切れませんでした。杜氏さんごめんなさい。

このように、プロとアマの差は、味覚嗅覚のアルコール耐性にあるようです。したがって、不味い清酒しか置いていない料理屋さんに入ってしまうと私どもは、清酒が飲めません。料飲店でしたら複数の銘柄の清酒を置いていただき、消費者が選択できるようにしていただきたいものです。かなり酔っぱらっても不味い酒は飲めません。

きき酒時のアルコール耐性を持っていても、たくさんの点数をきき酒した後は、後遺症が残ります。新潟県の時も口中がひどく荒れてご馳走を前にしても食欲が湧きませんでした。口中の粘膜がアルコールで溶かされた感じになるのです。きき酒時の酔いは、きき酒が終了し血中のアルコールが代謝されれば覚めますが、口中の荒れは「二日酔い」することがあります。連日、きき酒する場合は、ペース配分を考えておき、明日に備えておかねばなりません。春先は、冬季に醸造した新酒のでき栄えを競う鑑評会が各地で開催されますのできき酒をする機会が多くなります。かつて二日続けて鑑評会の審査員を務めたことがありましたが、ペース配分を間違え、初日に全力投球したため翌日のきき酒は味がわからず香りを中心に評価せざるを得なくなってしまった経験があります。臭覚は味覚より回復力があるようです。

(7)プロ中のプロ

きき酒に堪能な鑑定官は、どのくらい深く酒をきくことができるのでしょうか。前述しましたように大病から回復したばかりの私も結構、きける方ではなかったのかな、と思いますが上手がいるようです。その方は鑑定官ではなく、大手の酒屋さんの出荷担当者(チーフブレンダー)です。今は何処の大手も安定した酒を出荷されていますが、私が、きき酒に自信を持った頃は、大手といえども市販酒の酒質にバラツキがありました。全国に販売しているのですからやむを得ない所があったと思います。しかし、一社だけどんな時に飲んでも安定していました。そう感じていたのは私だけではなく複数の鑑定官からも同じ感想を聞いたことがありました。最近、その社の技術責任者とお話しをする機会を得ましたので、長年の疑問をお尋ねしました。その方はしばらく考えておられましたが、恐らくそれはチーフブレンダーの能力によるのではないか、と答えられました。大手の酒屋さんでは一回の瓶詰めにたくさんの原酒をブレンドしなければなりません。多くの個性ある原酒をブレンドし会社の酒質に合致させ、なおかつ、その酒が流通業者の手で全国に配送されても酒質を保持しているようにしなければならないのです。彼の話ですが、チーフブレンダーになると公私を問わず大変な義務を課せられるのだそうです。厳しい体調管理と病み上がりの私が行っていたような食事制限を強いられるのではないでしょうか。そこまでしないと、均一な酒質を全国販売できないのですね。最近の大手の酒質の安定感から推測して、今ではそんな厳しい仕事をされておられる方が少なくとも日本に20名はいらっしゃるのではないかと推測しています。

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6 究極の清酒                                           

清酒を味わう方法を解説しましたので美味しいお酒について客観的にご理解いただけるようになったと推察します。そこで、万人が賞賛する究極の清酒は存在するのか、また、在るとすればどのような清酒なのか考えてみましょう。

(1)   究極の清酒は存在しない?

清酒の醸造に携わる人すべてが万人に愛される清酒を造りたいと願っています。しかし、全ての人に「ほんとうにうまい」と感じさせることができる酒はあるのでしょうか。お話してきました五味の調和が美味しい酒の条件であるとするとかなり否定的な結論になってしまいます。なぜなら、五味の感度が人によって異なるからです。ある人は調和していると感じても他の人は甘い、とか辛いとか言うかもしれません。したがいまして、五味の調和イコールうまい酒では究極の清酒は存在しそうに無いのです。

(2)   淡麗辛口酒

一部の淡麗辛口酒の中に究極の清酒に近い酒があるのではなかろうかと推察できます。その理由は、次のとおりです。

辛口酒を造るためには、甘味成分を減少させなければなりません。しかし、その結果、甘酸のバランスが崩れ、酒が酸っぱく感じられるようになってしまいます。今度は、酸度を減少させなければなりません。二大基本味の成分が低下しますから当然苦味及び渋味の成分も減少させなければなりません。苦渋くて飲めなくなりますから。このように甘味の削減が、呈味成分全体の減少につながりますので、辛口酒は、呈味成分が少ない清酒であることがわかります。一部の淡麗辛口酒は、呈味成分が、味として感じられる濃度まで達せず“隠し味”として作用しているものもあるのではないかと推論できます。美味しい酒は五味が調和していれば良いのですから、五味を隠し味の前後まで低下させた淡麗辛口酒はほとんどの方に調和した印象を与えるはずです。したがいまして究極の清酒としての資格があると推測できるわけです。

しかし、淡麗辛口酒にも良いことばかりはありません。五味の成分が少ないので、飲んだときの「うまい」の度合いが減少してしまうのです。コクが少ないのです。結論を申せば、今の淡麗辛口酒では究極の清酒と呼ぶにはコクの点で問題がありそうなのです。

(3)   究極の清酒は存在する?

イ 鑑評会入賞酒

清酒の造りが終わりに近づく3月下旬から全国各地でその年の清酒のでき栄えを競い合うたくさんのきき酒会が開催されますが、その多くが鑑評会と呼ばれています。鑑評会は、酒質を競い合うことによる醸造技術の向上を目指して開催されてきました。始めに開催される鑑評会は、会社の近隣に新酒ができたことを宣伝する意味を込めて市町村単位で開催されるものであり、都府県単位で開催される鑑評会と3〜6県の単位で開催される鑑評会(国税局単位の鑑評会)がこれに続き、春の最後の鑑評会としては独立行政法人酒類総合研究所が主催し5月に結果が公開される全国新酒鑑評会で一旦フィナーレを迎えます。

また、10月ごろからは清酒の需要期を迎えるに当たり、消費者に清酒をアピールする目的で県単位の鑑評会や国税局単位の鑑評会が開催されています。これらの鑑評会が終了すると新酒の仕込が始まります。ですから仕込期間と夏季を除くと全国どこかで清酒のきき酒会、鑑評会が開催されていることになります。かように、清酒業界は他社と競い合い酒質の向上に熱心なのです。

鑑評会への出品を予定している酒は蔵の看板の酒、すなわち大吟醸酒ですから造りに当たっては杜氏を頂点とする蔵人集団は、一致団結し入賞を目指して大変な努力をいたします。鑑評会入賞は、酒屋さんの名誉ばかりでなく杜氏や蔵人の勲章みたいなものですし、彼らの賃金にも鑑評会の成績が反映することがあるのです。磨きに磨き半分以上糠とした白米を原料として、こうじ造りに寝食を忘れ、酒母ともろみの管理に神経をすり減らし約二ヶ月、蔵人全員の懸命の努力の末にでき上がる大吟醸酒は正に芸術品と言っても過言ではないと思えます。その香りは、華やかで果実を連想させ、味わいは柔らかであくまでも滑らかです。ですから清酒技術者に究極の清酒は、と問えば大方の人が鑑評会で入賞した吟醸酒と答えるでしょう。

しかし、鑑評会入賞酒も五味の理論には勝てないのです。なるほど、鑑定官並びに鑑評会の評価委員全員にとっては究極の清酒かもしれない、しかし、五味に対する感度が異なる一般の方も同じように究極の清酒と感じられるのでしょうか、と問われてしまうと返答に窮するのです。

ロ 人間の味覚には大差が無い

清酒の基本味理論から個人により基本味の感度が異なるから万人受けする清酒は存在しないし、淡麗辛口酒もゴク味が不足するので究極の清酒とは言えないのではないか、とお話しました。では、万人受けする酒、究極の清酒は存在しないのでしょうか。私自身の経験から究極の清酒はあるように思います。

鑑定官は仕事の大部分が酒に関係していますので、良く酒も酌み交わしましたが、酒の好みが似ているのです。若手には、ビール党が多いのですが、ほとんどは清酒党です。最初はビールを少し飲んで、それから清酒に移行するという飲酒パターンをとっている人が多いのです。遺伝的にも育った環境もかなり違うと思うのですが、清酒の好みは似ています。鑑定官が好む酒質は、いわゆる淡麗辛口酒のジャンルに入る酒です。ある程度、きき酒の訓練を重ねることにより五味の感度が似通ってくるのではないでしょうか。そう考えないと鑑定官の嗜好が似ているという事実は説明できないように思えます。同じきき酒結果を出すように鑑定官は訓練されているのではないか、と言われそうですが、そうではないことは先ほど申し上げました。

鑑定官の嗜好が似ているという考えを裏打ちするために、同じ醸造酒であるワインの世界を垣間見てみましょう。ワインの評価尺度は、フランス人が造ったものですが、鑑定官全員が賛同できます。フランス人が最高であるとするグランクリュークラスのワインは、鑑定官も最高であると認めざるを得ません。安いワインは、やはりそれなりの味です。味覚は人種に因らず、酒を評価することを職業にしている人間であれば酒に関する“嗜好”はそれほど変わらないようなのです。フランスの基準が知らず知らずのうちに刷り込まれたのだと、この節に異論を唱える鑑定官もいますが、私にはそうは思えません。基準は生まれながらにして持っていて、訓練により目覚めるものなのではないかと考えるべきです。

また、味わうという行為は生命を維持するための栄養素をバランスよく吸収するための食物選択行為の一つと考えることもできます。必要な栄養素を美味いと感じない味蕾を有して生まれた人は成長の過程で健康に問題が生ずると予測できます。味蕾の持つ性能は、全人類に共通なのではないでしょうか。このように考えれば、すべての人に極上と感じさせる味があっても不思議ではないと思うのです。フランスではレストランの格付けが行われていて広く認められています。日本でも評判良い料理屋さんは、やはり期待にたがわない美味しい料理を提供しています。

人間の嗜好が似ていることを商品素材である油を例にとって考えて見ましょう。食品素材としての油は、ほとんどの人に好まれるものの一つです。高級食材である霜降りの牛肉やまぐろのトロは、最上級に上げられる食材ですが、どちらも油がほどよく蛋白質に混入されています。秋田県には有名な比内地鶏がありますが、比内地鶏の美味しさはスープにあり、そのうまさの源はスープに含まれる油であると言われます。油は、最も効率の良いエネルギー源になります。だから人はうまいと感じるのでしょう。油は食品の基本味ではありませんが重要なうまみの成分の一つであると考えられます。昔、私は、料理番組を良く視聴していました。見ているとやたらと油を多用する料理人がいましたが、それらの人をあまり評価できません。油を多用すると油の旨味で料理の味が引き立てられますが、冷めた時はとても食べられない料理になる可能性がありますから。病気が原因で減塩を強いられた時に、看護婦さんから栄養指導があり、減塩がつらい時は油を多用するように勧められました。塩の美味しさを油の美味しさで代替しなさいと言うことだったのです。幸い、私には必要ありませんでしたが、油を良く摂る欧米人は、塩の摂取量が少なく、油の摂取量の少ない日本人が好塩民族と呼ばれるにはそれなりの理由が存在するのだと感じました。時々、塩分濃度が高く、油がたっぷり入った料理を見かけます。ラーメンなどにもこの種の傾向が感じられます。美味しいのですが、料理を作る人の腕はどこに発揮されているのでしょうか。

また、旨味成分も身体に必須な成分です。イノシン酸は遺伝子の原料になる資格がありますし、グルタミン酸は、蛋白質の原料であると同時に脳内で情報伝達にも関わる必須アミノ酸の一つです。どちらも人にはなくてはならないものです。これらを含有する食品を好んで摂取するように我々はプログラミングされているのでしょう。減塩対策として油と同様に旨味成分も有効であると教えられました。ダシが効いていれば減塩できるのです。

別の角度からも人間の食品に対する嗜好が似ていることを強調できます。ミトコンドリア・イブと言う言葉があります。ご存じのようにイブとは旧約聖書の中にある人類最初の女性です。ミトコンドリアは、細胞質の中に浮いていて主として細胞のエネルギー源であるATP(アデノシン三燐酸)の製造に関わっている重要な遺伝子です。細胞核の遺伝子は両親から受け継ぎますが、ミトコンドリアは卵子からのみ受け継ぎます。したがって、ミトコンドリアをたどると人類共通の母親に行き着けるのです。現在は、アフリカの一人の女性にたどり着くというのがもっとも有力な説になっています。一人の母親しか持っていない人類がどうして味覚だけに多様性をもてるのでしょうか。遺伝的には、人類の味覚の多様性は否定されていると考えるべきです。

したがって、味覚・臭覚を鍛えた人間にとっては共通の美味い酒、つまり、「究極の清酒」は存在するかもしれないのです。いや、はっきりと存在すると結論いたしましょう。人は、多少五味の感度は異なるが、鍛え上げるとそれほど差はなくなってしまうのではないか、そう思えます。

(4)究極の清酒

結局、究極の清酒は、鑑評会の出品酒の中に存在するのでしょう。しかし、現在の鑑評会の出品酒ではなく、一時代前の鑑評会に出品された大吟醸酒のタイプに中に在るように思います。なるほど、現在の鑑評会に出品される大吟醸酒は、華やかな吟醸香とフレッシュさで過去の大吟醸酒を圧倒し主流の地位を築きました。しかし、最大の欠点は、どのように貯蔵しても酒質の向上が見込めないことなのです。どうしても5℃以下の低温貯蔵を行わないと吟醸香が崩れて華やかさが失われ、フレッシュさも感じられなくなってしまいます。熟成酒に向いていないのです。それに対し、一時代前の大吟醸酒は熟成により酒質が向上します。香りには老香が出ることもあるでしょうが品格がかもし出されてくると思います。何より味がまろやかになり甘露と呼ぶにふさわしい酒に変身するはずです。しかし、大きな問題点があります。現在の大吟醸酒は華やかな吟醸香を出すことはそれほど難しいことではありませんが、一時代前の大吟醸酒では、名杜氏の手にかからないと爽やかと言えるほどまで吟醸香が立ってこないのです。したがって、究極の清酒は日本にたくさんは存在しないことになります。特に、現在の大吟醸酒が、鑑評会出品酒の主流になっている間は貴重品であり続けるでしょう。

私は、かつて究極の清酒に出会ったと思っています。記憶が定かではないのですが、軽い老香とほのかな吟醸香を持った吟醸古酒でしたが、口に入れると自然と舌の上で広がり、「うまいな」「軽くて舌が酒の重さを感じないな」と思っているうちに消えてしまう、そんな味わいの酒でした。料理は不要で、その酒だけを飲み続けることができる、いくらでも飲める酒でした。高価だったためか、好きなだけ飲めませんでしたが、それが幸いでした。もし、好きなだけ飲めたのならきっとひどい二日酔いになっていたでしょうから。

しかし、この種の大吟醸熟成酒に合う料理を思いつかないのです。そもそも大吟醸酒は食中酒ではないのですが、熟成により、吟醸香が突出しなくなれば料理によっては相性も生まれてくるものと考えられたのですが単なる思い込みでした。ですから、究極の清酒は、食中酒とは言えないような気がします。そもそも、今は、そんな貴重な酒に出会うことができるのか疑問ですけれども。

では、食中酒としての究極の清酒は、あるのでしょうか。料理との相性を考えなければなりませんから、食中酒ではすべての人を満足させると言うところまでは到達できないような気がします。究極の清酒の一歩手前というものであれば、料理によって異なってくるとは思いますが、いくつかの酒銘が頭に浮かびます。大方の鑑定官がその銘柄に賛意を表してくれるか自信はありませんが、そういった銘柄が徐々に増えているような気がします。みなさんの身近にもきっとあると思います。辛口である必要はありませんが淡麗な酒の中に存在するように思いますので、料理ごとに自分に合う酒を探されてはいかがでしょうか。キーワードは二日酔いです。自棄酒での二日酔いは論外ですが、過去に二日酔いになった時に飲んだ酒と、できれば料理も、調べるのです。楽しく飲んだ翌日にひどい二日酔いをした経験がある方は、あなたの究極の清酒に巡り合えたのです。

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7 酒質の辛口化                                          

美味しい清酒が増えていると申し上げましたが、清酒は本質的に酒質を発展させることができる酒なのです。3種類の微生物を駆使し複雑な工程を経て醸造されますから、醸造技術や設備・機械の発展が酒質を向上させます。この点は、同じ醸造酒であるワインとは著しく異なります。ワインは、原料ブドウの品質に大きく依存します。どんなに発酵技術が進歩しても、原料ぶどうが持っているポテンシャル以上に酒質を上げることはできないのです。ブドウのできが同じだと仮定すると、ぶどう畠で格付けがなされているフランスのワインは100年前と今日でそれほど味が変わらないと思います。一方、清酒の酒質は、ここ100年間で大きく変遷してきました。特に、直近の30年間に急速に辛口化が進行しました。どのくらい辛口化してきたか参考までに国税庁がホームページで提供している平成19年度の全国市販清酒調査結果を見ますと昭和59年はー2.4だった全国平均値が平成19年度には+3.2になっています。

http://www.nta.go.jp/shiraberu/senmonjoho/sake/shiori-gaikyo/seibun/h19pdf/01.pdfの14ページをご覧下さい。)

30年間で日本酒度が6近く辛口に変化しています。何故こんなに大きな変化が生じたのでしょうか。(本来であれば甘辛の尺度として甘辛度を使用すべきですが、古いデータには甘辛度が無いのでやむを得ず日本酒度で表現しました。)

昭和40年代は、甘口酒の全盛期でした。それからしばらくして辛口化が進行しますが、その転換点として日本人の食生活が豊かになったことが背景にあったのではないでしょうか。終戦後の食糧難の時代は、甘味と旨味が混同されていたと考えられます。それが、ようやく識別されるようになり清酒の甘さが際立ってきたのでしょう。その後、級別制度が廃止され市販酒に吟醸酒や純米酒が登場するとそれまでは杜氏さんたちの醸造技術の練磨の場とされてきた鑑評会が流通業界からも脚光を浴びることになったのです。吟醸酒のブームが起こったと言っても良いでしょう。辛口化の道を歩み始めた酒質が、淡麗辛口酒の代表である鑑評会出品酒を格好の目標に据えたとしてもおかしくはありません。ですから、鑑評会が辛口化に一定の役割を担っていたと考えられるのです。

しかし、それだけでは、辛口化を説明できません。最も有力な説は、辛口酒を嗜好する清酒のヘビーユーザーにあるとするものです。甘味成分が多い酒を飲み続けるとより早く満腹感が湧いてしまい、飲み飽きしてしまいますのでヘビーユーザーは甘い清酒を敬遠する傾向にあります。また、元来、多量に飲酒すると酒は甘く感じるようになる、と言われております。酒を表す酉偏に甘いと書く「酣」は、この一字で「たけなわ」と読みます。宴会が最高潮に達し、お開きにする時には、「宴酣ですが、」とよく申します。つまり、宴が酣になると言うことは、酒が甘く感じられる、もう酒は十分飲みました、という意味を持っているのです。2〜3百点くらいのきき酒であれば、今でも最後まで正確に評価できる自信はありますが、深酒をした時を思い起こしてみると、確かに甘味を強く感じているようにも思えます。清酒のヘビーユーザーは飲酒の機会ごとに適量を超える傾向がありますから、清酒を飲む度に清酒は甘いという印象を受けているのかもしれません。そして、より辛口の酒が望まれそれに呼応して清酒は辛口化してきたのでしょう。実際のところは、これらの要因に加え、甘味を目の敵にする健康ブームが相乗効果をもたらし辛口化の流れに拍車がかかったものと思われます。

しかし、辛口化により、清酒本来のコクを犠牲にしてしまったようにも感じます。そのため、淡麗辛口化が清酒の販売量減退の一因を成しているようにも思えます。淡麗とは「あわく、うるわしい」はずですが、一部に「うるわしさ」に欠けていて「ただうすく・辛い」だけの酒になってしまっているものがあるような気がしてなりません。麗しさは五味の調和だけでは実現されないようなのです。

さすがに近年は辛口化にブレーキがかかっているようですが、こんなに大きく辛口化を進めてしまったので、30年前に甘口の清酒を愛飲して頂いたユーザーの方々は、清酒から離れてしまったのではないでしょうか。

そもそも、清酒は食中酒としては甘い特徴を有しているのでそれを生かす甘口の酒がもう少しあっても良いのではないかと思っています。私が最後にサラリーマン生活を送った秋田県は、一年中こうじが食品スーパーの店頭に陳列されるようなこうじの国です。食文化の根底にこうじが存在していて県民の嗜好が甘口傾向のためか、ほんのり甘い美味しい酒をたくさん味わうことができました。

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8 清酒を造る

清酒の醸造方法については色々な機会に紹介されていますので今更という感じもありますが、私流のご説明を行いたいと存じます。それとともに、これまでも説明もせず使用していた製造に関する専門用語をここでまとめてご説明したいと考えました。

(1)   清酒製造の原理

清酒は、こうじ菌、清酒酵母及び乳酸菌という3種類の微生物を利用してお米から造られます。大まかな原理は、お米のでんぷんをこうじ菌が生産した酵素で糖化しぶどう糖を造り、そのぶどう糖を酵母に代謝させアルコールに変えてお酒にする、と言うものです。乳酸菌は利用する場合としない場合があります。最初に、これらの微生物についてご説明いたします。

イ こうじ菌

顕微鏡で見ますと糸のような菌体をしているので分類学上は糸状菌と呼ばれる一群に属しています。平たく言えばお米を好むカビの一種です。お餅に生えるカビに似ています。お米の栄養を食べて生きているわけですが、菌体内に栄養を取り込むためにお米の澱粉を分解する必要があります。そのために菌体外にでんぷんを分解するための消化酵素を盛んに放出します。清酒醸造の過程では、この消化酵素のおかげで米から酵母の栄養であり、かつアルコールの原料でもあるぶどう糖を造ることができます。このように、蒸米を溶かしてぶどう糖にすることを糖化と称します。

こうじ菌は、カビですから高温多湿を好みます。蒸した米(蒸米)に胞子を振りかけて2日間こうじ室(むろ)という高温多湿の環境に置きますと蒸米の表面に繁殖します。これがこうじです。ほんのりと黄色味を帯びています。別名を黄こうじ菌と言うのはこのためです。しかし、時には緑がかることがあります。胞子を造り、その胞子が緑色を呈するためです。

 

ロ 酵母

ラクビーボール型の形状をしており、長軸の長さは5μm程度の大きさの微生物です。発芽して増殖し、条件によりますが酒母やもろみ中において1日で2〜3倍に増殖すると言われています。栄養源としましては、ぶどう糖と増殖時に菌体を造るために蛋白質を少量必要とします。ぶどう糖を代謝(食べて)してアルコールと炭酸ガスを出します。清酒に限らず発酵でアルコール飲料を造る時には主体的な役割を果たします。

清酒用にたくさんの酵母がありますが、共通の性質として、@10℃くらいの低温でもアルコール発酵する能力が高い、Aアルコール発酵と同時に好ましい香りを生産する、B酸性の環境に強い、Cアルコールに耐性があり濃度が20%くらいまでアルコールを造ることができる、等の性質を持っています。しかし、有害な酵母も存在します。清酒業界ではこれらを野生酵母と呼びますが、時として、酒母や清酒もろみ中に紛れ込み不快な香りを生産したり、アルコール発酵を遅らせたりする厄介者です。野生酵母をもろみ中に侵入させないようにすることが醸造技術の一つです。

ハ 乳酸菌

清酒に関係する乳酸菌は、球形や鉛筆のような形をしており、大きさは酵母より小振りです。酵母と異なりぶどう糖だけではなく米の澱粉も直接食べることができます。主たる代謝生産物が乳酸なので酸性に強いですが、酵母ほどではありません。清酒醸造に関係する乳酸菌は自分の生産した乳酸によって寿命を終える宿命にあるものがほとんどです。アルコールにも耐性をもっていますが、乳酸菌の一種である火落菌は、特にアルコール耐性がすさまじくアルコールが20%でも増殖できるものも存在します。清酒酵母も20%で生きてゆくことはできますが、とても増殖まではできません。火落菌はアルコールを栄養にしているくらいですから、人間も含め全ての生物の中で最も酒に強い生き物と言えます。大きなハードルがあるとは思いますが、この強さを遺伝子的に解明し応用できれば、バイオエタノールの生産コストを大幅に引き下げることができるのではないかと推測できます。

清酒の製造工程で乳酸菌を利用するのは、酒母の工程です。普通の微生物は酸性に弱いので乳酸菌に乳酸を造らせて他の微生物が酒母の中に侵入することを防ぐのです。お酢を使った食品が腐敗しにくいのはお酢の酸性のためですが、酒母でも同じ事をねらって乳酸を使用するのです。

しかし、乳酸菌が清酒もろみ中で繁殖するとアルコール発酵が阻害されお酒にならないことが極希に起こりますし、火落菌が清酒中に増殖すると、これまたお酢にしてしまいます。したがって、乳酸菌も、有益なものと有害なものとが存在することになります。有用な乳酸菌であっても酒屋さんは購入することはほとんどありません。乳酸菌はどこにでも居ますので増殖してくる環境を整えるだけで自然に生えてきます。

(2)原料処理

次に清酒の製造工程を順番に説明します。最初は、原料処理ですが、ここでは、以後の工程で使われる蒸米を造ることが目的です。

原料の米は、玄米のままではできあがった清酒の味が濃すぎますし、こうじ菌や酵母の栄養が在り過ぎて発酵が急進し制御するのに大変な苦労を強いられますから精米します。食用の白米は精米歩合90%くらいですが、酒造用の白米は60%くらいに精米します。品種は、主食用も使いますが、使い易いのは酒造用好適米と呼ばれるもので主食用と比較すると一粒当たりの重さが3割くらい重い大粒米で、真中に心白と呼ばれる乳白色の部分があります。一番有名なのが兵庫県で開発された山田錦です。秋田県でも山田錦より醸造特性が優れた秋田酒こまちという品種を開発しましたから、これからの発展が楽しみです。

精米したお米をといで浸漬し、水を吸わせ、これを大きなせいろ(こしきと言います。)で蒸します。これで蒸米のできあがりです。ご飯のように炊くのではありません。赤飯と同じように蒸かすのです。蒸かす時に、完全に殺菌されますから蒸米は無菌状態で各工程に提供されます。

(3)こうじを造る

蒸米からこうじを造る工程を製麹と称します。清酒の味は、ほとんどこうじで決まりますからこうじの造りでその蔵の酒質が決定されると言ってもよいでしょう。しかし、こうじと製成される酒質の間の関係は明確には解明されていないのです。私は大吟醸酒用のこうじの優劣は判定できると思いますが、通常のこうじに関しては自信がありません。このこうじでこれだけの酒にしかならないのかな、などと思うことがありますし、逆にこんな変なこうじでどうしてこんな立派な酒ができるのかな、と思い悩ませられることがありました。まだまだ、清酒の世界は研究しなくてはならないことがたくさんあります。

こうじを造りましょう。必要なものは蒸米と種こうじ菌です。これは。種こうじ屋さんで販売しているものを購入します。蒸米を30℃に冷ましてから種こうじ菌を振りかけ48時間真夏の環境に置いておきます。こうじ菌は真夏の環境下で、蒸米の表面上で生育し、蒸米をこうじに変化させます。清酒醸造は冬期間行われますが、冬に真夏の環境を実現するためにこうじ室を使います。こうじ室は断熱材で覆われた部屋で、容易に高温、高湿の環境が実現できるように造られています。冬季に酒造が行われるのには理由があります。冬季は、微生物の絶対数が少なくこうじ、酒母及びもろみを衛生的に造ることができるのです。かつて、清酒は1年中造られていましたが、冬季以外は有害な微生物の侵入を受けアルコール発酵が順調に進行しないことが多く、いつの間にか冬季に集中されてきたのです。しかし、こうじ造りだけは、真夏が最適なのです。こうじ室はこんな理由で造られました。

(4)酒母(モトとも言います)を造る

文字通り酒母は、酒を造るためのお母さん、酵母の供給源なのです。酒母の仕込は、水に、こうじと蒸米を入れさらに酵母と乳酸を添加します。乳酸は酵母以外の微生物が酒母に進入するのを防ぐために添加します。山廃モトや生モトと呼ばれる酒母は、酵母を添加する前に乳酸菌に乳酸を造ってもらいます。乳酸菌は、自然に増殖し、乳酸を造り、都合の良いことに自分で造った乳酸のために死滅してしまうのです。山廃モトや生モトでは乳酸菌が死滅したことを確認してから酵母を添加します。

添加された酵母は、こうじがこうじ自身や蒸米に作用して生じたぶどう糖を餌にどんどん増殖します。最終的には酒母1mlあたり5〜10億個くらいまで増えると言われております。仕込み直後の酒母は、強い甘味と乳酸の酸味がマッチしおまけに少し炭酸ガスもありカルピスのような美味しさです。この味のまま商品化できれば、と酒母の味をきく度に思いましたが、実現できませんでした。品質が非常に不安定だからです。しかし、酵母の増殖が進みアルコール発酵が盛んになるにしたがい甘味は消えて行き、美味しくなくなります。でき上がった酒母は、香りは吟醸香を放っていますが、味は、酸味、苦味及び渋味が強く飲めません。しかし、苦味や渋みが強いほど酒母中の酵母は発酵力がありもろみでのアルコール発酵を健全に進行させることができます。

乳酸を添加するタイプの酒母は、仕込んでから2週間くらいで使用できますが、乳酸を乳酸菌に造らせる生モトや山廃モトでは3週間以上かかることもあります。

酵母は、日本醸造協会から購入しますが、税務署から酒類製造を免許されていない人及び法人には販売してくれません。

(5)もろみを造る

もろみの工程は4段階に分かれています。原料を一度に処理する場合に比べより小さい能力の設備で仕込ができますし、仕込を分割することで有害菌の増殖余地を狭めることができるのです。

イ 添(初添とも言う)

第一段階の仕込を添と称し、酒母に、水、こうじ及び蒸米を加え完了します。添仕込の結果、できたもろみのことを「添」と称します。酒母由来の酵母は約4分の一に薄まりますが、こうじと蒸米から供給されるぶどう糖を食べて元気に増殖します。酒母から供給される酸味も薄まりますが、有害菌の増殖を抑えるにはまだ十分です。添の品温は15〜20℃にします。

ロ 踊り

添仕込が終わった翌日のことで、添に何も加えず、ひたすら添の中の酵母の増殖を促す期間です。これから仲仕込で酵母の数が約半分に、留仕込を行うとまた半分に酵母が薄まり、酸味だけでは有害微生物の増殖を抑えきれなくなるのでここでしっかり酵母を増殖させ、酵母の活力で増殖しようとする有害菌を押さえるのです。そのために仲の仕込まで一日休みを取るのです。踊りという躍動感あふれる言葉が清酒造りでは休みを意味するのです。一休みということでは階段の踊り場とちょっと似ていますね。しかし、酵母は活発に活動し、もろみの表面は出現する泡によりあたかも踊っているように見えます。踊りの品温は15℃付近です。

ハ 仲添

踊りの翌日に、添に、水、こうじ及び蒸米を加え仲の仕込とします。できたもろみのことを「仲」と称します。ここで、もろみの全物量の約半分までが仕込まれました。仲は、文字通り、三段仕込の真ん中の仕込です。どういう訳か、当てる漢字は人偏が付された仲です。清酒の世界では中ではなく仲をしばしば使用しています。理由はわかりません。仲添の品温は10〜15℃くらいです。

ニ 留添

仲仕込の翌日、仲に、水、こうじ及び蒸米を加え留の仕込とします。これでもろみ仕込が完了します。添と仲の名称から推論すると留仕込後のもろみを「留」と呼びそうですが、仕込んだその日だけ「留」で次の日からは単に「もろみ」と呼びます。

留仕込で新たにもろみに加わる、水、蒸米及びこうじは、完成したもろみの約半分を占めます。各仕込みの蒸米とこうじ米の合計重量は、添を1とするとおおよそ仲は2、留は3の比率になります。添と仲の合計は3で留3と等しいことから留がもろみの半分の物量を占めることは理解いただけることと思います。留仕込の品温は8〜10℃くらいにします。

(6)もろみの熟成、アルコール添加と4段の添加

留仕込が終了して20日前後で、アルコール発酵が完結し、もろみは熟成します。この間、アルコール発酵が順調に進行するように蔵人はもろみの櫂入れと温度管理を行います。発酵温度は10〜15℃です。吟醸酒は10℃付近で発酵させ、お燗向けの酒では15℃前後の発酵温度が標準的です。熟成したもろみの成分は、アルコール度数は18%前後、日本酒度はゼロ付近になっています。純米酒にする場合は、このまま、上槽という固液分離工程に移行しますが、通常は、味を調整するため少量のアルコールを添加します。また、甘みを付与する目的で4段(留までが3段でその後に加えるため4段と言います。)と称して蒸米を酵素剤で糖化したぶどう糖濃度が30%以上もある糖化液を添加することもあります。

(7)上槽(しょうそう、あげふね)

完熟したもろみを清酒と酒粕に固液分離する操作を上槽といいますが、あげふねとも呼ばれます。30年以上前は、毎日、完熟したもろみを数百枚の酒袋に小分けし、これを酒船と呼ばれる直方体の槽に入れ上部から圧力を掛けて清酒を濾し取り、残った酒粕は一枚ずつ酒袋から取り出していました。この酒船と呼ばれる容器は、船大工さんが船を造る技術で液体が漏れないように造ってもらったことに因んでいるのではないかと推測しています。厳冬の中、もろみを酒袋に詰めたり、搾り終わって酒粕を酒袋から取り出す上槽作業は、大変な重労働でした。今では、自動化され空気圧を利用してもろみから清酒を濾し取っています。清酒業界で誕生し他の業種で使われている数少ない装置がこの自動化されたもろみ圧搾機です。もろみという非常に濾しにくいものをいとも簡単に固液分離するすばらしい能力に廃水処理業界が注目し、汚泥の固液分離に活用されているそうです。

固液分離を行うと清酒が誕生するのですが、酒袋を使用していた時代はでき上がった清酒が少し濁っていましたから清澄する作業が必要になりました。これは難しい作業ではありません。一週間くらい濁りの部分(オリと称します。)が沈降するのを待っていればよいのです。蔵にあるほとんどのタンクに上呑み(うわのみ)と下呑み(したのみ)と称する酒の出入口が上下に2つ付けられているのをご覧になったことはありませんか。オリが下がってきて、上呑み以下になったらオリ引きを行います。オリ引きは、上呑みからゆっくりと清酒を取り出し他のタンクに移す操作を言います。最後に残ったオリの部分は下呑みから取り出し、更に、オリ同士を合併してオリ引き操作を行います。最後は、オリをもう一度酒袋に入れ上槽操作を行い完全に清澄させました。

余談ですが、酒粕中のアルコールはどのくらいあるのでしょうか。酒粕中の液体部分は重量の約半分を占めていますが、液体部分は清酒と同じ成分組成であると推察できます。上槽直後の清酒のアルコール度数は18〜20%でしょうから、0.5×19×0.8≒8%、すなわち、重量百分率で8%くらいのアルコールを含んでいることになります。(0.8はアルコールの比重です。)想像していた以上にありますね。焼いたり、甘酒や粕汁にする場合、アルコールは飛散しますが、熱を加えないで食する時は酔う可能性があります。

(8)火入れと日本人の物造り(お雇い教授も驚いた?)

オリ引き後、清酒は加熱殺菌されて貯蔵されます。清酒業界では、加熱殺菌工程を火入れと称しています。食品業界では、加熱殺菌のことを発明者である、フランスの生物学者ルイ・パスツールの名にちなんでパストリゼーションと言いますが、清酒の火入れはそれより遙か500年前、室町時代には、既に行われていたという記述があります。経験上、加熱すると清酒は腐り難くなることはわかっていたのですが、その原理については理解していなかったようです。明治政府が英国から招聘した外国人お雇い教授のアトキンソン教授は、ビールを研究対象としていましたが、極東のこんな島国で、尊敬するパスツール先生の発見より遙か以前に酒の加熱殺菌が実践されていて、さらに、こうじという麦芽以外の糖化材が使用され、ビールの3倍以上、15%を超えるアルコール発酵が工業規模で行われていたことを知りどんなに驚いたかは想像に難くないでしょう。他に見るべき産業のなかった明治時代の清酒製造業界は、まさに世界の最先端産業だったのです。灘では、六甲山系の水利を利用し水車を回し、米を精米し、こうじ菌、酵母及び乳酸菌という三種類の微生物を駆使して米から清酒を、すなわち、でんぷんからアルコールを造っていたのですから。その伝統は、発酵というキーワードで現代の日本に生きています。

これらの事柄から、日本人は物を造ることには長けた民族であるが、物造りの底流にある原理原則には無頓着な国民性があるのかな、などと考えさせられてしまいす。造ることに関してアトキンソン教授を驚かせた清酒業界ですが、物造りの基礎にある理論に関しては彼に大いに学びました。彼は帰国後、日本滞在中の業績を論文にまとめています。驚いたことに、その論文は、インターネットで公開されています。論文の標題は「The Chemistry of Sake Brewing」です。アドレス は、http://brewery.org/library/sake/cover.htmです。英語が堪能でご興味のある方は一度、訪れてみてはいかがですか。明治時代の酒税についてや、当時の酒造りの実態、アトキンソン教授が日本で一番美味しいと思った酒は梅酒であったらしいことが記載されています。しかし、清酒の味について先生はコメントを残されていません。口に合わなかったのかもしれません。100年以上経過した、極わずかな人のみが興味を示すであろう論文がインターネットで見ることができるのは大英帝国の底力と言うべきでしょうか。

(9)貯蔵から出荷

冬季に造られた清酒は、火入れ殺菌しタンクで貯蔵され夏を越し、熟成して旨味をまして秋口から商品化されます。この頃は清酒もフレッシュな酒質が好まれるようになり10℃以下の低温で貯蔵する酒屋さんが増えましたが、適度な熟成を促すためには適度な温度が必要であると考えます。あまり低温貯蔵にはこだわらず、真夏で30℃を超えなければ自然にまかせて貯蔵されるべきではないでしょうか。

貯蔵中には呑み切りと称し時々,タンクの酒を取り出し熟成度合いをきいたり、火落菌に汚染されていないか確認します。最初の呑み切りは、特に初呑み切りと呼ばれ、火入れ後、3ヶ月くらい経過した7月下旬に行われることが慣例でした。新酒のでき栄えは春先の鑑評会等で把握しているのですが、熟成により酒の真の価値がわかるのはこの時期なのです。また、この時期は、火落菌に汚染された酒の酒質が変化し始める時期でもあります。木桶を貯蔵タンクに使用せざるを得なかった時代は火落ちすることも珍しくなく、初呑み切りは酒屋さんの大事な行事であったのです。琺瑯タンクになった現在でも鑑定官が酒屋さんの依頼で初呑み切りに臨場し、その年の酒の熟成度合と火落菌の有無を調査することがあります。

10)清酒の分析

酒屋さんでは、発酵が順調に進行しているか、規格どおりの商品になっているか調べるために一年中分析を行っています。分析の対象は、仕込の期間中には、清酒、酒母及びもろみですが、それ以外の時期では清酒だけです。分析項目は、アルコール度数、日本酒度、酸度及びアミノ酸度です。これまでもこれらの言葉を使用してきましたが、ここで少しご説明したいと思います。アルコール度数とはアルコールの容量百分率を表しており、清酒100mlに含まれるアルコールのml数です。15度は15%のことであり、清酒100ml中に15mlのアルコールが存在することを表現しています。日本酒度は、清酒の比重から算出した値で、プラスの領域では比重が1.0より小さく、ゼロが比重の1.0、マイナス領域では比重は1.0より大きな値を取ります。エキス分が多いほど、すなわち糖分が多いほど比重が重くなりますから、日本酒度は、小さく、マイナス側になります。酸度はこれまでもお話しましたとおり酸っぱさの尺度です。清酒10mlを中和するために要する0.1モルの苛性ソーダ水溶液の容量で表されます。酸度1.0は、清酒10mlを中和するために0.1モルの苛性ソーダ水溶液が1.0ml必要なことを表しています。アミノ酸度は、アミノ酸の含有量の尺度とお考え下さい。多いと味の濃さ、コクが増しますが、雑味と捉えられる恐れが増します。私の好む清酒のアミノ酸度は、酸度と同じか、酸度を下回ることが多いです。

(11)2つの発見

分析に関連した事項で、たいへんな苦労を強いられましたが、清酒業界へささやかな貢献ができたことについてお話しましょう。それは、アルコール度数と日本酒度の分析に関して2つの発見を行ったことです。

イ アルコール度数に関して

2001年に当時勤務していた国税庁醸造研究所が国の省庁再編の一環として独立行政法人酒類総合研究所となりました。それと同時に業務の大幅な見直しが行われ、アルコール度数の測定に使用される酒精計と呼ばれる「浮き」を校正する仕事が加わり、私はその責任を任されることになったのです。アルコールの比重は、0.8であり、水のそれは1.0ですからアルコールと水の混合物であるアルコール水溶液は比重を測定することによりアルコール度数がわかります。アルコール水溶液に酒精計を浮かべますとアルコール度数が高いほど比重は軽くなり浮力が小さくなりますからアルキメデスの原理により、酒精計はより沈みます。度数が低い場合は逆になりますが、いずれにしましても酒精計の沈み具合と申しましょうか浮き具合からアルコール度数が測定できます。しかし、酒精計は製造されたままでは正確な値を示すと言う保障はありません。事実、大半の酒精計は、測定値が正しい値を示すことは稀で真の値より少しズレています。校正と申しますのは、このズレ(偏り)を測定することを申します。測定法は、正しい値を示すことがわかっている酒精計(標準器と呼んでいました。)と校正しようとする酒精計をアルコール水溶液中に同時に浮かべその差を比較することにより行います。

実際に酒類のアルコール度数を測定するためには、いったん酒を蒸留しアルコール水溶液としその中に酒精計を浮かべます。蒸留は酒中のエキス分を除くために行われます。エキス分は比重に関してアルコール分と逆の作用をしますので除かないと正確な測定ができないのです。比重からアルコール度数に変換するために変換表が必要になりますが、日本ではゲイ・ルサックの表と呼ばれるものを使用しています。約150年前にゲイ・ルサックさんと言う方が1度(%)から100度(%)まで一度ごとのアルコール水溶液を造りその比重を実測して作ったものです。酒精計には、比重の代わりにゲイ・ルサックの表で換算されたアルコール度数が刻まれていますから、測定者は自分が比重を測定しているとは思っていません。しかし、原理的には比重を測定しその値がゲイ・ルサックの表で換算されてアルコール度数として表示されているのです。

私は新しい研究室への配属辞令を受け業務のひとつである校正事業について調べてみました。驚いて開いた口が塞がりませんでした。ISOを取得しなければならなかったからです。よく知られているISOは9000とか14000とかですが、私どもが取得しなければならなかったISOは校正機関向けの17025でした。しかし、取得までの困難さは同じかむしろ、より高度な要求が待っていました。平たく申し上げますとISO9000に、どのくらいの正確さでズレの測定ができるかを付け加えなければならなかったからです。9000を取得するためにも数人の専門チームが2から3年かけて行うくらいの仕事量があります。しかし、私に課せられた任務は、他の業務と平行して4人のスタッフで、1年でISO17025を取得することだったのです。独立行政法人は年度目標を持っており私が任された研究室の年度目標に一年後に校正業務を開始することが明記されていました。私の研究室の目標を作成するにあたり十分な検討がなされなかったことは明白でしたから目標の改正をお願いしましたが却下されました。結局、2年後に取得できたのですが、休日は無いが如しでした。ただでさえ少なかった私の頭髪はほとんど失われました。そして、酒を飲むと決まって同僚に当り散らしていました。翌日は、反省しきりでしたが、こんな仕事をしているとその内、酒が原因で問題を起こし失職せざるを得ない状況になるのではと、心配する毎日でした。運よくそんな時期をやり過ごすことができましたが、それ以来、酒の上で不祥事を起こす方には同情するようになりました。

校正業務にISOが必要な理由は、酒精計のズレを測定する能力があることを第三者に証明してもらう必要があるからです。いくら酒類総合研究所が酒の専門機関であり十分な校正能力を持っていると言っても一民間企業がそう主張しているだけである、と言われてしまえばそれまでです。第三者機関、この場合はISOの認定団体ですが、から能力ありと認めていただかねばならないのです。そのためのISOです。私が最後に勤務していた秋田県をはじめいくつかの地方自治体でISOを取得して行政を行っていますが、本当に必要なのかいつも疑問を感じています。ISOは取得した団体が決められたことを遵守して業務を行っていることを第三者である認定団体が保障するものです。住民から信用されていれば地方自治体がISOなど取得する意義はあるのでしょうか。ISOは取得と維持に結構な費用を要します。地方自治体がISOを取得することには疑問を感じています。少なくとも取得後は維持する必要は無いと思います。

少し横道にずれました。ISO17025の取得の最終段階に現地検査というものがあります。これは、ISOの認定機関から職員が派遣され申請されたとおりに校正業務が遂行されているか試されるのです。その中で最も肝心な点は、「酒精計のズレを申請された精度で測定できる。」ことです。この試験は、クリアできると言う絶対の自信の基に責任者である私が行いました。しかし、結果は、15度から20度がクリアできませんでした。そのため、申請した精度を少し下げ、なんとか現地検査を通過できました。私としては納得できなかったのですが、ISO17025の取得は絶対命令です。既に昨年は目標を達成できなかったのです。そして今年も・・・・、と頭をよぎったのです。

現地検査の係官の中に認定機関から校正の専門家として検査官を委嘱された独立行政法人産業技術総合研究所(以下、産総研と略します。)の職員がいらっしゃいました。この方の所属している部門からはアルコール度数測定について色々アドバイスをいただいていましたが、一つの依頼を受けていました。先ほどゲイ・ルサックの換算表にふれましたが、現在、世界的には、アルコール水溶液の濃度と比重の換算は国際アルコール表が使われています。産総研としては、国際間で酒類の取引が行われている現状を考慮し日本も国際アルコール表を国として採用すべきであると考えていました。しかし、換算表の選定は国税庁の所掌事項になっていますから、国税庁が所管する独立行政法人である酒類総合研究所の職員である私から国税庁へ換算表の変更を働きかけてくれと依頼されていたのです。酒類の国際取引に資することでもあり、教えをいただいたこともあり、ちょうど関連する告示の改正が計画されていましたので国税庁が国際アルコール表を採用するように働きかけることを約束しました。しかし、実際に2つの表の差を検討すると困ったことが判明したのです。密度0.97542(密度と比重は同じであると考えてください。)の時、ゲイ・ルサックの表では20.00度になるのですが、国際アルコール表では19.74度にしかならないのです。国内のしょうちゅうメーカーでは20度の商品が多く出荷されています。このまま、国際アルコール表を採用すると私は、しょうちゅうメーカーからたいへんな非難を浴びることになります。20度の商品を造るのにこれまでよりも多くの原酒が必要になるからです。国民のためを考えればこのまま進むべきなのでしょうが、小役人の私にはできない相談でした。変更はできないことを知らせご容赦いただくために産総研に出向きました。理由を説明すると産総研の責任者は、そんなことは無いと申されて、ご自身で換算した値を示されました。なるほど、国際アルコール表もゲイ・ルサックの表も私が先に示したような差はありませんでした。どこかおかしい。計算の根拠となるお互いの換算表を比較して見ました。あれほど衝撃を受けたことはありませんでした。17度から22度の付近の比重が異なっていたのです。表― を見てください。私は最も左欄の国税庁版のゲイ・ルサックで換算していたのですが、産総研では当然、真中の欄の産総研版で計算されていたのです。最大で0.3度(%)産総研版が低くなっています。

これ以外の濃度ではほぼ完璧に2つのゲイ・ルサックの表は合致していました。これで、何故、現地検査の時に申請した精度で測定できなかったかも判明しました。私が測定の基準としたものは国税庁版のゲイ・ルサックですし、検査官の標準は産総研版のそれであったのですから。私の名誉は回復しましたが、ISO17025の測定精度は変えられませんでした。まもなく、新しい校正方法になることがわかっていましたので交渉しなかったからです。2つのゲイ・ルサックの表が生まれた原因ですが、当時の産総研の担当者が問題の濃度範囲が実験値と異なることに気づき修正を加えたのであろうと考えられます。この範囲がアルコール1度当たりの比重変化が小さく測定が難しいことが原因だったのです。実験の腕前が天才的であったと言われるゲイ・ルサックでも150年前の設備や試薬を使わざるを得なかったため、さすがにこの範囲では誤差が大きくなってしまったようです。国税庁版の修正は、かなり以前に行われたようでした。担当者が修正した時に国税庁に連絡していただけたらと思いましたが、省庁の縦割りの弊害とでも申しましょうか、そうならなかったのはお話したとおりです。酒精計の校正に使用する標準器は、産総研がその前進である計量研究所時代からずーと全国へ供給していましたからいまさら国税庁版に変えろとは言えません。酒類業界が混乱するだけですし、産総研版の方が真の値に近いのですから。したがいまして、今日も産総研版のゲイ・ルサックの表で換算されたアルコール度数が表示されています。近い将来、酒類のアルコール度数は、国際アルコール表で換算されたものになると思いますが、変更が発表されない限り関係者以外で気づく人は皆無であると確信しています。

表ー1 国税庁版及び産総研版ゲイ・ルサックと国際アルコール表によるアルコール度数

 密度

国税庁版ゲイ・ルサック

産総研版ゲイ・ルサック

国際アルコール表

0.97832

17.00

16.90

16.86

0.97732

18.00

17.90

17.85

0.97642

19.00

18.80

18.74

0.97542

20.00

19.73

19.74

0.97442

21.00

20.70

20.74

0.97332

22.00

21.80

21.84

 

ロ 日本酒度に関して

技術は日進月歩です。清酒の世界にも新しい技術が流れ込んできます。その中の一つが振動式密度計です。歴史的に日本酒度は、酒精計と同じくように日本酒度計と呼ばれる浮きで測定されてきましたが、価格が手ごろになった振動式密度計も利用されるようになってきました。最新の振動式密度計は、清酒の密度を測定し日本酒度に換算して表示できるように造られています。しかし、しばしば、日本酒度計の測定値と振動式密度計での値とは齟齬が生じていることに気付かされていました。齟齬が生ずる原因については、大方予測が付いていました。日本酒度計は酒精計と同様にズレを持っており補正して使用しているのですが、補正するための校正方法に問題があったのです。ここまでは酒類総合研究所に勤務している時に把握していました。ISO17025の取得で心身ともに疲れ果てた私は、転勤を望み承認されました。札幌国税局鑑定官室が新しい勤務地になりそこで、この問題の解決を試みました。

最初に行ったことは、本当に齟齬が生ずるのか、それもどの程度か知ることでした。市販清酒の調査時に、60点あまりの清酒を日本酒度計で日本酒度を測定すると同時に振動式密度計でも密度を測定し日本酒度に換算して比較してみました。平均して1.5、振動式密度計のほうが高い値を示しました。ほぼ理論から予想した値に近い結果でした。実験により現象の存在を証明し、かつ理論的にその現象を説明できましたので痛快な気分を味わえましたが学会や業界での評価は今ひとつでした。一件だけ、論文が掲載されてすぐに問い合わせがありました。振動式密度計を酒屋さんに売り込もうとしていた業者からでした。これまでは売り込んでも日本酒度計との齟齬を説明できず売り込みに失敗していたのだそうです。論文をコピーして販売促進の資料にしたいということでした。論文の著作権は掲載してくれた醸造学会にありますので、そこから承諾を得るようにお話しました。私の論文が契機になって、振動式密度計が清酒業界へ普及すれば日本酒度計の測定精度はもちろんですが同様に比重を測定するアルコール度数の精度も向上することが見込めますから、消費者の方にも清酒業界のためにも少しは貢献できたのではないだろうかと思っています。

しかし、このことは日本酒度の測定において清酒業界に混乱を招いたかもしれません。どちらの値を採用すべきか酒屋さんが迷ってしまうからです。理論的には振動式密度計の測定値の方が真の値に近いので振動式密度計の値を採用すべきであろうと思います。しかし、商品のスペックとして日本酒度を使っている場合は表示を訂正する必要があるかもしれません。表示上、辛さが増すだけで味に影響はありませんし、また、1.5の差は数字ほど大きくは無いのです。きき酒でどちらが甘いか辛いかをきき当てる場合、2つの酒の日本酒度は、5はなれていませんと我々プロでも間違える事がありますから。

何故、このようなことが起こるかに関しての説明ははなはだ難しいのですが、端的に申し上げれば、表面張力が関係しているのです。表面張力は浮き(日本酒度計)を液面下に引き下げる方向に働きます。この程度がアルコール度数により異なるため起こった現象なのです。当然、アルコール度数測定でも酒精計に表面張力は働きます。そして、汚れていると表面張力が低下してしまいます。酒精計は沈み込んだ方が高いアルコール度数を示すように目盛られていますから酒精計が汚れているとアルコール度数が低く表示されてしまいます。私は、秋田県に奉職中、酒屋さんの酒精計を磨いて回りました。真の値に近づくように、言い換えれば、少しでもアルコールの表示が高くなるように、と考えたからなのです。杜氏さん方に効果のほどを聴く機会がありましたから尋ねてみましたが、みなさん、首をかしげていらっしゃいました。目に見える効果は無かったようです。みなさん結構、酒精計をきれいにされていたのでしょう。

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9 清酒とは                                             

(1)アルコールの立場

清酒を成分に分解して考えれば、アルコールが味覚の中心にあり、周辺には、米の旨味と、麹の旨味、それにアルコール以外の酵母の代謝物がちりばめられている、と捉えることができます。同じようにワインは、アルコールを中心に果実由来の香味成分、アルコール以外の酵母の代謝物及び貯蔵樽の成分に囲まれている、と考えられます。一方、ビール類は、ホップと麦、麦芽の分解物及びアルコール以外の酵母の代謝物が中心にあり、アルコールがそれらを下支えしている、ように考えられます。

このように、酒類には、アルコールが味の表舞台に出ているものと裏方に徹しているものがあります。アルコールが表舞台に出ている酒類の代表は、ブランデー、ウイスキー及び焼酎などの蒸留酒であると思います。醸造酒の中では、清酒及び大部分の果実酒が入ると思います。アルコールが裏方に徹している酒類は、ビール類、低濃度リキュール類及び一部の低濃度果実酒が上げられます。時々、これらの酒類は、清涼飲料ではないか、と思うことはありますが、アルコールは大事な隠し味を担当しています。

(2)アルコール度数のいわれ

現在の市販清酒のアルコール度数は15%が中心ですが、これは、歴史的に製造上の制約から決められてきたように思います。清酒もろみは、現在の優良清酒酵母を使用しますとアルコール度数が20%を超えることも稀ではありませんが、醸造協会が優良清酒酵母を発売する以前の酒造りでは、せいぜい17〜18%だったのでしょう。この酒を数度、木桶に火入れしていたのでその度にアルコールが飛散し市販酒になった時は15%になっていてもおかしくはありません。日本人は製造上の制約から15%くらいの清酒を飲み続け、この濃度に慣れ親しんできたのではないでしょうか。

ワインの場合は、原料のブドウが完熟するとブドウ糖濃度が24〜26%に達しますからアルコール発酵により糖濃度の約半分、12%くらいのアルコール度数の酒になり、この濃度がワインの標準になったのでしょう。ビールは、通常、糖濃度13%くらいの麦汁を製造し発酵させますから5〜6%の酒になるわけです。

また、ウイスキーやブランデーは、アルコール度数を40度付近にしているのは、粘度を意識しているのではないかと推測しています。アルコール水溶液の粘度は、温度の影響を多少受けますがほとんどアルコールの濃度で決まります。アルコール水溶液の濃度と粘度の関係を調べて見ますと40度付近が最も粘度が高くなっています。粘度が高くなると酒にトロっとした感じが生まれ、見た目に美味しそうですよね。このように酒類のアルコール度数はそれなりの意味を持っているのです。

(3)高濃度アルコールに対する対策(やわらぎ水)

それぞれの酒類のアルコール度数にはそこに至る来歴があることをご説明しましたが、清酒は、ちょっとアルコールが高くて飲んだ翌日がつらいとおっしゃる方が多いと思います。このような声に答えるため、日本酒造組合中央会は「やわらぎ水」を推奨しております。翌日のことが心配な方のために徳利の横に水を満たしたグラスを置いておき、清酒とともに水を飲むことを奨めしているのです。この水を「やわらぎ水」と称しています。つまり、おなかの中で低濃度酒にするのです。飲んだ量が同じであれば、翌日の体調には変わりがないのではないかと考えられますが、私の経験ですと違います。飲んでいるときも酔い心地が良いように思いますし、かなり深酒をした翌日の朝もすっきりした気分で起床できるように感じています。深酒をして、夜中に目覚めたときに無性に喉の渇きを覚え、寝ぼけ眼をこすりながらコップに2、3杯の水を飲みます。まさに甘露ですが、やわらぎ水は清酒を飲みながら甘露を味わっていると思ってください。

私は、やわらぎ水に助けられた経験があります。人並みに飲めると思っていたのですが、秋田県に勤務したての頃は酒宴で結構苦労しました。秋田県人のアルコール耐性には、はるかに及ばなかったのです。これは統計的に証明されておりまして日本人の都道府県別アルコール耐性は秋田県がダントツの一位なのです。そんな方々との酒宴でしたから最初は大変でしたが、やわらぎ水をためしたところやっと人並みのお付き合いができるようになりました。

やわらぎ水は、蒸留酒を飲む時にも効果があると思います。今はあまり飲まないのですが、私は、ブランデーもウイスキーも大好きです。飲み方は、氷も入れずストレートで飲むことが多いです。そうすることが、造った人への礼儀のように思えることも一因ですが、何よりもストレートはその酒の持つ香味を堪能できる飲み方であると思われるからです。ウイスキーは水割りがうまいと言われた時代がありました。私の友人でウイスキー会社の技術者が居りますが、彼曰く、良いウイスキーは水でのびる。つまり、良いウイスキーほど加水量を増やしても美味しく飲める、と言うのですが、私には水割りを飲ませたい営業戦略のように思えるのです。蒸留酒は低くてもオンザロックくらいのアルコール濃度が美味しいように感じます。今度、美味しいウイスキーやブランデーに巡り合えたら、やわらぎ水を友に痛飲したいものです。

しかし、蒸留酒の中でもやわらぎ水が必ずしもベストではない酒があります。単式蒸留しょうちゅうです。その中でも、芋しょうちゅうと泡盛に特にそれを感じます。もちろん、ストレートにやわらぎ水の組み合わせも良いのですが、手強い競争相手が「お湯割り」です。お湯割りは、清酒の燗酒に似たところがあり、ストレートでは味わえない何かを感じさせられます。薩摩の黒ジョカで飲む芋しょうちゅうのお湯割りは、芋しょうちゅうの良さがすべて引き出されるように思えます。

また、水割りにも一つ利点があります。香りです。通常、蒸留酒の香りは、加水した方が酒本来の香りを強く感じられるようになるはずです。香りのおもしろさは前にお話しましたが、この現象もその一つです。アルコールは濃度が高い場合、他の香気成分を感じさせなくなる方向に作用するのです。我々はこれをマスキング作用と呼んでおりますが、加水によりアルコールの濃度が下がりマスクが外れます。

(4)清酒の分類

清酒業界の監督官庁である国税庁により消費者の選択に資するよう清酒が分類されています。その分類の基準を清酒の製法品質表示基準と申します。これまでもこの基準で定義されている言葉をご説明せずに使用してきましたが、ここで改めてご紹介しましょう。

イ 吟醸酒

吟醸酒は、「精米歩合60%以下の白米、米こうじ及び水、又はこれらと醸造用アルコールを原料とし、吟味して製造した清酒で、固有の香味及び色沢が良好なもの」と定義されています。

定義の内容について若干説明しましょう。精米歩合60%以下の白米とは、玄米を精米し40%以上を糠とした白米のことです。また、精米歩合を50%以下にした場合は、吟醸の前に「大」を付し大吟醸酒と呼称することができます。

原料は、白米、こうじ、水及び醸造用アルコールです。醸造用アルコールだけは副原料に位置づけされており、使用量の上限が白米重量の10%以下にするように決められています。必ずしも使用する必要はありませんし、使用しない場合は、純米吟醸酒、または吟醸純米酒と呼称することができます。

吟味して製造した清酒とありますのは、いわゆる吟醸造りと申しまして、もろみの最高温度を12℃以下とし低温発酵を行った、と解釈すべきでしょう。

固有の香味及び色沢が良好なもの、とは、香味に優れ、無色か、わずかに黄色味がかった清酒、ととらえるべきです。

ロ 純米酒

定義は、「白米、米こうじ及び水を原料として製造した清酒で、香味及び色沢が良好なもの」とされています。

吟醸酒と比較すると、精米歩合の規定がありません。米の旨味を追求する清酒である純米酒には、色々な清酒が存在してほしいとの考え方からか、精米歩合は規定しない方が良いとの判断があったのでしょう。精米歩合を極端に下げ、純米大吟醸酒として米の旨味と吟醸酒の華やかさを同時に味わえそうですし、逆に、ちょっと精米しただけの玄米のような白米で純米酒を造ったらコクのある酒ができそうですね。しかし、玄米のような白米で造った酒は、たくさんは飲めないと思います。珍しいから飲んでみようという域を出られないのではないでしょうか。コクも「過ぎたれば猶及ばざるがごとし」になってしまうからです。白米は、最も高い精米歩合で65%以下が、こうじ用の白米ならば60%以下が望ましいと思っています。平成17酒造年度の精米歩合の全国平均値は66.6%ですから全体では、私が推奨する精米歩合に近くなっています。しかし、平均値ですから正規分布を仮定すれば半分の原料米は66.6%以上の精米歩合であることになります。清酒業界では、精米歩合が高い白米を黒い米、低い米を白い米と表現することがあります。女性にとって「色の白さは七難隠す。」と言われますが、清酒の原料米にも当てはまります。精米歩合を下げれば製成される清酒は、上品さを増して行きます。かつて私は、技術力で精米歩合の高さを補えると考えていましたが、間違えでした。統計的に清酒は、使用白米の平均精米歩合が72%を超えている普通酒の落ち込みが激しいため全体の消費量が落ち込んでいると言えます。これ以外のジャンルの清酒はそれほど落ち込んでいません。もちろん、清酒の消費量の落ち込みは精米歩合だけで説明できるほど単純ではないのですが、清酒のジャンルの中で比較的価格の安い酒が消費者の嗜好にマッチしていないのは確かです。美味しい純米酒を飲もうと思われるのでしたら、精米歩合は60%以下の商品をお求めになることをお勧めします。

もう一つ、純米酒が、吟醸酒と異なっている点は、吟醸造りを強いられていないことです。もろみの発酵温度を高くとることができます。それにより、バラエティ豊かな純米酒を造ることができるのです。

また、酒屋さんがいくつかの純米酒の商品を持っている場合、その中で、特に、香味の優れているものを特別純米酒とすることができます。

純米酒は、清酒全体の消費が減退する中で減少幅は一番小さく、清酒の中では最も消費者に好まれているジャンルです。しかし、私を含め、清酒のプロである鑑定官は、純米酒より少量アルコールを添加した酒を好むのです。この原因がわかれば清酒需要の回復の一助になりそうですが?

ハ 本醸造酒

定義は、「精米歩合70%以下の白米、米こうじ、醸造アルコール及び水を原料として製造した清酒で、香味及び色沢が良好なもの」とされています。

吟醸酒と比較すると、精米歩合の上限が10%高く、吟醸造りは義務付けられておりません。普通の清酒よりやや高級な酒という位置付をされています。醸造用アルコールの使用量は吟醸酒と同じく原料白米重量の10%以下に制限されています。

先ほど申し上げましたように少量のアルコール添加をした清酒が好みですから本醸造酒は私の好みのジャンルですけれども吟醸酒や純米酒と比較すると市場での評価は、一番低くなっています。若干高級感に欠け、価格に割安感がないのでしょうか。お燗をして飲むには最適なジャンルであると思っているのですが。

なお、純米酒と同様に、酒屋さんがいくつかの本醸造酒の商品を持っている場合、その中で、特に、香味の優れているものを特別本醸造酒とすることができます。

ニ 特定名称清酒

これまで述べてきた吟醸酒、純米酒及び本醸造酒を合わせて特定名称清酒と称し、その他の清酒は、普通酒と呼んでいます。

特定名称清酒には、共通の義務が課せられています。一つは、精米歩合をラベルに付記しなければならないこと、もう一つは、原料米は、農産物検査法での3等以上のお米を使用しなければならないことです。

したがって、国税庁の定義によれば、純米大吟醸酒は最も高級な清酒であり、以下、大吟醸酒、純米吟醸酒、吟醸酒、特別純米酒、純米酒、特別本醸造酒、本醸造酒、普通酒の順に清酒のランク分けが確立していることをご理解いただけることと存じます。

このように、清酒の製法品質表示基準によれば酒屋さんによらず一定の酒質の清酒であることがわかりますから、購入する場合の目安として大変役に立ちます。ごく希に、個性の強い酒屋さんがありますので完璧とは言えませんが、ランクなりの酒質は保証されている、とお考え下さい。

もう一つ、購入する場合のお勧めチェック項目があります。日付です。これまで、多くの市販清酒をきき酒する機会を得ましたが、残念ながら、特定名称清酒の中でも酒質に問題有りとする清酒に時々出会いました。それらに共通する点があります。蔵で瓶詰めされてからの日数が大幅に経過しているのです。大体、瓶詰め後、3ヶ月を過ぎた当たりから色々な問題が生じて来るようでした。私は、清酒は生鮮食品である、と考えていますので、清酒の酒質は、酒蔵を出た時が最高であると思っています。もちろん、販売エリヤが全国に広がる大手の酒屋さんでは、酒質が変化しないように配慮して出荷されているようですから、大手の商品はそれほど日付を気にしなくとも良いでしょう。チーフブレンダーがしっかりと酒質の管理をしていると考えられるからです。

他にも日付を気にしなくて良い酒があります。当然のことですが熟成を売り物にしている清酒に関しては、瓶詰日付はそれほど重要にはならないでしょう。

ホ 純米酒とアル添酒、どちらが旨い

先ほど申しました純米酒とアル添酒の優劣について考えてみましょう。純米酒は濃い酒の代表と言われます。アルコール添加した酒いわゆるアル添酒はうすく美味しさにかけると言われることがあります。私は逆で、アル添酒の方が味のバランスがとれていて同じように醸造された純米酒と飲み比べた場合、純米酒より美味しく感じられる、と申しました。これを説明するために酵母がもろみ中でどのくらい汗を流してアルコール発酵したかを調べてみましょう。国税庁が公開しております平成16酒造年度全国清酒製造状況調査のデータによりますと、純米酒のもろみ中で酵母は、白米1トン当たり386リットルのアルコールを生産し、アルコール添加酒の代表である本醸造酒のもろみでは、酵母は366リットルを生産しています。白米1トン当たり純米酒の方が20リットル余分にアルコールを生産していることになります。したがって酒を造る際に酵母にかかるストレスは純米酒の方がアル添酒より大きいのです。もろみの末期になると、酵母は背負わされるストレスにより死滅率が上昇しますし、死なないまでもストレスにより味に悪影響を及ぼす物質を放出してしまう可能性があります。ですから、醸造する条件が変わらなければ通常はアル添酒の方が純米酒より美味しいはずなのです。ワインでは、逆にシュール・リーと称し酵母を死滅させ生ずるペプチド等の旨味成分で味の深みを付与する製造方法がありますが、アミノ酸度の高い清酒はすでに十分なペプチド等の旨味成分を含有しており、これらの成分は少ない方が美味しいお酒と評価されます。

また、アルコールをもろみに添加しますと当然のことながらアルコール度数が上がります。上がったことにより、純米酒にした場合は上槽時に酒粕に吸着される香気成分が、清酒中に抽出される可能性があります。この点からも酒質に関しては、アル添酒に凱歌が上がるのですが、現実は違っています。

ついでに申し上げますと、ワインもアル添することがあり、フォーティファイド(力づけるの意)と称されアルコール度数の高いワインを得る場合などに行われます。この場合、添加されるアルコールはブランデーです。

(5)清酒アラカルト

特定名称清酒以外にも清酒には色々な種類、分類方法があります。思いつくままにそれらについて記述してみました。

イ 古酒と新酒

一般的には、上槽したての清酒を新酒と称し、夏を越し程よく熟成した酒を古酒と称します。しかし、技術の進歩でこの定義も怪しくなってきました。9月に新酒ができるようになったのです。大手の酒屋さんの中には以前から一年中清酒を造っている社がありますが、最近では、冷房技術が発達し地方の小さな酒屋さんも一年中造れるようになったのです。

杉玉あるいは酒琳をご存知でしょうか。かつては、酒屋さんでは新酒ができたことを知らせるために店頭に吊るしたものです。そして、吊るした杉玉が緑から褐色に変化すると飲み頃です、のサインになったのです。清酒業界は古来、消費者に杉玉の色で蔵内の酒質を知らせていたのです。しかし、最近は、何年も吊るされているような褐色の杉玉を見かけたり、吊るしておられない酒屋さんもあったりします。

では、清酒は、どのくらい熟成させるのが良いのでしょうか。それは、熟成させる酒と熟成環境によります。お燗して美味しい本醸造や普通酒クラスの清酒では、冬季に造られ夏を常温で越せば秋口から翌年のお正月あたりが一番の飲み頃でしょうか。吟醸クラスで夏を30℃以下で貯蔵されたのであれば、秋口から美味しく飲めますし、以降は、益々熟成による美味しさが加わってゆくと考えられます。現在の大吟醸酒は、鑑評会のところで触れましたようにフレッシュさを保つように5℃以下の低温貯蔵が大前提です。そのように貯蔵すると美味しさが持続します。協会9号系の酵母で造られた香りが穏やかな一時代前の大吟醸酒は、低温でも常温でもそれなりに熟成し美味しく飲むことができます。殊に常温長期貯蔵によりその真価が発揮されるものがあります。正に、究極の清酒がこの範疇に入ると考えております。

ロ 貴醸酒

熟成が進むと益々美味しくなる清酒の中で超甘口の酒があります。これが貴醸酒です。造り方は古来中国の老酒で行われていた方法を清酒向けに改良したものです。通常の清酒醸造では水を用いてもろみを湧かしますが、貴醸酒では水の一部に純米酒を使用します。このように仕込みますと、留仕込が終了した時点でもろみ中に相当量のアルコールが含有されることになりますから、酵母の発酵力が若干低下します。その結果、でき上がった清酒は、発酵が緩慢なためアルコール度数が低く、ぶどう糖が残った甘い酒になり、もろみ中の酵母は相当なストレスを受けることになるので酸度やアミノ酸度も通常のもろみの倍くらいになります。新酒の内でも甘く味の濃い清酒で食前酒としては最高ですが、やはり、常温で2年以上熟成させたものにはかないません。国税庁醸造試験場で発明されましたが、今ではそれほど販売量が多いとは言えない状況です。しかし、これは通常の清酒と同じコンセプトで販売されてきた結果ではないかと思います。貴醸酒は、甘口の熟成酒として最高です。乾杯の時の酒、梅酒が飲まれているTPOなどこれまでの清酒の消費形態とは異なる機会で提供すればニッチ商品であるとは思いますが、大幅な消費量の拡大が見込まれると想像できます。

ハ 活性清酒とにごり酒

もろみの一部が清酒に混入したように白濁した活性清酒やにごり酒などを清酒の新製品と捉えますと、戦後最大のヒット商品と言えます。もろみを評価する時は、もろみを口にしますので私には、活性清酒やにごり酒に対峙しますと仕事をしているような気がしたり、これは半製品であるという意識が起こります。そのため、活性清酒の類は好きになれないのですが、一部の清酒党の方々には、どぶろくへのノスタルジーか、白濁した色合いのおもしろさか、時として微量な炭酸ガスのさわやかな味わいか、わかりませんが結構人気があります。

言うまでも無く清酒は、澄み酒という意味合いを持っています。また、法律上の清酒の定義も、米、米こうじ、水を原料として発酵させて“こしたもの”、です。 “こしたもの”でなければ清酒ではなくなってしまいますので、活性清酒やにごり酒とて“こさなければ”なりません。そのため上槽する(こす)場合は、通常より目の粗い布や金網などを利用します。また、上槽直前にはもろみにミキサー代わりの攪拌機を投入して発酵中に溶け残った蒸米とこうじ米を粉砕して効率よく“こせる”ようにしておきます。このような上槽方法をとりますから米の粒子を含みながら滑らかな舌触りが実現できます。

活性清酒やにごり酒は、酵母が酒中で生きているか否かにより2種類に大別されます。活性を謳っている場合は、上槽したままの清酒をそのまま商品としたものが大半であると考えられます。この場合は、気をつけなければならない事があります。再発酵の可能性があるからです。既に経験がある方がいらっしゃるかもしれませんが、購入した活性清酒を開栓した途端、炭酸ガスとともに中身があふれ出たり、激しい再発酵のために瓶内の圧力が高まり栓が飛ばされることがあります。酒屋さんにも製造物責任法が適用されますのでこのような事故が発生した場合は大変です。ですから、活性清酒中の酵母の活力を適度に低下させることが必要で、そのためのノウハウが存在します。また、このような事故をまったく起こさせないようにすることもできます。それは、瓶詰め後、火入れを行い清酒中の酵母を完全に殺菌してしまうのです。このようにすれば酒質も安定し長時間美味しさを保つことができます。にごり酒はこの様に造られている清酒が多いかもしれません。しかし、火入れをしますと、どうしてもフレッシュさが欠けるように感じます。活性清酒やにごり酒を購入する前には、火入れしているか否かをご確認いただき、お好みにあった商品をお求めいただくようにお勧めします。

ニ 生酒と生貯蔵酒

低温貯蔵と濾過技術の発展により火入れ殺菌をせず生酒のままでの出荷が可能になりました。火入れ殺菌を行わず低温で貯蔵しますからフレッシュさが損なわれず、上槽したての(こしたての、または、しぼりたての)清酒が味わえるため多くの生酒ファンを獲得することができました。活性清酒やにごり酒と同様に、清酒業界の新商品としては大ヒットの一つです。しかし、生酒で流通させるには危険が伴います。瓶詰め段階で濾過により完全に火落菌を濾し取ったとしても一匹でも混入していれば時間の経過とともに増殖し酒質を損なう恐れがあるのです。こんな心配を解消し、かつ生酒の持つ本来の味わいも楽しんでもらおうという意図で開発されたのが生貯蔵酒です。言葉のとおり、生で貯蔵しますが、瓶詰め時に火入れ殺菌するのです。こうすることにより火落菌混入の回避と生酒の味わいを両立させることに成功したのです。しかし、一つ欠点があります。火入れすることにより酒中の蛋白質が熱で変性し酒中に溶解し難くなってしまうのです。ですから、生貯蔵酒にはしばしばオリが出現することがあります。にごり酒と異なり、澄み酒を期待しているみなさんからは嫌われるかもしれませんが、製造上の問題があるわけではありませんので、どうか、オリのことは気になさらずに味わってください。通常の清酒であれば火入れの後、長時間貯蔵しますからこの間にオリが下がり、瓶詰めの際にこし取ることができるので商品にオリが出現することはありません。

ここで火落菌に関するおもしろいお話を一つ。先輩の鑑定官が言っていたことですが、火落菌に侵された酒なのにすごく美味しい酒がある、のだそうです。私はあまり論理的ではないと思っているのですが、賛同する鑑定官もあります。その酒は“星の入った酒”、と言い、火落菌が繁殖しているのですが肉眼で混濁が確認できるようになる直前の清酒のことを表すのだそうです。ひょっとして生酒ファンの中には“星の入った酒”にめぐり合いやみつきになった方がいらっしゃるかもしれません。確かに、澄明な清酒を瓶ごと振り回した途端、白濁したことがありました。これは、火落菌が目視できない程度に繁殖していて振動など何らかの刺激が加えられることにより一気にお互いにくっつき合ってオリとなる現象ですが、この酒は“星の入った酒”と言えるのでしょうか。しかし、美味いかどうかまでは確認していません。

ホ 発泡性清酒

清酒に発泡性を持たせたすず音という商品が売れています。かつて、清酒業界全体で発泡性を売り物にしたパンチメートという商品を開発し発売したこともありましたが失敗しました。その後もいくつかの酒屋さんで発泡性清酒が発売されましたがいつの間にか消えてしまいました。清酒と発泡性は相容れないものなのかと考えていましたが、すず音が成功し清酒でも発泡性の商品は可能であることが証明されました。

発泡性酒類を造る方法は大きく分けると二つあります。一つは、発酵途中で容器を密栓または圧力がかかるようにしておくのです。そうすることにより発生した炭酸ガスをもろみや酒の中に溶け込ませることができます。どのくらいの炭酸ガスを発生させるのか難しい制御をしなければなりませんし、発酵した酵母がオリになって残りますからこれをどう処理するかなど難しい問題があります。しかし、製品は、泡持ちが良く、細かな泡が静かに立ち上るところはとてもきれいで大変魅力を感じさせます。もう一つは瓶詰め時に炭酸ガスを酒中に吹き込み溶け込ませる方法です。前者の代表が、すず音、ビール及びシャンパン、後者の代表が酒ではありませんがいわゆる炭酸飲料です。後者の長所は、カーボネーターという装置があれば簡単に発泡性飲料を造れるところです。

これまでのところ清酒の世界では、製造が難しい発酵ガス封じ込め法に軍配が上がっていますので造るとすればこの方法に寄るべきでしょう。幸い、2006年5月から酒税法が改正され、ぶどう糖のもろみへの添加が認められましたので今までより簡単に発酵ガス封じ込め法の発泡性清酒の製造ができるようになりました。どこかで大々的に安い発泡性の清酒を造っていただけませんかね。

ヘ 生一本

昔は、“灘の生一本”として使われていましたが、今日では自家で醸造した純米酒を意味する名称になっています。最近では珍しくなりましたが、清酒が不足していた昭和60年以前は、酒屋さんの間で桶単位での原酒の売買が行われていました。今様に表現すればOEMが盛んに行われていました。そのようなことがあったため自社で製造した純米酒と桶で購入した純米酒を区別したかったのでしょう。

ト 色を売る

清酒は、色を楽しむ酒ではないと申し上げましたが、諸先輩のご努力でニッチ商品ではありますが色つきの清酒が発売されていますのでいくつか紹介します。

(イ)こうじの色素を利用

こうじ菌の中に赤い色素を生産するものがありその色素を利用して清酒を赤色にします。現在、この色素は天然の赤色色素として食品の着色に応用されています。新潟県醸造試験場の発明であり、日本で最初に清酒の着色に成功した商品です。

(ロ)アデニン要求性の酵母の利用

アデニンという物質が存在すると発育が促進される酵母が居ります。アデニンが無い時には生育は遅れますが、菌体内に赤色色素を造りアデニンの代用をさせます。この酵母が生産する赤色色素を利用すれば赤い酒が造れます。国税庁醸造試験場が発明した酵母ですが、私はこのために冷や汗をかかされた経験があります。当時は、国税庁醸造試験所が発明したものは、鑑定官が希望する酒屋さんへ臨場して醸造指導を行うようになっていました。そうすることで技術移転が円滑に行われたのです。私も、とある酒屋さんに指導にうかがったのです。そして第一回目は、みごと失敗しました。赤くならなかったのです。赤くなったのは私の顔の方でした。原因は、指導が悪かったのではなく、国税庁醸造試験場の処方に不備な点があり、他の酵母に汚染されてアデニン要求性の酵母の純度が100%にならなかったのです。2回目にやっと真っ赤なもろみを造り信頼を取り戻すことができました。この酒屋さんでは、以来、赤いにごり酒と通常の白いにごり酒との紅白セットを販売しておられるはずです。

(ハ)米の色素を利用

現在は古代米のブームで赤や紫色の玄米が存在することをご存知の方も多いと思います。この色素を利用して清酒を着色します。

以上が色を特徴とした清酒ですが、すべてが赤色系統の色です。先輩の中には緑色の清酒があれば大三元の酒として販売できるのに、と冗談半分におっしゃった方がいました。赤色を造るのは比較的簡単なのですが緑や青は難しいのです。また、色素は退色しますが、上記の清酒の色も例外ではありません。特に日光に当てると退色速度が増します。購入されたら早期の消費をお勧めします。

チ 凍結酒

清酒も凍ることをご存知でしょうか。100%アルコールの凝固点(融点)は−117℃ですが、酒類の凝固点はアルコール度数にマイナスを付した温度に近いと言われています。すなわち、清酒は−15℃、ビール類は−5℃等です。清酒は、凝固点より少し低い温度環境におきますと一度に全体が凍るのではなく徐々に凍っていきます。凍った部分は純粋な水に近いので、液体の部分はアルコール度数が上昇することになります。適当なところで固液分離を行い、氷の部分を溶解すると、濃度の異なる2つの清酒ができます。すなわち、凍らなかった部分はアルコール濃度が高く、凍った部分は低濃度酒になります。理論的には100%近い濃度の清酒と0%に近い清酒ができますが、2006年の酒税法改正で22%以上のアルコール度数の酒は清酒として認められなくなりましたので現在では、高濃度側の最高のアルコール濃度は21.9%にしなければなりません。

凍結酒の製造方法は、現在は特許切れになっていますが、私が国税庁に入庁して間もない頃特許として認められたと記憶しています。しかし、既に戦前には、清酒を部分凍結させ濃度の異なる清酒を造ることは知られていたようです。大正時代から昭和の初め頃までは、清酒業界は最先端の産業であったのです。今日で言えばバイオ産業のような位置にあったと考えられます。清酒業界には優秀な人材がたくさん集まっていました。その方々が懸命に研究活動をされたので今日の清酒醸造の技術的な礎ができたと言っても過言ではないでしょう。清酒の研究論文が多く掲載される醸造協会誌という雑誌がありますが、これは新しい発見や発明だなと思い、念のため醸造協会誌をあたると既に発表されていることがほとんどです、それも何十年前に。凍結酒のことを考えるにつけ、昔の鑑定官並びに清酒に関連した技術者の有能さを思い知らされます。

リ 清酒をベースとしたリキュールとスピリッツ

清酒業界は、パンチメートと同じように清酒をベースとしたリキュールとスピリッツを開発したことがありましたが、失敗でした。現在、清酒ベースのリキュールで最大の販売量があるのは梅酒ではないでしょうか。しかし、爆発的に売れているわけではありません。私は、しょうがを使った清酒リキュールを造ってみましたが、評判は思わしくありませんでした。清酒は、淡麗な味わいの酒なのですが何故かリキュールやスピリッツのベースには向いていないようです。しかし、地域の特産品と清酒を組み合わせたリキュール及びスピリッツでお土産になるニッチ商品を造ることは可能であると思います。

ヌ 骨酒とヒレ酒

清酒ベースのリキュールやスピリッツに近いジャンルのものが昔からありました。骨酒やヒレ酒です。これらは美味しい酒の代名詞になっていますが、本当にそうなのかずっと疑問に感じていました。30年位前に岩魚の骨酒を飲んだことがあります。九谷焼のやや深みのある美しい大皿に焼かれた立派な岩魚が盛られて、そこに熱燗が注ぎ込まれました。宴席に居た全員で回し飲みされました。一同が骨酒を味わった後に岩魚が解体され岩魚と残った熱燗を再び全員で味わったと記憶しています。骨酒党の方は、涎がたれてきそうですね。しかし、特別美味しかったという記憶がありません。逆にもったいなかった、別々に味わった方が美味しかったのでは、という思いが残っています。

ある時、ふとその原因がわかったように思いました。骨酒は美味しいと言われ続けてきたのですが、問題は骨酒にする清酒に原因していたのではないのかと考えたのです。昔の清酒は、酸度が高く、エキス分が少ない超辛口であったと推察できます。したがって、酸度が少なくなって甘く感じられるようになると美味しくなったのではないでしょうか。先ほどの岩魚の骨酒のような飲み方をすれば、魚からアミンやカルシュームなどのアルカリ性成分が清酒に溶け込んできます。明治時代以前の清酒では、酸度が低下し甘く、旨く感じられるようになった、と考えられます。しかし、現在の清酒はもちろんのこと30年前の清酒であっても酸度は、明治時代の半分程度なので酸度が下がっても美味しくはならず、逆に酸度が低いためにボケたようになってしまい想像していたほどの感激がなかったのではないかと推測しています。

同様のことがヒレ酒にも言えるのではないでしょうか。火であぶったヒレを用いるということは、主成分であるカルシュームを清酒中に溶けやすくしているように思います。

骨酒やヒレ酒ファンは、独特の香味がお好きなのでしょうが、一般の方は、魚と清酒は別々に食し胃の中で一緒にした方が良いのではないでしょうか。

ル 低アルコール濃度酒

現在販売されている低アルコール濃度酒の代表は先にお話しました発泡酒でもある“すず音”ですが、これに続くものは東京近郊の酒屋さんのグループが統一商標を持っている“やわくち”と“吟の舞“ではないかと推測しています。清酒のアルコール濃度を下げた場合、どのようにして薄さをカバーするか難しい問題です。すず音は炭酸ガス、吟の舞は吟醸香で薄さをカバーしているように思われます。やわ口は、もろみ中でアルコール度数を低下させるため数度に分けて水を加えますが、同時にこうじ米も加える操作を繰り返しこうじから出現する味で薄さをカバーしています。ここ30年清酒技術者が全員で低濃度酒を研究対象としてきて、その結果、商品として生き残っているものが3つですから清酒の低アルコール化は如何に難しいかご理解いただけることと存じます。

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10 大量飲酒の危険性                                     

 アルコールの暗黒の面にも触れる義務があると思いますので、最後に取り上げました。

アルコールを大量に摂取した場合の危険性は、急性と慢性とがあります。アルコールを飲み始めて日の浅い若者が陥りやすいのが急性のアルコール中毒です。一気飲みをした時などに発症します。飲酒により血液中のアルコール濃度が上昇しますと、その濃度により脳は様々に影響を受けます。通常、大脳表面は、内側から沸き上がってくる様々な欲望を抑圧し紳士淑女たる態度を取らせるように活動しています。この部分がアルコールで少し麻痺した段階が、いわゆるほろ酔いです。普段は抑圧している数々の感情が表れやすくなります。本音で話ができ有意義な時間をもてる段階でもあります。この位で止めておかなければならないのですが、さらに飲酒量を増加させると血中のアルコール濃度が上昇しそれに伴ってどんどん脳の深部が麻痺してゆき、酩酊、泥酔を経て昏睡状態に陥ってしまいます。昏睡状態になるということは、脳の最深部で生命活動に欠かせない呼吸を制御する部分などが十分な活動ができなくなってしまった状態であると考えられます。最悪の場合は生命活動が維持できなくなり死に至ります。ですから、一気のみを強要することは、殺人罪を犯すことになりかねないのです。アルコール飲料を楽しむときは、命の危険すら持ち合わせていることを常に心のどこかに持っていただきたいものです。血中アルコール濃度と身体への影響については、おおよそ表ー2血中アルコール濃度と身体への影響のように言われております。

(表―2 血中アルコール濃度と身体への影響)

慢性は、みなさまご存じのアルコール中毒です。その恐ろしさは十分ご存じのことと思いますので今更説明はいたしませんが、だれでも中毒になる可能性があることをお示ししましょう。私たちの職場は仕事柄、酒に接する機会が多いので、アルコール中毒を患った先輩を何人か知っております。この人達に共通するのは、お酒に強いことです。彼らほどお酒を飲んだら、若い頃の私はアルコール中毒になる前に他の内臓疾患で入院することになったでしょう。不適切な表現かもしれませんが、アル中になるにもアルコール耐性と言う素質が必要なのだ、と考えていました。私にはそんな素質はないからアル中には成れない、とつい最近まで思っていました。しかし、恐ろしいことに素質は改善?されることを知りました。私は、年とともに、飲めるようになってきたのです。若い時は頻繁に二日酔いになったのですが、最近は飲酒の翌日に気分が悪くなることがめったにありません。しかし、喜ぶべきことではないのです。アルコールを代謝し体外へ排泄する機能が増したのではないのです。私の様な状態を医学的には、「アセトアルデヒド耐性が増した状態」と申すのだそうです。決して良いことではないと言われました。何故でしょうか。アルコールは大きく2段階で代謝されます。第一段階でアセトアルデヒドが生成され第二段階でこのアセトアルデヒドが炭酸ガスと水へ分解されるのです。問題は第一段階で生成されるアセトアルデヒドでこの物質の血中濃度が高くなると気分が悪くなるなど二日酔いの症状が出現し、酒が飲めなくなるのです。もともと酒に強い方は第二段階の代謝速度が速いため血中のアセトアルデヒド濃度が飲酒している間、低いのです。ですからお酒に強かったのです。私はもともと第二段階の速度が遅くアセトアルデヒドがたまるような体質でした。それが、長年の飲酒習慣により徐々にアセトアルデヒドに対し耐性を獲得していったのです。つまり、セトアルデヒドの作用に対し鈍感になったのです。本人にしてみれば美味しいお酒をたくさん飲めるようになって良かったと考えていました。しかし、アセトアルデヒド耐性を獲得したと言うことは大量に飲酒すると血中のアセトアルデヒド濃度が高くなることを意味します。その結果、沸騰点が20℃と体温より低いアセトアルデヒドは、肺で酸素と炭酸ガスを交換する時に血中から呼気中に蒸発してくるのだそうです。気分を悪くさせるような毒性を持ったアルアセトアルデヒドの蒸気が呼気とともに肺から鼻へと上がってくるのです。私の先輩で首の付近の癌に罹った先輩がかなりの比率でいらっしゃいます。この事実を知らされた時、予想している死因をこれまでの肝臓がんから咽頭癌に変えました。肝臓がんにしていたのは、かつて肝炎と腎炎を併発し九死に一生をえたからです。しかし、現在はまた肝臓がんにしています。それは、一つの事実を知ったからです。発癌した先輩はすべてヘビースモーカーでした。アセトアルデヒドと紫煙に含まれる発癌物質の相互作用が癌を誘発している、と考える方が合理的だからです。70歳くらいまでの先輩は非喫煙者が多く、この人たちには喉頭癌を発症する人がいないのです。しかし、一難去ってまた一難、現在の私はアル中になれる素質を有してしまったのです。私と同様に年をとって昔より飲酒量が増えた方はアル中を心配しなければならないのです。喉頭癌が恐ろしければ、もちろん喫煙も控えるべきなのです。

なお、アルコール耐性をお持ちで若いころから酒に強くアル中の素質を有しておられる方は喉頭癌に罹る可能性は低いと思います。このような方に共通した飲酒量の変遷があります。若いころ酒に強く加齢とともに酒量が下がってきているはずです。昔はもっと飲めたのに、とおっしゃる方はアセトアルデヒドの害ではなくアル中のみを心配するべきなのです。しかし、喫煙による喉頭がんに罹るリスクは、無くなることはありませんからご用心下さい。

最後は少し怖い話をしましたが、冒頭申し上げましたように適正飲酒を心がけ清酒を生涯の友として美味しい食事を通して楽しい人生を送ろうではありませんか。

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清酒の魅力

目次

1 酒類と健康
2 清酒と健康(清酒を愛飲すれば健康に良い。)

3 「リフレッシュ力」から見えてくる清酒の需要
4 清酒を評価する
5 きき酒
6 究極の清酒
7 酒質の辛口化
8 清酒を造る
9 清酒とは
10 大量飲酒の危険性