『ネギま』と俺   (8)異なる世界

 

 

 

 俺が見た交通事故の夢について説明し、クウネルに記憶を覗いてもらった。

 クウネルの推論を聞くために、もう一度地下を訪れたのは、それから一週間ほど経ってからの事だ。

 彼の入れたハーブティーを飲みながら詳しい説明を受ける。

「結論から言えば、やはり、交通事故が原因でこちらへ跳ばされたようですね」

「そうですか……」

「勘違いされても困りますが、こちらで交通事故にあったからと言って、元の世界に戻れるわけではありませんよ」

「わかってます。さすがに試す気はないですし」

 苦笑しながら答えた。

 危険度の割に、成功確率はとても低そうだ。

「あなたの転移について、仮説を立ててみました。あなたの肉体が転移した確率は、非常に低いと見ています」

「肉体……ですか?」

「まず、転移後にあなたの身体は怪我をしていなかった。その事から考えて、事故の衝撃で肉体が転移した可能性はありません」

「はい」

「事故の危険を回避するために、別な世界へ跳んでしまった可能性も極めて低いでしょう。そのような能力があれば、これまでにも機会だけはあったはずです」

「大怪我はしなかったけど、スクーターでガードレールにぶつかって転んだ事ならありました」

「それらを考えると、事故のショックで魂か精神が乖離したと考えるのが妥当ではないでしょうか」

「魂か精神だけ……ですか?」

 クウネルの表情から笑みが消えた。

「あなた自身も予感しているようですが、あなたの肉体はその事故によって死んでいる可能性もあります」

 それはあまり考えたくない推論だった。

「以前の仮定にもありましたが、この『ネギま』世界が想念や幻想によるものならば、あなたの魂が潜り込めたというのも納得できるでしょう」

「そうですね。肉体ごとなら無理そうだけど、魂だけならマンガの中に入り込む事も、納得できる気がします」

「眠っているあなたが見ている夢という説も、現実味を帯びてきました」

「……はい」

「そうなると、あなたを『向こう側』へ送る事には問題があります」

「問題がある? それって、戻る方法はわかってるって事ですか? 戻れるんですか?」

 さらっと告げられた言葉に思わず尋ね返していた。

「戻すだけなら可能でしょう。ですが、問題となるのは、帰った後の事です。あなたが眠っているだけなら問題はありません。向こう側の世界で目を覚ませば終わりです。しかし、あなたが死亡していたなら、戻るべき肉体を失っている事になります。最悪の場合は、幽霊となって永遠に彷徨うかもしれません」

「事前に確認はできないんですか?」

「あなたが記憶していない以上、私には知る事ができないんですよ。現段階では、どちらの結果になるか五分五分の確率でしょう。戻ろうとするのなら……ですが」

「……え?」

 恐ろしい重圧を受けていた俺は、クウネルの言葉に虚を突かれた。

「あなたは必ずしも、命をチップにして賭けを行う必要はありません。ここへ残るという選択肢もあるのですから」

「ここへ残る?」

 それは麻帆良学園へ来た当初に放棄した考えだった。

「魔法使いは人助けが信条ですからね。学園長には経済的な援助をしてもらえるように、私からも頼んでおきましょう。ですから、残った後の生活を心配する必要もありません」

「だけど、ここへ残るとすると、向こうの人間とはもう会えなくなるんですよね?」

「その点については、諦めてもらうしかないでしょう。肉親にも知人にも再会する事はかないません。メリットもデメリットも織り込んで、自分が納得できる決断を下してください。誰も強制はしません。決めるのはあなたです」

「そんな事を急に言われても……」

 あまりにも唐突で、かつ重大な命題を突きつけられて、とても決められそうにない。

 命懸けなんてマンガの中ではありふれたシチュエーションかも知れないが、俺にとっては初めての経験なのだ。

 考えてみた事すらない。

「残念ですが、与えられる時間はあまり多くありません」

「なぜですか?」

「世界を越える魔法ともなると、世界樹の力が必要となります。決断の期限は学園祭の最終日までです。次の機会を待っていたら、あなたの体が衰弱してしまうでしょう。本体と言える肉体が存在し、時間の流れが同じだと仮定するなら、ですが」

「…………」

 とてもじゃないが、俺は選択したいという意欲すらわかなかった。

 どうしてこんな事になったのか。

 どうしてこんな事をしなければならないのか。

 答えの出ない疑問や、何の役にも立たない不満が、心を埋め尽くしてしまう。

「今の私は、この世界が架空のものかも知れないと信じ始めています。この世界に生まれついたはずの私がです。……あなたの記憶を覗いたからですよ」

「『ネギま』を読んだんですか?」

 俺の質問にクウネルが苦笑した。

「単行本を読んでいただいた方がありがたかったですね。週刊連載では記憶を辿るのが難しいんですよ」

 それはそうだろう。通勤途中の電車とか昼休みに読んでいたため、読んだ時刻も特定できない。

「私はあなたの目と耳を通して向こうの世界を垣間見ました。酷く辛辣で、無味乾燥な、こことはまるで違う世界を」

「そんなに違いますか? 魔法の有る無しだけでしょう?」

「逆に、あなたはどう思いました? この世界に安らぎを感じる事はありませんでしたか? 温かいとか、柔らかいという印象を受けませんでしたか?」

「少しぐらいは。どこがどうってわけじゃなくて、何となくですけど」

「おそらく、それが最大の違いなんですよ。この世界にも不幸は存在しますが、それは救われる事が前提となっている気がします。ネギ君の不幸も、アスナさんの不幸も、乗り越える事が約束された試練に思えます」

「こう言っちゃなんですけど、『ネギま』を読んでいて、処罰が甘いとか、魔法の秘匿が雑だとか、ご都合主義だと感じたことは良くありました」

「フフフ。当然そうなるでしょうね。ここは、そんな風に創られているんですよ。頑張った者が報われて、正しい事が認められる世界。当然ですね。夢物語にまで、嫌な現実を持ち込みたくないでしょうから。ここは誰かが願い、そして、誰かの憧れた世界なんですよ」

「夢の世界ってところですか」

「あなたがそう感じるなら、ここは夢の世界なのでしょう。私にとっては、自分を取り巻く唯一の世界にすぎません。ですが、私はこの世界を好ましいと思っています」

 クウネルが見せたのはとても素直な笑顔だった。

「どうして、そんな話をしたんですか?」

「よく考えて欲しいと思ったんですよ。苛酷な『現実世界』とは、本当に戻るべき価値があるのでしょうか? あなたはこの優しい世界で、もう一度新しい生き方を選べるんです。『向こう側』との決別は、嘆くような不幸ではなく、素晴らしいチャンスなのかもしれませんよ」

 

 

 

 そうそう。ヘルマン男爵について。

 学園長は麻帆良学園に厳重な警戒態勢を敷いていた。残念ながら、いつ潜入されるか俺が知らなかったので、魔法先生や魔法生徒の負担は重くなったらしい。

 最初に発見できた予兆は、小太郎が変化した犬だった。

 傷を負っていた彼の治療を行い、ヘルマンの存在と目的を知り、警戒がさらに強まる。

 エヴァンジェリンは悪魔達の侵入に気づきながらも、これを黙認。学園側には伏せたままネギにぶつけるつもりだった。

 そのため、3−Aの生徒がさらわれるなど後手に回ってしまったが、高畑先生が説得してネギを思いとどまらせると、魔法先生達がヘルマンと対決した。

 言ってしまえば、この時点のネギですら倒せる相手なので、問題なく処理できたようだ。

 思い通りにいかなかったため、エヴァンジェリンは不機嫌だったらしい。

 俺の知らない所で、全ては終わっていた。

 ただひとつ俺が後悔しているのは、小太郎の事だ。経緯が変わった事で、千鶴や夏美と知り合う機会を奪ってしまった。

 俺が当人に謝った所で、まるで話は通じないのだろうけど……。

 

 

  つづく

 

 

 

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