『ネギま』と俺 (2)麻帆良生活
俺が学園長と交渉しようと思ったのは、元の世界へ戻りたいという目的のためだ。いくらなんでも、俺の人生を代償にしてまで、『ネギま』世界に留まろうとは考えていない。
そのため、学園長と対面した時には、俺の事情についても包み隠さず話してある。まあ、隠すべき事柄もまったくないし。
俺が出現したのは、真っ昼間の交差点の横断歩道らしかった。らしいというのは、俺にその自覚がないからだ。
路上に転がっていたのを通行人が見つけ、数人がかりで歩道まで運んでくれたようだ。
ようやく気がついた俺は、恩人達に状況を説明されて慌てて頭を下げる事になる。何度も『ありがとう』と『すみません』を繰り返した。
それからしばらくして、ようやくここが麻帆良学園だと理解すると、俺はいささか取り乱す事となる。
それどころか、向こう側を出発した理由にも、まったく心当たりがないのだ。
どんなに見栄を張ろうとしても、どんなに言葉を飾ろうとしても、俺自身は一般人に過ぎない。
異性を引きつけるほどの美形でもなく、古流剣術を学んだ覚えもなければ、特殊な能力も持っておらず、高貴な血筋も継いでいないし、勇者やら天使やらの生まれ変わりでもない。
そんな超絶スペックを探すどころか、高卒で工場へ就職した社会人二年生の俺は、かろうじて成人こそしているものの、なんの資格も技能も持っていない。
唯一の強みは『ネギま』の知識を持っているという点のみ。
学園長は『ネギま』の知識を、バカバカしいと切り捨てたりせず、確認すべき情報として扱ってくれるようだ。あまりに突飛な内容なので、詐術として疑う気もないらしい。
とりあえず、俺は『職探しに学園長を訪ねてきた知人の孫』という扱いになった。
教職員宿舎の空き室をあてがわれ、当座の生活費として二十万円を渡された。財布の中には三万円ちょっとしか入ってなかったので、非常にありがたい。足りなくなったら請求するように言われている。
俺の存在価値はこれから起きる事件によって左右されるのだろう。
俺がデタラメを言っている可能性も捨てきれないし、この世界では『ネギま』と違う事件が起きるかもしれないのだから。
とは言え、俺の言葉はある程度の信用を得られたはずだ。
すでに、ネギ・スプリングフィールドを名乗る少年が、この麻帆良を訪れているのだから。
「ご注文をどうぞ」
それなりに顔を合わせているつもりだが、彼女はいつものごとく無表情だった。
「今日はフカヒレラーメンとエビギョウザで頼む」
足繁くこの店に通っているため、全メニューを制覇するのも、あと数日にまで迫った。
「了解しました」
耳の部分に機械的なパーツをつけた少女が、カウンターへと向かった。
立ち去る彼女を眺めるが、腕や脚の関節が確認できるため、どう見ても人形かロボットとしか思えない。
本人から名前を聞き出してはいないが、茶々丸で間違いないだろう。
外食に頼る俺が一番利用しているのは、超一味が運営している中華屋台・超包子だったりする。
俺は学園長から、現2−Aの人間とはあまり関わらないようにと指示を受けていた。妙に勘が良い人間や、癖のある人間が多いため、情報の漏洩を心配しているのだ。
その指示を理解しているし納得もしているが、食事をどこで取るかまで制限を受けていない。
だから、偶然見つけた美味しい店に、頻繁に通ったとしても問題はないはずだ。その結果として、店員のクラスメイトが訪れるのを、何度か見かけるぐらいは許されるのではないだろうか?
俺としては、芸能人が行きつけの店で、遠目で眺める程度の感覚である。個人的に親しくなろうとまでは考えていない。
「お待たせアル〜」
褐色の肌を持ち、髪を両サイドで結っている少女が、コントみたいな中国訛りで告げた。
テーブルに注文の品を並べたのは古菲である。
「なんか楽しい事でもあったのか?」
そう話しかけてみる。客と直接対応するウェイトレスでもあり、ノリも軽いために声をかけやすいのだ。
「わかるアルか?」
古菲はいつでも楽しそうだから、これは話のとっかかりに過ぎないのだが、本当に何かあったらしい。
「今日は体育の授業で、高校生の先輩を相手にドッジボールをやったアル」
「……なるほど」
俺は『ネギま』の初期の話をほとんど覚えていなかった。正直に言って、重要度が低いし、つまらなかったから。
ただし、ドッジボールについてはおぼろげながら記憶にある。今頃になって思い出すぐらいなので、学園長への情報には漏れていた。
「笑っているって事は勝ったんだよな?」
「もちろんアル。ネギ坊主も子供ながら頑張ったアルよ」
「噂の子供先生か」
「最後の魔球は凄かったアル。ネギ坊主の一球で先輩達の服が千切れ飛んだネ」
やや興奮気味で口にする。興奮と言っても、エロ系とは違うベクトルだ。
「おーい。注文頼む」
「すぐ行くアル」
他の客に呼ばれたため、古菲は話を切り上げて仕事へ戻った。
話を聞く限り、どうやらネギは順当(?)に失敗を繰り返しているらしい。
どう考えても、ネギは魔法の秘匿にかけて劣等生だった。
ネギは日常的に魔法を使うという行動パターンが確立しているためか、当たり前のように魔法を使ってしまう。
『ネギま』を知っている学園長が何度か注意したらしいが、焼け石に水らしい。使用回数こそ減っても、使用をやめないからだ。完全に魔法を禁止できないのが、頭の痛いところだった。
きっと、同室のアスナは気苦労が絶えない事だろう。
ネギをアスナやこのかと同室にする件について、学園長もいろいろ悩んだと聞いている。
アスナは魔法世界での記憶を失う事で、ようやく平和な暮らしを得た。このかもまた、魔法とは無縁に暮らすのが両親の意向である。
俺の伝えた『ネギま』の情報をまるまる無視するなら、アスナ達を魔法に関わらせないという選択肢もあり得た。
しかし、学園長はあえて同居させる事を選んだ。
『ネギま』で同居した理由は住居の手配ミスが原因だったが、学園長は魔法バレを前提として二人と同居させたのだ。
どうやら、『ネギま』における彼等の関わり方を価値あるものだと判断したらしい。
アスナの協力を得られなかった場合に、話の筋(?)というか、全体の流れがどこまで変動するか不確定なのも理由の一つだろうが……。
学園長からは携帯電話が支給される予定だが、今のところまだ手配が済んでいない。
そのため、連絡とか品物の受け渡しは、刹那が仲介する事が多かった。彼女は俺の事情についてもいくらか知っているからだ。
この日はなんの用事も無いはずだったが、悩んだ様子の刹那が俺の部屋を訪れた。
玄関で挨拶を口にして以降、言葉を発しようとしないため、室内に招き入れる。
備え付けの冷蔵庫からウーロン茶を取り出すと、コップに注いで刹那の前に差し出した。
「高見さんの言っていた事は、本当だったんですね」
ウーロン茶に手をつけず、刹那は伏し目がちにつぶやいた。
ネギの赴任を『予言』したのは事実だが、それだけを言うためにここへ来たとは思えなかった。
「…………」
しばらく逡巡していた彼女は、ようやく本当の用件を切り出した。
「もしかして、私の事も知っているんですか?」
「……何の事だ?」
とぼけた俺の顔をじっと見つめて、刹那がこうつぶやいた。
「やはり知っているんですね」
「えっ!?」
なんでバレた!? 確かに俺はポーカーフェイスが苦手だけど、……って。
俺の驚いた様子を見て、刹那は視線をそむけるようにして俯いた。
どうやら、中学生にカマをかけられて、俺はあっさりとボロを出してしまったようだ。
「その……、刹那がこのかちゃんと親しくできない理由なら知ってる」
いまさら隠しようもないため、正直に告げる事にした。
ちなみに、ちゃんづけは本人に嫌がられたので、名前を呼び捨てにしている。
「そう……ですか」
刹那には人に知られたくない秘密がある。それを知られて拒絶されることを怖れ、このかとの接触も頑なに拒んでいるのだ。
「言っておくけど、俺はそれを理由に刹那を嫌うつもりはないよ」
『ネギま』では、あれだけ刹那の葛藤に触れているのだから、拒絶する方が難しい。刹那がどういうキャラなのか、俺もそれなりに知っているつもりだ。
「……ありがとうございます」
そう答える刹那だったが、受け入れられた喜びなどまるで感じられない。
それも仕方がないと思う。俺は彼女にとって顔見知りの一人に過ぎない。彼女が真に受け入れてもらいたい人間は他にいる。
「『ネギま』の事は学園長から口止めされているんだ」
学園長はこの情報を伏せておくつもりだった。
『ネギま』の情報が、過去についてのみ有効ならばまだしも、未来までも言い当ているため、情報の取り扱いは慎重にならざるを得ない。
学園側で情報を握っておけば、これから起きる事態に対して効果的な対処が可能となる。もしも、『敵』に情報が漏れてしまうと、さらに裏をかかれる可能性が出てきてしまう。情報を知る人間が増えれば増える程、その危険が増すのだ。
魔法先生達に情報を知らせるにしても、必要に応じて行えばそれで十分なはずだった。
「わかってます。学園長からも聞き出したりしないように言われましたから。ですが、一つだけ、一つだけ教えてください。その事は……誰かに知られてしまうのしょうか?」
言葉の最後は震えていた。
おそらくある程度予測しているのだろう。マンガの中に登場した秘密が、秘匿されたままでは済まないと。
「ああ」
俺が肯定すると、刹那の顔から血の気が引いた。
彼女にとって、秘密がバレるという事は、これまでの生活を失うという事を意味するからだ。
遅ればせながらその点に気づいてしまい、俺は学園長との約束を破ろうと思った。いや、破らないでどうする。
「確かにバレるけど、全てうまくいくんだ。だから、なんの心配もいらない」
「……え?」
唇を噛んでいた彼女は、怪訝そうに俺の顔を見上げた。
「嫌われたりとか、追い出されたりなんて事にはならない。このかちゃんだけでなく、その事実を受け入れてくれる人がいるんだ。それ以降は、このかちゃんとはべったりで、凄く仲良くなってた」
「それは……、本当ですか?」
あまりにも幸福な未来図を提示されて、にわかに信じられないようだ。
「少なくとも、マンガだとそうなってた」
俺の言葉を裏付ける証拠なんてほとんどない。疑おうと思えばいくらでも疑える。
それでも、刹那は嬉しそうに笑っていた。涙さえ浮かべて。
「あっ、ありがとうございます!」
まるで神託でも受けたかのように、感謝の意志を向けられたのだが、俺は戸惑うばかりだ。
刹那を受け入れるのは、このかやアスナであって、俺が何かしたわけではないからだ。
後日になって、この一件を学園長に告げたのだが、学園長は笑って許してくれた。