『シロネギまほら』(74)エヴァンジェリン vs 遠坂凛

 

 

 

 日を改めて、ペンダントの一件はエヴァの耳にも届いた。

「士郎。この宝石を私に預けろ」

 エヴァの要求に、さすがの士郎も躊躇する。

「ちょっと、待ってくれ。さすがにこれは……」

 士郎と凛を繋ぐ唯一の品で、帰還するための鍵になるかも知れない品だ。

 物に対する執着の薄い士郎であっても、ほいほいと渡すわけにはいかなかった。

「へんな実験を行うわけではない。遠坂凛と話をしたいだけだ」

「それなら、今ここで話せばいいだろ」

「それでは都合が悪い。貴様には聞かれたくない話だからな」

「一体何を話すつもりなんだ?」

「貴様はバカか? 貴様に聞かれたくないと言っただろうが」

「そうは言っても、エヴァが遠坂と話すことなんて何もないだろ」

「貴様が思いつかずとも、話す事など色々ある。貴様のような魔法も魔術もハンパな未熟者は黙っていろ」

「なんだ。魔法関連の話をしたいのか」

 それならば、士郎を介する意義がないだろう。たしかに、士郎の知識ではどちらについても不足している。傍らにいたところで話についていけるとは思えなかった。

「でも、これは俺が持っていないと、向こうと通じないぞ」

「……そうだったな」

 困ったように眉間に皺を寄せて、エヴァが考えを巡らす。

「では、貴様の血を使ってみよう」

「血……?」

「ちょっと腕をまくれ」

 エヴァは士郎の返答を待たずに、左腕の裾をまくると、現れた腕に軽く噛み付いた。

 続いて、血を含んだ口元に宝石を運び、唇で直に血を塗りつけると、人差し指でなんらかの印を書き込んだ。

「確か遠坂凛も、血を使って宝石へ魔力を込めていただろう。私も吸血鬼だからな。貴様の血を媒体として、貴様の魔力を宝石へ馴染ませることなら可能だ。短時間でも保てば十分だしな」

「なるほど」

 こういう応用ができることが、知識を持つ物の強みということだろう。エヴァが遠坂と話したいと望むのも理解できる話だった。

「じゃあ、俺は帰った方がいいのか?」

「そうだな。この宝石は明日にでも返そう」

「わかった。遠坂も気が強いから、あんまり高圧的な態度は取るなよ」

「小娘相手じゃあるまいし、くだらない説教をするな。私を誰だと思っている」

「悪いけど、エヴァだから言ってる。エヴァじゃなきゃ言わない」

「くっ……」

 士郎の主張が的を射ているだけに、エヴァは悔しそうに士郎を睨む。

「善処しよう」

「それって、対処するつもりがないように聞こえるぞ」

「ええい、やかましい。この宝石を壊されたくなかったら、さっさと帰れ!」

 士郎は蹴り出されるようにして、エヴァ宅から追い出された。

 

 

 

「遠坂凛。聞こえているなら答えろ。貴様に話がある」

『誰よ、貴女?』

「『闇の福音』エヴァンジェリンだ」

『士郎から聞いてるわ。真祖なんでしょ? 士郎をわざわざ追い払ってまでする用件とは何かしら?』

「話が早いな。では、単刀直入にいこう。貴様は士郎を連れ戻すつもりか?」

『当たり前でしょ。何を今さら』

「フン。質問の仕方が悪かったようだな。では、こう言い換えよう。貴様は連れ戻す事が、士郎のためになると考えているのか?」

『どういう意味かしら?』

「士郎にはこちらの世界の方が向いている。それは貴様にもわかっているはずだぞ、遠坂凛」

『…………』

 エヴァンジェリンが士郎の正体を知った時に口にした言葉だ。そして、凛本人も士郎の説明を受けて、似たような言葉を発していた。

「貴様は貴様で目指す道があるのだろう。根源を目指すなりなんなり、好きにすればいい。だが、世界の真理へ挑む魔術師に、戦いしか能のない士郎は不要なはずだ」

『貴女、何様のつもりなわけ? 貴方に口出しする権利なんてないわ』

「権利ならなくもないぞ」

『へえ。……聞かせてもらおうじゃない』

「士郎から聞いていないのか? ヤツは私と契約をかわして、私の従者となっている」

『どういうこと?』

「そっちの世界で言えば、パスと言ったか? 私の魔力を士郎が活用できるように、契約を結んだのさ」

『なんですって!?』

 凛が邪推して激昂する。

 士郎に魔力を与えるために、凛自身もある手段で士郎と契約していた。

 彼女は、エヴァが自分と同じ方法で契約したと勘違いしてしまった。

 もちろんエヴァは、その反応を期待して、明快な説明をわざと避けたのだ。

「どうだ? 私にも資格があるだろう?」

『そんなわけないわ。嘘に決まってる』

「ならば、次の機会にでも士郎に尋ねてみるがいい。士郎が否定する事はないだろうがな」

 平然と応じるエヴァの声に、いくらかの真実が含まれている事を感じ取ったようだ。

『く……』

『そんな、シロウが……』

 遠坂のみならず、なぜかセイバーもうろたえ気味だ。

『わっ、私だって士郎と契約しているわよ』

 エヴァの奇襲を受けて心理的な余裕を失ってしまったのか、遠坂は無謀な反撃を試みた。

「知っている。確か、ニーソックスをはいたままだったな。いい趣味をしてるじゃないか」

『なっ、あっ、そっ……。なんで、アンタ、そんなこと知ってんのよっ!?』

 それは、士郎と凛の秘められた記憶である。二人にとっては誰にも侵されたくない大切な思い出だった。

『まさか、士郎のヤツ……』

『ニーソックスがどうかしたのですか?』

『この際、そこはどうでもいいのよ、セイバー』

『ですが、なにかとても重要な位置づけにあるようですが』

『ニーソックスそのものは、この場合無関係なの』

 何やら話題が別方向へ転がり始めた。

「言っておくが、士郎が話したわけではないぞ。私がヤツの記憶を覗いたんだ。士郎の固有結界をこの目で見たからな」

『固有結界……?』

「こちらの世界でも、聞いた事のない能力だ。あらゆる聖剣、魔剣を複製する力。なにより、今の時点ですら大量の宝具を保有している。そう、まるで英雄王の蔵のようにな」

『どこまで知っているの、貴女?』

 先ほどまでとまったく違う冷酷な口調で尋ねた。

 それは一人の魔術師としての発言だ。士郎の宿している力は、驚くほど希少なのだ。

「老婆心ながら、士郎のような人間は放っておけなくてな」

『その言葉を信用できるのかしら?』

「少なくとも私は士郎に信用されている」

『そんなのはなんの保証にもならないわよ。士郎に疑われる人間がいれば見てみたいものだわ』

 エヴァの言葉をばっさりと両断する。

「……ふむ。確かにその通りだ」

 士郎の人物眼なんてその程度だ。少なくとも彼女等はそう認識している。

「私に対する疑問があれば、後で士郎にぶつければいい。今は、士郎がいてはできない話をするとしようか」

 改めて話を仕切り直す。

「関東魔法協会は麻帆良学園という学園都市を運営している。そこでは、協会に属する魔法先生や魔法生徒が人助けをしていてな。多くの魔法使いが人を助けるために活動しているのさ」

『それは士郎からも聞いてるわ……』

「魔法協会の活動主旨は魔術協会とは真逆だぞ。もちろん、こっちにだって魔法を私欲のために使う輩もいるが、士郎がそいつらと敵対した時には、魔法協会が組織的に補佐や助力をするだろう。大きな違いはそこだ」

 それは凛の世界では望んでも得られないものだった。

「私が説明するまでもないだろう? 衛宮士郎が誰かの為に戦い続けるのは、もう止めようがない。問題は、そんな士郎に対して何をしてやれるかだ。この世界ならば、正義の味方を異端として追い立てたりはせん。こちらの魔法使いは士郎を受け入れ、そして、見捨てることもないだろう。……こちらの魔法使いはバカが多いからな」

『…………』

「人を救うという目的で共に戦える仲間がいる。敵に追われた時に匿ってくれる組織がある。この世界を知る前ならば、そんな選択肢は存在しなかっただろう。だが、貴様は知ってしまった。士郎が確実に生き延びられる世界があるとな」

『…………』

「そちらへ士郎を呼び戻す事は、士郎を死なせる判断だとわかっていないのか? 貴様は士郎をあの弓兵にするつもりなのか?」

 朝日の元で、凛が弓兵と交わした尊い誓い。

 あの時、凛は確かに約束したのだ。

『士郎をアーチャーのようにはさせない』と――。

 ならば凛が獲るべき選択とは……。

『ふざっけんじゃないわよ! なんだって、アンタなんかに士郎の事で説教されなきゃなんないのよ!』

 合理的な判断をくだすなら、初めから結論は決まっているのだ。

 しかし……。

『貴女に言われるまでもないわ。士郎にはそっちの世界が似合っているし、そっちの世界で生きた方がいいんでしょうね』

『凛!』

 責めるような言葉が投げかけられた。

『だけどね、私は魔術師であると同時に、女でもあるし、人間でもある。魔術師の私にとって士郎は不要かもしれない。でも、遠坂凛には衛宮士郎が必要なの』

 彼女としては珍しく、本心をそのままぶつけてくる。

 それほどに、士郎の将来は彼女にとっても重要な問題だからだ。

『私はワガママなのよ。私は根源も目指すし、士郎も手に入れる。確かに、士郎はこっちの世界だと生き辛いでしょう。そっちの世界の方が水があっているのかもしれない。それならそれで話は簡単じゃない。士郎をこちらへ連れ戻すのではなく、私が第二魔法を極めてそっちへ同行すればいい。偶然とはいえ、一度は成功したんだもの。やり遂げてみせるわよ』

 それが遠坂凛という人間の出した答えだった。

 

 

 

 翌日になって、超包子を訪れたエヴァが、昨夜の会話内容を士郎に説明していた。

「そんな話をしてたのか……」

「どうやら、遠坂凛も充分にバカと言える存在のようだ。貴様等はお似合いだよ。どちらも分不相応な望みを持っている。まさに類は共を呼ぶというヤツだ」

 凛のあまりにも無謀な発言を、だからこそエヴァは認めてしまった。

 それぐらいでなければ、この士郎と正面から向き合う事など不可能だ、と。

 

 

 

 しかし、やりこめられたまま引き下がれるほど、吸血鬼の血は冷たくなかったらしい。

「士郎を失いたくなければ、できるだけ急ぐ事だな」

『何か危険でも迫っているわけ?』

 凛の口調に心配そうな響きが混じる。

「士郎が3−Aの人間と親しい話は聞いていないか?」

『それがどうしたっていうのよ』

「今のやつらは中学生だが、来年にはもう高校生だ。それに、3年もすれば大学生になる。士郎との年の差なんてなんの問題にもならないだろう」

『……なっ!?』

「いまだって、プロポーションは中学生離れしている連中ばかりだ」

 くっくっくっ。宝石の向こうで浮かべているであろう遠坂の顔を思い浮かべて、エヴァは悦に入っている。

「茶々丸。3−Aの連中で、バストサイズが80以上あるのは何名だ?」

「15名です。クラスの約半数となります」

「だそうだ」

『あっ……、あっ、アンタ、何を言い出すのよ!』

「わかりやすいかと思ってな。どうだ、なかなかの面子が揃っていると思わないか?」

『ふん。私だって80台だし負けてないわよ』

「ほう。3センチも大きくなったのか。祝福させてもらうぞ、遠坂凛」

『なんでアンタが私のバストサイズを知っているのよ!』

「貴様に対する情報源など一つしかあるまい?」

『士郎のヤツ。今度会ったら捻ってやるわ』

「まあ、せいぜい頑張る事だな」

 と、ここで終わっていれば少なくともエヴァは満足できたはずだ。

『まあ、そうよね。私は吸血鬼の貴女とは違うんだもの。成長できるのだから、成長しないとね』

「そ、そういうことだ」

『ところで、茶々丸さん』

「……私にご用でしょうか?」

 突然呼びかけられても、茶々丸が律義に応じた。

『肝心のエヴァンジェリンさんのバストサイズはクラスで何位ぐらいなのかしら?』

「……なっ!?」

「67センチのため、クラスでは下から4位となります」

「主人の情報を漏らすとはどういうつもりだ!」

「異世界の人物なので、マスターの敵とは成り得ないと判断しました。なにかまずかったでしょうか?」

 そう応えた茶々丸がオロオロと挙動不審になる。

 優秀な茶々丸といえど、微妙な女心を理解しろというのは無理な話だ。彼女自身も人間らしい感情を持ちつつあるが、それはあくまでも無意識での発露なのだ。

『私達は不老不死の貴女とは違うものね。とても有意義な忠告として感謝しますわ』

 凛は、決して言葉通りに感謝しているわけではない。

「何が言いたい?」

『子供扱いしかされなかった貴女の言葉だもの。ええ。決して忘れないように心しておくわ』

「なっ!?」

『エヴァンジェリンはナギ・スプリングフィールドに憧れていて、十五年たった今も待ち焦がれているんですってね?』

 ぐぐぐ。攻守所を変え、屈辱に顔を歪めるのはエヴァの方だ。

「貴様それを、どこで……」

『決まっているじゃない。貴女に対する情報源など一つしかないでしょ?』

 

 

 

「というわけだ、士郎」

 会話内容を説明したエヴァが、獲物を前に舌なめずりする。その点において、彼女は3流なのだ。

「意見の食い違いから険悪になった私達だが、今はもう和解している。安心できたか?」

「あ……ああ。仲良くできるならその方がいいよな」

「そこで、貴様には和解できた理由を是非聞いてもらいたい」

「あんまり聞きたくないんだが……」

「聞け」

「はい……」

「それはな、私と遠坂凛が共通の敵を得たからだ」

 ゴゴゴゴゴ。エヴァの身体からにじみ出した殺気が、空気の揺るがすかのようだ。

「そうそう。遠坂凛から一つだけ貴様に伝言があった」

「……なんて言ってた?」

 エヴァが凶悪な笑みを浮かべて、その言葉を口にする。

 遠坂の思いの込められた一言を。

「“士郎、殴っ血KILL”」

 

 

 

つづく

 

 

 
あとがき:
中断時に書いていた一番後ろの話がこれです。原作の『ネギま』も2学期以降がかけあしで終えているため、『シロネギ』を書き進めるのは非常に困難のはご理解頂けると思います。
……えー、次回の更新で唐突に発表すると、強い不満を抱くでしょうから、事前に明かしておきます。『シロネギまほら』は次回が最終回の予定です。
ちなみに、凛の最終的な目標は、行くだけではなく、自由に往来できるようになることです。