『シロネギまほら』(73)赤い宝石を手に入れました

 

 

 

 軌道エレベータ建造のために奔走したり、魔法世界における調整に動いたり、フェイトが3−Aの副担任としてやってきたり、生徒達に悩まされたりと、ネギは公私ともに忙しかった。

 しかし、剣製や戦闘に特化した士郎では、助力にも限界があるため、ほぼ蚊帳の外という状態だ。

 

 

 

 そんなある日。

 教員宿舎にいた士郎を、ふたりの少女が訪ねた。

 ひとりは案内役の朝倉和美。

 もうひとりは、ポヨ・レイニーデイと良く似た妹であり、これまで士郎が出会っていない唯一の3-A生徒、ザジ・レイニーデイだった。

「これを預かっていました。あなたのではありませんか?」

 首をかしげる士郎の前で、ザジが取り出したのは大振りな赤い宝石のペンダントだった。

「え!? なんでこれが!? どうして君が!?」

 士郎が困惑するのは当然だ。

 彼女の手に乗っているのは、士郎が聖杯戦争に大きく関わった発端であり、彼の人生や運命に強く影響を与えた品である。

 本来の持ち主である女性は、ここから遠く離れた場所にいるはずなのだ。

「先日、公園で拾いました。魔力に覚えがありましたので、持ち主と思われる貴方に返しておきます」

「……ありがとう」

 事情は理解できたが、それでも解らない事ばかりである。

 受け取るべく、機械的に差し出した右手の平に、ペンダントの石が触れた。

『……これで失敗したら手詰まりだわ』

『諦めるのは早いでしょう。これが現状で一番可能性が高いのですから、この宝石に期待するしかありません』

『もう二ヶ月近く経ってるのよ。さすがに……』

 会話しているのは聞き覚えのある二つの声だ。

「遠坂とセイバーか……?」

 分かり切った答えが、疑問の形で口からこぼれる。

『あら? 何か言った、セイバー?』

『いいえ。私は何も話していません』

『何か聞こえた気がしたけど……』

『もしかすると』

「もしかして、こっちの声が聞こえているのか?」

『確かに聞こえます。間違いありません』

『本……当?』

「こっちには聞こえてるぞ。遠坂とセイバーだろ?」

『士郎……よね?』

「ああ。俺だよ」

『本当に士郎なのよね?』

「俺の声を忘れたのか?」

『アンタの声、忘れるわけないっ……でしょ。……すん。ううっ……』

 鼻をすする音。それはどう考えても泣き声だった。

「お、おい。どうしたんだ?」

 士郎の問いかけに対して、別な声が答えていた。

『凛はずっとシロウの事を心配していたんですよ。当然ではないですか』

 呆れたような怒っているような、当人ですら態度を取りあぐねているような口調だ。

「何かあったのか、セイバー?」

『何かではないでしょう! 私達にとって、シロウは生死不明だったのです。それも凛自身の失敗によって。生きていると信じていましたが、万が一という可能性も拭い切れません。責任を負うべき凛が心を痛めるのは当然ではないですか!』

 セイバーの指摘を受けて、士郎もようやくその点に思い至った。

 並行世界の観測実験により、士郎は元の世界から放り出されてしまった。

 たどりついたこの世界で、衣食住を自力で確保する必要に迫られたが、極論すればそれだけの苦労に過ぎない。

 一方で、士郎のいた世界ではまったく逆の問題が発生していたのだ。衛宮士郎という個人が消滅したことは、より多くの問題を発生させたのだろう。

 セイバーが口にした通り、士郎の生存を確認することすらできなかったのだから。

「心配かけて悪かった」

『いいえ。無事で良かったです。シロウ』

「遠坂もごめんな」

『あ、アンタが謝るのはおかしいでしょ。アンタは私に謝られていればいいのよ』

「そうなのか?」

『そうよ! ……悪かったわね、士郎。私のせいで迷惑をかけちゃって』

「こっちは大丈夫だ。なにも問題ないしな」

『確認しておきたいんだけど、そっちはどんな世界なの? 日本があるの? 無法地帯ってわけじゃないでしょうね!?」

「一応、違う歴史を辿った日本ってことになるらしい。魔術関連については大きく違うけど、日常生活を送る分にはほとんどそっちと変わりない」

『お金に困ったりはしてないのね?』

「厚意に甘える形で、仕事にもありつけたよ。衣食住、全て問題なしだ」

『それなら、大きく違ってるという魔術関係について詳しく教えてもらえる?』

 心配を払拭できた凛が、いかにも魔術師らしい好奇心を露わにする。

 凛の細かな指摘に応じながら、士郎はこちらの世界における魔法の概要や『魔法世界』について説明していく。

『それじゃあ、魔法はあくまでも道具に過ぎないのね。それも、魔法使い達が憧れるのは、多くの人を救う偉大なる魔法使いマギステル・マギ?』

「ああ」

『……貴方、こっちの世界に戻りたいと思う?』

 士郎が“正義の味方”を目指していることを知っていればこその言葉だ。

「戻りたいに決まってるだろ」

 士郎としては今さらな質問だった。何度も自問しているし、結論は簡単に出た。

「そっちには遠坂もいるしな」

『――っ!?』

 士郎の言葉を耳にした遠坂が頬を染めるが、宝石のこちら側にいる士郎がそれに気づくはずもない。

「どうした?」

『なっ、なんでもないわよ!』

『照れ隠しに怒鳴るのはどうかと思いますが』

『うるさい!』

「なんだってそんな事を聞くんだ?」

『もしかしたら、……貴方が残りたがると思ったのよ』

「まあ、心が揺れなかったかと言えば嘘になる」

『気がついたのよ。貴方がその世界へ行ったのは、貴方の望みが反映されたからかも知れない』

「え?」

『私は平行世界であればどこでも良かった。違う世界を見たかっただけなんだもの。だから、私にはその世界を選択する必要性はなかったし、その意志もなかったわけ。つまり、そこを選んだのは貴方なのよ』

「そんなつもりはなかったけどな」

『実際に転移したのは士郎なんだから、転移先が士郎の意志で左右されるのはあり得るわ。その世界の価値観が士郎の望みに合致しているんだし、結果論になるけどその可能性は高いと思うわ』

「そういえば、エヴァにも言われたな。この世界は俺向きだって」

『エヴァって人も魔術師なの?』

「吸血鬼の魔法使いだ」

『吸血鬼ですって? まさか、血を吸われたりしてないわよね?』

「そっちの吸血鬼とは行動や目的が違うみたいだ。魔法で吸血鬼になった吸血鬼が真祖と呼ばれてる。不老不死なだけで人間に混じって普通に生活してる。血だってまだ吸われてない」

『まだ吸われてないって、不吉な表現するわね』

「血が吸いたくなったら吸わせる約束してるんだ」

『どこをどうすればそんな約束が成り立つのよ』

「俺と会う前には、一般人を襲って血を吸っていたらしい。死徒にする目的があったわけじゃなく、血を媒体として魔力を吸収するためにな」

『吸血鬼が満足する魔力を得るなんて、一般人を何人犠牲にするかわかってるの!?』

「それには事情があるんだ」

 士郎はエヴァに関して詳しい説明をおこなった。

 ナギによって登校地獄をかけられ、麻帆良学園に閉じ込められていた事。ナギの血を引くネギを利用して、その呪いを解こうとしていた事。戦う為に、魔力を得ようとして一般人を襲っていた事を。

「それで、夜回りをしていた俺が、エヴァと戦う事になったんだ」

『相変わらず無茶するわね。身体は大丈夫なの?』

 エヴァの実力は知らなくとも、凛は吸血鬼を脅威として認識している。士郎が勝てるとはさすがに思えなかった。

「エヴァは手加減してくれたからな。でも、そのおかげでエヴァと知り合えて、魔法についても教えてもらえたんだ」

『怪我の功名ってとこかしら。あんまり無茶はしないでよね』

 一通り凛の疑問が解消できたところで、士郎の方からも尋ねる。

「俺がいなくなった後、これまではどんな状況だったんだ?」

『私とセイバーは以前からの予定通り、ロンドンへ留学したわ。第二魔法に近づくためには、冬木にいるよりも時計塔の方が環境は整っているもの』

 本来、凛が目標としてた第二魔法は、士郎を帰還させるという具体的な目的となったのだ。

「桜とか藤ねぇにはどう説明したんだ?」

『急に留学先へ向かった事にしたわ。ことは魔術絡みだし、真相を教えるわけにはいかないもの』

「それで二人とも納得したのか?」

『簡単にはいかなかったわよ。まあ、藤村先生は水くさいとか恩知らずとか騒いでいたけど、何とか理解してくれたの。問題は桜の方ね』

「どうしたんだ?」

『こっちが驚くくらい必死で、事件に巻き込まれたんじゃないかとか、本当に無事なのかって……ね。ロンドンに来てからも何度も電話してきて、その度に質問攻めよ』

 はぁ〜、と深いため息を漏らす。

 魔術と縁のない桜に、真相を教えられないのは無理からぬことだ。『隠された事実』を知らない士郎は、そのように感じていた。

「この宝石はどうしたんだ? まさかとは思うけど、もう第二魔法をマスターしたのか?」

『それこそ、まさかね。そうだったら直接そっちへ乗り込んでいるわよ』

 それもそうだ。こんな回りくどい手段など取るはずがない。

「この宝石は俺が渡した奴だよな?」

『ちょっと違うわ。それは私の物よ』

「そりゃあ、最初はそうだったけど……」

 この宝石は士郎が聖杯戦争と関わる一番最初のきっかけであった。

 本来無関係だった聖杯戦争に、目撃者として関わった士郎は、口封じで殺されてしまった。

 それを救ったのが凛で、士郎が息を吹き返した時、込められた魔力を失ったこの宝石が傍らに転がっていた。

 命の恩人の落とし物を持ち帰り、持ち主が遠坂凛だと知るのはしばらく経ってからのことだ。

『ハズレ。それは正真正銘、私のものよ。アーチャーから返してもらった物なの』

 士郎が想像したよりも、複雑な経路を辿ってこの宝石は凛の元へ戻されている。

 平行世界における士郎は、人々を救うために命を投げだし、世界と契約して守護者となった。遠坂が英霊のエミヤシロウをアーチャーとして召喚できたのは、彼が生前持ち続けていた宝石を触媒としたからなのだ。

 アーチャーは士郎を蘇生させた場所で拾ったと告げて、長く持ち続けていた宝石を遠坂に返却している。アーチャーの正体を知らない凛は、なんの疑問もなくそれを受け取った。

 つまり、この宝石は士郎を経由していない宝石だった。

『士郎から渡された宝石は、私の手元にあって、こうして話すための触媒にしているの』

「どっちにしても、平行世界と話せているんだし、研究が進んでいるって事だろ?」

『少しは……ね。今回は状況とこれに助けられたわ』

 遠坂の説明によると、“同一”の宝石があった事が僥倖だという。

 まず、アーチャー――いや、守護者となったエミヤシロウは、輪廻の輪から外れた高次の存在といえる。守護者や英霊といった存在は、時間を越え、世界を跨り、必要な時と場所へ呼び出されからだ。

 アーチャーの持っていたペンダントも、向こうの世界においては異物となる。世界とのつながりの薄い、或いは、弾き出され易い存在だ。

 強い縁を持つアーチャーのいる英霊の座と、アーチャーと同一存在とも言える士郎がいる並行世界。ペンダントが引き寄せられるのは、後者の確率が高いと凛は推測した。

 ペンダントは士郎の魔力に導かれるようにして、この世界へ跳ばされる事となった。士郎本人の元ではなく、公園へ出現したのは向こうとの接点があったからなのだろう。

『時計塔に来てから、その、利用できそうな相手を見つけて、協力させているのよ。私と同じく大師父の系統でね』

 協力者の事を凛はそんな表現で伝えた。

 セイバーの説明によると、容姿といい、才能といい、実力といい、評判といい、全てにおいて拮抗するような相手だという。遠坂本人は不満そうに否定していたが。

 彼女等の不仲は、あまりにも似すぎているからこその反発だった。

 遠坂としてはその女性に借りを作るのは避けたかったらしいが、結局は共同研究を進めるという選択をした。

 ちなみに、相手は恩を売ったつもりはなく、第二魔法へ近づくための方便としか思っていない。個人的な感情は無視したようだ。

 こうして優秀な二人の魔術師の共同作業によって、宝石は世界の壁を越えて士郎の元まで届いたのだ。

 士郎が元の世界へ戻ったならば、二人は新たな争いの火種を抱え込む事になるが、……神ならぬ彼女等が現在において気づくはずもない。

 さらに、士郎の方からも、凛を驚かせる説明があった。

 例の大師父がこの世界にも訪れていたという件だ。彼と直接関わった人物が独自の研究を進め、その中には魔法世界と旧世界をつなぐ転移ゲートの知識も含まれていた。

 こちらの魔法知識を得る事で、凛の研究速度がさらに上がることとなる。

「……衛宮さんてさぁ、異世界から来たの?」

 懐疑的ながらも、朝倉は核心部分について問いかけた。

 士郎と凛が話し始めた当初から、興味津々でじっと耳を傾けており、とんでもない情報に行き当たったのだ。

 士郎本人に隠すべき理由はないため、あっさりと認めてしまう。

「並行世界……つまり、パラレルワールドだな」

「……世の中、驚く話ってありふれてるんだねぇ」

 それでも、即座に受け入れるのは難しいらしく、現実感は薄いようだ。

『魔法世界』を知る朝倉にしてみれば、全否定するほど不可解な情報ではない。

 遠坂凛の存在は聞き知っていたが、その際に聞かされた『遠距離恋愛』という説明も、最小公約数的に事実を含んでいたわけだ。

『今の……誰よ? そっちの魔術関係者ってことでいいの?』

「まあ、そうなるかな」

 士郎の言葉を受けて、少女が自己紹介を行った。

「私は朝倉和美。縁あって魔法に関わる事になった新聞部員っす。ちなみに、バスト88、ウェスト60、ヒップ86」

『……なにか、聞きたくない情報が入ってたわね』

 悔しさを滲ませるように、遠坂の声がかすかに震えている。

『それより、ずいぶん親しそうね』

「そうでもないぞ。朝倉はこういう性格なんだ」

『士郎がそう思ってるだけじゃない?』

「朝倉は中学生だぞ」

『ちゅっ、ちゅう学生っ……!?』

 宝石の向こう側で遠坂が何かの衝撃に打ちのめされる。

「おい、どうしたんだ? 何かあったのか?」

『…………』

「遠坂っ! 聞こえているだろ?」

「ひょっとして……」

「ん? 何か気づいたのか?」

「ほら。遠坂さんはコンプレックスあるでしょ?」

「なんのことだ?」

「だから、ほら……」

 朝倉が自分の胸元を指さした。

「ああ、なるほど」

『ちょっと待ちなさい! 今のやりとりはなによ?』

「気のせいだ」

『だって今、コンプレックスとか……』

「……あるのか、コンプレックス?」

 開き直った士郎の疑問に、凛は追求を封じられてしまう。

 まさか、自分の口からコンプレックスの存在に言及できるはずもない。

「それに、士郎さんが親しいのは、私じゃなくて高音さんだもんね〜」

 ニシシ。とイヤらしい笑いを浮かべる朝倉。

『朝倉さんでしたっけ? その人の事詳しく教えてもらえるかしら』

「麻帆良学園の名門女子高の生徒なんだけど、学園祭で士郎さんに助けられて、仲良くなったみたいなんだよね〜」

『ふーん。そうなの、衛宮くん?』

「ああ」

 士郎が肯定すると、遠坂の声が詰まる。

『…………』

「…………?」

 沈黙する凛に、不思議そうな士郎。

「あれ、衛宮さん、認めちゃうわけ?」

 沈黙した二人に代わり、朝倉が尋ねた。

「……え? 学園祭で知り合ったのは事実だし、仲だって悪くはない。なにも間違ってないだろ」

「いや、その……、士郎さんはひょっとして本気で言ってる?」

「何が言いたいんだ? もしかすると、本当は高音に嫌われてたのか?」

「…………」

 素で返されて、朝倉もまた言葉に詰まる。

『……もういいわ。だいたいわかったから。つまり、ごく一般的な意味で仲がいいのね』

「ごく一般的ってなんだ? 一般的じゃない仲の良さってどういう事を言うんだ?」

『士郎にはわかりそうもないから、もういいわ』

 遠坂のセリフに、うんうんと頷いているのは朝倉である。

「遠坂さんも大変だねぇ」

『わかってくれる?』

 士郎には意味不明なのに、二人の間ではなぜか合意に至っていた。

「俺には全然わからないんだけど」

『いいわよ。期待してないから』

「…………」

 

 

 

つづく

 

 

  あとがき:『ネギま』は、じっくり1年間を描写すると思ったので、夏休みまでで9割以上を占めるとは思いませんでした。『完全なる世界』との決着は冬休みとか春休みだろうから、2学期の話にこのあたりのエピソードを盛り込む予定でした。残念ながら、『シロネギ』でもあっさりと終着点へ向かうことになります。元ネタがないと、話を広げるのが困難ですから。