『シロネギまほら』(52)

 

 

 

(52A)桜咲刹那は幸せです

 

 

 

 桜咲刹那は、ほんの半年ほど前までは、自分が不幸だと思っていた。

 人間との混血なために、彼女は烏族の里にはいられなかった。

 このかの護衛として関東魔法協会へ出向いたことから、関西呪術協会内では裏切り者と見なされていた。

 正体を知られる事を怖れ、このかと親しくする事もできなかった。

 そんな生活が一変したのは、ネギという少年と親しくなってからだ。

 正体を知られて姿を消そうとした刹那は、ネギに引き止められた。幼なじみのこのかに全てを告白できたのも、アスナという得難い友人を得たのも、自分を受け入れてくれる仲間と出会えたのも、全てネギのおかげである。

 刹那はどれほど礼を言っても言い足りないほど、ネギに感謝していた――。

 

 

 

 そして現在、刹那はネギと交戦中であった。

 深刻な事情があるわけではなく、ネギの実力を見せようと、アーニャの前で模擬戦を行っているだけに過ぎない。

 ネギとしては、アーニャにいい所を見せたいだろうが、刹那は手を緩めるつもりはなかった。長い目で見た時に、そのような配慮は仇になると考えているからだ。

 刹那がすべき事は、ネギが長所を伸ばし、欠点を克服できるように、彼が何かを得られる戦いを与えること。

 そんな刹那を相手に、ネギは堂々と渡り合っている。

 杖に乗っての高機動な空中戦。杖を失いながらも虚空瞬動を使いこなし、体術と魔法を併用しての反撃。

 上級教本すら上回るネギの戦闘力を目にして、アーニャは悔しさを隠せない。幼なじみとして、ずっとネギと暮らしてきたからこそだ。

 そんなアーニャの様子を見て、刹那が笑みをこぼす。麻帆良へ来る前の強さを知るアーニャの反応は、そのままネギが成長した証でもあるからだ。

 

 

 

 注目の中で行われたネギの模擬戦が終わると、皆が思い思いの修行にとりかかる。

 特訓に励む者がいる一方で、羽根型ゴーレムで飛翔するというアイデアに邁進する者もいた。……ハルナのことだ。

 結果は失敗で、持続時間を考慮しなかったため、飛行中に羽が消滅してしまい、危うくアスナは転落死するところだった。

「空を飛ぶ魔法は俺も知ってるけど、羽根を生やす魔法っていうのもあるのか?」

 士郎の質問に刹那が答える。

「西洋魔法については詳しくありませんが、呪符魔法にはありませんね」

「じゃあ、桜咲の羽根はどうやったんだ?」

「私は烏族とのハーフですから」

「烏族?」

「妖の血を色濃く受け継ぐ一族で、人間との接触を避けるために、普段は隠れ里で……」

 説明をしていた彼女の口が、途中で凍りつく。

 今になって一つの事実に気がついたからだ。

 刹那はうかつにも、烏族とのハーフである自分を、士郎がすでに“受け入れている”と思い込んでいた。彼に対して、自分の口からは何一つ説明をしていないというのに。

 それは、いかに彼女が仲間達へ、そして士郎へ気を許していたかという証拠でもあった。

「俺は翼のある人間って初めて見たよ」

 士郎の視線がまじまじと刹那の背中へ向けられる。

 先日の超事件の終盤でも刹那は翼を生やしてネギの援護をおこなっている。士郎もそれを目撃してはいたのだが、あれは“翼を生やす魔法”によるものだと考えていた。

「あ……、あ……」

 刹那の顔から血の気が引いていく。

 彼女は久しく忘れていた事実を思い起こしていた。

 自分が人とは異なる存在である事を。幾度と無く偏見に晒され、侮蔑と嫌悪の目を向けられてきた事を。何よりも、信用して正体を明かした相手からも、拒絶される可能性があるという事を。

「俺はほら、魔法について詳しく知らないからさ。烏族っていうのを見た事も聞いた事もなくて」

 士郎は思った感想をそのまま口にする。

 刹那は人外の証である翼を士郎の目へ晒す事に耐えられなかった。

 広げていた翼が見る間にサイズを縮め、刹那の背中へと収納される。翼のあった痕跡はまったく残らず、白く滑らかな肌と形の良い肩胛骨が見えるだけだ。

 刹那は顔を俯かせたままだ。硬直した身体をかすかに震わせている。

「……どうしたんだ?」

 心配そうに尋ねる士郎の声。

 士郎の様子がいつもと変わらないように感じられて、刹那は恐る恐る相手の顔を見返した。

 そこには、見慣れた士郎の顔と、こちらを気づかう瞳があった。

「体の調子でも悪いのか? さっきまで元気だったのに……」

 なに一つ変わらない、いつもの士郎がそこにいた。

 刹那は覚悟を決める。

 ついさっきまで、彼女は士郎を信じていたはずだった。今になって疑うなどどうかしている。彼はなにも変わっていないというのに。

 自分は数ヶ月前に、その恐怖を乗り越えたはずなのだ。自分の正体を明かすその痛みと、それを受け入れてもらえる喜びを知っている。

「烏族とは妖の血を色濃く受け継ぐ種族です。人間とは昔から確執があって、現在でも争いこそなくなったものの、完全に融和できたとは言えません。そのうえ、私は烏族と人間のハーフです。黒い羽根を持つ烏族の中で、白い羽根を持つ私は忌み子として疎まれました……」

 刹那は自分の境遇を包み隠さずに士郎へ明かした。

 刹那自身にハーフである事の責任はない。だが、友人に隠し事をするのは、自分の罪だと彼女は思った。刹那には、士郎だけを疑う理由などないからだ。

「俺は烏族についてなにも知らないけど、桜咲がいいヤツだってことは知ってる」

 だから、士郎も刹那の思いを受け止める。

「桜咲は桜咲だろ。むしろ、桜咲を受け入れる事ができない烏族とは、仲良くなれそうもないな」

 多数派が数を頼りに、少数を非難する――。そんな行為は、士郎の理想と大きく隔たっていた。

「みんなだってそうなんだろ?」

 士郎の目から見て、ネギま部のメンバーも、そして3−Aのクラスメイト達も皆仲がいい。

 学祭中には敵対しつつも、3−Aのメンバーはまた同じように和気藹々と過ごしている。人数こそ一人欠けてはいたが。

 だからこそ、刹那も彼女たちに受け入れられていた。

 拒絶される事を怖れて、頑なに距離を保っていた以前の桜咲刹那はすでに存在しない。

 自分を守るべく張り巡らせていた刹那の心理的な城壁は、ネギま部のメンバーによってすでに突き崩されていたのだ。城壁跡にすら気づかないほど。

 根深いはずのトラウマは、刹那自身も気づかないうちに仲間達が癒してくれていたのだ。

 士郎との会話で、刹那は改めてその事を自覚した。

「よかったな」

 士郎が告げたのは、刹那が仲間に受け入れられた事実に対してのものだ。刹那の心情まで理解しての言葉ではない。

 それでも彼は、刹那を祝福してくれた。

 自分を受け入れてくれる人間がもう一人増えた。数値的な変化はたったの一人だけだ。

 それなのに、刹那は嬉しかった。

 そのちっぽけな事実が、こんなにも嬉しい。

「ありがとうございます」

 笑顔を浮かべた刹那の瞳から、小さく涙がこぼれ落ちた。

「あー、士郎さんが刹那さんを泣かしてるーっ!」

 アスナが素っ頓狂な声を上げた。

「衛宮さん、何を言うたの? 正直に言うて。怒らへんから、な?」

 このかが笑顔で凄んでくる。

「ち、違うって! 桜咲もなんとか言ってくれ」

 二人に対して、刹那が説明を口にした。

「その……、確かに衛宮さんに泣かされました」

「ええっ!?」

「士郎さん!」「衛宮さん!」

 細かい事情も知らないまま、刹那の親友達が怒りを露わに士郎へと詰め寄った。

「悪かった。何が原因かわからないけど、傷つけたなら謝る。できれば、何が問題なのか教えてくれればありがたい」

 なんの実感もない士郎としては、そう謝罪するしかなかった。

「謝る必要なんてありません。士郎さんの言ってくれた事が嬉しかったんです。これは嬉れし泣きですから」

 刹那の朗らかな笑みを見て、アスナとこのかの怒りが霧散する。

 取り繕うためなどではなく、本心から刹那が喜んでいる事を察したからだ。

「みなさんと出会えて、私は幸せです」

 

 

 

(52B)遙か遠い空の下へ

 

 

 

 学園長の尽力により、戸籍すら存在しない士郎と小太郎もパスポートを入手できた。

 明らかな違法行為なのだが、そもそも、魔法の存在自体が法律を逸脱している。魔法世界からの訪問者は、全てこのようにして出入国を繰り返しているのだから、今更指摘したところでどうにもならないのだ。

 ネギま部員達を乗せたジャンボジェットは、一路イギリス目指して飛行中である。

 さすがの皆も機内ではおとなしくており、せいぜい、頭の中でだけは、騒がしかった夏休みの思い出に浸っていた。

 

 

 

 士郎達――より正確に表記するなら“ネギ達”と士郎がイギリスへ旅立った、その夜の事だ。

 麻帆良学園内に存在する小さな公園での事。

 敷地そのものが狭いため、街頭の数こそ乏しかったが、人が存在すれば確実に照らし出していたはずだった。。

 しかし、無人と見えた夜の公園に、なぜか女性の声が聞こえている。

「ちょっ……聞こ……る? 私の……届いて……」

 澄んだ綺麗な声だったが、電波状態の悪いラジオ放送の様に、言葉がぶつ切りとなっていて内容は判然としない。

「返事……さいよ、しろ……! どこ行って……よ!?」

 その女性はある人物へ何度も呼びかけているだが、その名を持つ人間はすでに麻帆良の地から遠く離れていた。

 あいにく、この場には当人はおろか誰一人存在しない。

 呼びかけが無駄だと悟ったのか、虚しく響いていた声も止んでしまう。

 再び、公園には静寂が訪れた。

 今も物音一つしていないが、一人の少女の姿が街灯の下に浮かび上がる。足音や衣擦れの音すら立てない彼女の姿は、どこか幻のように感じられた。

 暗い地面に転がっている一つの宝石を、少女が見つける。

 赤く大きな宝石が、銀細工でペンダントに加工されていた。

 少女の手が、指で鎖を引っ掛けるようにして、ネックレスを釣り上げる。目線の高さまで持ち上げると、少女は興味深そうに、深紅の宝石を見つめた。

 宝石を無造作にポケットへしまって、少女は公園を後にする。

 立ち去る彼女の姿が、夜の闇の中へ溶け込んでいく。

 左目の下に涙のような、右目の上下には傷のような、奇妙な化粧を施していた少女。

 ピエロを思わせる少女の名は、ザジ・レイニーデイといった。

 

 

 

つづく

 

 

 
あとがき:原作の刹那は、ネギ達に暴露して以降、平然とばらすようになったみたいです。ちょっと気になっていたため、原作との時間差エピソードとして、その点に触れてみました。後半部では、唯一、士郎と遭遇していなかった3−A生徒が、こんな形で登場となりました。予想はつくでしょうが、再登場はずっと先(笑)。次回からは新章です。