『シロネギまほら』(45)麻帆中用務員勤務録

 

 

 

 ノックを響かせた用務員室の扉が、カチャリと小さな音を立てて開けられた。

「蛍光灯が割れていたので連絡に来ました」

「わかった」

 応じた作業服姿の士郎は、相手の顔を見て記憶を刺激された。

「もしかして……、チア部の?」

 見覚えがあると感じたのは思い違いではなかったようで、釘宮円が頷いた。

「うん。学園祭以来だね」

「それで、場所はどこ?」

「二階の東側廊下で、壁に取りつけてある照明が割れてた」

「今の時間なら暗いわけじゃないし、交換は後回しにするか……」

 先輩用務員の吉沢は不在のため、士郎はできることだけ済ませておこうと判断する。奥の部屋へ入った士郎が持ち出したのは、金属製のバケツと大型の掃除機だった。

 彼女に案内されて現場にやってくると、椎名桜子や柿崎美砂が他の生徒達に注意を呼びかけていた。

「……あっ、えみー待ってたんだよ」

「えみー?」

 笑顔を向けられた士郎が、首を傾げて隣の少女を見た。

 相手に通じていない事を察して、桜子が説明する。

「釘宮がくぎみーでぇ」

「くぎみー言うな」

「龍宮さんがたつみーだから、衛宮さんはえみー」

「……えみーはやめてくれ。まるで女性の名前みたいだ」

 あまり対面を気にしない士郎だが、さすがに気恥ずかしく感じられた。えみーに比べると、まだカミーユの方が男っぽい。

「愛称で呼ぶならエミヤんで妥協してくれ。それなら呼ばれた事あるし」

「じゃあ、そうする?」

 桜子が確認を取るが、二人とも反対の意思はなかった。

「いいんじゃない?」

「衛宮さんらしいかも」

 美砂と釘宮が頷いて了承する。

「じゃあ、エミヤんで決定ーっ!」

 桜子は妙にテンションが高かった。

「確か、二人ともチア部の子だっけ?」

「そーだよー」

 明るく応じる桜子と違い、釘宮はひっかかりを覚えた。

「衛宮さんは、私のこと知ってる?」

「だから、チア部の子」

「名前は?」

「…………すまん」

 観念した士郎が謝罪する。

 さすがに、学園祭での軽い顔合わせだけで覚えるのは難しかったのだ。

 

 

 

 一度戻った後、新しい蛍光灯の取りつけも終わらせて、士郎が用務員室へと戻ってきた。

「ご苦労さん。お客さんだよ」

「お邪魔してます」

 戻ってきていた吉沢老人と共にお茶をしているのは、この学校の1年生――佐倉愛衣という少女だった。最近になって新人用務員の存在に気づいたらしく、先日、ちょっとしたお願いをしにここを訪れたのだ。

 士郎はサイドボードに乗っているポーチ入りの弁当箱を彼女に差し出した。

「弁当おいしかったよ」

「そうですか。良かったです」

 安堵する愛衣だったが、弁当の制作者は別にいる。

 彼女が士郎に頼んだのは、料理が上手くなりたいという高音のために、超包子の料理人である士郎に味を見て欲しいという内容だった。

「お姉様に伝えたら喜ぶと思います」

 この弁当は始業前に届けられ、放課後に回収という段取りだった。

 愛衣本人が士郎に恋愛感情を持っていたなら、昼休みに一緒に食べるぐらいはしたのだろうが、女子校では噂が一人歩きしかねないため本人も自粛したのだ。

「高音はあまり弁当を作らないだろ?」

「はい。ウルスラ女子は食堂も充実していますから、自作はしてないはず、ですけど……?」

「ちょっと気になったんだ。料理は手が込んでいるし、頑張ってるのはわかるんだけど、弁当としては問題があると思う。作りたてで食べるわけじゃないから、冷めてもおいしい料理とか、水分が出ないように工夫しないとな」

「そ、そうですか……」

 隠しようもなくひきつる愛衣の表情に、士郎が慌てて言葉を添える。

「大失態というわけでもないし、次から気をつければいいことだろ。上達するための練習なんだから、気にすることはないさ」

 そんな士郎の慰めも効果はなく、余計に彼女を落ち込ませてしまう。

 彼女につらい思いをさせるのは心苦しいが、高音の腕前を上達させるためには正確な評価が必要だと士郎は考えた。そうでなければ、自分が食べる意味がないからだ。

 肩を落として帰ろうとした愛衣に、一応告げておく。

「細かい指摘はメモに書いて入れておいたから、そのまま渡してくれ」

 その言葉に驚いて、中から紙片を取りだした愛衣は、事細かにダメ出ししている注意書きを見て真っ青になる。

「早く言ってくださいよ! 気づかないで渡してしまったらどうするんですか!」

 涙目になって怒鳴る愛衣。

「え? そ、そうか? わ、悪かった」

 彼女の剣幕に押されて、士郎は思わず謝罪していた。

 一方で、このまま放置していたら高音は同じ失敗を繰り返すわけで、どうやって欠点を教えるべきか、愛衣は思い悩むことになるのだった。

 

 

 

 ドタドタドタと大きな足音を立てて、ネギを先頭に数人の少女達が用務員室へ駆け込んできた。

 魔法関連の話らしいので、校舎裏へ移動し、あらためて士郎は事情を尋ねた。

 ネギの話によれば、イギリス行きをアスナに伝えたところ、彼女だけでなく、居合わせたのどかや夕映やハルナまでが同行すると言い出したとのことだった。

 士郎のいた世界の話であったなら、士郎だって力ずくで彼女等を止めていたはずだ。気づいたときには死んでいたという事が、平然と起こりうるからだ。

 だが、士郎がこちらで受けた印象はそこまでシビアなものではない。あのエヴァが600万ドルの賞金首で、恐怖の存在と言われているのでは、危険に関する敷居値が非常に低いと感じるからだ。

「エヴァの話だと、そこまで危険な場所へ行くわけじゃないし、父親探しをするだけなら問題ないんじゃないか? これまでにも調査は行われているんだろう?」

「それはそうかもしれませんけど……」

 漠然とした不安でもあるのか、ネギは頑なだった。

「僕個人の事情に皆さんを巻き込むわけにもいきませんし」

 すがるような視線を受けて、士郎もネギが何を望んでいるかうすうす察しがついた。

 ネギは士郎の意見を求めているのではなく、士郎がアスナ達を止めることを望んでいるのだ。

 もしも、士郎がネギと同じ立場だったなら、どんなに嫌われても拒んだだろう。思いとどまらせるのが無理なら、何も告げずに一人で出発してしまう。

 ネギが説得したいと望むのは、おそらく彼女達に嫌われる――決別するのが怖いからに違いない。

 ネギは日常と理想を天秤にかけられる人間であり、士郎はそれができない人間と言える。

 凡人でありながら異常を抱えている士郎と、天才でありながら正常なネギ。これが似ているように見える二人の、絶対的な違いなのだろう。

『選ぶ』という地点をとっくに踏み越えてしまった士郎には、ネギが羨ましいとすら思えてしまう。

「メルディアナ……だっけ? 向こうへ確認してみたらどうだ? 人数の追加に許可が下りないなら、こっちでいろいろ悩んでも時間の無駄だからな」

「そうですね……。そうだっ! 許可が下りないことにすれば、みんなも納得してくれますよね!」

 その発想にたどり着いて喜ぶネギだったが、目の前では士郎が頭を抱えている。

「あの……、どうかしたんですか?」

「聞こえてるわよ、ネギ〜」

 すぐ近くにいながら、地の底から響くようなアスナの声。

 のどかは悲しそうに、夕映は悔しそうに、ハルナは不機嫌そうにネギを見ていた。

「私たちを騙そうったって、そうはいかないんだからね。本屋ちゃんのアーティファクトでちゃんと確認させてもらうわよ!」

「はい! 任せてください!」

「ええーっ!?」

 涙目になって、士郎にすがるネギ。

「……俺にどうしろと? もう、誤魔化しようがないだろ。最初から説明してくれれば、口裏を合わせるぐらいはしてやれたのに」

 断るのを手伝ってくれとネギが頼んでいたなら、別な結果もあり得ただろう。

 今となってはどうにも協力のしようがなかった。

 

 

 

 戻ってきた士郎に、吉沢が新しくお茶を煎れ直す。

「良く客が来るねぇ」

「すいません。騒がしくて」

「活気があっていいじゃないか。うちの子達は元気があってなによりだ」

「壊れる備品も多いですけどね」

 学校の規模が大きく在校生が多いことも、その理由に含まれている。

「君が来てくれて助かったよ。年を取ると思うように動けなくてね」

 用務員となってから、幾度も聞かされている言葉だった。

 これまでは何かあった場合に施設課へ連絡するのが吉沢の役割となっていた。それが、士郎が来たことによって、対応できることが増えている。

 士郎は修理が得意なうえに、解析や強化魔術も使えるため、多少の修理ぐらいなら自前で行えるのだ。用務員としての彼の評価は非常に高かった。

「夏休みに遊びに行く予定はあるのかね?」

「友人と一緒にイギリス旅行へ行く予定なんです。さっきもその件に関する話でした」

「ほう。海外旅行か。物騒な話も聞くし、怪我などしないようにね」

「わかってます。どうも、女の子が増えそうだし、危険なところへは近づかないつもりですから」

 と士郎は朗らかに応じていた。

 

 

 

 数日後。

 麻帆良学園は夏休みに突入した――。

 

 

 

つづく

 

 

 
あとがき:原作における1学期編終了のタイミングにあわせようと考え、章の締めくくりとして追加した話だったりします。


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