『シロネギまほら』(42)春日美空は動かない
世界樹近くにある広場で、早朝稽古に精を出す面々がいた。
古菲とネギ、刹那とアスナという二組の師弟と、ついでに士郎である。
「昨日、のどかが懺悔をしてたみたいアル」
組み手の合間に、古菲がそんな話題を持ち出した。昨夜、寮で顔をあわせたときに、そんな話をしたのだという。
「のどかさんがですか?」
ネギにとっては、のどかと懺悔という言葉がつながらない。
士郎も同じ感想を持った。
「懺悔が必要なタイプには見えないけどな。失敗して後悔するよりも、何もできないまま悩んでいそうな気がする」
「そうアルねー。のどかはもっと好きに生きてもいいと思うアル」
古菲はむしろ自由に生きすぎとも言えるが、言いたい事は士郎にも分かった。
「宮崎は回りの人間を気にして、遠慮しすぎだからな」
会話が耳に入ったのか、刹那達も打ち込みを中断して話に加わった。
「それならば、衛宮さんも同じではないですか? いつも人助けを優先しているように見えます」
「そうそう。士郎さんも人の事は言えないと思う」
「そう見えるのか?」
二人の指摘に自分の行動を思い返してみるが、士郎にはまるで自覚がない。
「思い違いじゃないか。むしろ、俺は好きに生きている方だろ? したい事をしてるだけで、したくない事は絶対にしないし」
士郎の認識ではそうなっている。
確かに彼は自分の意志を曲げず、信念を貫いて生きている。『他者優先』を一番の目的にする点が歪なだけで。
「…………」
アスナも刹那も無言でため息を吐く。
「なんでそういう生き方しかできないかなぁ。あんたもよ、ネギ」
「ええっ!? 僕もですか?」
突然話を振られてネギも驚いた。
「ネギも士郎さんも、堅っ苦しいのよ。誰かのためとか、これが正しいからとか! 人の事よりもまず、自分の事を考えなさいよ! やりたい事ぐらいなんかあるでしょ?」
「やりたい事ですか?」
「やりたい事か……」
二人が自分の心に問いかけてみる。
「修行でしょうか」
「稽古かな」
あらためて、アスナと刹那がため息を吐く。
古菲はなぜか手を挙げて発言した。
「はい、はい! 私も稽古アル!」
アスナが不思議そうに古菲を見た。
「古菲だと好きに生きてるように見えるのはなんでだろ?」
「微妙にバカにされてる気がするアル」
教会を訪れてみたが、シスターである美空の姿は見あたらない。
士郎がここまでやって来たのは、ちょっとした気まぐれからだ。
住んでいた街の教会で、彼は一人の神父と対面した。
神の慈悲などとは縁の遠い人間で、自分の古傷を的確に容赦なく抉られた。あれは軽いトラウマだ。
その後に赴任して来たシスターも、その神父と似た所があって、士郎は苦手意識を持ったものだ。
教会を訪れる気になったのは、ごく普通の神父がどういう人間なのか興味を覚えたからだ。
懺悔室の椅子に腰を下ろし、士郎は壁の向こうへ話しかけた。
「懺悔らしくないかもしれませんが、話を聞いてもらっていいですか?」
「もちろんです。どなたでも歓迎しますよ。人を導くのが私の務めですからね」
柔らかな対応で話しやすそうな感じだ。目の前に立つだけで緊張を強いるような“あの神父”はやはり特殊な例なのだろう。
「俺は“正義の味方”を目指しているんです」
「正義の味方……ですか。私は知らないのですが、どのような事をするのでしょう? 特撮ヒーローの様に悪の組織とでも戦うのですかな?」
「単純に人助けが目的です。だけど、正義の味方には悪の存在が必要だと指摘された事がありました」
「それもまた一面の真理でしょうね」
「そう……ですよね。俺は心のどこかで、倒すべき敵を求めているのかも……」
悪意のある存在を待ちかねているのだと指摘されたように感じ、士郎の口調が沈み込む。
「求める事は悪い事ですかな?」
「あたりまえでしょう。それは、誰かが不幸になるという事ですから」
「自分を認めてもらいたいという気持ちは誰にでもありますよ」
「いえ。認めてもらえなくてもいいんです。ただ、人助けができれば」
「それならば問題はないでしょう。あなたは不幸を求めているわけでなく、救う事を目的にしているのです。あなたが積極的に人を害そうとしない限り、あなたが罪を感じる必要はありません」
「だけど、俺は皆の幸せを願っているはずのに……」
これでは、自分の根幹に齟齬が生じてしまう。
「では医者はどうなりますか? 健康な人間にとって、医者とは不要な存在ですよ。しかし、いてもらわなくてはならない。犯罪が無くとも警察は必要ですし、災害が起きずとも消防は必要です。普段は無用の存在であっても、存在することで安心を与える。これもまた存在意義と言えるでしょう」
「だけど、正義の味方は職業とは違う」
「人は迷う生き物です。悪しき思いが芽生えたとしても、それを自制し悔やめればそれで十分なのです。重要なのは、正義の味方が必要となったときに、正義の味方としての行動がとれるかどうか。あなたが研鑽を続け、求められる力を蓄えたのならば、それは価値のある行為と言えるのです。たとえ、生涯に渡って力を発揮する機会がなかったとしても」
「それが、間違った動機であってもですか?」
「間違った動機などと言うものは、存在するのでしょうか? 問われるべきは、何を為したかだと思いますよ」
「俺は小さい頃、オヤジに命を救われました。その時のオヤジの顔が忘れられず、オヤジのように笑いたいと思ったんです。だから、俺はオヤジの夢だった正義の味方になろうと誓ったんです」
「それが間違いだと言うのですか?」
「ええ。俺自身の望みではなく、オヤジを真似しているだけですから」
「私には何を問題視しているのかわかりません。誰かの結婚式を見て、結婚したいと望んでもいいでしょう。野球選手に憧れて、野球を始めるのもいいでしょう。どのようなきっかけであろうと、夢を持つ事が大切なのではないでしょうか?」
「だけど、俺が本当に望んだのはオヤジのようになる事なんです」
「では、正義の味方以外にも、お父上に近づく方法があるのですかな? 他にあれば、正義の味方を選ぶとは思えませんが?」
「それは……」
「手段が一つしかないのであれば、迷う意味はありません。ここで私がやめるように勧めても、あなたは諦めたりしないでしょう。それはあなた自身が、正義の味方を目指しているからです。それが本人の意志でなくてなんなのです?」
「…………」
士郎には反論が思いつかない。
何度も間違っていると指摘を受けているが、結局、士郎はその道を選んでしまった人間だ。それを是とした人間が、間違っている事を証明できるはずもない。
「あなたが別の夢を見つけ、どうしても正義の味方をやめられずに困ったのなら、もう一度ここを訪ねてきてください。その時こそ私は、間違っていると言ってさしあげられるでしょう」
「別な夢……?」
言われるまで考えもしなかった。
正義の味方になるという夢は、魂の奥底に刻みつけられたものなのだ。果たして、こんな自分にも他の生き方が可能なのだろうか?
「もう一つ聞いてもいいですか?」
「どうぞ」
「俺は小さい頃に大火災にあって、一人だけ生き残りました。死にかけた人間を助けようともせず、多くの犠牲の上で俺は生き延びたんです。だから、俺は自分の命を誰かのために使わなければならない。知りあいからは間違っていると叱られ続けても、俺はこれからも変われないと思う。誰かを救おうとして無茶をするのは間違っているんでしょうか?」
「…………」
言葉に詰まりながらも、神父は答えてくれた。
「一つ、質問をいたしましょう。あなたは、他人の命を守る事と、自分の命を守る事。どちらを優先しますか?」
「他人の命を守る事です」
「誰かが危険な状況にある時、自分の命を失うとわかっていても、助けたいという事ですか?」
「はい」
士郎はためらうことなく答えた。
「それは、自分の命を失うよりも、他人の命を失う方が辛いから、ですね?」
「そうです」
「自己犠牲とは難しい行為なので、あなたの志は尊いものです。ですが、そんなあなただからこそ言わせてもらいます」
コホン、と咳払いをして、神父は深く切り込んだ。
「では、あなたに助けられた人間は嬉しいのでしょうか? 自分を助けてくれた人間が死んでしまったというのに。自分の身に当てはめて考えてみてください。あなたを助けた恩人が、それを原因に死んでしまったとしたら、やはり辛いのではありませんか?」
「それは……、確かに辛いと思います」
「あなたは、自分がされて嫌な事を、相手に押しつけているのですよ。それは正しい事だと言えますかな?」
「そんなつもりはありません!」
「しかし、結果的にそうなります。あなたに救われた人物は、恩人を死なせたという十字架を背負って生きる事になります。自分の命を軽く扱うというのは、そういう事なのですよ。一般の方とは逆の方向性かも知れませんが、あなたもまた楽な方へ逃げているのです」
士郎は助けようという意志が強く、そういう視点で振り返る事があまりなかった。
かつて、セイバーや遠坂に助けられ、幾度も悔しい思いをしたはずなのに。
「あなたの価値を決めるのはあなたではありません。迷ったのなら、回りにいる人を見てください。あなたを知る人達が、あなたの価値を教えてくれるでしょう。あなたが死んだ時に、友人達は嘆き悲しむはずです。それとも、あなたの友人達は、あなたの死に何も感じないほど冷淡な人間だ、と言うつもりですかな?」
今さら考えるまでもない。きっと、涙を流して嘆き、或いは、怒ってくれるのだろう。
「そんな友人達を犠牲にしてまで、あなたは他の人々を救おうと言うのですか?」
「犠牲……?」
神父の指摘に愕然となる。
『全てを救う』という理想を追い求めていたはずなのに、自分の行動が何らかの犠牲を強いていた?
「あなたはまだ若い。これからでも変われるはずです」
「でも、俺にはこういう生き方しかできないんです」
「私は正義の味方をやめるべき、などと言った覚えはありませんよ」
「……え?」
「あなたの命が象徴するのは、あなたを大切に思う友人達の心なのです。見知らぬ誰かと、あなた自身と、大切な友人達。その全てを守ってこそ、正義の味方なのではないですかな? 遠く険しい道のりだとは思いますが、それでも目指すべき価値があるはずです」
歪みを修正するどころか、士郎を焚きつけるような言葉だった。
だが、だからこそ士郎にとって理解しやすかった。
自分の目指す道を強引にねじ曲げるのではなく、道を貫いたその先にこそゴールがあるかも知れないのだ。
「話は長くなりましたが、最後にもう一つだけ。神の前では誰もが平等です。こうして生きているという一点だけでも、あなたには生きる価値があるのです。そして生きる義務も負っています。人生を楽しみ、生き方に悩み、死を怖れる――そういう“生きる権利”を行使する義務です。それを忘れない事ですな」
士郎は礼を告げて懺悔室を後にした。
教会を出た士郎は、道ばたで見覚えのあるシスターと顔を合わせた。
ペコリと会釈をして通り過ぎようとすると、彼女の方から声をかけてきた。
「衛宮さんでしたね」
「はい」
「学園祭では、あなたも学園側に協力してくれたそうですね。学園長から聞きました」
「あれは、超のためでしたから」
「超鈴音の? あなたは超の計画を阻止するために動いたのでしょう?」
「超を止める事が超のためだと思ったんです。超が間違っていると思ったから」
「そうですか……」
詳細までは理解できずとも、士郎なりの信念や倫理観で動いたのは彼女にも理解できた。
中立を言い出した士郎をあの時こそ危険視したが、学園長や高畑から幾つか話は聞かされている。
学園などのしがらみがない分、彼は自分なりに正しく生きようとしているらしい。
「教会に用事でもあったのですか?」
「ちょっと神父さんに話を聞いてもらおうと思って」
「そうですか。申し訳ありませんが、明日には戻るはずなので夕方に出直してもらえれば……」
「え? 神父さんはいましたよ」
「……いた?」
「はい。懺悔室で話を聞いてもらいました」
「変ですね。美空は何も言いませんでしたか?」
「春日は見かけませんでしたけど」
「…………」
シャークティが不機嫌そうに眉をひそめる。
「ちょっと急用ができましたので、これで失礼します」
そう言い残すと、士郎の返事も聞かずに、教会へ向かって駆け出していた。
「士郎さん。こんなところでどうしたんですか?」
入れ代わるように教会の方からやって来たのはネギだ。
「教会で懺悔をしてて、これから帰るところなんだ」
「士郎さんもですか? 僕も今話を聞いてもらったんですよ」
「どうだった? 俺はためになったけど」
「そうですね……。僕もよく考えてみたいと思います」
ズドーン! 教会の方から大きな衝撃音が響いてきた。
驚いた二人が振り返ると、美空とココネの身体が教会の上に吹き飛ばされていた。
「わ!? 何アレ?」
「あー、気にすんな。一人の謎のシスターが地獄の淵を垣間見てるだけさ」
驚くネギに対して、カモはあっさりと受け流す。
士郎にも状況は推測できた。
「教会の仕事を怠けてたのがバレたんだな」
シャークティが慌てて帰ったのもそれが原因に違いない。
困った少女だが、あの神父の元にいたなら、きっと立派に成長できる事だろう。
士郎はそんな風に考えていた。
あとがき:タイトルの元ネタはマンガ『岸辺露伴は動かない』です。イタリアで懺悔室を取材中の露伴が、神父に間違われて懺悔を聞く話です。それと、私は宗教に疎いので、説教の論理が間違っていたとしてもご勘弁願います。
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