『シロネギまほら』(35)天体観測の邪魔者達
「五月はこの人の事を知ってるの?」
ボーイッシュな少女が五月に尋ねた。
「超包子でアルバイトをしている衛宮士郎さんです」
返答を受けて、初対面となる少女達がそれぞれ名乗った。
「私は釘宮円」「柿崎です」「桜子だよー。みんなチア部なんだ」
一人目は、おかっぱで格好いいという表現が似合いそうな少女。
二人目は、女性らしさが強く出ていて、異性の注目を集めそうな少女。
三人目は、髪を頭の両サイドへ結い上げている、根っから明るそうな少女だ。
それぞれの容姿を確認した士郎がつぶやく。
「えーと……、チア部の三人組だな」
『凄い手抜きで覚えられた!?』
対応の悪さに三人が驚く。
「悪い。学祭中に会った人間が多すぎて、覚えきれそうもないんだ」
ついさっきも、3−Aの四人と新しく顔を合わせたばかりなのだ。
「うわー、キレー!」「あっちで花火が上がってるよ」「違うよ。アレはミサイルだってば」「ネギ君、どこかな?」「この銃だと届かないよー!」「ちょっと、押さないで」「落ちる、落ちるー!」
誰も彼も3−Aの人間は非常に騒がしい。
空での戦いは新しい局面を迎えていた。
すでにネギは単身ではない。ネギの進路を切り開き、背後を守ろうとする仲間達が存在していた。
そこには、アスナ、刹那、美空、小太郎、高音、愛衣の姿もあった。
「いつ着替えたの、エミヤ?」
士郎の外套が消えている事を裕奈が指摘する。
「あー……、着替えたって言うか、もともと着てなかっただろ。あれは……CGなんだ、CG。ホログラム映像で、3分しか保たない」
適当な事を口にして誤魔化す。
「そうなの?」
「超の造ったやつだから、俺も詳しい原理は知らないけどな」
「へぇ〜」
裕奈は感心したように頷いている。
簡単に納得してくれるのはいいが、学園内に作用している心理操作系の魔法は、非常に危険なんじゃなかろうか? あまりの騙されやすさに、心配になってくる。
「やったーっ!」「ネギ君凄い!」「やるじゃん!」
歓声を耳に飛行船に目を向けると、一気に形勢が傾いていた。
膝をついている超と、傍らに立つネギ。二人の姿勢が全てを物語っている。
「まだ終わらぬヨ!」
超の誇りや覚悟は、自分が屈する事を許さない。
この瞬間まで隠し通してきた、超の魔法が炸裂する。
超とネギの間で応酬される、強力な魔法の数々。
その激戦に皆の目が奪われる中、士郎の心で一つの疑問が頭をもたげていた。
飛行船の上に立っているハカセは、援護もせずに何をしているのだろうか、と。
路面電車が近くに浮かんでいるのを目にした時に、最初はハカセも驚いた。
しかし、考えればわかる事で、あの電車もまた超包子の機体であり、アンドロイド田中さんと同じ種類の識別信号を発している。そのため田中さん達では敵と認識することができないのだ。
乗っているのはクラスメイト達なので、自分たちの障害になるとは思えなかった。
だが、飛行船上を通過しようとした路面電車から、一人の青年が飛行船に降り立った。
超包子でよく見かけるトレーナーにジーンズ姿。いつもと同じ格好だからこそ、この場面では非常に浮いて感じられた。
高空の風にさらされながら、ハカセは士郎と対峙する。
(手伝いに来てくれたわけじゃ……なさそうですね)
ハカセの疑念が伝わったわけでもないだろうが、士郎はその答えを与えていた。
「悪いけど、超の望みをかなえさせるわけにはいかない」
士郎が呪文を唱えると、その右手に歪な形状をした短剣が握られた。
その刃を、自分が踏みしめていた飛行船に突き立てると、澄んだ音と共に魔法陣が……。
「……消えない? そんな馬鹿な」
もう一度、魔法陣にルールブレイカーを突き刺した。
またしても消えなかった。
目を凝らして確認すると、刃の周囲1センチほどは確かに消えているのだ。刃を移動させると、空白部分も移動する。まるで刃のある部分だけを避けるように。
「まさか……。魔法を上書きし続けているのか?」
驚愕の視線を向けた先で、ハカセが呪文を続けながら頷いて見せた。
士郎の推測は正しい。
超とハカセは茶々丸の記憶データを通じて、士郎の持つルールブレイカーの存在を知っていた。
可能性の問題となるが、士郎がどのようなスタンスを取るか不明だったために、敵対した場合に備えて術式に細工していたのが役にたった。
描かれている魔法陣には、いくつかの基点となる部分が存在しており、常に魔法陣を上書きし続けるようになっている。つまり、消される事も想定した上で、組まれた魔法陣なのだ。
これを破壊するには、基点の全てを同時に潰す必要があった。
「――
困惑する士郎の前で、ハカセは呪文の詠唱を続けている。
「ハカセはなぜ、超に賛同したんだ?」
士郎の問いかけに、彼女は答えない。
何よりも優先すべきは、魔法の発動なのだ。超がネギとの戦闘で忙しい今、呪文を唱えるのは自分しかいない。
「――
ハカセの羽織っていたローブを内側から引き裂き、その背中に機械製の翼が出現した。
慌ててハカセを取り押さえようと駆け寄るが、士郎は一歩だけ間に合わなかった。
士郎が連想した通り、それは飛行するための装置だ。バーニアを噴射させて、ハカセの体が宙へと浮かび上がる。
「くそっ!」
ハカセが呪文を唱え続けているのはそれが必要だからだ。詠唱を中断したなら、魔法が使えなくなるか、始めからやり直しになるのだろう。
士郎は腕ずくでそれを止める事もできなくなった。10メートルの高さがあっては、士郎の手は届かない
手段を選ばなければ可能かもしれないが、彼は手段を選んでしまう。
剣で撃ち落とすような事はできない。乱暴な手段に踏み切れるほど、彼女の運動能力を信用していないからだ。心情的な面から言っても、超包子での仕事仲間に危険な攻撃は仕掛けられない。
思いついた方法を実行に移すため、士郎は呪文を紡ぎ出す。
「――
エヴァと学園長は、夜空に浮かびつつ空中戦を眺めていた。それぞれ酒を口に運びながら、完全に観戦モードである。
学園長は、信頼する部下達に全てを委ねたため。
エヴァは、魔法の公表など些事に過ぎないと考えているため。
「いまさら契約執行ごときで何をするつもりだ?」
魔力を引き出されたことに気づき、エヴァは首をかしげる。
飛行船の状況も知っているため、『魔法使い』の士郎でも、『剣士』としての士郎でも、打つ手がないとエヴァは見ていた。
ぐんっ、と引き出される魔力量が増大する。
「ほう……?」
エヴァが不審気に目をこらす。
これほどの魔力を消費する魔法など、士郎は使えない。少なくともエヴァは知らなかった。
「……どういうことだ?」
夜空に浮かぶ飛行船上に、あり得ない光景が出現した。
「なにっ!?」
「なんじゃ、あれは!?」
真祖の吸血鬼と、関東魔法協会の理事――魔法に精通する二人ですら、理解を超える事態に愕然となる。
彼らを驚かせたのは、士郎の『魔術師』としての貌だった。
「――
長い詠唱が終わった時、飛行船の上に刻まれていたはずの魔法陣は消え去っていた。
そこにあるのは、無数の剣が突き立った赤い荒野。星の瞬いていた夜空も、夕焼けに塗り潰されてしまった。
その名を、
あらゆる剣を造り出すこの固有結界こそが、士郎の使える力の源泉なのだ。
「そ、そんな……、あり得ません。こんな非科学的な事……」
驚愕の言葉がハカセの口から漏れ出ていた。
外側から観測していれば生じた変化は限定的なのだが、内側に取り込まれているハカセからは、この世界が地平線にまで続いて見える。
すでに魔法の存在を知っていても、彼女は魔法をオカルトとして認識してはいなかった。同じ条件で同じ現象を再現できる、科学的に検証する事も可能な“未知の技術体系”だと考えていた。
だが、いま目の前で展開した事態は彼女の理解を超えている。
激変した世界。それは、ハカセの知る科学でも魔法でも再現できない奇跡だった。
「ここに俺の世界がある以上、魔法陣は存在しない」
現実世界を自分の心象風景で塗り替える魔術。このとき、現実世界にある魔法陣は、士郎の固有結界によって上書きされ続ける。
そのうえ、驚きのあまりハカセは詠唱まで中断してしまった。これが幻覚によるトリックだとしても、詠唱は始めからやり直しとなってしまう。
困惑しながらも、ハカセは対策を検討する。
どのような原理かは理解できなくとも、術者が士郎である事は疑いようはない。それならば、
ハカセがホログラム上のコンソールを操作する。
「通信不可能!?」
通信可能域30キロ以内に味方機が存在しないのだ。
つい先刻まで周囲を飛び交っていた友軍機に通信が届かなかった。この世界と現実世界(?)では電波すら隔絶しているようだ。
それどころか、GPSデータが何一つ受信できない。まさか地球以外の惑星という可能性はあり得ないはずなので、結界のような限定空間に閉じ込められたと考えるのが妥当だと結論付けた。
ハカセの推論は正しい。二人の頭上には空が開かれているものの、これはGPS衛星が存在しない空なのだ。
「私は直接戦闘は苦手なんですけど……」
困ったようにハカセが告げる。
彼女がコンソールを操作すると、バックパックの射出口が開き、頭上へ向けて10発の小型ミサイルを吐き出していた。
蛇を思わせる噴煙が上空で弧を描く。ハカセの視線誘導を受けて、直下にいる士郎を標的として補足したのだ。
それに対して士郎もまた迎撃を開始する。彼の武器は地面に立ち並ぶ無数の剣。
地面から舞い上がった剣が、ミサイルの進路を遮って激突する。
ドンドンドンドンドン!
目標へ到達する前に物理的な障害物と接触してしまい、時間跳躍弾が発動する。士郎の頭上で球形の魔法陣がいくつも展開していた。
魔力特性を認識してどこまでも追尾するはずのミサイルを、士郎は一歩も動かずに全弾迎撃してのけた。
「まさか、衛宮さんがこんな力を持っているとは思いませんでした。どうしても、私達の邪魔をするつもりですか?」
「俺には超を見過ごす事は出来ない」
「衛宮さんは超さんの動機も目的も知らないはずです」
「目的だけは近衛から聞いた。超は間違っている」
士郎の周囲を飛び回りながら、ハカセは何度もミサイル攻撃を行ったが、その攻撃は全て剣の弾幕によって遮られていた。
事態はすでに千日手のようなものだ。
士郎にはハカセを傷つける事ができないし、ハカセのミサイルもまた士郎にまで届かない。
だが、エヴァの魔力を使用できる士郎にとって、時間は味方だった。
世界樹の魔力が減衰し始めるまで時間を稼いでもいいし、ネギ達の接近を待ってハカセを引き渡してもいい。
膠着を破ったのはエヴァの声だった。
『おい。いつまでそうしているつもりだ?』
「全てが終わるまでだ」
士郎は仮契約カードを使用していないが、エヴァ側で意識を拾う事は可能なようだ。
『いい加減にしろ。ぼーやはすでに超を倒したぞ』
固有結界にいるため外界の状況を認識できなかったが、すでに対決は終わっていたらしい。
「だが、強制認識魔法を実行するのはハカセのはずだ。このまま解放するわけにはいかない」
彼女を抑えている限り、いや、魔法陣を塗り潰している以上、他の誰であっても魔法は使えないのだ。
『貴様を見くびっていたようだな。これほどの力を隠していたとは思っていなかったぞ』
外部から流入していた魔力が突如として途絶えた。
「な、なんだ!?」
『悪いが魔力は断たせてもらうぞ。これは、超とぼーやの戦いだ。あまり脇役に目立たれては、主役が霞んでしまう。……それに、私は今回の一件に手を出さないと、超と約束していたからな』
そう告げたのを最後に、念話がぷっつりと途切れてしまう。
固有結界に必要な魔力は膨大である。ありえない存在に対して、世界そのものから修正がかかるためだ。それはこの世界であっても同様らしい。
現在の士郎では自分だけで起動することは不可能だった。エヴァの補助がなければ、維持できるのもわずかな時間だけだ。
それでも士郎は、最後まで固有結界を解除しようとはしなかった。自身の魔力が激減するのを感じると同時に、この世界観が揺らいでいく。
彼が自力で保てたのはわずか数秒。
「……くそっ!」
士郎の意識はそこで途切れた。
あとがき:という形で無限の剣製をお披露目しました。対戦相手は意外にもハカセ(笑)。『無限の剣製』の扱いについては裏事情で説明します。
追記:魔力を借りるときにエヴァの承諾を取っていましたが、整合性が怪しいため削除しました。(2009-12-18)