『シロネギまほら』(30)だから彼は強くなる
ごそごそと物音が聞こえてきて、小太郎が目をこする。
「なんや、一体〜?」
「悪い。起こしたか?」
「……衛宮の兄ちゃん?」
きょろきょろと当たりを見渡す。
見慣れない場所に疑問を感じるのは数瞬だけ。昨夜は士郎と共に電車屋台に泊まったことを思い出した。
まだ5時半だが、小太郎も朝が早いためあまり苦にならない。
「いまから朝稽古に行くところだったんだ。朝飯は帰ってからになるし、それまで寝てていいぞ」
「それなら先に言いや。俺も稽古につき合うで」
「まだ眠いだろ?」
「何言うてんねん。稽古の方が面白いやんか」
耳がピンと尖り、尻尾がフリフリと踊っている。
猫にまたたびみたいなもので、小太郎は鍛錬に目がないらしい。
このあたりに彼の価値観が端的に現れている。
彼は戦いに勝つ事が好きだった。しかし、ただ勝つのではなく、自分が成長した結果としての勝利が好きなのだ。
「それなら小太郎も一緒に来るか?」
「もちろんや!」
小太郎が足を投げ出すような格好で、芝生の上に腰を下ろしている。
視線の先には双剣の素振りをする士郎の姿があった。
「なあ、衛宮の兄ちゃん。型練習なんかしてて面白いんか?」
「特に面白くはないな。だけど必要だろ」
士郎の行動基準は、好悪の念よりも必要性の有無が優先される。必要だと思えば、どんな嫌な事でも率先して行うのだ。
「せっかく俺もいるんやから、立ち会おうや」
「小太郎と?」
「そや。予選落ちて聞いてたし、魔法も使えんらしいから、衛宮の兄ちゃんを舐めてたわ。月詠ほと強そうやないけど、充分に使えるやんか」
小太郎のあげた名前に心当たりはなかったが、士郎の実力を認めてはくれたようだ。
「でも、今日は竹刀を持ってきてないんだ」
「俺の事、甘く見んといてや。その剣ぐらい防ぎきってみせるで」
「そう……なのか?」
自分の剣を無傷でかわせると言われては、さすがに士郎も不満そうだった。
近づいてきた小太郎が、士郎に向けて空の右手を差し出す。
「ちょっと、貸してや」
剣を受け取ると、小太郎は刀身を横から拳で叩く。
「結構硬いんやな。普通の刀なら一発でへし折れとるで」
今度は剣の刃をたてて、自分の拳をぶつけだした。
「お、おいっ!?」
焦った士郎を尻目に、小太郎は平然と繰り返す。
「あたっ」
四本の指に一本の赤い筋がつき、思わず声を漏らした。
「凄い剣やなぁ。気も乗せてない刃に、障壁を破られるとは思わんかったわ」
血止めの必要すら無いらしく、小太郎が小さな傷口を舐めている。
士郎は逆の方向で驚いていた。
自分が同じ事をやったら、簡単に指が落ちていただろう。
思い返してみれば、キャスターの強化魔術を受けた葛木の拳は、未熟な投影品だったとはいえ干将莫耶を破壊してのけた。強化魔術を使いこなせれば、同様の事が自分にもできるのかもしれない。
「気って、そんな事もできるのか?」
「衛宮の兄ちゃんは気の使い手を見た事ないんか?」
「昨日の予選会が始めてだな。マンガで知ってはいても、実際に戦うなんて想像した事もなかった」
「そやったら、俺の使える技を教えたるから、衛宮の兄ちゃんの戦い方も教えてくれへんか? 条件を合わせて戦ってみようや」
小太郎は細かい事を気にしない性格だし、技術よりも威力に偏りがちなため、技を隠すつもりが無いらしい。
「それはありがたいな」
気についてそうであったように、結局の所、士郎はこの世界に疎いのだ。
そのため、相手の攻撃がどのような効果を持つのか、自分がどの程度の攻撃を加えると危険なのか、ほとんど理解していない。これまでも、機械相手ならばまだしも、人間が相手となると動きが鈍りがちだった。
二人はそれぞれの特技や特性について話し合い、戦闘手法についてルールを統一する事にした。
小太郎が使用するのは、気による強化と犬神。今回は、体術のみに限定して獣化や影分身は使用しない。
士郎が使用するのは、双剣と契約執行による強化、及び投影射出。“壊れた幻想”を使用しないのは、芝生を気づかってのことだった。
契約執行を使うのは、士郎の強化が今のところ身体能力の増幅にしか使えないためだ。エヴァの魔力を借りるのは気が進まなかったが、小太郎が本気でやれないと主張して譲らなかった。
士郎と小太郎は、20メートルほど離れて対峙する。
士郎は双剣を構えていたが、これにはちょっとした細工を施していた。危険を減らすために刃を丸めた状態に加工したのだ。
士郎としても初めての試みだったが、驚くほど簡単にできてしまった。
この双剣はオリジナルとは違い、アーチャーが自分用に加工していた代物だ。それを考えれば、士郎が細工しやすいのも当然だろう。
「ほな、いくで」
「ああ」
小太郎が地面に左手をつけると、その影がざわめいた。6匹ほどの獣が湧きだしたように姿を見せる。
こちらに向かって疾駆する犬神の群を目にして、士郎は呪文を唱える。
「――
生み出したのは3対の干将莫耶。
士郎の至近に出現した剣が、
干将莫耶にあっさりと貫かれ、6匹の犬神はのたうって姿を消滅させる。
「やるやないか」
距離を詰めていた小太郎が、今度は10匹の犬神を召喚して士郎へ向けて放っていた。
「――
迎撃に向かうのは干将莫耶5組。
先ほどとは違って、犬神の群は干将莫耶を警戒しつつ士郎を狙う。彼の剣に追尾機能などないため、仕留められたのは7匹のみ。
飛びかかる2匹を双剣で両断しつつ、魔力障壁が防いでくれた残りの1匹も斬り捨てる。
ザッ! 間近に踏み込む音がした。
至近距離――手の届く距離に少年の頭部があった。瞬動を使用して、士郎の懐へ飛び込んだのだ。
ドン! 士郎の右脇腹を衝撃が襲う。
「がはっ!」
士郎は体勢がそのままで、左側へ身体がずれていた。
魔力障壁がなければ一撃で士郎は悶絶していただろう。気の込められた拳はそれほどに強力だった。
追撃を試みる小太郎に対して、双剣を叩きつける。
小太郎は躊躇せず、自らの両腕で双剣を受け止めた。
「ちいっ、硬すぎやその剣!」
それでも痛みがあるのか、慌てて後方へ退いた。
後ろ向きのままで下がった小太郎に向けて、士郎は手にした双剣を投じていた。
回転しつつ自分に迫る双剣を小太郎がかわす。一本は身体を反らし、もう一本は右手で捕まえて。
素手となったはずの士郎が、小太郎を追って迫っていた。
小太郎は右手に握った白い剣を士郎へ向けて放つ。当たると思われた瞬間に、その剣は幻のように消滅していた。
「なんや!?」
とっさの事で、投影品だということを忘れていたらしい。
「――
干将莫耶を投影すると同時に、士郎の足が剣の間合いに踏み込んでいた。
振り下ろした左の刀が空を斬る。
剣を振り終えるまでの刹那の間に、小太郎の身体は高速で移動して、視界の右端から消え去っていた。
(瞬動か!?)
士郎が右へ視線を向けると、7メートル程先に小太郎が立っている。
そちらへ向かうべく足を踏み出すより先に、小太郎は再び瞬動を行っていた。
士郎の目がその動きを確実に捉える。
自分の右側へ踏み込んできた小太郎へ、横薙ぎに莫耶を叩きつけた。小太郎はかろうじて右腕で受け止めたもの、重心が悪く身体ごと流れてしまう。
年齢を考えれば瞬動を使えるだけでも驚きなのだが、まだまだ完成度が低く、抜きにおける姿勢が安定していない。
がら空きとなった小太郎の右脇腹へ、士郎の左の刀が吸い込まれていた。
「ぐぅっ!」
衝撃を逃がそうとして、身体を投げ出した小太郎は、地面を転がって間合いを取る。
右手で脇腹を押さえながら、小太郎が咳き込んでいる。
「げほっ……、まだまだこれからやで、衛宮の兄ちゃん」
そうつぶやいて小太郎は不敵に笑った。
朝稽古を終えた二人は、どこかのクラスが運営している喫茶店に寄っていた。
テーブルにはモーニングセット2つと、追加で注文したサンドイッチ1皿が並んでいた。
「せっかく、面白くなりそうやったのに……」
立ち会いが中断された事に小太郎は不満を漏らす。
学祭期間中という事もあってか、早朝にもかかわらず広場近くに人が増え始めたため、途中で切り上げたのだ。
「きっと小太郎が勝ってたよ」
「それは最後までやってみんとわからんやろ」
勝敗よりも中途半端な終わり方が気に入らないようだ。
「エヴァの魔力を借りてるから、インチキしているようで好きじゃないんだよな。俺の魔力量は少ないから、本来なら先に俺の魔力が尽きるはずなんだ」
それが彼の正直な感想だった。
普段からの鍛錬や苦痛への耐性により、士郎は持久戦に向いている方だったが、小太郎が相手となると非常に分が悪い。スタミナや回復力というのは、狗族という種が備えている人間よりも優位な点だからだ。
自力で戦っていたなら、長引けば長引くほど不利になると士郎は考えていた。
「そやけど、衛宮の兄ちゃん、強くて驚いたわ。あんだけ強くて、なんで予選に落ちんねん」
「一般の人間を相手に、魔術を使うわけにはいかないだろ。素手ってのにも慣れてないし。契約執行がなければ防御力も低いからな」
小太郎にはその辺りの禁忌がないため、士郎のような配慮に欠ける一面がある。
彼にとっては、気だろうが魔法だろうが、所詮は力という認識があり、“全力で戦う”という言葉は、それらを全てを包括していると考えているためだ。戦いに夢中になった時に、隠蔽などまるで気にしないのもそれが原因だろう。
「それなら、武道会は手を抜いてたんやな」
「そんなつもりはないぞ。……だけど、本選の試合を見たら、魔術の使用を自粛していたのがバカみたいに思えたな」
士郎の心配などとは無関係に、誰も彼もが魔法に類するものを使いまくっていた。むしろ、魔法の威力を見せつけたいかのように。
また、魔法使いとは接触を持たずに、気を使えたり特異な力を持つ人間もいるため、隠蔽する必要性を感じない人間も中には存在していた。
「一つ聞いてもええか?」
「なんだ?」
「悪魔のおっさんとやりおうた時。助けてくれたのは衛宮の兄ちゃんなんやろ?」
「……どうしてそう思うんだ?」
「あの時、悪魔に刺さってたんは、衛宮の兄ちゃんが作った剣と違うんか? ネギのヤツも剣の持ち主を知ってたみたいやし」
「じゃあ二人とも知ってたのか? エヴァには隠しておけって言われてたんだけどな」
自力で悪魔を撃退したという自信を持たせるためだ。士郎の介入は剣一本分に過ぎないので、勝敗には影響なかったとも思えるが。
「双剣とは違ぉたけど、あんな風に剣を飛ばせるんは、衛宮の兄ちゃんぐらいしか知らんからな」
「それもそうか」
ネギ達の魔法でも見かけなかったし、エヴァも投影に興味を持っていた。珍しい力なのは確かなようだ。
「ネギのヤツも衛宮の兄ちゃんも水くさいで。俺かて仲間やろ」
厳密に言えば、小太郎と士郎の関係は顔見知りでしかない。しかし、小太郎が自分を仲間と感じてくれている事は、士郎としても嬉しく思えた。
「ああ、悪かった」
ごく自然にそう謝罪していた。
「なあなあ、衛宮の兄ちゃんも俺らと一緒に修行せえへんか?」
「修行?」
「そや。楓姉ちゃんと約束してんねん。衛宮の兄ちゃんと戦うのも面白そうやし」
「そうだな。俺も入れてもらうか……」
小太郎との戦いで実感した通り、士郎はこちらの戦いに疎かった。小太郎や楓が実力者なのは知っているし、きっと有意義なものになるだろう。
「長瀬とは前からやっていたのか?」
「大会で……負けた後に、誘われたんや。もう、あんな情けない姿を晒せへんからな」
「負けて悔しいのはわかるけど、情けなくはないだろ」
「俺はネギに決勝で会おうて言うてたんや! それが二回戦負けなんて、情けなくて涙が出てくるわ!」
「俺は予選落ちだけどな」
「あ、いや、予選落ち言うたかて、衛宮の兄ちゃんは強いやないか」
「小太郎だって強いだろ」
「そやけど、俺はネギと戦うて約束してたし……」
「対戦相手との相性もあるからなぁ。それに、ネギだってクウネルに負けたんだから、同格って事じゃないか?」
「俺は戦う事しか能がないんや。だから、負けてしもうたら、ネギにも認めてもらえんようになってしまう……」
その事がよっぽど重い意味を持つのか、小太郎は沈痛な表情を浮かべていた。
「もしも、立場が逆になったらどうするんだ?」
「逆って、何がや?」
「ネギが誰かに負けたら。……いや、小太郎の方が強くて、圧倒的にネギを負かしたら、小太郎はどうするんだ?」
「……え?」
「弱いネギにはなんの興味もないのか? 一緒にいる価値はまったくないのか?」
「そんなわけないやろ! 1回や2回負けたかて、あいつはきっと強うなる! それに、たとえあいつが弱かったかて、あいつは……、あいつは……」
「あいつは?」
小太郎は照れたように横を向くと、悔しそうに呟いていた。
「あいつは、俺のライバルやからな」
「ネギの方でもそう思っていると思うぞ」
それでも不安なのか、小太郎がうつむいた。
「衛宮の兄ちゃん、強いってどういうことやろ?」
「どういう意味で?」
「俺は自分を強い思うてた。荒っぽい仕事を引き受けて、今まで自分の力で生き抜いてきたんや。そやけど、楓姉ちゃんは弱いからこそ強くなれる言うてたし、チビゆえからもそんな事を言われたんや」
普段の小太郎なら、こんな弱音を口にしたりはしない。
実力を認めた相手だから、そして、なによりも同じ男だからこそ話せたのだろう。
「小太郎は世界で一番強いつもりなのか?」
「そんなわけないやろ」
「それなら、自分の理想に比べて弱いのが当たり前じゃないのか? これから強くなればいいんだ。世界で一番強い人間がいたとして、その一人を除いて誰もが一度は負けているはずだしな」
「…………」
「俺は偉そうに語れる程、自分が強いと感じた事はないぞ。命懸けで戦った事もあるけど、勝てたのは相性や運が味方してくれたからで、実力そのものでは全然かなわなかった。本当の強さっていうのは、人と比べるものじゃないと俺は思ってる」
「そやけど、戦わずに強さなんてわからんやろ?」
「戦うと言うなら、勝つべき相手は自分しかいない」
「影分身を相手に戦うんか?」
「そうじゃなくて、精神的にってことだ」
「精神的?」
比喩的な表現だと伝わらなかったようで、小太郎が首を捻っている。
「例えば、誰かと戦って負けても、それは本当の負けじゃないと思う。何かに失敗したり、つまづいたりする事は誰にだってあるからな。だけど、自分では無理だと考えて逃げ出したり、これ以上は無駄だと思い込んで投げ出したり、そういう、諦めた時こそが本当の負けだと思うんだ」
「諦めた時が負け言うんやったら、勝つためにはどうすればいいんや?」
「諦めない事だろ」
「どういう時に?」
「ずっとだ」
「ずっと?」
「ずっとだ。諦めずに貫き通して……。そうだなぁ、いまわの際にでも思い返した時に、自分は頑張ったんだって思えれば、それが勝ちって事じゃないか?」
「死ぬまでなんか?」
「死ぬまでだろうな。諦めずに続けるつもりなら、当然そうなる」
実現不可能な理想を追い求めている士郎は、すでにその覚悟を済ませていた。おそらく彼は、死ぬまで歩みを止める事はないだろう。
「小太郎には無理そうか?」
「んなわけないやろ! 俺は諦めたりせえへん! もっと強くなってみせるわ!」
「それなら大丈夫だ。きっと、小太郎は強くなれるさ」
士郎の言葉に、小太郎が嬉しそうに笑っていた。
あとがき:最終イベントを前に、暇そうな小太郎と行動することを思いつきました。この一件により、小太郎は士郎へ懐く事になります。想定していなかったため、我ながらビックリだ。
追記:瞬動に関する描写を修正しました。(2009/01/10)