『シロネギまほら』(29)魔法使いに関する善し悪し

 

 

 

 日も沈んだため、士郎は夕食を取るべくお料理研究会へ向かっていた。

 近道をするべく公園を通ると、噴水の側に倒れている少女を見つけた。

「おいっ! 大丈夫か!?」

 駆け寄った士郎が慌てて抱き起こすと、その少女の顔に見覚えがあった。昼に出会った和泉亜子なのだ。

「……おかしくないか? この子を見つけたのはネギのはずだろ?」

 そんな疑問も浮かんだが、それ以前にする事がある。

 少女の額には、小さな擦り傷と血の痕があったのだ。すでに血は乾いていたが、放っておくわけにもいかない。

「――投影、開始トレース・オン

 士郎は莫耶のみを投影して、右手に握る。

「プラクテ・ビギ・ナル。汝が為にトゥイ・グラーティアー ユピテル王のヨウイス・グラーティア 恩寵あれシット。――治癒クーラ

 亜子の傷は非常に軽いものだったため、士郎の魔法でも無事に完治させる事ができた。

 問題はこの後だ。

 いずれ、ネギがここへやって来るとは思うが、それまで石畳の上に眠らせておくわけにもいかないだろう。

 士郎は亜子を抱き上げると、端に設置されているベンチまで運ぶ事にした。

 それだけでなく、ハンカチを水道水で湿らせてくると、両手や額に残っている血の痕を拭き取ってやる。

「……ん……」

 亜子が意識を取り戻したのか、うっすらと瞼を上げた。

「だ、誰!?」

 士郎の顔を見て警戒する亜子に、士郎は優しく声をかけた。

「何があったか覚えているか? 和泉は噴水の前で倒れていたんだ」

「あ……、そうや! 時間! 時間は!?」

 倒れる寸前の記憶が蘇ったのか、慌てた様子で時計を探す。

 ポール上の時計を見上げ、亜子は愕然となった。

 彼女のバンドが出演する予定時刻は18時20分。それからすでに一時間近く経過していたのだ。

 全てが終わっていた。

「そんな……、ウチ、ウチ……」

 亜子の目から次々と涙がこぼれ落ちる。

 これまで、一緒にバンドの練習をしてきた三人のメンバーに、なんと言って謝ればいいのか。

 そのうえ、憧れていたナギには、背中にある醜い傷まで見られてしまった。

「みんなであんなに練習したのに……。ナギさんにも嫌われてしもうた……」

 悔しさと、情けなさと、恥ずかしさに、涙が次々と溢れてくる。

「全部ウチがダメにしてしもうた! 脇役のウチなんかが、思い上がったりしたから!」

 士郎が亜子の両肩に手を乗せる。

「泣かなくてもいい。バンドはうまくいったはずだし、ナギもずっと心配してた」

 士郎の言葉を聞いて、亜子がらしくもなく睨みつける。

「いい加減なことは言わんといて! あんたにウチの何がわかるんや!」

 見知らぬ人間による、その場しのぎの慰めが悔しかった。自分の悲しみを知りもせず、いい加減な言葉をいう相手が許せかった。

 彼女は士郎が自分の名を呼んだ事実に気づいていなかったのだ。

「ネギ・スプリングフィールドの生徒だろ。今日はナギとデートする予定で、クラスメイトと一緒に『でこぴんロケット』ってバンドでコンテストに出る」

「……な、なんで!? あんたはどうしてウチの事を知ってるんや?」

 どう答えるべきか考えた士郎は、昼間に亜子から言われた言葉を思い出していた。

「俺はね、魔法使いなんだ」

 それは、遠い昔に自分を救ってくれた恩人の言葉だった。こんな形で自分が口にするなんて考えもしなかった。

「魔法使いなんてそんなデタラメなこと……」

「だって、これは和泉の夢だからな」

「夢!? そんなはずないやん! ほら、額の傷だってちゃんと痛い……、あれ?」

 自分の額に触った亜子は、傷がないことに驚く。自分の両手にも血の痕はまったく残っていない。

「なんでっ!?」

「納得したか?」

「本当に夢なら、あんたがいるのはおかしいやん。ウチはあんたの事をよう知らんし。ウチが一番いて欲しいのは……」

 消え入るように小さくなった彼女の声。だが、それでも彼女の求める人物が誰なのか士郎にも理解できた。

「ナギならきっとここに……」

 言いかけて、士郎はその存在に気づいた。

「向こうを見てみろ」

「え……?」

 士郎の指差す先へ亜子の視線が向けられる。

「嘘や……」

「心配しましたよ、亜子さん」

 ナギが優しく微笑みかけていた。

「悪い夢はすぐに覚めます。安心してください。次に目を覚ました時、僕はあなたのすぐ側にいますから」

 歩み寄ったナギが亜子の目の前で跪く。

「幸せになれるおまじないです」

 そう告げて、ナギが『眠りの霧』ネブラ・ヒュプノーティカの呪文を唱えると、亜子は再び眠りに落ちていた。

「これから、もう一度時間を戻るんだよな?」

「ええ。亜子さんには幸せな一日を過ごしてもらわないと」

 そう告げられた士郎は、ネギがひどく羨ましかった。

 こうやって、人を幸せにすること。それこそが“魔法”の存在理由なのだと、士郎には思えたからだ。

 それに比べて、戦いにしか役立たない自分の力は、まるで無価値なものに思えてしまう。

 以前、あの男に言われた通り、危機の存在無くして正義の味方は成り立たないのだろうか?

 

 

 

「衛宮の兄ちゃん?」

「ん? そっちも食事にきたのか?」

 小太郎が千雨や茶々丸とともに、超包子を訪れたのだ。

「そう言えば、ここで働いてるって言ってましたね」

 千雨がそう口にして納得する。

「今はお料理研究会として営業しているから、従業員じゃなくて客だけどな。食べ終えた後は、調理の方を手伝うつもりだけど」

 士郎の前には、パンにポトフに舌平目のムニエルが並んでいる。

「衛宮さんはお料理研究会には参加しないはずでは?」

 そのあたりの事情に詳しい茶々丸はむしろ不思議そうだった。

「今日は3−Aで中夜祭をするんだろ? 超も葉加瀬も他に仕事があるらしくて、四葉に手伝いを頼まれたんだ」

「そうでしたか」

 ぴくん、と動作を止めて茶々丸が虚空を見つめる。

「どうした?」

「私も急用が入りました。ハカセからの通信が入って、すぐに彼女の元へ向かわなければなりません」

「ああ。こっちは任せてくれ」

「よろしくお願いします。それに夕食をご一緒できず、申し訳ありません」

 千雨と小太郎に頭を下げる。

「まあ、いいけどよ。ここへ来るまでにも、ある程度の話は聞けたし」

「茶々丸姉ちゃん、また今度な」

 二人に会釈をしてから、茶々丸はブースターを噴かして飛んでいった。

「ここに座ってもいいですか?」

「ああ、いいぞ」

「衛宮の兄ちゃん、この店のおすすめはなんや?」

「いつもと違って洋風のメニューだけど、四葉が調理しているからどれを選んでもハズレはないだろ。小皿で取り分けていいらしいから、種類を頼んだ方が楽しめると思うぞ」

 千雨と小太郎はメニューを眺めて、研究会のウェイトレスにいくつか注文する。

 二人の前に並べられたのは、クラブサンド、サイコロステーキ、カキのグラタン、海鮮マリネ、チーズフリッター、ヴィシソワーズだ。

 食事を進めながら、千雨が小声で尋ねてきた。

「衛宮さんも魔法を使えるんですか?」

 どのテーブルも騒がしいため、聞きとがめる人間はいないだろう。

「一応な。魔法を習い始めたのはつい最近からだけど。長谷川も魔法使いになるつもりなのか?」

「あいにくですけど、ただの興味本位というやつです。私にとっては、ごく普通の常識的な生活の方が、はるかに魅力的ですから」

「なんでや? せっかく、魔法を知ったのにもったいないやろ」

「ハッ」

 呆れたように肩をすくめてみせる。

「私は今の現実に満足してるんだよ。だれが好きこのんで、デタラメな世界に関わるかっての」

「変わってんなぁ、千雨姉ちゃん。知らんフリしたかて、魔法があるのは変わらんやろ」

 狗族の血を引いていることもあり、ずっとその世界で生きてきた小太郎には、千雨の気持ちがわからないようだ。

「小太郎が言うのも一理あるけど、長谷川の方が賢明だと思うぞ」

「なんでや?」

「え?」

 小太郎が不満そうに、千雨は不思議そうに士郎を見た。

「魔法使いである衛宮さんが、魔法を否定するんですか?」

「魔法に関わるってことは、世界の裏側に近づくことでもあるんだ。危険だと考えて近づかないのも、一つの選択だと思う」

 士郎は魔法を絶対視していない。万能でも完璧でもなく、人の扱える力の一つにすぎないのだ。使えるというだけで、自慢できるようなものとは考えていなかった。

 普通では得られない力を手にすることもできるが、同じように、身の破滅すら招きかねない代物だった。少なくとも、彼はそういう世界にいたのだ。

「それなら、衛宮さんはどうして魔法をやめようとしないんですか?」

「魔法でなければ助けられない人がいるから……かな」

 彼自身にとって、魔法を使う事の危険性――特に自分に対するデメリットはなんの障害にもならない。それで誰かを救えるのならば。

 

 

 

 予定されていた中夜祭は、開催の目的が少し変更された。転校が判明した超の送別会をする事になったのだ。

 夜通しでも騒げるように第3廃校舎の屋上を確保し、設営準備に3−Aのクラスメイトに集合がかかった。

 千雨だけでなく、残りの二人もそれに狩り出された。横断幕を設置する細かい作業は士郎が手伝い、ついたてや机を運ぶ力作業には小太郎が手を貸した。

「お二人も参加しませんか? うちのクラスの事だから、歓迎してくれると思いますよ」

 準備を手伝った二人に五月が声をかける。

「俺は遠慮しておくよ」

 しかし、士郎は首を振った。

「学祭初日に超と話す機会があってさ。あれが超なりの別れの挨拶だったのかもしれない。今はクラスメイトだけで別れを惜しんだ方がいいんじゃないか」

 超に別れを告げる意思があったなら、あの時に話してくれたと思うのだ。縁があれば明日も会えるだろう。

「あー、俺もパスするわ。湿っぽいのは好かんしな」

 士郎と小太郎がそれぞれ参加しないことを伝えた。

「これから小太郎はどうするんだ?」

「部屋に帰って寝るだけやけど、その前にどっかでメシやな」

「それなら、俺が何か作ろうか? 手伝ってくれたお礼に」

「ほんまか!? ちづ姉ちゃん達も一晩中騒ぎそうやし、衛宮の兄ちゃんの世話になるわ!」

 学園祭の二日目はこうして終わりを迎えようとしていた。

 

 

 

つづく

 

 

 
あとがき:士郎が自粛しすぎなのは、作者がメインルートを外す事を楽しんでいるからです。