『シロネギまほら』(28)愛しさと、心強さと、虚しさと
「退いてもらうわけにはいかないのか?」
士郎が譲歩を願い出る。
「さすがに見て見ぬふりはできないでござるよ」
楓は事態をほぼ正確に洞察していた。
高音が想いを向けるべき相手は、この場に一人しか存在しない。
楓は士郎のためにこそ提案したのだが、肝心の本人にその自覚が無いようだ。
「仕方がないな。仕事をやり遂げたいっていう高音の気持ちもわかるし」
士郎が覚悟を決める。
「手を貸すって最初に約束したからな。最後まで二人につきあうよ」
ピピピッ!
「……そういえば、士郎殿は予選落ちでござったな」
楓が顎に人差し指を当てて、その事実を思い返す。
「確かに長瀬とは実力の差があるだろうな」
「いやいや。そのせいで士郎殿と戦えなかったから、拙者も残念だったでござるよ」
「俺と戦ってもつまらないんじゃないか?」
「それは戦ってみればわかるでござるよ」
楓が楽しそうに笑みを浮かべる。
普段は飄々としているものの、意外と戦い好きらしい。
前に進み出た士郎が呪文を唱える。
「――
士郎の手に出現したのはいつもの双剣ではなく、ただの一刀(?)――ハリセンだった。
「ム? それはアスナ殿の」
「ああ。貸してもらった」
「気を無効化されるのはやっかいでござるな」
「悪いがそこまで考えてなかった。刃物を使うより安全に戦えるから、丁度いいと思っただけだ」
ピピピッ!
「なるほど。士郎殿はそういう御仁でござったな」
楓が戦いの場において、士郎と顔を合わせたのはわずかに二度。しかし、彼の人間性を理解するにはそれで十分だった。
「お待ちなさい、長瀬さん。そもそも、これは私自身の問題です」
隣に並ぶ高音へ、士郎が声をかける。
「高音はさがっていてくれ。女の子を戦わせるわけにはいかない」
ピピピッ!
「ああっ!? いまだにメーターが上がってますぅ!」
愛衣が涙目で報告するが、高音の耳には届いていないようだ。
「私も『偉大なる魔法使い』を目指す身です。ただ、守られるつもりはありません」
高音の背後に守護霊のように出現したのは、黒い衣を纏う三メートルほどの影。それは、術者の意志通りに攻撃を繰り出し、敵に反応して自動で防御する強力な使い魔だった。
「――
カードを取り出した愛衣は、アーティファクトを召喚する。『オソウジダイスキ』という名の、汎用性の高い魔法の箒である。
「長瀬さん。私達三人を相手にするのは厳しいと思いますが、それでも戦うつもりですか?」
高音が撤退を勧告する。
本来ならば、多少の実力差は数で押しつぶせるからだ。……本来ならば。
「そうもいかんでござるよ。それに、三対一でもござらん」
ズバッ! 楓を挟むようにして出現する四つの人影。
三人が対峙しているのは五人の楓であった。影分身という術で、作られた分身は実体とほとんど変わらない能力を持つ。
「……それならば、こちらも全力でお相手しましょう」
周囲の建物の影から、次々と何かが立ち上がる。その全てが真っ白い仮面と黒い衣を纏っていた。十九体も出現したのは影属性の使い魔だった。
高音が愛衣と士郎、そして楓に告げる。
「使い魔に命じて礼拝堂の周囲には人払いの結界を施しました。部外者への配慮は無用です」
「ならば、こちらも……」
ズバッ! 楓の人数がさらに増すと、十六人に達した。
3対1かと思われた戦いは、22対16の集団戦となったのだ。
複数の楓と使い魔達が交錯する前線に、士郎の姿もある。
楓の影分身に比べて、使い魔の攻撃力は非常に劣っていた。そのため、主力となるのは士郎であり、使い魔は陽動や牽制がメインとなる。
一体の使い魔が楓の背後からしがみつくと、近くにいた使い魔がわらわらと取りついていく。
動きを封じられた楓の頭に、士郎がハリセンが振り下ろした。
「へぶっ!?」
弾けるように楓の影分身が消滅する。
側面から手裏剣で狙われたのに反応し、士郎がハリセンで叩き落とす。
さらに投じられる手裏剣の前に使い魔が立ちはだかった。命中したはずの手裏剣が使い魔の体内に取り込まれる。
その使い魔が正面から楓に突き進み、襲いかかろうとした瞬間に消滅する。
「むっ!?」
影を割って出たのはハリセンの先端。
使い魔を目隠しに接近した士郎が、使い魔ごとハマノツルギで攻撃したのだ。
「はがっ!?」
意表を突かれた楓がハリセンを受けて消滅する。
士郎は善戦しているものの、それは士郎が足止めされているとも言えた。
この戦いの中心は高音だ。狙われた標的であり、守るべき対象でもある。
半数の楓は、高音へ向かっていた。
直接戦闘に向かない愛衣が後衛となり、大型の使い魔を従えた高音が楓に立ち向かう。
キュキュキュ! 大型使い魔の背後から鞭のような触手が伸びて、楓を迎撃する。
「――
愛衣のはなつ炎の矢が、隙間を縫うようにして楓を狙い撃つ。倒せたのは一人だけだ。
攻撃をくぐり抜けた楓が、高音の懐に飛び込んで右拳を叩き込む。それを受けたのは使い魔の大きな掌だった。
高音本人の反応速度はそこまで速くないのだが、高音の精神集中が乱れなければ防御は自動で行われるのだ。
使い魔の巨腕が楓を殴り飛ばす。
詠唱を終えていた愛衣が、狙いすまして魔法を放った。
「――
影の使い魔まで数体巻き込みながら、四人の楓が消滅していた。
「……お姉様。魔力が尽きそうですぅ」
「何を情けない事を言っているのですか。まだ数分しか経っていません!」
妹分の泣き言を耳にして、魔力量に余裕のあった高音が叱りつける。
たが、高音は一つの事実を失念していた。彼女たちは午前中にも地下水道で一戦やらかしているのだ。戦闘中にほとんど気絶していた高音は、その実感に乏しかったらしい。
士郎もまた愛衣と同じ状態にあり、決着がつくよりも先に魔力切れとなる可能性があった。
優秀な影分身というのは本体と同等の力を有する。しかし、それだけの影分身を造るのは、楓にとっても四人が限界だった。一六分身ともなれば、個々の戦闘力はさすがに希釈されてしまう。
楓の本体は最初の位置からほとんど動いておらず、それぞれの戦闘を眺めていた。
彼女は強力な技も持っているが、一撃にかけるような戦い方をしない。優れた洞察力と多種多様な技によって、敵に合わせた変幻自在の戦闘スタイルを取る。
愛衣については接近戦なら敵とは成り得ないし、高音には正面からの力押しが有効だろう。士郎相手なら遠距離攻撃の数で圧倒すべきだ。
ほぼ正確に三人の戦闘力を把握していた楓だったが、それを実行に移そうとしない。まだまだ余裕のある戦況だと彼女が考えているからだ。
「おや……?」
楓の視線が士郎に向けられた。
いつの間にか士郎は二刀流になっていたのだ。ハリセンを左手に持ち、いつかも見た白い中華刀を右手に握っている。
楓が眉をひそめた。
形勢が不利になったとしても、実剣を持ち出すのは士郎らしくないと感じたのだ。真剣そのものを問題視しているわけではなく、士郎ならば例え負けても自分の意志を貫くと思えたからだ。
楓は一つだけ間違った認識をしていた。魔法をいくらか使えても、士郎はあくまでも剣士だという思いこみだ。
士郎が莫耶を手にしたのは剣として使うためではなかった。
呪文を唱えた士郎は、杖として莫耶を振り下ろした。
「――
三人の楓が魔法の効果範囲に立っていた。
楓の身につけていたセーラー服が氷片となって飛び散り、楓ののびやかな肢体が露わになる。
『なんと!?』
楓の漏らす驚きの声が重なった。
長身に大人びた容姿を持つ楓はモデルとしても通用しそうだったが、おそらくその適性は低いだろう。胸や腰回りが豊かすぎるからだ。
その見事なプロポーションが士郎の目に焼き付いた。三人存在したことで、違う角度と違う体勢が士郎の目に映り、視認した情報は楓のほぼ全身と言っていい。
フッ、と場違いな姿をしていた三人の影分身が、楓の意思で消え去った。
士郎の目が楓の裸体に釘付けになったのも、その消滅を残念に思ったのも仕方がないことだろう。
どぎゃっ! 士郎が後頭部を痛打された。高音の使い魔に殴られたのだ。
「なんで俺が殴られるんだ?」
集中が途切れたのか高音の背後から使い魔は姿を消しており、彼女は両腕で自分を抱きしめるようにしていた。まるで、士郎の視線から自分の胸を隠すかのように。
「そんな魔法を使うからです!」
「いや、だって、一番安全な魔法だし」
「それでもダメです。もう使わないでください!」
武道会で二度も続けて肌を晒したことがトラウマになっているのだろう。高音が過敏な反応を示していた。
「士郎殿も魔法使いでござったな。油断していたでござるよ」
口調だけは冷静だったが、その頬が赤く染まっている。容姿こそ大人びていても中身は純情なのだ。中学生なのだから当然だろう。
「もう使わないから安心してくれ」
「おや? 高音殿の説得を受け入れたでござるかな?」
「どちらかと言えば、俺の心理的な問題だ。長瀬の裸が目に入ると気が散る」
あまりにも正直な答え。
武装解除は、相手の武器を奪うと共に、裸にする事で動きを封じられる。逆に言えば、素手での攻撃力を持ち、裸でも構わない人間には無意味だった。
どぎゃっ! またしても影に殴られた。
「だから、やめろって!」
士郎が怒鳴っても、高音は拗ねたように顔を背ける。
戦っていた相手が楓でなければ、高音も別な反応を示したかもしれない。楓が高音よりもスタイルがいい点も、彼女が機嫌を害した一因だった。
「なあ、長瀬。ここは俺に預けてくれないか。高音が危険な行動を取らないように、俺が近くで見ているからさ」
ピピピッ!
「そんな事を言うから、士郎殿には任せられんでござるよ」
状況をまるで理解していない士郎に、楓がため息で返す。
「今だけは問題ないだろ? 人払いした状態なら、高音が告白すべき相手もいないんだ」
士郎がきっぱりと断言する。
その言葉を聞いて、この場にいた全員が動きを止めた。
「士郎殿は……本当にそう考えているでござるか?」
重要な決断を迫るような面持ちで、楓が尋ねた。
「なにかおかしかったか? ここには男が俺しかいないだろ?」
そう口にした士郎が一つの推測に辿り着く。
「……もしかして、高音が好きなのは佐倉なのか?」
視線を向けられて、高音と愛衣がぶんぶんと首を振った。高音は無表情に、愛衣は諦めの表情で。
「あのぅ、衛宮さんへ告白するということも考えられると思うんですけど」
愛衣がおずおずと尋ねた。
「それはないだろ。俺とは今日初めて会ったばかりなんだ。高音は理想も高そうだし、俺なんか相手にしないはずだ」
そもそも、士郎の自分に対する評価はあまりにも低い。十年前の火災で生き残った罪悪感が原因で、彼は常に他者を優先し続けているのだ。
「高音が好きな相手はここにいないんだろ? そう断言すれば、長瀬も納得してくれるんじゃないか?」
士郎の問いかけを耳にして、高音の身体が硬直する。
そう口にするのは簡単だし、一番無難だとは思う。だが、それは本心ではない。当の本人を前にして、自分の想いを否定しろと?
それどころか、ここで士郎に告白すれば彼女の想いは成就するのだ。その事実を知るからこそ、彼女の心の中では悪魔が囁きかけている。
だが、それを実行すれば、今までの人生も、魔法使いとしての誇りも、目指すべき夢も、女性としての自負も、全てを捨て去る事になってしまう。
高音の葛藤がどれほどのものか、それは彼女の行動から推測するしかない。
視線を士郎へ向けたまま、震える唇から言葉が漏れる。
「あ……、あ……」
「どうした?」
小さな声を聞き取ろうと士郎が近づく。
心理的に追い詰められた高音の右腕に、蛇のような影が絡みついていく。
「あんまりですーっ!」
ゴッ! 影の巻きついた右拳がアッパーとなって士郎を襲った。
この場から逃げ出してしまった高音を、慌てて愛衣が追いかけた。
「待ってくださーい!」
こうして要告白注意生徒による危機は回避された。学園に属する魔法生徒や魔法先生が願ったように、人の心がねじ曲げられるような不幸は回避されたのだ。
いつの時代でも、どこの世界でも、戦いが生み出すのは悲しみと虚しさだけだ。
仰向けに倒れる士郎と、それを眺める楓が、その場に取り残された。
「……なんでこうなったんだ?」
事態についていけない士郎が呆然となる。
楓はぽりぽりと頬をかきながらそれに答えた。
「拙者はむしろ、彼女に同情するでござるよ。いくらなんでも、今のは士郎殿が悪いでござる」
「……なんでさ?」
あとがき:士郎が武装解除をマスターしたのはここで使うためです(笑)。武装解除の効果については微妙なので、裏事情で少し触れておきます。
追記:『ハマノツルギが気には無効』という記述を修正しました。(2009-12-18)