『シロネギまほら』(19)初日の始まりと終わり

 

 

 

 予選大会は20名づつ8グループに別れて行われた。

 本戦出場枠は1グループにつき、2名づつだ。

 B組:ネギ。

 C組:神楽坂明日菜。桜咲刹那。

 D組:古菲。龍宮真名。

 E組:長瀬楓。犬上小太郎。

 F組:エヴァ。高畑。

「3−A関係者は全員合格したみたいだな」

 士郎が口にした通り、上記のメンバーは勝ち抜いた面子である。

「1名……足りないようだが?」

 エヴァがギロリと士郎を睨みつける。

「俺は3−A関係者じゃないし」

 ダン! エヴァの小さい足が士郎の足を踏みつける。

「痛っ!」

 ギリギリギリギリ! エヴァが体重をかけたまま踏みにじる。

「やめろって。本当に潰れるから!」

「この私の従者が、予選敗退とはどういうことだ!」

 彼女は青筋を立てて怒鳴りつけていた。

 

 

 

 士郎が参加したのはH組だった。

 最後まで残ったのは、衛宮士郎と中村達也と竹箒を持った少女の3人だ。

 女の子に挑む事を潔しとせず、士郎と中村達也はお互いを最後の敵と認識していた。

 中村達也の『烈空掌』という名の“遠当て”は非常に強力で、威力も射程も必殺技と呼ぶに相応しい。

 素手の士郎には遠距離戦で攻撃する術がないため、タイミングを見計らって間合いを詰めようと考えていた。

 しかし、中村達也の最後の技名は『烈空双掌ダブルれっくうしょう』。右手から放たれた衝撃波をかわして接近を試みた士郎は、時間差をつけた左手の攻撃をカウンターぎみに受けてしまい、ノックアウトとなったのだ。

 

 

 

「格闘大会で魔術なんてインチキを使うわけにもいかないだろ。格闘家があんな技を持ってるなんて思わなかったし」

 そもそも、士郎のいた世界では、魔術の秘匿に関して実に厳格である。場合によっては目撃者の命を奪うほどに。

 だからこそ士郎は、大会のルールで使用を許可されてはいても、魔術を使う気にはなれなかった。魔術の存在すら知らない一般人に対して不公正だと感じたのも理由の一つだ。

 そのため、この予選会は士郎にとってカルチャーショックにも等しかった。

 結果的にはバレなかったものの、ネギなどは衆人環視の中で『魔法の射手サギタ・マギカ』を使用してしまうのだからビックリだ。魔法が使われるとしても、せいぜい攻撃力や防御力の増加だろうという士郎の予想は、簡単に覆されてしまった。

 格闘家が“気”を使えることやそれを隠さないという事実も、彼はこの時初めて知ったのだ。

「それでも強ければ勝つ。私の従者として恥ずかしくない力を見せろ」

 このあたりは双方の価値観による違いだろう。

 エヴァにとって、“強くあること”の優先度は非常に高く、それを誇示することも同じく重要だった。彼女は侮られることを許容する事ができないのだ。

 一方の士郎は、強さをひけらかすことで、他人の評価を得ようとは考えない。彼が欲しているのはあくまでも実力であり、他人の賞賛や畏怖ではないからだ。

「おかしいだろ。あの契約は俺への恩返しじゃなかったのか?」

 士郎としては契約による恩恵を何一つ受けた覚えはないが、さすがにそこまでは口にしなかった。エヴァを怒らせると命に関わるからだ。

「…………ちっ!」

 もういちど、士郎の足の甲を踏みにじってから、エヴァは士郎の足を解放した。

「それじゃあ、予選落ちは士郎さんだけってこと?」

 アスナが無情にも事実を突きつける。

「ん……、まあ、情けないが、そういうことだ」

 答えた士郎は、一つの疑問にぶつかった。

「神楽坂はどうやって戦ったんだ? そっちも素手の戦い方なんて練習していないだろ」

「私はその……ハリセンを使ったから」

 手に馴染んだという認識すら恥ずかしいものの、アスナは正直に使用した武器を口にする。

「その手があったか」

 遅ればせながらその事に思い至り、士郎が悔やんだ。あのハリセンならば、少なくとも盾替わりには使えただろう。

「俺もハリセンを使えばよかったな」

「あのー、ただのハリセンだと武器にならないんじゃ……」

 アスナがためらいがちに指摘する。

 士郎の投影という特技も知らなければ、ハマノツルギすら複製可能という事実を彼女は知らないからだ。

「元気を出してください。衛宮さん」

「そうだよ。みんなが強すぎただけだし」

 士郎に声をかけたのは、遅れてやってきた千鶴と隣に並ぶ夏美だった。

「そう言ってくれるのは二人だけだな」

 予選会を勝ち抜いた面々は、すでに明日の対戦表へ意識が向いているらしい。

 離れた所で刹那と話していたこのかが士郎の方へ視線を向ける。

「衛宮さんにこれを返しておかんとー」

 士郎が予選に参加するため、彼女に預けたショルダーバッグのことだ。

 てけてけ、と駆け寄ろうとしたその足が、石畳につまづいた。

 ずべしゃっ!

「またやってもうたー」

 転んだ場所で身を起こしながら、恥ずかしげに照れ笑いしているこのか。

 投げ出されたショルダーバッグから、その中身がぶちまけられていた。セーラー服1着と体操着2着だ。

「あかーん。大切な物やのにー。衛宮さん、堪忍してなー」

「ちょっと待て! 誤解を招くような言い方をするな」

 千鶴と夏美がのろのろとした動作でこのかを手伝い、拾い上げた衣類を丁寧に折りたたんでバッグにしまう。

「……どうぞ。大切にしてくださいね」

「……へー、そうなんだー」

 凍りついたような笑顔を浮かべる千鶴と、決して視線を合わせようとしない夏美。

「なんか、ものすごく軽蔑されている気がするぞ」

 背筋を嫌な汗が流れている。

 士郎が必死で弁解し、このかや刹那が口添えして、彼女たちの誤解が解けるまで数分を要した。

 

 

 

「ネギ君。彼がエヴァの従者というのは本当なのかい?」

 高畑の質問にネギがうなずいた。

「僕も聞いたのは初めてだけど、ウソじゃないと思う」

 エヴァ本人が口にしたのだから、間違いではないはずだ。

「名前は何といったかな?」

「衛宮士郎さんだよ。士郎さんがどうかしたの?」

「エヴァが従者とするぐらいだから、強くないとおかしいと思うんだ。予選落ちというのが不思議でね」

「士郎さんは剣士だから、武道会には向いてなかったんじゃないかな。竹刀も持っていなかったし」

「それにしてもね……。君は衛宮君の戦いを見た事があるのかい?」

「刹那さんと稽古しているのは何度も見ているけど、刹那さんの方が強かったよ」

 それは比較する相手が悪いと言えるが、格闘戦から推測するなら刹那と立ち会えるほどとも思えなかった。彼の実力は武器を持った状態でなければ計れないのかもしれない。

「エヴァは自分が強すぎることもあって、相応の実力者でなければ認めようとしないからね。彼にも何かしらの力があると思うんだが……」

 先ほどの会話から考えると、エヴァは士郎が予選を勝ち抜くと予想していたように思える。

「士郎さんは魔法も覚えたてだよ。僕が教えてるぐらいだし」

「そうなのかい?」

 ネギからの情報では、士郎の実力を予想することができなかった。ネギ自身も把握していないのだろう。

 高畑が戸惑うのも無理はない。衛宮士郎の存在と力の一端を知っているのは、魔法協会の中では学園長のみなのだ。

 エヴァの『登校地獄』インフェルヌス・スコラステイクスが解かれた事も、それを行ったのが士郎であることも、学園長は公表を控えている。

 学園長や高畑は大丈夫としても、元賞金首の吸血鬼という肩書きは誤解されやすい。そうでなくとも、強大な力というものは、存在するだけで猜疑を招くおそれがある。

 エヴァの状況について学園長が伏せているのは、彼女に対する信頼の証とも言えた。

 

 

 

「楓はどう思う?」

 真名が傍らの楓に尋ねていた。

「……なにがでござる?」

「衛宮さんの実力だよ」

「簡単に言えば、面白そう……でござるかな」

 ニンニン。顎をつまみながらそう答えていた。

「面白そう? 衛宮さんがか?」

「おかしいでござるか?」

「楓が興味を引かれる相手とは、とても思えないがね」

 真名はそう断じた。格闘戦だけで判断するなら、自分や楓にとって敵どころか障害ともなりえない。

「わかっている情報からでは、士郎殿の強さを計りかねる。未知数であるがゆえに気になる、ということでござるな」

「もうすこし詳しく説明してくれ」

「先日の図書館島では、士郎殿は真剣の二刀流を使っていたでござるよ。あれはなかなかの腕前でござった」

「しかし、さっきの予選を見た限りでは、たいした実力とは思えない」

「そこでござるよ。実戦で武器を用いる者は、それを失った場合の戦い方も仕込まれる。真名の場合はどうだったでござるか?」

「……確かにな」

 スポーツならばお互いに同じ条件で戦う事が前提となるため、素手になったまま戦うというのは論外だ。しかし、実戦は違う。

 武器を失うのは己の失態であり、それに備えるのも自分の責任である。武器を失った場合の対応策がなければ、戦場で生き延びることは難しいのだ。

 真名が銃を手にしたのは非常に幼い頃で、パートナー達の指導がなければ、とっくに命を落としていただろう。

「それを考えると、士郎殿は鍛錬が偏り過ぎているでござるな。もしくは、人から学ばずに我流で身につけたという事でござる。そのうえで、実戦に慣れているとなると、さらなる隠し技があると考えるのが自然ではござらんか?」

「ふむ……」

 真名は士郎の剣技を見た事がない。それを考えれば、楓の判断の方が正しいと思えた。

 3−A内でこそバカブルーの異名を持つが、戦闘者としての長瀬楓は極めて優秀なのだ。

「真名が士郎殿の実力を知りたいのは、どうしてでござるかな?」

「興味があるから……としか言えないね」

「ふむふむ」

 真名の答えを聞いて、楓は面白そうに相手の表情を伺った。

「興味を持ったと言う時点でおかしいのではござらんか? すでに弱いと判断していたのでござろう?」

「これも企業秘密……といったところだ」

 それが真名の最後通牒となる。

 もともと真名は自分の事を語りたがらない。仕事に絡む事となればなおさらだった。

 楓自身の興味は非常にそそられたのだが、この場で聞き出す事を彼女は諦めるしかなかった。

 

 

 

 武道会の予選を終えて、1日目の打ち上げを行うべく3−Aメンバーやその関係者はスターブックス・コーヒーへ向かった。

 ただひとり士郎だけが、とある用事のためにそれを断わった。

 花火の音とそれにも負けない人々の歓声が、士郎の耳にも届いている。

 すでに廊下の照明は消されており、窓から入る乏しい明かりを頼りに廊下を辿り、彼は保健室を訪れていた。

 扉を開けると、椅子に腰掛けていたらしい人影がピクンと反応を示す。

 扉の脇にあるスイッチを入れると、真っ暗だった保健室に明かりが点った。

「さあ、起きろ。もう充分眠っただろ」

「……衛宮さん? え!?」

 蛍光灯の青白い明かりが室内を照らし出している事に刹那が驚く。慌てて窓の外を眺めると、夜空に花火が浮かんでいるのが目に映る。

「なんじゃこりゃーっ!」

 この叫び声はカモのものだ。

 いまだに眠りの中にいるのは、ベッドのネギひとりだけだった。

「んー、アスナさん……いつもと違って固いですよ」

 枕に顔を押し付けて、ネギが寝言を口にする。

「どんな夢を見てるか知らないけど、……そろそろ起きたらどうだ」

 ネギの小さな肩を士郎が揺すった。

「ふえ……? 士郎さん?」

 眠い目を擦りながら、視界に映る相手が誰なのか認識する。

「マズいっすよー、兄貴ーっ! 夜だぜ、夜!」

「スミマセン! 私も眠り込んでしまったようです! こんなことは今までなかったのですが」

 一人と一匹に詰め寄られて、ようやくネギも事態を把握した。

 上半身を起こしたネギは、壁に掛かっている時計に視線を向ける。示している時刻は、ネギにとって信じたくないものだった。

「夜の八時っ!?」

 学園祭の初日は、ただでさえ予定を詰め込みすぎだったというのに、まるまる一日寝過ごしてしまったのだ。

「あわわわ。どうしよーっ!?」

「まずは落ち着けって。いまさら慌ててもどうにもならないだろ」

 唯一冷静な士郎がなだめようとする。

「でもでも、みんなとの約束が! そうだ、のどかさんとも待ち合わせしていて……」

「それも大丈夫だ」

「え……? 大丈夫って何がですか?」

 士郎があまりにも平然としているからか、慌てていたはずのネギの感情も穏やかになる。事情をまったく把握していないため、戸惑いだけは消え去っていないが。

「だから、ネギと宮崎のデートだろ? 一応上手くいったらしいぞ」

「あれ? 上手くって言われても、僕はずっとここで寝てたんですよ」

「それは知っている。だけど、えーと……。3−Aの客よせとか、告白阻止のパトロールとか、武道会とか、生徒の出し物を回ったり、全部問題なかったはずだ」

「士郎さんは何を言っているんですか?」

 すべての予定をすっぽかしたつもりのネギには、全く理解の出来ないことだ。

「あのぉ、士郎さんがみんなに説明してくれたんですか?」

「いいや。ちゃんとネギが対応したはずだ」

「それは式神による身代わりが対応したということでしょうか?」

「そうじゃない」

 刹那が自分なりに解釈しようとするが、やはり真相には辿り着かない。

「ネギは超から懐中時計を渡されていただろ?」

「確かジャケットに入れていたはずですけど」

 士郎は、椅子にかかっていたネギの上着を手にすると、ポケットから懐中時計を取り出した。

「これはタイムマシンらしい。俺は実際に動いた所を見ていないけどな」

『……タイムマシンっ!?』

 ネギが、カモが、刹那が驚きの声を上げる。

「衛宮さん。その……冗談を聞いている場合ではないのですが」

 生真面目な刹那が顔をしかめる。

「ところが、これは冗談じゃないんだ。お前達はこれから、この時計を使って今日をもう一度やり直す事になる」

「本当……なんですか?」

 素直なネギですら怪訝そうだった。

「あと、こいつも渡しておく」

「なんですか、これ?」

 渡されたショルダーバッグを開けると、出てきたのはセーラー服にブルマである。

「ムホーッ!」

 好意的な反応を示したのはカモだけだ。

「士郎さん?」

「衛宮さん……」

 二人が冷たい視線を士郎に向ける。

「それをネギへ渡すように頼まれたんだ」

「どうして、こんなものを?」

 ネギとしては当然の質問だろう。

 だが、このために士郎が何度迷惑を被ったことか。

「俺はそのせいで酷い目にあったんだ。反省しろ」

「どーして僕が?」

「全部ネギの責任だからだ」

「ええーっ!?」

 これまでとは逆に、ネギの方が事情を把握できていない。

「その時計は魔法使いの魔力を使って時間移動できるらしい。移動先の時間は今朝に設定されているらしいから、魔力を込めるだけで移動できる」

「士郎さんは超さんからその話を聞いたんですか?」

「いいや。ネギに聞いた」

「僕? なんでそうなるんですか? 何が何だかわかんないですよーっ!」

「気持ちは良く分かる。俺もそうだったからな。結果的に上手くいくはずだから、気にしないで過去へ戻ってみろ。どっちみち、過去へ戻れないと困ったことになるんだから、信じてみたらどうだ?」

 そう告げて、士郎は保健室を後にした。

 士郎はあのカバンのせいで、今日一日いろいろと振り回された。詳細な説明を省いたのはその事への軽い意趣返しである。

 この時に、士郎が詳細に説明しておけば、士郎自身に降りかかる迷惑は軽減できたはずなのだが……。

 全ては後の祭りであった。

 

 

  つづく

 

 

 
あとがき:意外にも――って、ウチだと意外でもなんでもありませんが、士郎は予選落ち(笑)。士郎の敗因は「参加意欲の薄さ、魔術使用への躊躇、素手」というマイナス補正によるものです。