『シロネギまほら』(17)カバンを手にして右往左往
女三人よれば姦しい。
この場合の三人とは、アスナ・このか・刹那の事だ。その被害を一方的に被っているのは、男性としてひとりだけ同行しているネギである。
士郎がそんな四人と遭遇したのは、古着のフリーマーケットだった。
「大変そうだなぁ」
少女達のバイタリティに振り回されるその様子は、なにやら身につまされるものがある。
子供用の服を物色して、あーでもないこーでもないと話し合っていた。
「何をしてるんだ?」
「あ、士郎さんや」
このかの声を耳にして、皆が士郎へ視線を向ける。
「これから、こいつが本屋ちゃんとデートするのよ」
「でっ、デートなんかじゃありません」
ネギが顔を赤くして否定するが、その言葉は誰もがスルー。
「いつものスーツ姿じゃ、本屋ちゃんに悪いじゃない。それで、おめかしさせようってわけ」
「なー、アスナ。このベストはどうやろか?」
「そうねぇ。ちょっとネギ、これ着てみなさいよ」
「は、はい」
「もー。なんなのよ、このカバン。邪魔じゃないの」
朝にも持っていた肩掛けカバンだ。バンドをたすきがけにしているため、試着するには障害となる。
「でも、このカバンは士郎さんに持ってろって言われてて……」
「そうなの? なんで?」
アスナに問われて士郎も返答に窮した。
「俺に聞かれても困る。俺には身に覚えのない話だし」
士郎から見れば、ネギがひとりで騒ぎ立てているだけなのだ。自分がどう絡んでいるのか、まったく理解できない。
「だいたい、何が入ってんのよ?」
気になったアスナはカバンを開けて中を覗き込む。
その肩がぷるぷると震えた。
「なんでアンタはこんなもん持ってんのよーっ!?」
彼女が目にしたのはブルマにセーラー服。アスナが驚くのも当然だった。
「ちょっと、エロガモ! またあんたがやったのねーっ!?」
「ち、違うって、姐さん! 俺は無実だってば!」
ぎゅぎゅーっ、と締め上げられたカモが慌てて弁解する。
カモは女性下着を盗んだ前科があり、アスナはその被害者だった。
「俺っチが狙うのは下着だけ! 姐さんだって知ってるじゃないスかーっ!?」
そんな口論をよそに、このかはネギの肩からショルダーバッグを取り上げる。
「デートが終わるまでは、衛宮さんがこのカバン持っててくれへん?」
士郎が預かるべき理由は皆無だ。しかし、できることを頼まれた時には応じてしまうのが士郎である。
呼び込みの時点では役に立ったとネギは言っていたのだし、持ち歩く理由はすでにないのかもしれない。
「とりあえず、俺が預かるよ。返すのは夕方でいいんだろ?」
図書館島での約束があるのだから、その時に渡せばよさそうだ。
ネギは困惑の表情を浮かべながら、士郎に頷いてみせる。
「はあ……。士郎さんがそれでいいのなら」
鐘楼の上が彼女の仕事場だった。
彼女はワンピースを着ていながら、その上にジャケットを羽織っている。両手にはフィットしている黒い革手袋。
何より特徴的なのはその両手が構える狙撃銃だろう。
身につけている品々がチグハグなはずなのに、全体を眺めれば非常に調和の取れた姿に見える。
今の彼女は一個の精密機械のようだった。
彼女は標的への憐憫も敵意も感じず、無表情のまま引き金を絞っていた。
銃声とほぼ同時に、スコープの中で標的の身体が崩れ落ちた。
倒れた男へ、近くにいた青年が駆け寄っていた。見覚えのある青年の顔を確認するのと同時に、彼の方でも顔を上げてこちらに視線を向けた。
「……む!?」
一瞬だが、スコープ越しに目があったように思えた。
この望遠スコープを使ってようやく識別できる距離だ。まさか自分を視認できるはずもない。
再び視線を向けるが、青年の姿はすでにスコープの範囲から消えていた。
しばらく狙撃を続けていると、だだだだだ、と階段を駆け上がる足音が聞こえてきた。
その人物は、到着するなり相手を詰問する。
「龍宮! どういうつもりなんだ!?」
感情のままにぶつけるような声だったが、聞き覚えのある声に合致している。
「よく私が見えたね、衛宮さん」
振り返った真名は、罪悪感のようなものまったく感じさせなかった。
「答えろ! なぜ狙撃なんてしているんだ!?」
「まずは、落ち着いてくれないか。事情は説明するよ。誤解されたくないからね」
「……わかった。話はちゃんと最後まで聞く」
「まず、撃っていたこの弾は麻酔弾だ。標的を確認したのだから、あなたにもわかっているはずだ。生命に関わるようなものじゃない」
「ああ」
「次に理由だが……」
真名が窓から外へと視線を巡らせた。その先にあるのは学園にそびえる一本の巨木だった。
「あの世界樹は膨大な魔力を秘めていて、溢れ出る魔力は学祭の時期が最大となるんだ。その期間中は学園内で使用する魔法の効果も高まる」
真名が平然と口にする。
「龍宮は……魔法の存在を知っているのか?」
「おそらく、衛宮さん以上に詳しいと思うよ。私は学園に雇われてこの仕事に就いているんだ」
「あの撃たれた人間も魔法使いなのか? 危険な魔法でも使おうとしたのか?」
「ちょっと違うね。狙撃した理由は危機回避のためだけど、彼は一般人のはずだ」
真名は詳細に説明した。
学祭期間中に好きな相手へ告白をすると、魔力による精神操作が働いてしまい、相手の心を書き換えてしまう。永久的に相手の心を縛るその効果は、呪いにも等しかった。
本人達の意図しない“魔法の阻止”が学園側の目的なのだ。
「でも、やりすぎじゃないのか?」
「確かにやりすぎかもしれない。だけど、他に適した手段を私は知らないんだ。衛宮さんが、狙撃以上に早く的確に仕事を遂行できる方法を教えてくれるなら、あなたの方法にあわせてもいい」
真名としても狙撃そのものが目的なわけではない。任務の遂行に適していると判断した、一つの手段にすぎないのだ。
「突然方法を委ねられてもな」
魔法を公表できない以上、相手を説得できるとも思えない。学園側の人員が足りない以上、対処できる数にも限界がある。
告白阻止は毎年行われていることだという。それを考えると、素人の思いつきで対応できるとは思えなかった。
頭を捻ったものの、士郎は断念した。
「俺には他の対策が思いつかない。その弾は本当に命の危険が無いんだよな?」
「それは保証するよ。私だってそのぐらいの常識はわきまえているさ」
「責めるような言い方をして悪かったな」
「納得してもらえて良かった。どうしてもやめろと強要されたら、戦わざるを得ないからね」
「戦う……のか?」
「主義主張の違っている相手を従わせるんだ、力でねじ伏せるしかないだろう?」
そう断言する。
狙撃という手段とそれを為しえる技術。そして、この思考方法。
中学生という年齢では考えられない事だが、龍宮真名は多くの戦闘を経て生きてきたのかもしれない。
「衛宮さんとは戦わないようにと言われているんだ。そうならずに済んで良かったよ」
「誰からだ?」
「……企業秘密としておこうか」
真名は士郎の視線をまるで意に介そうとせず、淡々と狙撃を重ねる。
その姿はまさにプロフェッショナルである。Gなどと呼ばれるスナイパーもこんな仕事ぶりに違いない。
「他の魔法使いも告白阻止で動いているのか? ネギはデートの約束もあったはずだけど……」
「…………」
返答はない。
ドカン! 狙撃を行う。
ジャキッ! 廃莢を行う。
流れるような動作を終えてから、真名が呼吸を取り戻す。
「ネギ先生のことは知らないが、魔法先生や関係者は全員狩り出されているはずだよ。……それにしても、あの子がデートとはね」
真名の口元に微笑が浮かんでいた。
「おやっ。衛宮の兄さん」
士郎を見つけて声をかけてきたのは、ネギの肩に乗っているカモだ。
「今日はよく会うな」
ネギと夕映がいたのは、喫茶店のオープンスペースだった。
「ネギのデート相手は綾瀬だったのか? 宮崎だと聞いていたけど」
「こ、これは違うのです! ネギ先生とは偶然出会っただけですし、先ほどまではコタローさんも一緒でした! 決してデートなどでは……」
頬を染めた夕映が、士郎の言葉を必死に否定する。
「それなら、急いで宮崎とのデートに行かなくていいのか?」
「のどかさんとはもう一人の僕が一緒にいるはずですから」
「もう一人って、……どういうことだ?」
「衛宮さんはタイムマシンの事をまだ知らないんですか?」
「朝にもそんな話をしていたな。俺は知っていないとまずいのか?」
「それなら、今から説明しておきますね」
ネギが懐から取り出したのは、変わったデザインの懐中時計だった。
「学祭が始まる前に、超さんからこの時計をもらいました。飛行船で詳しい話を聞いたんですが、実はこれはタイムマシンだったんです」
「……冗談だよな?」
「本当なんです。僕はもう2回も今日を繰り返しているんですから」
「魔法ならまだしも、タイムマシンはなぁ」
士郎としてもさすがに受け入れがたい。
「みんなそう言いますよ」
ネギが苦笑する。
魔法という未知の力を知った人間であっても、或いは、魔法の限界を知っているからこそ、容易には信じられずに誰もが首を傾げていた。
ネギが事実を口にしているのならば、何度か見たネギの不可解な言動もそれに由来するのだろうか。
「朝に会った時にはもう使っていたのか?」
「あれは、2回目の時ですね」
「クラスの呼び込みをしていた時は?」
「え? 僕はそれ知りませんよ」
「そうなのか? 5時に図書館島でって俺とも約束してたぞ」
「今の僕にはわかりませんけど、4回目の僕なんだと思います」
うーむ。と士郎が腕を組む。
「どうしてタイムマシンなんて使う事になったんだ?」
「僕は1回目のとき、保健室で寝過ごしてしまって、起きたのは夜の8時だったんです。超さんの話によると、タイムマシンを実演させるために、僕達を睡眠薬で眠らせたそうです」
士郎は飛行船に誘われた経緯を思い返す。超も保健室に関する話題を口にしていたはずだ。
詳しく流れを聞くと、1回目は保健室で寝て過ごし、2回目は超の説明を聞いてからのどかとデートをし、3回目で見回りを終えてここに来たらしい。
「そうなると、今から保健室に行くと過去のネギが眠っている事になるのか?」
「その通りです。僕達を起こしてくれたのは、士郎さんでしたよ」
「俺が?」
「はい。士郎さんは頼まれたって言っていました。それを頼んだのは“今の僕”なのかもしれません。僕達にタイムマシンの事を教えてくれたのも士郎さんでした。カバンを渡してくれたのもその時なんです」
「このカバンのことか?」
「あれ!? どうして士郎さんが持っているんですか?」
「どうしてもなにも、デート用に服を選んでいた時に、俺に渡したじゃないか」
「あーっ!? あの時だっ!」
あわあわ、とネギが目に見えて狼狽える。
「こんなセーラー服とか体操着なんて、何に使うつもりなんだ?」
「……衛宮さんはどうしてそのような物を持っているのですか?」
夕映の視線が非常に痛い。
「だから、ネギに渡されたんだって。変な誤解はするな」
「実はのどかさんとのデート中に、服を脱がせちゃって……」
「そ、そんな事をしたですかっ!?」
夕映が茹で上がったように真っ赤になる。
「違うんですよーっ! ちょっとしたトラブルがあって、『
ネギもまた真っ赤になりつつ、慌てて弁解する。
「おやー、何を想像してるんだ、ゆえっち?」
「何をなんて、言えるわけがありません! いくらなんでも二人のデートでは早すぎると思っただけなのです!」
カモのつっこみに夕映が狼狽えた。
「この服は着替え用だったわけか」
「はい。もうそろそろ必要になるから、これを刹那さんに渡してこないと」
慌てるネギを、士郎がなだめる。
「それなら、俺が渡してくるよ。ちょうど、時間も空いているしな。ネギは綾瀬とデートしてればいい」
「で、ですから私達はデートをしているわけでは……」
「そんな。悪いですよ」
「いいって。桜咲は今どのあたりにいるかわかるか?」
「確か古本市のはずです」
「何をやっているんだ?」
『ひゃっ!?』
背後から声をかけられて、四人の少女が飛び上がった。
「びっくりさせないでよ、もー」
アスナが不満そうに口を尖らせた。
「物陰に隠れて様子を伺うなんて、すごく怪しいぞ」
「今なー、ネギ君とのどかのデートを見守ってるんや」
「あー、なるほどな」
彼女たちが身を潜めている本棚の向こうに、初々しいカップルの姿があった。言うまでもなくネギとのどかである。
士郎としてはノゾキなんて止めさせておきたいのだが、この後はトラブルも起きるらしいのでこの場は見逃すことにした。
「衛宮さんて、アスナ達と知りあいなの?」
ハルナが尋ねる。士郎と顔を合わせたのは、図書館島以来となるので詳しい事情を知らないのだ。
「桜咲と神楽坂は稽古で一緒になるからな。近衛はその時のつきそいかな」
「そうなの?」
ハルナに問いかけられて、三人の少女が頷いた。もちろん、魔法に関する事は全て秘密なので、その程度の説明しかできなかった。
「衛宮さんは古本を探しに来たのですか?」
刹那の疑問に首を振って答える。
「桜咲にこれを渡しに来たんだ」
服選びの時に預けられたショルダーバッグを指差して見せる。
「ずっと疑問だったのですが、これにはどのような目的があるのでしょうか?」
刹那の質問に対して、士郎としても説明しておきたいのだが、この場の面子を考えるとそうもいかない。
アスナやこのかはいいとしても、ハルナは魔法とは無関係なのだ。
「桜咲は2回目だよな?」
「え!? ……2回目というのは、今日がという意味でしょうか?」
士郎の問いかけの意味を理解したのか、刹那が真剣な表情を浮かべる。
「なんのこと?」「ウチにもわからん」「さっぱりだわ」
ハルナとこのかが首をひねる。バカレッドも同様だ。
「俺はついさっき3回目の人間に会って、この後で必要になるから、桜咲に渡してくれって頼まれた」
「……わかりました。確かにお預かりします」
刹那がショルダーバッグを受け取った。
これによって、脱がされる運命にあった3人の少女が救われた事になる。
あとがき:士郎が時間移動に参加しない代わりに、ショルダーバッグをキーアイテムにしてみました。