『シロネギまほら』(15)鏡を見るのが嫌になった日

 

 

 

 超包子の営業終了後――士郎が一人となったタイミングで、ネギ・このか・刹那・カモの三人と一匹が訪れた。

「ちょっと士郎さんに手伝ってもらいたことがあるんです」

 彼等の用件は、士郎への頼み事らしい。

「なにかあったのか?」

「アスナさんがタカミチに告白する予定なんですけど、それを手伝って欲しいんです」

「俺に仲立ちを頼むつもりなのか? そのタカミチを知らない俺が、口利きするのっておかしいだろ」

「そうじゃねーって。姐さんはデート経験がないって言うからさ。デート相手を見繕って、よこーえんしゅーをさせようってわけだ」

 ネギに代わってカモが説明する。

「衛宮の兄さんがこいつを舐めてくれれば万事うまく行くはずさ」

 ガラス瓶に入っているのは、赤と青のキャンディーだった。

「なんだ、これ?」

「外見年齢を調整する魔法薬だ。こいつを使って、大人になってもらおうって寸法だ」

「最初はネギ君がデートするつもりやったけど、あんまり離れた年にはなれないらしいんよ」

「タカミチっていくつなんだ?」

「30ぐらいやったかなー。ネギくんが来る前にウチらの担任をしてたんよ」

「ずいぶん年上が好みなんだな」

「身よりのないアスナを学園に連れてきたのが高畑先生なんよ。小さい頃は面倒も見てもらってたし、家族のおらんアスナにとって、一番大切な人やないかな」

 このかの説明を耳にして、士郎は思わず自分の境遇と重ねてしまう。士郎もまた肉親を失い、衛宮切嗣という人間に引き取られたのだ。士郎の場合は、告白したいなどと考えた事は一度もないが。

「大人になるのは赤いあめ玉だぜ。時間が来れば元に戻るから心配はいらねーよ」

「こっちか」

 言われた通りにあめ玉をつまみ上げて口に放り込む。唾液と反応するのか、舐めた途端に士郎の身体からポンと煙があがった。

「おおーっ。なかなか男前だぜ、兄さん!」

 カモが士郎の姿を見て盛り上がる。

「あ、あれ?」

 相手を見上げたネギが首を傾げた。

 士郎も自分の顔を確認すべく、壁に設置している鏡を覗き込んだ。

「やっぱりこうなるか〜」

 自分の前髪をかき上げて、士郎は思わず顔をしかめていた。

「どうしたん?」

「いやー、会いたくない奴に会ったっていうか、見たくない顔を見たっていうか」

 それは、自分の敵となって立ちはだかった男の事だ。

 髪の色や肌の色に目をつぶれば瓜二つと言えた。当たり前である。

「そんなん贅沢やん。衛宮さんカッコイイと思うえー」

「そうですね。私もお嬢様に同意します。その……素敵だと思います」

 このかはぽややんと、刹那はわずかに頬を染めながら、士郎の容姿をほめる。

「どうしたんだ、兄貴?」

 カモが怪訝そうな表情のネギを見上げいてる。

「……ねえ、カモくん。士郎さんて誰かに似てない?」

「大人の男なんて、タカミチとか関西の長ぐらいしか思いつかないぜ。どっちとも似てねーだろ?」

「そう……だよねぇ。うーん」

 

 

 

 休日ということもあり、日中の街中は人で賑わっている。

 壁に背を預けて雑踏を眺めているアスナの前で、長身の男が足を止めた。

「待たせたな、神楽坂」

「……誰ですか?」

 見知らぬ男に話しかけられて、アスナが尋ねた。どこかで見たような気もするが、誰なのか思い出せない。

「今日はデートの予行演習だと聞いているがね。君はネギから説明を受けていないのか?」

 アスナの目が点になる。

 今の言葉を耳にして、ようやく相手の正体に察しがついた。

「士郎さんっ!?」

 目の前に立つ長身の青年は、顔立ちに面影も残っているし、赤く灼けた髪も士郎と変わらない。

 それでも、アスナは思った。

(変わり過ぎじゃないのよーっ!)

 彼女は空のどこかへ向かって叫び出したいくらいだった。

「さすがに30代とまではいかなかった。この姿では不服かね?」

「そ、そんなことはないけど」

 いつもの士郎は背も低く、顔立ちも実年齢より若く見えた。今の士郎は、180cmを越える長身というだけでなく、身長に見合った体格をしており、頼もしさや包容力を感じさせる。

 士郎には悪いが、こちらの方が男としての魅力は上だとアスナは思った。もちろん、年上趣味のアスナの事だから、評価基準が偏っていることも事も否定できない。

 士郎を直視できずに頬を染めてちらちらと視線を向ける様は、男性として意識しているのは確かだ。しかし、そこに気づかないのが衛宮士郎たるゆえんであった。

「合格したのならば私としても嬉しいね。それでは、今日を楽しい一日にするとしよう」

「う、うん」

「ところで、君は高畑先生からどんな風に呼ばれているのかな?」

「どうしてそんな事を聞くのよ?」

「同じように呼んだ方が、デートの練習になるだろう」

「高畑先生には『アスナ君』って呼ばれてるけど」

「では、私も『アスナ君』と呼ばせてもらおう。……ああ、この響きは実に君に似合っている」

「そうかな?」

 士郎の真意が掴めずアスナが怪訝そうだ。

「いや、今のは忘れてもらって構わない」

「士郎さん、そのしゃべり方どうしたの? いつもと全然違うじゃない」

「大人としてエスコートすると言っても、上手く想像出来なくてね。仕方なく、知りあいの真似をすることにした。少なくとも、私よりもあいつの方が“大人”だからね」

「そ、そうなんだ」

「では、デートを始めるとしようか。アスナ君」

 

 

 

「あれ、衛宮さんはアイスを食べないんですか?」

「大人だとちょっと格好悪いやん。似合わんと思うえ」

「でも美味しいのに」

「いやー、男の美学って奴だぜ、兄貴」

「そういうものなの?」

「確かに、あの姿でアイスを舐めるのはどうかと思います」

「やっぱり、アスナもドキドキしてるんやろうなー。あの衛宮さんは反則やと思うわ」

「お嬢様の気持ちはよく分かります」

「刹那の姉さんもドキドキかぁ?」

「な、なにを言うんですか、カモさん!」

「龍宮神社へ向かうみたいや」

「龍宮っていうと、もしかして龍宮さんの……?」

「ネギ先生の推測どおり、真名の実家にあたります」

「おっ、射的をやる気か? 大人を演じるなら、それはどうかと思うぜ」

「お祭りなんやし、ええんとちゃう?」

「なかなかやるじゃねーか、衛宮の兄さん!」

「ええ。衛宮さんにあれほどの射撃の腕があるとは思っていませんでした」

「僕も射撃には自身がありますよ。授業でも得意だったんです」

「魔法の学校で射撃なんて習うん?」

「魔法道具の中には銃も存在しますから」

「でもアスナも負けてへんと思うよ。頭を使わないものは上手やし」

「楽しそうとは思うのですが、あまりデートらしくないのでは?」

「そうですね。アスナさんがいつもより子供っぽいかも……」

「それも仕方ないんやろうなぁ。あんな性格やし、いつもは甘える相手もおらんから」

「なるほど。そうかもしれません。その気持ちは私にも理解できます」

「刹那さんでも甘えたいと思う事があるんですか?」

「なっ!? 私にそのような甘えなどあるはずがありません! 私には大切な使命がありますし」

「うちで良かったら甘えてほしいんやけど」

「お、お嬢様……」

「しかし、衛宮の兄さんは意外にクールじゃねーか。もう少しアタフタすると思ってたぜ」

「そうやんなー。あの衛宮さんはホストみたいやもん。油断してるとうちもメロメロにされそうや」

「ホスト!? お嬢様はどこでそのような事を……」

「また移動するみたいですよ。追いかけましょう」

 三人と一匹はデートの様子をうかがうべく、士郎とアスナの後を追いかけていった。

 

 

 

「ここが世界樹前広場か。確かに告白に向いているかもしれん」

 高台のため景色も良く、士郎とアスナ以外にも多くのカップルがそこにいた。

「学祭の最終日に、ここで告白するとうまくいくって聞いたから。学園新聞に記載されてた記事だし、信憑性は薄いんだけどね。アハハ」

 照れ隠しに笑ってみせる。

「別に恥ずかしがる必要はなかろう。その噂を信じることで、告白する勇気が得られるならそれでいい。君は間違っていないさ」

「そ、そうかな」

「そろそろ、告白してみる気になったかな?」

「そう言われても、簡単には……」

 例え練習だとしても、恥ずかしさはあるらしい。

「ふむ」

 士郎が顎に手を当てて、考えを巡らせる。

 踏ん切りがつかないというのなら、逆にアスナが告白し易いように働きかければいいわけだ。

「アスナ君は私の事をどう思っている?」

「え?」

「こうして、デートをしてくれたのだから、私の事を嫌っているわけではないだろう? 君は私に好意を持ってくれていると思いたいんだが、これは間違っているのかな?」

 キザな台詞でも、誰かのフリであれば平気で口に出来るようだ。素の士郎では絶対に無理だ。

「ちょ、ちょっと、士郎さん」

 士郎が両手でアスナの肩を掴む。

「君が私の事をどう思っているのか教えてくれないか? アスナ君の口から、本当の気持ちを聞かせて欲しい」

 アスナは胸元を両手で押さえるようにしながら、震える唇をわずかに開く。

「わ、私は、その、士郎さんのことが……」

 言いかけた言葉が止まる。

「私の事が?」

「……って、何を言わせんのよーっ!」

「何をって、だから告白の予行演習だろう?」

「そっ、それはそうだけどっ! その気になるじゃないのよー!」

「その気というのは、何の事かな?」

 外見がどうであれ、中身はどこまでも衛宮士郎であった。アスナの乙女心を察する事ができない。

「もー、馬鹿ーっ!」

 テンションが心理メーターを振り切ってしまうと、アスナは感情をそのまま相手にぶつけてしまう。

 ばかん、と士郎がぶん殴られた。

「ちょっと待て。それはあまりにも理不尽だろ!」

「仕方ないじゃない! 士郎さんが悪いんだから!」

「……なんでさ?」

 さすがにバツが悪いのか、アスナは誤魔化すように士郎を怒鳴りつける。

「そもそも、士郎さんはやりすぎなのよ! 態度がいつもと違うし、妙に迫ってくるし。ドキドキしたってしょうがないじゃない!」

「今回はそれに慣れるための練習だったんじゃないのか?」

 士郎が正論を主張する。

「それでもダメなのっ! 雰囲気に流されそうになったでしょーっ!」

 アスナは見境をなくしているのか、いささか恥ずかしい心情まで口にしている。

「それって、衛宮さんにヨロめいたってことやろか」

「アスナさんって、意外と雰囲気に流されやすいんですねー」

「そうは言っても、明らかに衛宮さんがやりすぎだったと思います」

「衛宮の兄さん。女泣かせになりそうだなー」

 唐突に会話する人間が増えていた。

「きゃーっ! なんでみんながここにいるのよーっ!?」

 姿を見せた、このか・ネギ・刹那・カモの一行に、アスナが悲鳴を上げる。

 パニックを起こしているアスナを心配して、彼女等は仲裁するべく声をかけたのだ。

「アスナの初デートやったし心配やん」

「だからって、内緒で覗かないでよー!」

 

 

 

 デートも終了して、皆が自宅への帰路についた。

 よっぽど恥ずかしかったのか、アスナはずんずんと歩を進めていき、このかと刹那がなだめようと追いかけていく。

 ずべしゃっ! 最後尾を歩いていた士郎がつまずいて路上に転がっていた。

「大丈夫ですか?」

 すぐ前を歩いていたネギが、慌てて戻ってくる。

「薬の効果が切れたみたいですね」

「ああ。そういう事か」

 25才相当だった背格好が元の姿に戻ったのだ。

 身体を起こした士郎の腕も、歩いていた自分の靴も、それぞれ裾に覆われている。つまずいたのもそれが原因らしい。

「くそっ。やっぱりあいつは手足が長いんだな」

「あいつって、誰の事ですか?」

 士郎の言葉にネギがきょとんとなる。

「いや、こっちの話」

 士郎は不満そうに、四肢の裾を10cmほど折り返した。

「あれ、タカミチがいる」

 視界を掠めたその人物に、ネギは視線を向けていた。

「どこだ?」

「喫茶店のあそこの席に、しずな先生と一緒に座っています」

「へー。あれが高畑先生か」

 今日は彼の代役をつとめていたのだから、士郎としても気になるところだ。

「……ひょっとして、俺達はまずいものを見てしまったんじゃないか」

「何がまずいんですか?」

「あの二人をどう思う?」

「コーヒーを飲んでますね」

 子供であるネギには、二人の雰囲気を読みとる事ができなかったようだ。

 士郎が説明しなければわからないだろう。

「今の光景はおそらくこんな感じなんだ。……高畑先生はしずな先生に、前からタバコを吸わないように注意されているんだ。それなのに、思わずタバコに火をつけた高畑先生を、しずな先生は笑いながらたしなめた。吸っているタバコを取り上げるのが許されるくらい、ふたりは親しい間柄なんだよ」

「じゃあ、凄く仲がいいんですね」

「そうなるな」

「…………」

「…………」

「それって、まずいじゃないですかーっ!」

「だから、まずいって言ったんだ」

「タカミチがしずな先生とつき合っているということは、アスナさんが告白してもタカミチとつき合えないってことじゃないですか!」

 パニックに陥ったためか、ネギがわかりきった事を口にした。

「もちろん、そうなるだろうな」

「どうしましょう!? どうすればいいんですか?」

「神楽坂を心配する気持ちはわかるけど、高畑先生にだって好きな人がいてもおかしくないだろ」

 つきあっているのが事実とは限らないものの、その可能性も否定できない。

「でも、アスナさんが……」

「それは仕方がないことなんだ。もしも、ネギに恋人がいるとして、別な女の子から告白されたら恋人と別れるつもりなのか?」

「どうしても、告白を断らなければならないんですか?」

「少なくとも、どっちかはな」

「僕には難しいです。士郎さんはちゃんと断れるんですね。凄いなあ」

「……え?」

「違うんですか?」

 なぜか士郎の視線が泳いだ。

 もしも、もしもだ。士郎は想像してみる。

 あり得ないとは思うが、セイバーとか、はたまた桜とか、それとも英国で新しくお知り合いになった女性から迫られたとしたら?

「あ、ああ。俺も毅然として断る……だろう……と思う……」

「なんか、信憑性がないですよ、それ」

 

 

  つづく

 

 

 
あとがき:今回は珍しく、ネギの代役的な展開。あまり量を割くつもりはなかったのですが、意外にも一話分に達してしまいました。