『シロネギまほら』(13)人助けだけが彼の戦う理由です
パクティオーカードで行えるのはあくまでも召喚のみであり、元の場所へ送り返せるほど便利なものではないらしい。
エヴァの家を出た士郎は、徒歩で病院へ向かっていた。倒れていた少年が気になったからだ。
付き添いを頼んだ少女達がすでに帰っていたとしても、なにか自分への伝言を残しているかもしれない。
だが、結果として彼は病院を訪れることはなかった。
病院へ到着するよりも先に、夏美と遭遇したからだ。
「衛宮さーん!」
夏美は目に涙を浮かべながら、士郎に泣きついてきた。
「どうした!? 何があったんだ?」
「あの、あの……、私にも何がなんだかわからなくて……」
夏美は見るからにうろたえている。
「とにかく、病院へ戻ろう。そこで話を聞くから」
「行っても無駄だよ! もう、小太郎君もちづ姉も、病院にいないんだから!」
そう口にする。小太郎というのはあの少年の名前だろう。
「どこへ行ったんだ?」
「それがわからないの! あの後、小太郎君を捜すおじさんが来て、顔をあわせるなりケンカになっちゃって、小太郎君が負けちゃって……」
夏美がつっかえながら必死で説明する。
「それを見たちづ姉が、小太郎君をかばって、おじさんをひっぱたいたの。それに怒ったのか、おじさんはちづ姉を連れていきなり消えちゃって」
「その小太郎はどこにいるんだ? その男の事を小太郎は知っているんだろ?」
「小太郎君はネギ先生を捜しに行っちゃったみたい」
「ネギ!? 小太郎はネギの知りあいなのか?」
「衛宮さんはネギ先生の事を知ってるの?」
「ああ」
そもそも小太郎は尻尾があるくらいだし、魔法の関係者なのだろう。やってきた“おじさん”も同様――いや、その男は敵に違いない。
「ネギがどこにいるか知っているか?」
「たぶん。寮だと思う。小太郎君に教えたら、一人で出て行っちゃって……」
「わかった。俺は小太郎を捜しに寮まで行ってみる」
「ま、待って。私も一緒に行く!」
慌てて夏美が申し出る。事態を理解できていないために、一人になるのが怖かったのだ。
士郎は一人で寮へ向かった方が確実に速い。だが、士郎にはこの少女を突き放す事ができなかった。
「ああ。一緒に行こう」
士郎が頷いて見せた。
雨の中。合羽を着ている士郎はいいとしても、傘を差している夏美ではさすがに足も遅い。
士郎は焦る心を殺して、夏美の足に合わせて走っていた。
「ん?」
「どう……、ハア、ハア、したん……ですか?」
士郎と違って彼女はすでに息も荒くなっている。
「ああ……」
空を睨んでいる士郎は、夏美への対応もおざなりになっていた。
彼の目は、雨の空に浮かぶ少年の姿を捉えていたのだ。二人の少年が一本の杖に乗って空を飛んでいった。
出発はおそらく女子寮であり、目的地は世界樹方面のようだった。
「悪いけど、村上だけ寮へ向かってくれ」
「ええっ!? あのっ、だって、ちづ姉や小太郎君は……」
同行者を失う事になって、夏美が狼狽えてしまう。緊急時に平然と対処できる人間などほとんどいない。普通に暮らしてきた彼女が、動転するのも無理はなかった。
「寮には他にも友達がいるだろ? その子と一緒にいれば不安も紛れるはずだ。俺は心当たりがあるから、別な所を探しに行く。きっと、二人を連れ戻すから、寮で待っててくれないか?」
「……本当?」
「本当だ。俺の夢は“正義の味方”になることなんだ。だから、約束は絶対に守る」
「正義の味方?」
「死んだオヤジに誓ったんだ。嘘じゃない」
普通なら信じられる話ではない。しかし、士郎の言葉は真摯なもので、その場しのぎや冗談だとはとても思えなかった。
「あの、二人の事お願いします!」
夏美が自分の思いを込めて頭を下げる。
「わかった。任せてくれ」
士郎は身体能力を強化して全力疾走していた。
走るのに邪魔な合羽はすでに脱ぎ捨てている。
雨でずぶぬれになりながら、街中を必死で駆け抜ける青年。通行人が奇異な目を向けているが、今の士郎はそんな視線など気にならない。
小太郎をかばった千鶴のために、千鶴を心配している夏美のために、彼は世界樹へ向かって走る。
雨の強くなった空に、地上で発生する閃光が反射していた。
士郎は今の光が魔法によるものだと推測して、そちらへと足を向ける。
視界をかすめた看板によると、そちらにあるのは野外ステージ。
誰かを助けるためという理由の元、士郎は全速力で走り続けた。
身体を酷使したため、発散しそこねた熱量が体内に溜まり、上昇した体温は身体を濡らす雨を蒸気へと変えている。
鍛えているはずの体はすでに悲鳴を上げているが、それでも彼の足は止まらなかった。目的地で敵と戦う事になっても、さらに無茶を重ねればどうにかなると考えているのだ。
一番高い位置にある客席からは、すり鉢状のステージが一目瞭然だった。
そこで士郎は見た。
少女が鎖につながれている姿を。
何人もの少女が水の中に閉じ込められている様子を。
二人の子供の前に立ち塞がる悪魔を。
目に映る命が今にも消え去るかも知れない。その恐怖で、ぞわり、と士郎の全身が総毛立った。
感情が振り切れてしまい視界を真っ赤に染め上げる。その一方で、士郎の思考と肉体は、己のすべき事を機械的に実行していた。
「――
そうつぶやいた士郎の身体が後方へ引っ張られた。
踏ん張ろうとした足どころか、両腕すら動かない。
どがっ! 士郎の背中が立木に激突する。
ぎしっ、と皮膚に何かが食い込んでいた。士郎の身体が木の幹に縛りつけられた。
「なっ、なにが……ぐっ……」
疑問を口にしようとしたが、それを止めるかのように、今度は首が締めつけられた。
視界に現れたのは小さな少女。
「エ……ヴァ……」
「落ち着け。貴様が動く必要はない」
そう告げるエヴァは右手を掲げていた。
指先から伸びる何かが見えた。雨滴がそれを伝ったことで、かろうじてその存在が見て取れる。
それは糸だった。
人形使いであるエヴァにとって必要なスキルの一つだ。彼女の駆使する糸が士郎の身体を拘束しているのだ。
「あの悪魔が侵入したことは私も気づいている。私がこの場にいるのがその証拠だ」
「だ……たら……なん……で?」
「締めすぎたか?」
エヴァの指先一つで、士郎の首にかかった糸が緩んだ。
「げほっ」
士郎が咳き込みながら、新鮮な空気を取り込む。
「貴様はぼーやが強くなる機会を奪うつもりか? 今、ここでなら、問題があっても私がフォローできる。こんなに安全な条件で力を試せるチャンスなど、そうはないぞ」
「拙者もいるでござるしな」
移動する気配も感じさせず、いつの間にか楓が立っていた。離れた木の上から音もなく跳んできたのだから、気配を消す消さないという次元の腕前ではない。
「長瀬も魔法使いなのか?」
「いやいや。修学旅行の一件で関わっただけでござるよ」
楓の隣に茶々丸も並んでいた。
「申し訳ありません。マスターから絶対に手を出すなと命じられたものですから」
茶々丸がすまなそうに告げていた。
この三人が揃っているなら、ネギに危険はなさそうだった。例え、ネギ本人がその事実を知らなかったとしても。
「貴様という邪魔は入ったが、まあ、あの程度は許してやるさ」
エヴァがステージ上へ視線を向ける。
そこではすでに戦いの決着がつこうとしていた。
ネギの前に立っていた男は、ネギの知る悪魔の姿へと変貌した。それは、ネギの故郷を襲った悪魔のうちの一体。
ネギにとって、憎むべき敵、倒すべき仇であった。
悪魔の纏っている強大な魔力がその口へ収束していくと、禍々しい光が溢れ出す。
魔力がネギに向かって放たれようとしたその時――。
どしゅっ!
悪魔の右肩を剣が貫いていた。
突如として出現した片刃の剣が、悪魔の上方から襲いかかったのだ。
不意の一撃を受けた事で、悪魔が吐き出した光線は標的を外してしまう。無人の客席が薙ぎ払われて、原型を留めていない椅子の破片が宙を舞った。
「な、なんだコレは!? まさかっ……!?」
感情を見せなかった悪魔が、突然の事態に狼狽える。
驚いたのは悪魔だけではない。
ネギも小太郎も同様だった。
「そんな!?」
「なんや、一体!?」
ネギが慌てて周囲に視線を向けるが、加勢らしい存在は確認できなかった。
「チャンスや、ネギ!」
小太郎の言葉を耳にして、ネギの意識も正面に向けられた。
「うん!」
小太郎とネギが攻撃に移ると、負傷した悪魔が劣勢に回っていた。
悪魔に捕らえられていた少女達は、驚くべき事に自力で拘束を打ち破り、敵の使い魔を封じ込め、さらには、ネギの魔法を封じていた仕掛けまで破壊してのけた。
勝負を決したのは、使用が可能となったネギの魔法である。それは、先日エヴァに教えられた、父親の得意な連係攻撃だった。
悪魔はネギの成長を讃え、笑いながら塵へと還っていった。
「ねえ、小太郎君。さっきの剣が落ちてないかな?」
「剣やて? そういえば、どこ行ったんや?」
逆転の足がかりとなった、悪魔への一撃。
しかし、悪魔の死体が消えたところにも、そのまわりにも剣は見つからなかったのだ。
「なんや、あの剣。お前のなんか?」
「僕の物じゃないよ。だけど……、もしかしたら、僕はその持ち主を知っているかもしれない」
「……ふん。乗り切ったようだな」
あっさり口にするエヴァとは違い、士郎の表情は深刻だった。
「ネギは悪魔に狙われているのか?」
「さてな。ぼーやの村が襲われたのは6年も前の事だ。確かにその時の悪魔らしいが、関連性は薄いと見るべきだろう。どちらにせよ、それはぼーやの事情だ」
「弟子じゃなかったのか?」
「あの程度の敵にやられるようでは弟子とは認めん」
「それはあんまりだろ」
切り捨てるような答えを聞いて、士郎が眉をひそめる。
「マスターはネギ先生の潜在能力を高く評価し、その成長に期待しているようです」
「なるほど、そういう風にもとれるのか」
エヴァはネギの素質を認めているからこそ、あの程度の敵に負けるはずがないと判断したのだろう。
「茶々丸。その方向のつっこみはよせと言っているだろう」
エヴァが従者につっこみ返す。
「自分らの力で撃退したのだから、奴の自信にもつながるはずだ。貴様もぼーやに余計な事は言うなよ」
余計な事というのは、士郎が投影で助力したことや、エヴァ達が緊急時に備えていた事だ。
理由は士郎にも想像がつく。
人の手を借りずに勝利したなら自信も持てるし、誰かの助けをあてにしないことは覚悟につながる。それらが勝負の場で重要なことは士郎だって理解している。
「わかった」
多少過激ではあっても、エヴァはネギに対して師匠らしくあろうとしているようだ。
部外者に過ぎない士郎が口を出すべきことではない。
「拙者は寮に戻るでござるよ。みんな裸のままでは可哀想でござるし」
士郎は知らなかったが、入浴中に拉致された少女が多く、ステージ上にいる少女達の何人かは手元に服がないのだ。
楓は彼女たちの服を取りに行くつもりらしい。
「一つ伝言を頼んでいいか?」
慌てて士郎が声をかける。
「誰にでござろう?」
「寮にいる村上に、『那波と小太郎は無事だ』って伝えてくれ」
「夏美殿と知りあいだったでござるか?」
「ついさっき会ったんだ。那波と小太郎にも早く帰って安心させるように伝えてくれ」
「任せるでござるよ」
にっ、と笑顔で応えて、楓の姿が風になる。
かすかな影だけを残して、楓は建物の屋根を軽々と飛び跳ねていく。
誰がどう見ても忍者である。
「たいしたもんだ」
士郎がぽつりとつぶやいていた。
「ところで……。エヴァ」
「なんだ?」
「そろそろこれをほどいてくれ」
クックック。エヴァが楽しそうに笑みをこぼす。
士郎は先ほどから、木の幹に縛りつけられた状態なのだ。
「すまなかったな。貴様の事だから、説明を聞き終えるよりも先に、乱入しかねんと思ってな」
「その点については否定しない」
士郎は憮然としたまま答えていた。
あとがき:士郎は今回も直接的には戦闘に絡みませんでした(笑)。