『シロネギまほら』(12)前向きな人だってたまには振り返る

 

 

 

 その日は、夕方になってから雨が降り出した。

 二人の少女が一本の傘を一緒に使って、帰路の途中にある。

 一人は、泣きぼくろのある大人びた容姿の少女――那波千鶴。

 一人は、標準的な中学生の体格でそばかすの残る少女――村上夏美だった。

「あら」

 川沿いの土手を歩いているとき、千鶴の方がそれに気づいた。

「行き倒れよ、夏美」

「行き倒れ!?」

 千鶴は持っていた傘を夏美に渡すと、土手の斜面を駆け下りていく。

 ようやく夏美もその存在に気がついた。千鶴の駆け寄る先――芝生の上で、一人の少年が倒れていたのだ。

「なんで、裸ーっ!?」

 うつぶせだったとはいえ、その身体を目にした夏美が思わず顔を赤くする。

 千鶴の方は、少年が服を着ていないことにまったく注意を払わない。

 少年の身体を仰向けにひっくり返すと、彼の口元に手をかざして呼吸を確認する。

「ねえ。聞こえる? 返事をして!」

 耳元で呼びかけながら、肩を叩く。意識を失っているらしく、千鶴の声に反応を示さない。

「ちづ姉、その子大丈夫なの?」

 傍らまでやってきた夏美が不安げに尋ねる。

 それに答えず少年の額に手を当てると、彼は雨の中でもわかるほど高熱を出していた。

「何かあったのか?」

 そんな問いかけが、彼女たちの背後から聞こえてきた。雨の中でしゃがみ込んでいる少女を不審に思ったらしい。

 二人が駆け下りてきた土手の上に、一人の青年の姿があった。黄色い蛍光色のカッパを身につけている。

「子供が倒れているんです」

「なんだって!?」

 青年が慌てて駆け寄ってくる。

「夏美は携帯を持ってる? 私は寮に忘れてきたの」

「ごめん。電源が切れちゃってて……」

 夏美が泣きそうな顔で答えた。

 青年は羽織っていた雨合羽を脱ぐと、抱き起こした少年の身体に着せてやった。

「タオルとかなくて、悪いな」

 濡れている身体を拭けなかったことを、少年に謝罪する。

「この近くに病院はないか?」

「そ、そういえば、あったかも」

 あやふやな夏美の解答と違い、千鶴は明確に答えた。

「ありました。この先の橋を渡ったところです」

「それなら、俺が連れていく」

 自分が雨に濡れる事も気にせず、彼は少年を抱き上げて土手まで駆け上がった。

「私が案内します」

 千鶴は青年を追い抜いて、先を走り出した。

 呆気にとられたまま二人を見送った夏美は、傘を抱えたまま慌てて二人を追いかける。

「待ってよー。私も行くってばー」

 

 

 

 小さな個人病院だった。

 来院患者がいなかったことは、彼等にとって都合が良かった。おかげで早く対応してもらうことができたからだ。

 単純に風邪と診断された少年は、空いていた病室に寝かされていた。付き添うことになった三人も同じ室内にいる。

 着替えこそないものの、病院から借りたタオルで顔や髪の毛を拭いて、ようやく一息吐いたところだった。

「私は那波千鶴といいます。こっちは村上夏美。あなたのお名前を教えてもらえますか?」

「俺は衛宮士郎」

「先ほどはありがとうございました」

「う、うん。ありがとうございます」

 千鶴に続いて、夏美が頭を下げる。

「え? 君らが感謝する事じゃないだろ? 君達はこの子を助けようとしていただけなんだから」

「いいえ。あなたのおかげでこの子を早く病院に連れてくることができました。私達自身がお世話になったんです」

 千鶴がきっぱりと断言する。

「それなら、俺も君達に感謝しないとな。君達のおかげで、俺はこの子を助けられたんだ。ありがとう」

 士郎の言葉がうまく理解できず、千鶴と夏美が戸惑いの表情を浮かべる。

 夏美はふと何かに気づいたように千鶴に話しかけた。

「ねえ、ちづ姉。さっき、この子に尻尾がなかった?」

「そうよねぇ」

 そんな二人の会話が士郎の耳に届く。

「尻尾の形をした飾りじゃないのか? 俺も気になったから確認したけど、もう尻尾はついていないぞ」

「でも、私は一番後ろを走っていたけど、途中で落としたりしてなかったよ」

 いくら焦っていたとはいえ、見落としたりはしないと夏美は主張する。

「じゃあ、見て確かめるか?」

 布団をわずかにあげてみせる。

「え、ええーっ!? 見るってそんな」

 真っ赤になった夏美が、両手を降って慌てて拒否を示す。

 すでに子供用のパジャマを着せているが、確かめるとなるとその中まで覗かなければならない。

「それなら、私が……」

「ちょっと、ちづ姉ーっ!?」

 千鶴はパジャマをめくり上げたりせず、布団の中へ右手を潜り込ませた。

「大変よ、夏美! 確かにこの子は尻尾が生えているわ」

「やっぱり!?」

 ぐいっ、と詰め寄る夏美に、千鶴が頷いてみせる。

「このくらいのサイズの尻尾が」

 親指と人差し指で長さを示す。

「それ、尻尾じゃないよーっ!」

 千鶴が下ネタで会話を締めくくった。

(あー、ビックリした)

 ハラハラしながら聞いていた士郎が、内心で胸をなで下ろしていた。

 おそらく、この少年は獣人かなにかなのだろう。この世界でどれだけの数が存在するかは知らないが。

 魔術と無関係であろう彼女たちは、この事実を勘違いとしていずれは納得してしまうはずだ。

 ――士郎。私の声が聞こえるだろう。すぐに私の家に来い。

「えっ!?」

 思わず士郎が声を漏らした。

「どうしたんですか?」

「いや、なんでもない」

 ――今から一分後に貴様を召喚するぞ。人気のない所へ移動しておけ。

 士郎の拒否を許さない命令口調。

 頭の中に直接響くような“声”の主は、考えるまでもなくエヴァだろう。

「あー……、その、思い出した事があって、ちょっと行かなきゃならなくなった。この子のこと看ててもらってもいいかな?」

「わかりました。任せてください」

「う、うん。この子の面倒はちゃんと見るから」

「一応、用件が片付いたら戻ってくるつもりだ。すまない」

「いいえ」

 千鶴は手を振って送り出してくれた。

 

 

 

 慌ててトイレに駆け込むと、士郎は取り出した仮契約カードを額に当てて『念話テレパティア』と唱えた。

(いきなりどういうことなんだ? 何か問題でもあったのか?)

 ――問題があったわけではないが、貴様に聞きたい事がある。すぐにこちらへ来い。

(そんなに急ぐのか? こっちは見舞いの途中なんだ)

 ――貴様に治療ができるわけではなかろう。よし、一分経ったぞ。

 士郎の身体が光に包まれていた。

 

 

 

 一瞬である。気がついたらまったく違う場所に立っていた。

 そこは、何度も訪れているエヴァの家のリビングだった。いつものように、エヴァと茶々丸がそこにいた。

「どうしたんだ、急に?」

「貴様の投影について聞きたい事がある。あれはどんな組織や血族に伝わるものなんだ?」

 士郎をせかした割に、話題はいまさらなものだった。

「そんな事を聞くために召喚までしたのか?」

「いいから、さっさと答えろ」

「俺の投影は凄く特殊なんだ。魔術を教えてくれたオヤジも投影は使えなかったし、両親は一般人だったと思う」

「矛盾してないか? 父親は投影以外の魔法なら使えるのだろう。それがどうして一般人になるんだ?」

「そうじゃない。オヤジっていうのは、父親のことじゃないんだ」

「どういうことだ?」

「10年前に魔術関連の事故が起きて、多くの人間が死んでしまったんだ。たまたま生き残った俺は、そこで事故の関係者だったオヤジ――衛宮切嗣っていう魔術師に助けられた。死んでしまった両親に確認した事はないけど、一般人なんだと思う」

 冬木市には魔術教会に認められた管理者もいたため、他の魔術師が存在したなら当然知られていたはずなのだ。

「そのキリツグからはどんな魔法を学んだのだ?」

「オヤジは数年で死んでしまったから、学べたのは本当に基礎だけだ。受け継いだと言えるのは、オヤジの遺志だな。オヤジは俺一人しか救えなかったことを悔やんでいたから、代わりに俺が全員を救える“正義の味方”になると誓ったんだ」

「…………」

 怪訝そうに見つめるエヴァの視線を、士郎は正面から受け止めた。

 驚いた事に、先に視線を逸らしたのはエヴァの方だった。

 表情を歪ませたエヴァンジェリンが、顔を背けて鼻を鳴らす。

「泣くことないだろ。エヴァらしくないぞ」

 士郎がわざとからかってみせる。

「余計なお世話だ! 貴様のために泣いたわけではない! ぼーやの事を思い出しただけだ」

「なんでネギの話が出てくるんだ?」

「ついさっき、ぼーやの過去を知ることになってな。あいつの過去は貴様と似ている」

「あのネギが……?」

 生真面目で一途な少年を思い浮かべる。見る目がないと言われればそれまでだが、そんな暗い過去を背負っているようには思えなかった。

 先日の試験に合格したこともあり、弟子となったネギの過去について、エヴァは知る機会があったのだろう。

「ぼーやの住んでいた村は、悪魔の襲撃を受けて住民全てが石にされた。その時に、生死不明だった父親が現れて、ぼーやとその姉がわりの二人を救っている。ぼーやは『偉大なる魔法使いマギステル・マギ』だった父親の影を追いかけているのさ」

「そうか……、ネギも俺と同じなんだな」

 ネギの境遇を思わず自分と重ね合わせる。

「同じだと!? 似てはいるが、全然違うだろう! なぜ、貴様が同じなどと言えるんだ!」

「ど、どうしたんだ、急に?」

「いいか! ぼーやの場合は治癒能力者さえいれば、石化した村人を蘇らせることもできる。行方不明の父親も、探し続ければいつかは会える。しかし、貴様の場合はそうではなかろう!」

 エヴァは怒りをぶつけるように士郎を睨み付ける。

「貴様には何もない! 両親を含めて多くの人間が死に絶えた。そして、自分を救ってくれた恩人まで失い、残ったのはその想いだけではないか! なぜ、嘆かん? なぜ、恨まん? どうして平然としていられるんだ!」

 エヴァが怒っているのは士郎に対してではない。士郎に降りかかった運命に対してだった。

 エヴァは士郎に共感し、士郎のために嘆き恨んでいた。

「その過去も含めて今の俺があるんだ。どれだけのものを失っても、今を生きる事はできる。自分にできるところから、できることをしていくしかない」

「それでいいのか、貴様は?」

「嘆いたところで何も変わらないだろ? それに、俺は自分を不幸だなんて思ってないし、思いたくないんだ」

「いや、充分に不幸だろう」

「不幸っていうのは、今の自分の境遇をどう評価するかだ。今の俺には守りたい相手がいて、大切な場所がある」

「……貴様は、家にも帰れず、バイト生活だと聞いているぞ」

 指摘を受けて、士郎も前提条件を間違っていた事に気づいた。

「ああ、そう言えばそうだな。でも、超包子のみんなもいい奴だし、不幸とは言えないだろ? ここへ来なければ会えなかった人間ばかりなんだ。エヴァだってそのうちの一人だし」

 屈託のない答えを聞いて、取り乱した自分が恥ずかしくなる。

「ちっ! ……もう一度、確認するぞ。その投影という魔法は、誰かに学んだわけではないのだな?」

「変にこだわるな。投影魔術は誰にも学んでいないし、誰にも教えられないと思う。俺一人きりの魔術なんだ」

 あえて名前を上げるなら、アーチャーもまた同じ投影を使えるのだが、アレは他人とは言い難かった。

「どうしたんだ? 投影に興味が湧いたのか?」

「まあ……な。貴様の投影が特殊だというのは理解できたが、それはつまり、貴様が優秀だということか」

「そういう意味じゃない。俺は一般的な魔術の素質に欠けている分、投影に特化しているだけなんだ。本来の投影はもっと使い勝手の悪いものだしな」

 通常の投影魔術に比べて、士郎の投影品は長持ちするし精度も高い。

 それでも、単品ではほとんど役に立たない力だった。

 複製の技術がどれほど高くても、複製に値する作品を知らなければ活用する機会がないのだ。宝の持ち腐れと言える。

 聖杯戦争に巻き込まれたりしなければ、あれほど大量にあれほど強力な“剣”を目にする機会など士郎にはなかっただろう。並以下の魔術師となるはずだった士郎が、自らの力の真価を理解したのは聖杯戦争のおかげなのだ。

 彼が聖杯戦争に遭遇したのは、やはり運命だったのかもしれない。

 

 

  つづく

 

 

 
あとがき:千鶴がちょっと下品でしょうか? でも、なんとなくやりそうな気もします。
追記:冬木の大火災で士郎が唯一の生存者と書いた事を修正。(2008/08/30)