『シロネギまほら』(10)表社会における会話事例

 

 

 

 早朝。

 稽古すべく世界樹へ向かっていた士郎は、同じ目的を持った人間と途中で顔を会わせる事になった。

「おはよう」

「おはようアル」

 古菲に続いて、並んで歩いている二人の少女も挨拶を返した。

「おはようございます」

「あ……、おはようございます」

 一人は刹那、もう一人はどこか見覚えのある少女だった。ベルの髪飾りでツインテールに結い上げているため活動的な印象を受ける。

 彼女は見知らぬ相手に戸惑っているようだ。

「誰なの?」

「よく一緒に稽古をしている衛宮士郎さんです。超包子で働いているそうです」

 少女が刹那に質問するのと同じように、士郎もまた古菲に尋ねていた。

「この子は?」

「クラスメイトの神楽坂アスナアル」

「どうしてその神楽坂が一緒にいるんだ?」

 あれ以来、士郎と古菲はほぼ毎日トレーニングを続けていて、時間の都合が合えば刹那も顔を出している。

「ネギ坊主の付き添いアル」

「ネギ坊主……って、どこかで聞いたな」

「吸血鬼騒ぎの時に、泣いていた子供アル」

「ああ、あの子か。そういえば、神楽坂も見かけたな」

 女子寮前で目にした光景を思い浮かべる。

 迷子になっていたあの子供も、あの日に血を吸われていたかも知れないのだ。それを考えると、停電の夜にエヴァを負かしてくれた人間に感謝すべきかも知れない。

「ちょっと、古菲。吸血鬼って!?」

 慌てたアスナに、古菲が笑って返す。

「春に桜通りで吸血鬼が出てたアル。私と士郎はパトロール中にネギ坊主を見かけたアル」

 古菲の返答を耳にして、アスナと刹那は目に見えてうろたえ始めた。わたわたと手を振る仕草は、むしろ楽しそうにも見える。

 その様子に古菲は首を傾げている。あの夜にはアスナとも会っているのだから、どうして慌てているのか理解できない。

「吸血鬼について話したらまずいアルか? ……おおっ!? そうだたアルか!? 今まで気がつかなかたアル!」

 驚きのまま口にした後で、古菲は傍らにいる士郎の存在を思い出したようだ。

 アスナも刹那も気が気ではない。

「……結局、吸血鬼とは会わなかたから、正体はまったくわからなかたアル。いやー、一度戦てみたかたのに、残念アルなー」

 古菲が嫌な汗をかきながら、棒読みに近い口調で説明しつつ、おそるおそる士郎へと視線を向けた。

 士郎は、吸血鬼の正体がエヴァであることを知っている。魔術と無関係な古菲がそれを知らずに済んだのは、お互いにとって幸運な事だろう。彼女たちがその事実を知る機会はこの先もないはずだった。

「それで、そのネギって子がどうしたんだ?」

 士郎が意図的に話題を変えると、古菲もアスナも刹那も安堵のため息を漏らしていた。

「ネギ坊主から、カンフーを教えて欲しいと頼まれたアル。私を見込んで師事されたからには、全力で応えたいアル。しばらくは、士郎との稽古もあまりできなくなるヨ」

「私もアスナさんに剣を教える約束をしていまして、稽古の回数が減るかと思います。申し訳ありません」

 古菲も刹那もすまなそうに頭を下げた。

「二人との稽古は合意の上でしていることなんだから、謝ったりする必要はないだろ。もともとは、一人でやっていたことなんだから、気にしなくていいさ」

 そう言って、士郎は二人の申し出を受け入れた。

「衛宮さんには、立ち合っていただいたお礼を言わなければなりません」

 悪いと思ったのか、刹那はこれまでの稽古について感謝の言葉を口にした。

「先日の修学旅行では二刀流とまみえる機会がありました。その際、衛宮さんと手合わせした経験が非常に役立ちました」

「そうか?」

 懐疑的な士郎に刹那が詳しく説明する。

「相手の太刀筋は衛宮さんとは全く違いましたが、二刀流の存在を自覚し対応方法を検討していたことは、自分の判断に余裕を生みます。どちらかと言えば、精神面に属するものですが」

「そうか……。剣道部も大変だな。修学旅行中にも試合をしてたのか」

「……え? あ、そっ、そうですね! ええ! 向こうの強豪と戦える滅多にない機会でしたから」

 刹那が慌ててうなずいた。

 

 

 

 夕刻。

 古菲がネギを厳しく指導しているが、これには理由がある。

 朝に士郎達が合流する前、ネギはエヴァといざこざを起こしたらしいのだ。その結果、日曜日に茶々丸とネギで立ち合う約束をしたらしい。

 ネギはエヴァへの弟子入りを願い出ているそうで、これは弟子入りテストも兼ねているという。

 刹那も剣を教えるべく、アスナを相手に立ち合い稽古を行っていた。

「ウチは近衛木乃香いうて、ネギ君とアスナのルームメイトなんよ。よろしゅう」

 そう挨拶したこのかは、シートに腰を下ろしてそれぞれの稽古を眺めている。

 あぶれた士郎は、不満そうな素振りも見せずに、ひとりで双剣の素振りを続けていた。

 

 

 

「すみません、アスナさん。少し休憩してもよろしいでしょうか?」

「えっ? いいけど、どうしたの?」

 アスナ自身はまだ疲れていないし、刹那も平気そうに見える。

「ちょっと、衛宮さんに興味がありまして……」

「衛宮さんに?」

 刹那と同じように、アスナも視線を士郎に向けた。

 そこに見えるのは、白と黒の双剣を振り回す士郎の姿だ。刹那達の視線に気づく事もなく、黙々と剣を振っている。

 刹那が真剣な表情で見つめるのを、アスナは不思議そうに眺めた。

 士郎に違和感を感じたのは刹那だけらしい。

 通常、剣道の有段者でも素振りを行う時に、日本刀を持ち出したりはしない。スポーツとして、または競技者として練習するなら、竹刀で十分なのだから。

 例えば、日本刀などでも見ため以上に重量があり、振り回すだけでも難しい。転んだりすれば怪我ではすまない可能性がある。

 それが二刀流ともなると危険度は跳ね上がる。自分の腕を斬りつける可能性が非常に高いからだ。

 それなのに、士郎の動きは竹刀の時とほとんど変わらない。

 士郎の想定する戦いとは、実際に剣を手にした戦いなのだ。つまり、自分や敵を斬りつけることすら覚悟しており、命のやり取りをした経験もあるに違いない。

 剣で戦う刹那だからこそ、そこまで察する事ができた。アスナや古菲ではそこまで気が回らなかった。

 それだけではなく、刹那の頭には新たな疑問も浮かんでいた。

(……ところで、あの双剣はどこから出したのだろう?)

 

 

 

 休憩の合間に士郎が話しかけた。

「ちょっと、桜咲の刀を見せてもらえるか?」

「……どうぞ」

 刹那は手にしていた刀を士郎に渡した。

 白鞘の長刀で、刹那の体格を考えれば長すぎるほどだった。

 鯉口を切って、引き抜いた刀身を眺める。

 ――“夕凪”。

 華美な装飾を排した、機能美に満ちあふれる清廉な美しさがあった。

 この刀を飾るのは、数多の実戦をくぐり抜けたその歴史こそが相応しい。

「鞘をつけたまま振り回すと、刃が傷んだりしないか?」

 士郎としてはその点が気になった。

 アスナとの稽古において、刹那は鞘をつけたままの夕凪を木刀替わりに振り回しているのだ。

 造りはしっかりしているようだが、鞘の内部で刀身が傷つく事もありえる。

「そ、それは気をつけていますから」

 ちょっとした細工をすることで、彼女はそのテの事故を防いでいるのだが、彼女はそのことを士郎に説明できなかった。

「まあ、桜咲がそう言うなら……」

 やや不審だったものの、刹那ほどの剣士が愛刀を雑に扱う事もないだろう。

 士郎もそれで納得した。

「神楽坂のも見せてくれるか?」

「このハリセンを? いいけど……」

 戸惑いつつもアスナはハリセンを手渡した。

「面白いな」

「ほっといてください!」

 顔を赤くしてアスナが叫ぶ。彼女自身も武器がハリセンというのは格好悪いと感じていたのだ。

 しかし、士郎はハリセンをバカにしたつもりはない。むしろ、非常に魅力的だと思ったのだ。

 士郎は物の構造を読みとる解析の能力が高い。それは神話に登場するような聖剣や魔剣に対しても有効なのだ。

 アスナの持っていたのはまぎれもなく魔術的な品だった。その効果は魔術に対する無効化。士郎の扱える破戒すべき全ての符ルールブレイカーと似た特性を持ち、物理的な攻撃力までも備えている。

 なによりも士郎を惹きつけたのは、“ハリセンであること”だった。士郎の持っている武器のほとんどは剣である。相手を傷をつけずに戦うのは非常に難しい。

 士郎にとって重要なのは、このハリセンがなぜか剣に属するということ。

 名を“ハマノツルギ”――このハリセンは士郎にも投影が可能なのだ。

「いいな、これ」

「いいの、これ!?」

 士郎のつぶやきにアスナが驚く。

 今の反応から考えると、アスナはこのハリセンの本当の価値を知らないのだろう。一般人なら仕方のない事だ。自覚もなしに、どこかで偶然手入れたに違いない。

「どうやってこれを手に入れたんだ?」

「え!? あ、えっと……」

 答えるべき説明を思いつかないアスナは、すがるような視線をネギに向ける。

「ネギにもらったのよ!」

 アスナは質問の矛先をネギに押し付けていた。

「えーっ!?」

 次に慌てるのはネギの方だ。

 刹那とアスナが小声でもめている。

「アスナさん、それは酷いですよ」

「だって、嘘はついてないじゃない」

 士郎が改めて尋ねた。

「ネギはどうやって手に入れたんだ?」

「僕は、あの、それ……」

 ネギはアスナに倣った。

「と、父さんにもらったんです! だからどうやって手に入れたのか僕も知りません!」

 ネギもまた答える事を放棄していた。

「そうなのか? まあ、そういうこともあるよな……」

 この場で深く追求すると、士郎自身が魔術の存在を暴露することになりかねない。

 士郎は追求を諦めた。

「これはすごく価値のある物だと思うから、大事にした方がいいぞ」

 大切なものを扱うように、士郎はアスナに手渡した。

「はあ……」

 ハリセンについてそんな助言をする士郎を、アスナは変な奴だと思った。

 会話を終えた士郎は、一つの質問をし損ねたことに気づいた。

(……ところで、このハリセンはどこから出したんだ?)

 

 

  つづく

 

 

 
あとがき:いろいろと会話がすれ違う話。こういうこともあるんじゃないでしょうか。