『シロネギまほら』(9)正義の味方のいる風景

 

 

 

「士郎。貴様に話がある」

 電車屋台で昼食後の片づけをしていた士郎のもとを、エヴァが訪ねていた。

「お、修学旅行から帰ってきたんだな。楽しかったか?」

「む……、いや、ガキどもが騒がしくて苦労しただけだ」

「そんなに意地を張る事ないだろ。あんなに京都へ行きたがっていたくせに」

「かっ、勘違いするな! あれは、向こうで事件が起きたから、その対処のために駆けつけただけだ。別に私が京都へ行きたかったわけではないぞ!」

 エヴァが顔を赤くして、士郎の言葉を否定する。

「事件だって? 言ってくれれば俺も手を貸したのに」

「貴様なぞ足手まといだ。現に貴様がいなくても無事に解決している」

 フフン。士郎を挑発するように皮肉な笑みを浮かべてみせる。

「それならいいんだ」

「く……」

 あっさりとした反応にエヴァが悔しそうな表情を浮かべた。

「貴様は覇気が足りんぞ。覇気が!」

 自己顕示欲が欠けているのか、士郎は侮られることを屈辱とは考えていないらしい。力そのものを重視するエヴァにとって、それは予測しづらい反応なのだ。

「今しがた、その事件の顛末について学園長に報告してきた。私の呪いが解けている事に驚いていたぞ。あの間抜け面が一番楽しめたな」

 クックック。エヴァが悪役じみた笑いをこぼす。

「私は元賞金首だから、当分の間は魔力を抑えて、これまで通りの生活をするつもりだ。吸血鬼自体に偏見を持つ人間も多いからな」

「元賞金首って、もしかしてエヴァの呪いは何かの罰だったのか?」

「そうではない。もともと、私の呪いは数年経ったら解かれる予定だった」

「そうなのか?」

「ああ」

 エヴァがその時の事情を士郎に告げた。

 サウザンドマスターとまで呼ばれた強力な魔法使いは、エヴァに『登校地獄』をかけ『光に生きてみろ』と助言したのだという。その時の約束では数年後に解く予定だったらしい。

 しかし、サウザンドマスターが訪れることはなく、彼女は15年もの間この学園に閉じ込められることとなった。

「えーと……、それじゃダメじゃないのか?」

「なにがだ?」

「光に生きるつもりなら、人を襲って血を吸うのはまずいだろ」

「あ、あれは仕方がなかったんだ」

「どう仕方がないんだ?」

「あいつは私の呪いも解かずにどこかで死んだと聞いていたし、その呪いを解くためには奴の息子の血を吸うのが一番手っ取り早かったんだ」

 エヴァが必死で弁解している。彼女自身はそのことに気づいていなかった。

「その考え方が問題なんだろ」

「目的は血を吸う事で、殺そうとまでは考えていなかったぞ! むしろ、呪いも解かずにいなくなったナギが悪い! その子供が責任果たすのは当然だ」

「それもどうかと思うが……。呪いが解けたわけだし、これからは血を吸ったりしないよな?」

「無論だ。……だが、相手の合意があるなら、貴様も納得するんだろう?」

「まあ、合意ならいいんじゃないか」

 ニィ、とエヴァの口元に冷笑が浮かぶ。

「それならば、貴様の血を吸わせろ」

「いいぞ」

「いいのかっ!?」

「その代わり、他の人間の血は吸うなよ」

 エヴァは士郎の顔をしげしげと眺める。

「貴様は……バカか?」

「あんまりだろ、その言い方」

「なぜ見知らぬ誰かのために、身体を差し出すようなことができる? 普通じゃないぞ」

「身体をって……、献血みたいなもんじゃないか。ただし、俺を吸血鬼化するのはやめてくれ。佐々木の時みたいに無害で血を吸う事もできるんだろ?」

 この士郎の認識には誤りがある。

 まき絵は停電の夜に吸血鬼化していたのだが、士郎はその事実を知らなかった。まき絵の身体に残っていた魔力の痕跡に気づかなかったためだ。

 エヴァはそこまで説明してやるつもりはない。士郎にわざわざ悪感情を植え付ける必要がないからだ。

「ふん。ほどこしを受けるのは気にいらん。貴様から何かの依頼があった時に、交換条件として吸わせてもらうさ」

「それでいいのか?」

「今はな。それともう一つ、貴様に聞いておきたいんだがな……」

 エヴァが皮肉気な笑みを浮かべた。

「仮にだぞ。仮に、私が人を襲ったらどうするつもりだ?」

「それは俺が止めるしかないだろ。呪いを解いた俺の責任なんだから」

「ほう。私に勝てるつもりなのか?」

「勝算は関係ない。するべきことをするだけだ」

 士郎の態度には気負いが全く感じられないものの、それでやる気がないと考えるのは誤りだ。やると決めたなら、自分から諦める事は絶対にしない。彼はそういう人間だった。

 そして、一応の切り札も持っている。エヴァと戦うことになったら、士郎は英雄王の蔵にあった不死殺しのハルペーを使うことになるだろう。油断の多い士郎であるが、さすがにそこまで本人に明かすつもりはなかった。

「だけど、エヴァンジェリンはそんなことしないだろ」

「どうしてそう思う? 私は元賞金首だと言ったはずだ」

「そうだな……」

 士郎が上を見上げて自分の考えを追う。

「絡繰が黙って従っているから……かな。絡繰は人間以上にいい奴だし、マスターが悪い奴なら自分の立場に苦しむはずだ」

 士郎の視線が降りて、エヴァの顔を正面から見た。

「それに、エヴァンジェリンもいい奴だってわかったからな」

 士郎の判断基準が、元いた世界観を反映していたからかもしれない。

 士郎が魔術の世界に深く関わるようになったのは、聖杯戦争を目撃して殺されそうになったのが原因である。

 向こうの世界では、魔術を秘匿するために口封じで殺すという判断は、いくらでもありえる選択なのだ。士郎やその知人のように甘い魔術師は例外と言っていい。

 それを考えれば、明確に敵対した士郎を、なんのペナルティも与えず解放したエヴァは、驚くほど善人と言えた。

 京都へ行ったのも“向こうの事件を解決する”――つまりは“困っていた誰かのため”だった。

「頼むから、あまり悪い事はするなよ」

 右手でエヴァの頭をがしがしと撫でた。

 唐突な行動にエヴァの頬が染まる。

「……なっ、やめろ! 恥ずかしい!」

 エヴァが士郎の手を払いのける。

「ま、まあ、私は貴様に借りがある。だから、当分は自重しておいてやるさ」

 ぷいっ、とエヴァが後ろを向いて、士郎の視線から自分の顔を隠した。

「それと、これから私の事はエヴァと呼べ。いいな、士郎」

 そこで士郎も気づいた。以前のエヴァは士郎のことをフルネームで呼んでいた。つまり、お互いの呼び名を改めたのは士郎を受け入れた証なのだろう。

「わかったよ、エヴァ」

 

 

 

 エヴァに連れられた士郎は、彼女の自宅までやってきた。

 向かい合ったソファに座った二人へ、茶々丸が紅茶を差し出す。

「私は貴様には感謝しているんだ。15年もの間この学園に縛られてきたのだからな。魔力を制限された状態では、花粉症にまで苦しめられた」

「吸血鬼のわりには、感謝の内容が凄く庶民的だな」

「その礼として、貴様を私の従者にしてやる」

「……は? それは礼とは言えないだろ。俺の人権は無視なのか?」

「失礼なヤツだな。最強の魔法使いの従者だぞ。強制労働みたいな認識はやめろ。未熟な貴様を我が軍勢に加えようと言うのだ。破格の待遇だ。光栄に思え」

「俺に拒否権はないのか?」

「心配するな。仮契約パクティオーをしたところで、私は貴様をこき使ったりはしない」

「その仮契約というのもわからないんだけど」

「仮契約を知らんのか? 仮契約というのは、魔法使いとその従者が行う契約のことだ。契約をすることによって、貴様は私からの魔力提供を受けられる。魔力容量の少ない貴様にはありがたい話だろう?」

「別にいらないし」

「なんだと!?」

 褒美として考えていたものを、あっさり断られてエヴァが表情を歪めた。最強の魔法使いを自負する自分の力を、無価値だと言われたようなものだからだ。

 士郎はエヴァの様子に気づいていない。

「なるほど。この前も言っていた契約ってのは、パスを繋ぐようなもんか。……パスだって!?」

 自分なりの解釈をした士郎は、その方法に思い至って驚きの声を上げた。

「無理だろ、無理! 絶対に無理!」

 突然慌てだした士郎を、エヴァが不審そうに眺める。

「む……、どういうことだ? なぜ、そこまで拒む?」

「どう考えても不可能だろ!? 精神的にも、肉体的にも!」

「貴様……、私を侮辱するつもりか? そこまで私を拒絶するとはどういうつもりだ! 決めたぞ! 絶対に貴様と契約する! 貴様が拒む事を私は拒む!」

 すでに借りを返すとか返さないとは違う次元になっていたが、エヴァ本人は気づいていない。

「いや、勘弁してくれ。さすがに、人として許されないし……」

「そこまで言うかっ!? 私とキスするのがそんなに嫌か!?」

 エヴァは士郎の襟首を締め上げて、至近距離で叫んでいた。

「……キス? 仮契約ってキスなのか?」

「なんだと思っていた?」

「いやー、てっきりその……」

 士郎が言葉を濁す。

 士郎は以前にも、足りない魔力を他人から供給されたことがある。その時に、他の魔術師とのパスをつなぐためにとった方法は、性行為だったのだ。

 微妙に赤くなった士郎の表情をうかがって、エヴァがニヤリと笑う。

「ほう……。契約というのを何だと思っていたのか聞かせてもらおうか?」

「まあ、いいじゃないか。俺の勘違いだったわけだし」

「さっさと白状するがいい。貴様はどんな相手と契約したんだ?」

「その……、俺の魔術の師匠と」

「なに!?」

 ぴしり、とエヴァの動きが止まる。

「貴様は、中年オヤジが好みだったのかっ!?」

「違うわっ!」

 あまりの言葉に、士郎まで叫んでいた。

「俺の師匠ってのは、同い年の女の子だよ」

「……同い年の師匠なんて、それはそれで情けないぞ」

「ほとんど自己流でやっていた俺と違って、あいつは名門の血を引いて基礎から学んでいたサラブレットなんだよ」

「なるほどな。師匠に無理矢理喰われたか」

「喰われたとか言うな! 緊急時だったし、一応は合意のうえだったし」

 焦って否定したものの、恥ずかしい対応に気づいて士郎が脱力する。

「……それより、キスぐらいならかまわないぞ」

「ずいぶんあっさりと頷いたな」

 最初に想像したことのインパクトが強すぎたため、その落差によって契約内容が気にならなくなったのだ。

「まあ、キスぐらいならな。エヴァが相手ならカウントするようなもんじゃないし」

 ポクッ、といきなりエヴァが拳で殴った。

「ムカつくぞ! 私を子供扱いするな!」

「そう言われてもな……」

「まだ言うつもりか。私は真祖だと言っているだろう。何百年生きたと思っている!」

「ミイラを作るにはどのぐらい必要なんだろうな」

「貴様は〜」

「いや。待った。そんなに怒るなら、契約はやめる方向で」

「それこそなしだと言っているだろうが!」

 

 

 

 カカカッ! エヴァがチョークのようなもので、フローリング上に魔法陣を書き上げる。ぼんやりと輝いているそれは、いまかいまかと発動を待ちかねているようだ。

「士郎、この中で跪け」

「こうか……?」

 片膝をついて姿勢を低くする。幼い容姿のエヴァと、ちょうど視線の高さが同じになった。

 ニィ。可愛らしい童顔に妖艶な笑みが浮かぶ。

 白く細い両腕を首に回されて、士郎の鼓動が速くなった。

 ゆっくりと接近した二人の唇の距離が、やがてゼロになる。

 その瞬間、足元の魔法陣が光を放つ。

「ふむぐっ、むぅぅ、むぐっ……」

 唇をふさがれた呻き声が30秒ほど続いた。呻いていたのは士郎の方だ。

 首を拘束していた両腕を振り解くと、ようやく二人の唇が離れる。

「……子供のくせに舌なんか絡めるな!」

「どうだ? これで私が子供ではないとよくわかっただろう」

 クックック、とエヴァはご満悦の様子だ。

 その頬はしっかりと紅く染まっているが、士郎の顔がそれ以上に真っ赤なので、彼女は満足しているようだ。

「契約は無事に完了したようです」

 空中に出現したカードを茶々丸が手に取っていた。

「見せてみろ」

 エヴァがひょいとカードを取り上げた。

「ほう……。こんなカードは初めて見たぞ」

 不思議そうに眉をひそめたエヴァを見て、士郎も興味をそそられる。彼女の背後から、肩越しにカードを覗き込んだ。

「――っ!?」

 そこに描かれている図柄は、士郎を驚かせるに十分だった。

 中央には背中を向けて立っている青年の姿。右を向いている横顔は衛宮士郎で間違いない。その両手には白と黒の双剣を握っていた。

 士郎を驚かせたのは、両肩から手首までと、腰から下を覆う赤いコートだった。

「貴様はこのカードに、何か心当たりでもあるのか?」

「カードそのものじゃなくて、俺が着ている赤いコートに見覚えがあるんだ。知りあいが着ていたヤツだ」

 忘れもしない。あのアーチャーが身に纏っていた外套とそっくりなのだ。

 エヴァがカードを士郎に向けた。

「このカードには貴様を象徴する情報が記載されている」

 中央には士郎の後ろ姿があり、その周囲には枠線や魔法陣が描かれ、さまざまな文字情報が記載されている。

 エヴァはその情報を士郎へ説明した。

 

 番 号: T

 色 調:luteum (橙)

 星辰性:Mars (火星)

 特 性:justitia (正義)

 方 位:centrum (中央)

 称 号:ARTIFEX GLADIUS (剣の鍛冶師)

 

「……というところだ。そして、貴様にはわからんだろうが、このカードには奇妙なところがある。この背景だ」

 彩度が薄くかすれたような色合いだが、その背景にも士郎は見覚えがあった。

「仮契約カードの背景は普通ならば無地だ。アーティファクトなどの装備品は表示されても、景色が描かれる事などない」

「それは俺の心象風景だ」

「心象風景だと?」

「ああ。前に一度だけ見たことがある」

 夕焼けの赤い空と、剥き出しの赤い大地。そこには、無数の剣が突き立った無限の荒野が描かれていた。

「貴様はずいぶんと荒んだ生活をしているようだな。一体どんな人生を辿ってきたんだ?」

「ちょっとした騒動に巻き込まれただけだ。俺は普通の学生だったぞ」

 聖杯戦争に遭遇さえしなければ、ごく普通の一般人だったろう。いまでさえ、魔術師と言うにはいろいろと未熟なのだ。

「これを持ってアデアットと唱えろ。そうすれば、アーティファクトが出せる」

「出せるってのは、どういうことだ?」

「言った通りだ。カードがパートナー専用の魔法道具に変化するのさ」

 エヴァが楽しげに笑ってみせる。

「あの時は軽く考えていたが、この双剣は貴様のアーティファクトなのだろう。もう一度見せてもらおうか」

 エヴァの知っている士郎のアーティファクトは2つ。最初に持っていた双剣とルールブレイカーだ。

「ちょっと、待て……。登校地獄を解除したルールブレイカーは貴様のアーティファクトではないのか? カードに書かれていないぞ」

 そこまで告げて、さらに奇妙な点に気づいた。

「貴様は仮契約そのものを知らなかったな。そうなると、双剣すらアーティファクトではないということか?」

「アーティファクトって魔術道具の事だろ?」

 怪訝そうに士郎が尋ね返す。

「広義で言えばそうだが、この場合はパクティオーによって授与される道具の事だ」

「あの剣は俺が作り上げた物なんだ。投影魔術と言って、俺は自分の魔力で武器を作ることができるんだ」

「魔力を使ってだと? 聞いた事がないな。他にはどんな道具を作れるんだ?」

「俺に作れるのは、ルールブレイカーと干将莫耶だけだ。そんなに長く保たないしな」

 士郎はそう答えたが、これは嘘である。

 彼は師匠から、“投影魔術の詳細は可能な限り隠せ”と耳にタコが出来るほど言われているからだ。

 士郎の投影魔術は人間の限界を軽く超えている。神話に残るほどの道具を蘇らせ、士郎が消そうとしない限り半永久的に存在し、魔力の回復を待てば何個でも複製できる。これでは金の成る木も同様だった。手段を選ばない魔術師ならば、士郎の心を消し去って魔術道具生成用に使い続けるだろう。

「まあ、そうだろうな」

 士郎の思惑も知らず、エヴァが頷いた。

 干将莫耶はまだしも、ルールブレイカーはあまりに規格外だ。『登校地獄』という非常に特殊な術式と、サウザンドマスターの強大な魔力による拘束。それらの悪条件に関わらず、何の儀式もないまま、“突き刺す”という行為一つで打ち破ってしまったのだ。

 エヴァにとっては、ルールブレイカーひとつをとっても驚きの対象であり、まさか、士郎がそれ以上の能力を隠しているなどとは考えが及ばなかったのだ。そもそも、士郎のことを侮っていたという事情もある。

「干将莫耶というのがこの剣のことか?」

 カードに描かれている剣を指差す。

「ああ」

「そうなると、貴様のアーティファクトは武器ではないのか。よし、唱えてみろ」

「――来たれアデアットだったか?」

 一瞬だけ士郎の体が光り、その体は赤い外套で覆われていた。

「ただの衣装ではなく、このコート自体がアーティファクトのようだな」

 仮契約カードの補助機能として、アーティファクト以外にも、衣装変更を行えることがある。エヴァはそうではない事を告げたのだ。

 エヴァは士郎を覆う魔力を視認する。

「魔法障壁を帯びているな」

 士郎の周囲をぐるりと回り、エヴァはコートの袖や裾を指先で摘んでみる。

「つまらん」

 そう評価した。

「そうなのか?」

「貴様は変わり種のようだからな。もう少し特殊なアーティファクトが出ると期待したんだが……」

 つまりは期待はずれということらしい。

「その外套は魔法発動体にもなるようだが、そんなものは指輪でも代用が可能だ。魔法障壁も契約執行を行えば簡単に再現できる。アーティファクトによる効果としては魅力に欠けるな」

「そのアーティファクトについては、後ほどまほネットで調査してみます」

「任せる」

 茶々丸に対して鷹揚にうなずいた。

「これで貴様は私の従者となった。学園の連中ともめる事になったら、私の名を出してやれ」

「いいのか?」

「仮契約を結んだのも、それに絡んでの事だ。学園長にもそれで話を通してある」

「信用があるんだな」

「まあ、じじィとのつきあいは15年にもなるからな。第一、あやつが私に逆らえるはずもなかろう」

「なんでだ?」

「私がこの学園で最強の存在だからだ。敵と言えるのはせいぜい、じじィかタカミチぐらいだな。あの二人が手を組めば手こずるだろうが、それはどうにでもなる」

 エヴァが平然と言ってのけた。

「まあ、あえて事を荒立てるつもりはないがな。面倒だし」

 彼女がその気になったら、とんでもない事態に発展するかもしれない。

 士郎が自分の身体を見下ろして、エヴァに尋ねた。

「俺はこの格好のままなのか? なんか、落ち着かないんだが」

 どうしても自分には似合わないように感じる。この赤い外套はやはり“あいつ”の物なのだ。

「消す時は、アベアットと唱えろ」

「わかった。――去れアベアット

 

 

 

 エヴァとの話を終えて、士郎はエヴァ宅を辞する事にした。

 これまでとは違って、エヴァも見送りに玄関まで姿を見せている。

「ひとつ、聞いてもいいか?」

 帰りがけに士郎が尋ねた。

「言ってみろ」

「エヴァはいつまでここにいるんだ?」

「どういう意味だ? 私がここにいるとおかしいのか?」

「エヴァは呪いのせいで15年間もこの学園に閉じ込められていたんだろ? それなら、すぐに学園を出て行ってもおかしくないぞ」

 本当に考えていなかったのか、エヴァはその指摘に棒立ちとなった。

「そう……だな。確かに貴様の言う通りだ。呪いが解けたらどこへ行こうか、いろいろと考えていた時期もあった。そうか……外へな」

 エヴァには学園を“出たい”という願望はあったものの、どこかへ“行きたい”と熱望していたわけではないのだ。

 エヴァは自分の思考に没頭する。学園を出る事によるメリットとデメリット。出る理由と残る理由。

 拘束されていた先日までは、学園に対して反感ばかりを募らせていた。

 数百年生きてきた自分にとっても、15年というのは長かったようだ。すでにその境遇をあたりまえのものと認識していた。

 京都での事件が解決すると、修学旅行に合流したまま自然と帰ってきていた。出て行くための準備をしていなかったため、どちらにせよ戻ってきてはいたはずだが。

 停電の夜にネギを襲ったのも、呪いを解くためという目的は確かにあったが、むしろ、自分を残して死んだナギへの当てつけという意識も大きかった。

 いまや、状況が全く違う。

 ナギの生存を教えられ、奴を追い求める息子がすぐ側にいる。

 10年前から公式に死亡扱いとなっているのは、そもそも、ナギの情報が皆無であることが原因なのだ。エヴァ自身も京都の家以外の手がかりを持っていなかった。

 その間にナギとの接触を持った人間は、ネギ・スプリングフィールドただ一人。どういう事情で姿を消しているか不明だが、ネギの前にならば姿を現す事ができるということだ。当然、二度目の接触をはかる可能性もあるだろう。

 京都で会った詠春のように、ナギの消息を知る人間がネギの元を訪ねてくるかもしれない。

 そして、ネギがこの学園にいるのは、魔法学校の課題によるものだ。それは、長くても今年度いっぱいで修了する。

 世界中を探して回るのは、それからでも遅くはない。どうせ、自分は不死者なのだから。

「……む? 士郎はどこへ行った?」

 我に返った時、傍らにいたはずの士郎の姿がどこかへ消えていた。

「何度呼びかけても、マスターが反応を示さなかったため、先ほど帰られました」

「そ、そうなのか?」

 彼女はまったく気がつかなかった。

「『学園を出る事に決めたのなら、声をかけて欲しい』とのことです」

「ふん。ずいぶんと薄い反応だな」

 引き止めの言葉を残さなかった士郎に、エヴァは少しだけ機嫌を損ねた。

 

 

  つづく

 

 

 
あとがき:いろいろと批判も出そうですが仮契約を行いました。エヴァはカモとは違う方法で仮契約ができるらしいのですが、詳細が不明のため従来通りです。エヴァ残留の事情は作中の通りです。