『シロネギまほら』(7)吸血鬼は満月を待たなかった
この日、超包子は臨時休業となっていた。
電源設備をメンテナンスするため、20時から24時まで学園都市全域が停電となるからだ。もちろん、緊急時用の予備電源は確保されているが、一般の施設には供給されない。
超包子だけでなく、他の店も全てが休業となる。街灯まで消えてしまうため、外出する人間がほとんどいなくなるからだ。学園側でも外出を控えるように放送で呼びかけている。
変わり者はどこにでもいて、だからこそ出歩く人間もいる。衛宮士郎もそのうちの一人だった。
上空は風が強いらしく、厚い雲が次々と流れていく。たまに月を隠したりするあたり、吸血鬼が登場する舞台装置としては最高といえるだろう。
しかし――。
「襲う人間がいないんだから吸血鬼も休みかもな」
吸血鬼が出没するのは満月の夜だと聞いていたが、どうにも心配なため一日に一度は桜通りで見回りをしているのだ。
先日倒れていたまき絵だって、士郎が見つけなかったら一晩中そのままだった可能性がある。
今夜は天気も悪い上に、街灯まで消えてしまう。せめて発見を早めようと、彼は今日も見回りを行っているのだ。
そして、士郎は気づいた。
魔力に鈍い士郎であっても気づけたほどの、強大な力。
感じた方向は、上!?
士郎の見上げた空に、巨大なコウモリのような影が浮かんでいた。金髪をたなびかせつつ、黒いマントを翼のように広げたシルエット。
「あれが吸血鬼か!?」
影は女子寮へ向かっているように思えた。そこには顔を見知っている少女が何人もいるはずだった。
「――
使用する剣は、手に馴染んでいる干将莫耶。
「――
続けて肉体の強化を行い、右手の莫耶を吸血鬼目がけて放り投げる。
「どわあああっ!?」
目前を横切った剣に驚いて、女の悲鳴があがった。
吸血鬼が士郎の存在に気づき、怒鳴りつけた。
「何をするか、貴様! 危ないだろ!」
妖艶なる美女が、宙に浮いたまま士郎を睨み付けている。
「お前はどこへ行くつもりなんだ?」
「貴様には関係なかろう。私の邪魔をするな」
「人の血を吸うつもりなら、見逃す訳にはいかない」
「貴様は魔法使いなのか? その程度の魔力では話しにならんぞ」
フフン。吸血鬼が鼻で笑う。士郎の存在を歯牙にもかけいないといった態度だ。
きゅるるる、かすかな音が彼女の鼓膜を刺激する。
「なっ!?」
彼女は慌てて身をよじった。
先ほど士郎の投げた剣が、弧を描いて戻ってきたためだ。
士郎は飛んできた莫耶を片手で受け止めると、再び構える。
「それが貴様のアーティファクトか」
「このまま帰ってもらうわけにはいかないのか?」
「正義の味方気取りか? 自惚れるな小僧」
「今は気取りだけど、いずれは本物になるつもりだ」
「ならば、力づくで止めてみるがいい」
ニヤリと笑って挑発する。
「――
吸血鬼の放った魔力を、士郎は手にした双剣を交差させて受け止める。
パキィン!
服の袖は肘まで凍って砕け散り、両手に握っていた双剣が弾き飛ばされた。
「これが、こっちの魔術なのか?」
見知らぬ効果に士郎が驚かされる。
「ほう、
彼女の使った魔法は、敵を丸腰にするためのものだ。衣類ならば凍結・粉砕し、剣などの硬い物は弾き飛ばす。早い話が、素っ裸にされるのだ。
士郎が魔法を行使したように感じられなかったため、防御できたのは剣による特性だと彼女は判断した。
「――
士郎は投影を行って、失ったはずの双剣を再び握り直す。
「いくつでも実体化できるわけか? ならば、邪魔のできない体になってもらうぞ」
それは直接攻撃の宣言である。
「――
吸血鬼の周囲に17個のつららが発生し、士郎目がけて射出された。
「なっ!?」
最初から予想していたのならば、剣の複数投影による相殺もできただろう。だが、こんな短い時間では投影が追いつかない。
着弾寸前に、横っ飛びして回避を行う。
氷の弾丸の半分近くは地面をえぐったが、自動追尾するらしく残りは士郎を追いかけてきた。
足を止めた士郎が双剣で迎え撃つ。しかし、二本の剣では追いつかずに、はじき損ねた三発が士郎を襲った。
士郎の身体が衝撃を受けて後方に転がる。
「くそっ!」
慌てて身を起こすと、追撃を警戒して夜空を振り仰ぐ。
バサバサバサバサ! 不吉な羽音と共に、不気味な影が士郎を襲った。
それは蝙蝠の群れだった。無数の蝙蝠が士郎の周囲で飛び交う。
必死で振るう双剣が7匹ほど叩き落とすが、総数から考えると微々たるものにすぎない。
「終わりだ――」
その声が背後から聞こえたかと思うと、衝撃が士郎を襲っていた。
茶々丸がバーニアを噴射させて夜空を飛行している。
女子寮へ向かっていたのだが、地上から自分を呼ぶ声が聞こえた。
「茶々丸。こっちだ」
見ると、彼女の主人が倒れた何者かの傍らに立っていた。
「発電施設への細工は上手くいったのだろうな?」
「イエス、マスター。予備システムが停電中に稼働することはありません」
茶々丸は、自宅のパソコンを使用して、発電システムへのハッキングを行っていたのだ。
これで、主人の魔力を封じているこの学園の結界は、すべてが終わるまで稼働する事はない。
彼女は吸血鬼として生きた数百年の人生で、ゆるやかな文明の発展を眺めてきた。そんな彼女では、先端技術の急激な発展にはとても理解が追いつかない。
そのため、コンピューター等の操作はすべて茶々丸に一任しているのだ。
「よし、あとはぼーやの方だな」
「マスターはどうしてこのような所にいるのですか?」
「女子寮へ向かう途中でこいつに襲われてな。時間もないから手早く返り討ちにしてやった」
茶々丸が覗き込むと、うつぶせに倒れているのは見知った人物であった。
「これは、衛宮さん」
「知っているのか、茶々丸?」
衛宮士郎が目を覚ましたのは、一夜明けてからだった。
「ん……」
まどろみの中にあった士郎が、がばっと身体を起こした。意識を失う寸前に戦闘中であった事を思い出したからだ。
「目が覚めましたか?」
「絡繰? あれ、どうして絡繰が? それにここはどこだ?」
桜通りで自分は吸血鬼と遭遇し、おそらく敗れたはずだ。士郎が困惑するのも無理はない。
「体の調子はいかがでしょうか?」
「ちょっと背中が痛むけど、たいしたことはない。それよりも、絡繰が俺を助けてくれたのか?」
「助けたとも、助けていないとも言えます」
「よくわらかないんだが……」
「詳しくはマスターからお聞きください」
部屋を出て行った茶々丸を待ちながら室内を見渡した。
士郎は広いリビングでソファに寝かされていた。
生活感が薄い様子は別荘を思わせる。部屋は広く贅沢な作りで、調度品も高級そうだった。
再び姿を見せた茶々丸の傍らには、小さな少女が付き従っていた。金髪を腰まで伸ばしており、人形と見間違えるほど美しい容姿をしている。
「彼女が私のマスターであるエヴァンジェリン・A・K・マクダウェルです」
「マスターだって? この子供が?」
見た目の印象と違って、力関係は全く逆だったようだ。
「ふん。こう見えても、私は貴様などより遙かに年上だ。見くびるな」
「どう見ても小学生にしか見えないぞ」
「あっさりと私に敗れたくせに、いい度胸ではないか。また魔法をぶち込まれたいか?」
「なんの話だ?」
「昨夜の事だ! 覚えていないのか! 喧嘩を売ってきたのは貴様の方だろう!」
「人違いじゃないか? 俺は子供と喧嘩なんてしてないし」
少女の主張が士郎には理解できない。
「マスターは昨日、幻術を使っていたのでは?」
茶々丸が助言する。
「……そういえば、そうだったな」
ようやく思い至って、冷静さを取り戻す。
「衛宮士郎。私が貴様と戦った吸血鬼だ。昨日の姿は幻術を使ったもので、これが私の本当の姿だ」
「嘘だろ。昨日感じた魔力はこんなものじゃなかったぞ」
「それは、この学園を覆う結界のせいだ。停電中はその結界も止まっていたからな」
そう言われても納得しづらいのだが、倒れてた士郎を連れてきて騙すべき理由もなさそうだ。
「こんな子供だとは思わなかった。悪かったな」
「なぜ謝る? 昨日も言ったが、私は人の血を吸うのが目的だ。現に昨日も血を吸ったのだぞ」
「善悪について教えてくれる大人が、まわりにいなかったんだろ? でも、二度とそんなことはするなよ。それは凄く悪い事なんだ」
「なにもわからんガキ扱いをするな! 私は600年を生きた真祖なんだぞ!」
「そ、そうなのか?」
問いかけられて、茶々丸がそれを首肯する。
「私は2年前に製造されたので事実とは証言できませんが、マスターはそうおっしゃっています」
「その言い方だと、私が嘘をついているみたいではないか! これは大前提だ、それだけは信じろ!」
「……信じられないけど、そういう事にしておいてもいい」
「まだ実力差を理解できていないのか? この場で死にかけてみれば素直になるのか?」
「どんなに強くても、600歳だという証にはならないだろ? ちゃんとした証拠でもあれば別だけど」
「くぅ、あとで思い知らせてやるから覚悟しておけよ、貴様!」
士郎を説得出来ず、少女は悔しさに歯軋りしている。
「その吸血鬼が、俺をどうするつもりなんだ?」
「順番が逆だろう。私に挑みかかったのは貴様の方だ。超包子のアルバイトが、なぜ私に攻撃を仕掛けてきた? 超の差し金か?」
どうして超の名前が出たのかわからないが、こんなことで彼女に迷惑をかけるわけにはいかなかった。
「俺個人の意志だ。桜通りで吸血鬼が人を襲っているって噂を聞いたからな。エヴァのことなんだろ?」
「勝手に人の名前を省略するな!」
「長いから……エヴァでいいだろ」
「断る! エヴァと呼ぶつもりなら様をつけろ。それが嫌ならエヴァンジェリンと呼べ」
「わかったよ。それで、エヴァンジェリンはどうしても血が必要なのか?」
「その件についてはすでに解決済みだ。私はもう人を襲わん。そう約束したからな」
「……本当なのか?」
「私の言葉では信用できんか?」
エヴァが皮肉気な笑みを浮かべる。
「マスターは衛宮さんとの交戦後、別な人物と戦って敗れています。そのときに、“悪いコトはしない”と約束されました」
「負けてなどいない! あれはたまたま電源の復旧が早かっただけで、勝負そのものに決着がついたわけではないぞ!」
主人が言い訳を口にしているが、茶々丸はそれを聞き流してしまう。
「マスターは約束を必ず守ります。あのような事件はもう起こしません」
「まあ、絡繰が言うなら……信用してもいい」
士郎の返答を聞いて、エヴァは不機嫌そうに顔をしかめた。
「なぜ茶々丸の言葉なら信用する? こいつが私の従者だということを忘れているだろ」
「そう言われてもな。茶々丸はアルバイト仲間だし、いい奴だってことも俺は知ってる」
舌打ちしつつ、エヴァが詰め寄った。
「それより、私からも聞きたい事がある。貴様と契約した魔法使いは誰だ? 貴様のような従者が学園にいるなど初耳だぞ」
“魔法使い”という言葉にひっかかりを覚えたものの、士郎は説明を返した。
「契約ってのが何をさすかわからないけど、俺は知りあいの魔術師とはぐれただけだ。俺がここへ来たのは単なる事故だから、知りあいなんて一人もいない」
「そうか……。貴様はただのモグリなのだな。本来なら学園長に報告すべきところだが、見逃してやってもいいぞ。この学園にそこまでの義理があるわけでもないしな。だから、貴様も昨夜の一件は口外するな」
エヴァの申し出に異論はまったくなかった。気になったのは別の事だ。
「なあ、この学園の上層部は魔術師の存在を知っているのか?」
「当然だろう。ここは関東魔法協会の拠点だぞ。多くの魔法先生や魔法生徒がいるし、学園長自身も魔法使いだ」
「“魔術”じゃなく、“魔法”なのか?」
「同じ事ではないか。“魔術”という呼び名にこだわりでもあるのか?」
どうでもいいことのようにエヴァが返した。
「そういうわけじゃないんだが……」
士郎の世界では“魔術”と“魔法”を使い分けていたのだが、この世界では違うらしい。士郎の世界であっても、魔術師がそのように分類しているだけで、それ以外の人間にとってはどちらでもいいことだった。
「茶々丸。アレを持ってこい」
「ハイ、マスター」
部屋を出て行った茶々丸は、2本の剣を手にして戻ってきた。
エヴァと戦った時に士郎が持っていた干将莫耶だった。
「なかなか面白いアーティファクトだな。剣としてもいい出来だが、奇妙な術式が織り込んである。私の魔法を防げたのも頷けるな。これならば杖としても使用できそうだ」
「……まあ、そうだな」
士郎自身もこの剣を杖代わりにして身体を支えた経験もあったが、わざわざ話題にするほどとは思えずあいまいに頷いた。
この世界では、魔法を使用する時に“杖”のような魔法発動体が必要なのだが、士郎はその事実を知らなかった。そのため、エヴァの説明を正しく理解できていなかったのだ。
「茶々丸。玄関まで送ってやれ。貴様は茶々丸に礼を言っておくんだな。こいつが頼まなければ、もっと簡単な方法で貴様を始末していたところぞ」
士郎は基本的に善人であるため、外見上のことにすぎなくとも子供相手では敵意の持ちようがない。
そのうえ、自分の介入とは無関係に、事態も解決したらしい。
「迷惑をかけて悪かったな」
「……ふん」
士郎の謝罪など不要なのか、エヴァはそっぽ向いていた。
廊下に出た士郎は、茶々丸から双剣を受け取ると、投影魔術を解いて消し去った。
「やっぱり、絡繰が助けてくれたんじゃないか。おかげで助かったよ」
「イイエ。衛宮さんはいい人ですから」
茶々丸はそう返していた。
あとがき:ネギは無詠唱で9本の矢を使っていたので、エヴァも17本なら可能ではないかと……。士郎の活躍は特にありませんでした。