『シロネギまほら』(6)衛宮士郎に変わりなし

 

 

 

 世界樹近くに、木々で囲まれた広場がある。昼寝などにちょうどいい、芝生の広がった場所である。士郎はそこを鍛錬場所としていた。

 干将莫耶はれっきとした刀剣のため、厳密に言えば銃刀法違反となる。自身の魔力によって作り上げているため、具現化も消滅も自在にできるので証拠は残らないのだが。

 さすがに人目も気になり、電車屋台近辺ではなく、士郎はここまで足を伸ばしているのだ。

 両手にそれぞれ片刃剣を握って、想像上の敵と剣を交える。

 士郎がくぐり抜けた戦いと言えば、一年前の聖杯戦争だけだ。秋頃に奇妙な夢を見たがあれを経験に含むのは問題があるだろう。

 士郎が戦ったのは強力な敵ばかりで、純粋な実力で勝ったとはとても言えない。彼は実力が伯仲した相手と対峙した経験がないのだ。

 彼の頭にあるのは、彼に剣を教えてくれた、決して手の届かない少女の姿だ。

 自分がどう頑張っても、打ち込めるイメージが湧かない。事実、打ち込めたこともない。

「熱心アルね」

 いつの間にか歩み寄ってきた古菲が、士郎に声をかけてきた。

「どうしたんだ? もう営業時間なのか?」

「士郎と手合わせがしてみたかったアル」

「俺と? 俺は八極拳なんてまねごとしかできないから、まったく相手にならないぞ」

「八極拳だとわかてたアルか? アイヤー、士郎は侮れないアル」

 石像と戦った時、古菲は八極拳を使っていたのだ。

 士郎に魔術を教えた師匠は中国拳法もかじった変わり者で、士郎も幾度か八極拳の手ほどきを受けた事がある。結局は、剣を優先することにしたのだが。

「手合わせするのはこちらの方ネ」

 古菲がぱんぱんにふくれた竹刀袋を掲げてみせる。

「何を持ってきたんだ?」

 古菲が紐を解くと、中からは小さめの竹刀が4本もでてきた。

「私も師匠から双剣を習てたけど、ここでは他に使い手がいなくて困てたアル。士郎に相手をしてもらいたいアル」

「ああ、いいぞ。俺も稽古相手がほしかったから、こっちから頼みたいぐらいだ」

「それは話が早いアル。さそく始めるネ」

 二人は二本づつ竹刀を手にして、間合いを取った。

 両腕を左右に開いた士郎の構えに対し、古菲は両腕を交差させるようにして構えている。

「こちらからいくアル」

 古菲は口元にニヤリと笑みを浮かべて、不意に動いた。

 いきなり回転すると、バックハンドブローの延長で剣を振り回してきた。

「おっ!?」

 虚を突かれたものの、士郎はどうにかそれを受け止めていた。

 古菲の動きはまさに中国拳法の延長であった。士郎にとって全く未知の攻撃である。次々に多彩な技を繰り出す古菲に士郎は驚かされた。

 士郎が相手にした二刀流はアーチャー一人しかいない。アーチャーは堅実な守りが主体であり、このような攻撃方法をおこなわなかった。

 士郎の戸惑いを見て取り、古菲は強引に畳みかけようとするのだがそれでも竹刀は届かない。

「それなら、こうアル!」

 古菲の二刀が連続して走り抜けると、そこに後ろ回し蹴りが続いた。

 踏み込もうとした士郎が、慌てて身体を反らす。

 古菲は二刀流だけでなく、両足すら攻撃に組み込んできた。

 それに対して、士郎は二刀のみを頼りに、受け、かわし、いなしていく。

 

 

 

「痛たたた」

 古菲がしゃがみ込んだ。

「すまん。大丈夫か!?」

「たいしたことないアル。これは私が未熟だったからアル」

 歯を食いしばりつつ、笑みを浮かべてみせる。

 士郎の身体が反射的に反応して、彼女のスネを打ちつけたのだ。古菲の蹴りが鋭かったからこそだが、その分だけ彼女の守りも甘くなっていた。

 一発程度ならまだしも、何度も受けていてはさすがに我慢の限界となったようだ。

「士郎は強いアルなー」

 足技まで使って有効打を決められなかったのだから、完封負けだろう。

「士郎はその剣をどうやって覚えたアルか? 剣術とも思えないアル」

 武術を学んできた古菲には、そのあたりがわかるようだ。

 士郎の剣技は、誰かから型を学ぶ武術とは全く違う。受け継がれた技術体系ではないのに、無駄の削ぎ落とされた鋭さがあるのだ。

「そうだなぁ。最初は見よう見まねだったけど、一応は自己流ってことになるかな」

 アーチャーの剣技を元に修練を積んでいるため、どちらでもあり、どちらともいえない。

「つまり、衛宮流アルね。士郎は天才アル」

「いや、それはない。素質でほめられることはまずないし」

「世の中は広いアル」

 古菲が素直に感心する。

「吸血鬼はどのぐらい強いと思うアルか?」

「凄く強いらしいぞ。俺は会った事ないけど」

「つまり、このぐらいの稽古ではまだまだ足りないということアル」

「そんなに戦いたいものか? どんな怪我をするかもわからないのに」

我 只 望 和 強 者 闘私が望むのはただ強者との戦いのみ

「……すまん。中国語はわからないんだ」

 仕方なく古菲が言い換えた。

「なぜ戦うかというと、そこに強い相手がいるからアル」

 ニッ、と実に楽しそうに笑顔を浮かべていた。

「本当に戦う事が好きなんだな」

「士郎は違うアルか?」

「俺の場合は戦うのが目的じゃないからな。戦わずに済むならそっちの方がいい」

「少し意外アル。図書館島でも士郎はすぐに戦いに踏み切てたアル」

「必要な戦いから逃げるつもりはないけど、優先するのは戦う事じゃないだろ」

「でも、戦うのも楽しいアル」

「相手が望むならな」

「それなら、戦闘好きの吸血鬼だといいアルねー」

「それは無謀だと思うぞ」

 吸血鬼との戦いに古菲を巻き込みたくないのだが、この様子だと放っておくと勝手に吸血鬼に挑みそうだ。すくなくとも、一段落つくまでは行動を共にするしかないだろう。

「報道部の朝倉から吸血鬼について情報を仕入れてきたアル」

「何かわかったのか?」

「吸血鬼が出るのは満月の夜に限られているアル。これまでの半年間、吸血鬼が現れるのは決まて満月アル」

「そうか……、じゃあ、今度現れるのは、来月になるんだな」

「それまでに、みっちり鍛えておくアル」

 

 

 

 その数日後――。

 川沿いの道路を歩いていて、それを見つけた。

「前にもこんなことがあった気がするな」

 上を眺めて士郎が漏らした。

 小さな三毛猫が枝の上にうずくまっている。どうやら、木に登ったのはいいが降りられなくなっているようだった。

 枝は随分高く、真名であっても届かないぐらいなので、身長について嘆かずにすんだ。

 士郎は木の幹に取りついて、よじ登り始める。幸いにも木の枝は太く、士郎の体重を充分に支えてくれた。

 しかし、士郎が進むと枝全体が揺れてしまう。先端へいくほどその揺れ幅は大きくなった。

 子猫は士郎の接近に怯えて、枝先へ向かって退く。

「大丈夫。お前を助けに来たんだから、な?」

 優しく話しかける。

 それで理解しろと猫に求めるのは、人間の傲慢だろう。子猫は士郎の意図を察してはくれなかった。

 さらにさがろうとして、子猫の後ろ足が枝を踏み外す。

 びくっ、と震えた子猫の小さな身体が、枝からこぼれ落ちる。

「くそっ」

 士郎は枝を蹴って猫の身体へ両手を伸ばす。捉えられた猫は、ふーっ、と唸りながら士郎の手に爪を立てる。

 それでも士郎は、両腕の中に子猫を抱え込んだ。身体を張ってこの猫を庇うためだ。

 がしっ、と意外に早く衝撃がきた。

 身体が地面に激突する前に、誰かの手で支えられたのだ。

 士郎のすぐ目の前に、女性の顔があった。耳にある特徴的な部品が、その少女の正体を如実に現している。

「絡繰?」

 枝から落ちた士郎の身体を、茶々丸が空中で抱き止めてくれたのだ。茶々丸は背中や足の裏にあるバーニア噴射を使って空中に静止していた。

「空まで飛べるのか?」

「ハイ」

 バーニアの出力を調整して、茶々丸は静かに地上へと降り立った。

「おかげで助かったよ」

「私は大したことをしていません」

「……あっ!?」

 子猫は、自分を拘束している士郎の手を振り払って、茶々丸の肩へ駆け上った。

「おろしてくれるか? さすがにこの格好は恥ずかしいし」

 お姫様だっこをされることなど士郎は初めての経験だった。

「わかりました」

 茶々丸が身体を右側に傾けて、士郎の足を路上へ降ろした。

「衛宮さん、この子を……」

 茶々丸の手が肩に乗っている子猫を捕まえて、士郎の方に差し出す。

 ふみゃー、と鳴いた子猫は茶々丸の手を抜けだして、再び肩まで駆け上った。

「懐かれたみたいだな」

 士郎に笑いかけられると、茶々丸が狼狽えてしまう。

「それはいけません。この子を助けたのは衛宮さんなのに……」

 オロオロする様子が、不思議と可愛く見える。どうやら、茶々丸は士郎に気を使ってくれているようだ。

「その……、よろしければ、衛宮さんもご一緒しませんか?」

 茶々丸は手にしていたビニール袋を持ち上げて見せた。

「……え?」

 

 

 

 リンゴーン。塔にある鐘が時刻を知らせている。茶々丸に連れてこられたのは、教会だった。

 茶々丸の姿を見かけたからなのか、いつもの時間通りの行動なのか、野良猫たちが寄ってきた。見慣れない士郎に警戒心を見せつつも、それでも近づいてくる。茶々丸を信頼しているからなのだろう。

 茶々丸が袋の中から、猫缶を取り出して中身を皿に盛りつける。

 いつもこうやってエサをやっているらしく、猫たちが皿に飛びついていた。

 茶々丸は手にしていたスプーンでエサを小さくすくい取ると、それを士郎に向けた。

「いや、俺は食べるつもりはないぞ」

「違います」

 士郎の言葉へ茶々丸が無表情に返した。

 茶々丸は持っていたスプーンを逆さに持ち替えて、再び士郎に差し出す。

「この子に……」

 そう促されて、士郎にも茶々丸の言いたいことがわかった。茶々丸は、士郎を怖がっている子猫に対して、エサを与えるように勧めているのだ。

「ああ。わかった」

 受け取った士郎が、茶々丸の肩に乗ったままの子猫の鼻先へスプーンを近づける。

 ちらちらと士郎を眺める子猫だったが、少しづつスプーンのエサに口をつける。

 にゃー、と鳴いてスプーンの先端を抱え込む。ようやく、士郎への警戒心を解いてくれたようだ。

「あっ」

 引っ張られたスプーンが、茶々丸の肩に触れた。スプーンにこびりついていたエサが、制服の肩を汚してしまう。

「悪い。えっと……、代わりの制服があるなら、俺が洗濯しておくから」

「制服は何着もありますし、自分で洗濯いたします。衛宮さんが気にする必要はありません」

 そう言われてしまうと、士郎としても無理強いするわけにもいかない。

 スプーンを引っ込めて、士郎が再び両手を差し出すが、今度は子猫も逃げようとしなかった。

 その小さな身体を持ち上げて地面に降ろしてやると、他の猫たちと一緒にエサに群がっていた。

「ありがとうな、絡繰。おかげでこいつに嫌われずに済んだみたいだ」

「私はなにもしていません。この子猫が衛宮さんに懐いたのは、衛宮さんが子猫に優しくしたからです」

 無表情な茶々丸だが、本当は温かい心を持っているに違いない。

 見上げると、小鳥たちまでこちらに降りてきた。一羽の鳥が、あいた肩に止まっている。

 それは宗教画のように尊い姿に思えた。魂をもたないはずの人造人間が、他の生き物を可愛がる姿は少なからず胸を打った。

「……絡繰はいい奴だな」

「そんなことはありません」

「いいや。俺にとっての絡繰はいい奴なんだよ。俺がそう決めた」

「あの……、その……」

「今日は絡繰に会えてよかったよ。凄く楽しかった」

 そう告げた士郎は、超包子の開店準備のために、茶々丸を残してその場を立ち去った。

 そのため、その後に起きた騒動を彼は全く知らなかった。

 

 

 

 このところ毎日続けられている士郎と古菲の稽古場に、一人の客が訪れていた。

「おや、刹那アル」

「……?」

 古菲の視線を辿ってみると、長い竹刀袋を背負った少女が立っていた。静かなたたずまいで、髪を左側だけ結い上げている少女だ。

 二人の視線を受けると、ぺこりと一礼してこちらに近づいてくる。

「なんの挨拶もせずに、無断で稽古を眺めてしまい、申し訳ありませんでした」

 士郎に向かって頭を下げる。

「刹那は私に用だたアルか?」

「そうじゃない。ここで稽古をしていると言っていただろう。一度覗いてみようと思っていたんだ」

 持っている長い竹刀袋が示す通り、刹那は剣道部なのだ。古菲に竹刀を貸したのも彼女だった。

「初めまして。桜咲刹那と申します」

 士郎に対して再び頭を下げる。

「俺は衛宮士郎。クーとは超包子で一緒に仕事をしているんだ」

 古菲が頷いてそれを肯定した。

「その……、不躾とは思いますが……」

 もじもじとしつつ、刹那が言いづらそうに切り出した。

「私とも立ち会って頂けないでしょうか? 私は二刀流との対戦経験がないため、非常に興味があります」

「俺と?」

「是非。お願いします」

「ああ。いいぞ」

 士郎が二つ返事で引き受けた。

 

 

 

 二本の竹刀を握った士郎が刹那と対峙する。

 刹那が手にしているのは、古菲が持っていた竹刀の内の一本のみ。持っていた竹刀袋に入っていたのが実は真剣だなどとは、この時の士郎は気づいていない。

 古菲の合図で三本の竹刀が打ち合った。

 両手で扱うには刀身が短すぎるはずの竹刀を、刹那は見事に使いこなす。竹刀の長さや数など問題にならないほど、刹那は体捌きも剣の技も洗練されていた。

 刹那の剣技に士郎は驚嘆する。士郎にもこれまでの修練に対する自負があったものの、それでもこの少女には及ばない。

 サーヴァントでもあるまいし、中学生の少女がここまでの腕を持っているとは想像もできなかった。

 これが素質という物なのだろうか? 士郎はそう考えたのだが、それは間違いだ。

 彼女は素質にあぐらをかいているわけではなく、相応の代償を払ってその実力を得ているのだから。

「なんか悔しいアル〜」

 見学に回っていた古菲が不満を口にする。

 古菲と戦っていた時よりも、士郎の動きが格段と良かったのだ。

 刹那が相手であれば、士郎はセイバーの時と同じように向き合える。だが、古菲の場合はそうもいかなかった。

 二刀流――つまり、片手で剣を振り回すというのは、単純に片手で受ける負荷が強くなる。古菲が受けきれない恐れがあったため、どうしても打撃が弱くなっていたのだ。それは“古菲を侮っていた”と言えるかも知れない。

 休憩の際に、汗を拭いながら士郎が賞賛した。

「桜咲は強いな。ここまで強いとは思わなかった」

 士郎は何度か打突を受けているが、そのわりにダメージは少ない。刹那の獲物が短かったために、攻撃が浅くなったのだ。

 一方、士郎の竹刀は刹那を掠めるのがせいぜいだった。

「ありがとうございます。衛宮さんのおかげで私も勉強になりました。片手で扱う割に一撃が重く、二刀での手数が多かったため、予想以上に手こずりました。……すみません。年下の私がこのように偉そうな事を言ってしまって」

「気にしなくていいさ。いつものことだし」

「いつもの……ですか?」

 士郎に対して面識のないはずの刹那が怪訝そうに尋ねる。

「俺に稽古をつけてくれた子が、桜咲みたいな奴だったんだ。背格好も似ているし、言葉も丁寧だけど、剣の稽古では容赦なくてさ」

 ははは、と士郎が笑ってみせる。

 もう少し補足するなら、セイバーは敵と目した相手には硬質な口調となる。刹那の場合は気を許した相手――古菲に対してそうなるようだ。

「その人も強かたアルか?」

「強いなんてもんじゃないな。……世界最強? 下手したら、歴史上でも最強の部類だ」

「そ、それはさすがに言い過ぎではないでしょうか?」

「刹那よりもアルか?」

「俺には二人の全力を把握しきれないけど、桜咲があいつに勝つ事はあり得ないと思うぞ」

「そんなにですか?」

「おおっ! 戦って見たいアル」

 剣士としての自負からか刹那は怪訝そうに眉を顰めたが、古菲の方は言葉通りに受け取った。

 もしも、その相手が最強の剣を持つ騎士王だと知ったなら、二人ともさぞや驚いた事だろう。

「残念ながら、今は連絡がつかないんだ。久しぶりに顔でも見たいけど、今度会えるのはいつになるやら……」

 不思議そうな二人をよそに、士郎の視線は遠くの空へ向けられていた。

 

 

  つづく

 

 

 
あとがき:調べてみて驚いたのですが、セイバーと刹那は身長体重とスリーサイズが非常によく似ていました。
追記:多数のご指摘がありまして、またまた修正。共に二刀流の条件下において、士郎>古菲へ修正しました。(2008/01/24)