『シロネギまほら』(5)桜通りで会いましょう

 

 

 

 衛宮士郎は可愛らしい少女をお姫様だっこで抱きかかえていた。

 傍目には羨ましいとか微笑ましいという感想が生まれることだろう。

 しかし、すでに日の暮れた時刻に、意識のない少女を抱えているというのは、いささか微妙である。犯罪者扱いされてもおかしくない。

(でも、放っておけないしな)

 彼の行動はあくまでも善意によるものだ。悪意などかけらもない。

 この少女は通りすがりで拾っただけにすぎず、素性も事情も全く知らない。洗面器やシャンプーが転がっていたから、風呂帰りだったのだろう。抱き上げている少女のお腹には、そのお風呂道具一式が乗せられている。

 桜通りの向こう側――正面から歩いてきた長髪の人影が、士郎の抱き上げている少女を見て眉をひそめた。

「その娘をどうするつもりだ?」

 男のような言葉遣いだが、声は間違いなく女性のものだった。

「あっちの桜の下で倒れていたのを見つけたんだ。怪我や病気じゃなさそうだから、交番へ運ぶところだ」

「…………」

 女性が士郎へ歩み寄る。褐色の肌と整のった顔立ちが見て取れた。

 彼女は意識のない少女の顔を見下ろす。

「やはり佐々木か。この娘は私の知りあいだ。私が運ぶよ」

「悪いけど、そっちがどういう人間かわからないのに預けるわけにはいかない」

 士郎の答えに、相手は不機嫌そうに応じる。

「私の名は龍宮真名。その娘のクラスメイトだ」

 内ポケットから取り出した学生証を、士郎に突きつける。

「……中学生!?」

 記載された情報を目にして、士郎が怪訝そうにつぶやく。

「それが、どうかしたのか? 何か不審な点でも?」

 問われるまでもなく不審に決まっている。

 身長は180センチを越えており、そのプロポーションなどモデル並だ。とても中学生には見えない。楓の時と違ってそれを証言する人間もいなかった。

「偽造じゃないのか?」

「なぜそう考えたのか、聞かせてもらおう」

 真名の視線には殺意すら込められていた。

「言ったら怒られるような気がするから、やめておく」

「怒らせるような事を考えたのはよくわかった」

 真名が苛立ちをあらわにする。そんなことは珍しいのだが、士郎がその事実を知るはずもない。

「そういう貴様は、身元を証せるんだろうな?」

「俺は衛宮士郎。この前から超包子でバイトをしてる」

「それなら、古や超のことを知らないか? あのふたりも私のクラスメイトだ」

「嘘だろ?」

「本当だ!」

「……じゃあ、こうしよう。俺としても女の子に任せて放り出すわけにはいかない。だから、この子は俺が運ぶけど、家まで一緒に案内してもらえると助かる」

 士郎は手を差し伸べた相手を人任せにするつもりはない。真名も見知らぬ相手に友人を委ねるわけにはいかない。それぞれの問題点は、行動を共にする事で解決するはずだった。

「妥協案というわけか。……それならいいだろう」

 真名は士郎の提案を受け入れ、二人は並んで歩き始めた。

「人を抱き上げるのは大変だろう。疲れたら替わるよ。私は人より鍛えているしね」

「年下だっていう女の子にそんなことさせられない」

 真名が軽く目を見開いた。

「衛宮は高校生だったのか? 中学生だとばかり思っていた」

 それは意趣返しというよりも、本心から驚いているようだった。

「これでも18歳だ。悪かったな。背が低いうえに童顔で」

 残念ながらその事実は士郎も自覚している。中学生と言われたのは初めてだが、発育のいい真名ならばその勘違いも仕方がない。逆に、士郎自身は真名を年上だと考えたのだから。

「まあ、お互い様ということにしておこうか」

「そんなに格好よくても、背が高いのは嫌なのか?」

「私だって女だからね。たまにはそう感じる事もあるさ。映画館に行っても大人料金だ」

「俺は逆だな。背の高い後輩に見下ろされたりするとやっぱり悔しいし。せめて5センチでも高くなってくれればなあ。龍宮が羨ましいよ」

「私は衛宮……さんが羨ましいね。背は伸びる事があっても、縮む事はないだろう?」

「いずれ背が伸びるとわかっていても、いつになるかわからないんだぞ」

 お互いに無い物ねだりをしながらふたりは桜通りを抜けていた。

 

 

 

「ここが私達の住んでいる寮だ」

 真名の案内で玄関へ到着する。

 寮内を歩いていた少女が、こちらに気がついて声をかけてきた。

「龍宮さん、珍しく男連れ?」

 にしし、とその少女はからかうように笑顔を浮かべた。ショートヘアで活発そうな女の子だ。

「倒れていた佐々木を運んできたところだ。先に見つけた彼に、クラスメイトだと自己紹介したが信じてもらえなくてね。彼女を運んでもらう代わりに、道案内をする事になった」

「そりゃあ、龍宮さんが中学生に見える方がおかし……くもないっスね」

 真名の視線に押されて、少女は自分の言葉を翻す。

「衛宮さん。この春日美空も私のクラスメイトだ。納得してもらえたかな?」

 美空と呼ばれた少女は倒れていた少女と似たような体格で、すんなりと中学生だと認識できた。

「え? ああ。よくわかった」

 士郎自身はすでに真名を疑っていない。ここまでの道中の会話でも、何かを企んでいるようには感じられなかったからだ。

「まき絵はどうしたの? 泥酔中?」

「体に異常はなさそうだ。桜通りで倒れていたらしい」

「桜通り?」

 その名称を耳にして、なぜか美空の表情が曇る。

「俺の仕事はここまでだな。後は龍宮に頼んでいいか?」

「なぜ?」

「女子寮の中にまで、俺が運び込むわけにはいかないだろ」

「責任感の強い衛宮さんらしくないじゃないか。最後まで面倒を見たらどうだい?」

「それは最初に任せなかった事への仕返しか?」

 フッ、と真名が笑みを浮かべた。

「冗談だよ」

 真名はまき絵の体重を苦にすることなく、士郎から抱き取った。

「佐々木にはちゃんと、衛宮さんが運んでくれたと伝えておくよ」

「感謝して欲しくて運んだわけじゃない」

 士郎の言葉が真実だと、なぜか真名には理解できてしまった。照れや遠慮などではなく、士郎は本当に“感謝を必要としていない”のだと。

「何が原因か知らないけど、この娘には気をつけるように言っておいてくれ」

「そうしよう」

 真名が笑顔で頷いた。

 

 

 

 翌日の午後のことだった。

 厨房にしゃがみ込んでジャガイモの皮を剥いていた士郎に、声がかけられた。

「お客さんを連れてきたアル」

「まだ、営業時間には早いだろ。他のみんなも来てないぞ」

「店じゃないアル。士郎の客アル」

「俺の?」

 立ち上がった士郎は、カウンターの向こうで古菲と並んで立つ少女を見た。見覚えのある顔だった。

「あの〜、佐々木まき絵です。昨日は寮まで運んでもらって、ありがとうございました。ちゃんとお礼を言いにきました」

 ぺこり、と勢いよく頭を下げる。

「体は大丈夫なのか?」

「はい。健康だけが取り柄なんです。えへへー」

 明るい調子で答えた。重病とか暴行とか深刻な事情があったわけではなさそうだ。

「昨日は何があったんだ? あんなところで倒れるなんて」

「それが、よくわからないんです。自分でも覚えてなくて」

「きっとまき絵は吸血鬼になてしまたアル」

「やめてよー! 冗談にならないんだからー!」

 そう叫んだまき絵は涙目になっている。

「なんだ、吸血鬼って?」

「桜通りには吸血鬼がいるて噂アル」

「そうなのか?」

 眉を顰めた士郎は、真剣な表情でまき絵を見た。

 まき絵が忘れているということは、魔術で記憶を消されている可能性もある。吸血鬼ならばそのぐらいできてもおかしくはない。

 真剣な表情で正面から見つめられて、まき絵の頬が朱に染まった。

「あの、な、なんですか?」

 士郎はカウンター越しに右手を伸ばすと、まき絵の顎を軽く持ち上げる。その状態でまき絵の顔を右に左に振り向ける。

「ナニ、ナニ、ナニー!?」

 真っ赤になったまき絵は思考停止に陥り、士郎の為すがままだった。

「噛まれた痕はなさそうだな」

 そのつぶやきで、まき絵にも士郎の行動理由がわかった。首筋に牙の痕がないか確認したのだ。

「士郎は本当にオカルト好きアルねー」

「まあ、そういうことにしておいてくれ」

「そうなんですかー?」

「この前も魔法の本を探しに、私達と図書館島へ行たアルよ」

「私も図書館島へ行ったことがあって、くーふぇと一緒に遭難したんですよー」

「そうらしいな。クーから聞いてる」

「本は見つけたけど偽物だたアル。石像は士郎が倒したアルよ」

「すっごーい! 私達は追いかけ回されて大変だったのに!」

「まあ、運がよかったんだ」

 魔術によるものだから、あまりおおっぴらにはできない。

 古菲にも口止めをした方がいいのだろうが、逆に勘ぐられる可能性もある。そのあたりの判断が難しい。

 まき絵は新体操部の時間があるということで、もう一度礼を告げてから立ち去った。

 

 

 

 日の沈んだ桜通りに、士郎の姿があった。

 本人が意識しないまま、士郎の顔に笑みが浮かぶ。

 こうして、警戒を目的に夜道を歩くのが奇妙に懐かしかったからだ。自然と聖杯戦争が思い出される。

「おー、やっぱり来てたアル!」

 聞き慣れた声が耳に届いた。

「何でクーがここにいるんだ?」

「士郎のやりそうなことはお見通しアル。私も吸血鬼を見てみたいネ。それに、女の子と一緒の方が吸血鬼もやてくるアル」

「クーだと、あまり囮になりそうもないけどな」

「ム、士郎は失礼アル」

「吸血鬼は凄く強いらしいし、危険だぞ」

「ますます会ってみたいアル。腕が鳴るネ」

「……武闘派だな」

 士郎は説得に失敗した。このテの人間に、敵の強さを口にするのは逆効果なのだ。

「士郎の方こそ手ぶらで大丈夫アルか?」

「俺は手品が使えるからな」

「そういえばそうだたアル。あの手品のタネ、教えて欲しいアル」

「悪いが秘密だ。長瀬に教えてもらったらどうだ?」

「しつこく聞いて怒られたアル」

「じゃあ、俺も怒ることにする」

「ふたりとも意地悪ネ」

 つれない態度に、古菲がむくれてしまった。

 

 

 

 人気のない桜通りを往復するのは端から見て酷く怪しい。

 現在の二人は、木陰に身を潜めていた。

「あれはネギ坊主アル」

 通りかかった小さな影を見て古菲がつぶやいた。

「知りあいなのか?」

「春から正式にうちのクラスの担任になたアル」

「担任って子供じゃないか」

 子供に走り寄る古菲を追って、士郎も駆け寄っていた。

「くーふぇさん!? どうしたんですか?」

「ネギ坊主。夜道の一人歩きは危険アルよ」

「それならくーふぇさんだって」

「私は中国拳法が使えるネ。それに一人じゃないアル」

 士郎が苦笑する。

 本物の吸血鬼が相手だったら、素手の格闘家が勝つのは不可能だろう。士郎自身にも勝てる確証はないが、だからと言って見すごすこともできない。危機的状況に陥ったら、最悪でも古菲だけは逃がすつもりでいた。

「それより、こんな時間に一人で歩いて、家族が心配するんじゃないか?」

 相手の境遇を知らない士郎がそう言って注意する。

「きっと、アスナが怒てるアル。早く帰った方がいいネ」

「俺達が家まで送っていくよ。一人きりだと心配だし」

「それがいいアル」

 二人の申し出が善意からである事はネギにも理解できる。しかし、彼にも彼の事情があった。

「そんな、お断りします。僕、桜通りに用があって」

「ここにどんな用があるんだ? それに、桜通りには吸血鬼が出るって噂だから、近寄らない方がいいぞ」

「吸血鬼ですか!?」

 初耳だったらしく、子供は士郎の言葉に驚いた。

「お姉さんの言う事は聞いておくアル。寮まで送るヨ」

「ご、ごめんなさーい!」

 振り返るなり、一目散に走り出した。

「逃げたアル!」

「なんで逃げるんだ!?」

 慌てて二人が追いかけるものの離される一方だった。

「しかも速いぞ!」

「やるネ。ネギ坊主」

「あの調子だと大人しく帰るつもりなさそうだな」

「ワガママ坊主はお仕置きアル」

 すでにネギの後ろ姿は見えなくなった。何度か角を曲がるうちに見失ってしまったのだ。

「二手に分かれて探そう。クーは向こうを頼む」

「了解ネ」

 しつこい二人を避けるために、ネギは桜通りへの到着が遅れることとなる。

 

 

 

 士郎と古菲がようやくネギを見つけたのは寮の前だった。

 ぐすぐすと鼻をすする少年が、少女に手を引かれ帰ってきた。

「まあ、無事に見つかってよかったな」

「手を引いているのが、ネギ坊主の面倒を見ているアスナアル」

「それで、あの子は吸血鬼に会ったのか?」

「アスナは迷子だたと言てたアル。ネギ坊主が恥ずかしがてたヨ」

 その答えに士郎はがっくりと肩を落とした。

「そんなことなら、やっぱり俺達が送ってやるべきだったな。それとも、俺達が追いかけ回したせいで、迷子になったのか?」

「夜遊びをしていたネギ坊主の方が悪いと思うアル」

「とにかく、まだ吸血鬼は出ていないわけだな」

「あれだけ騒いだら、今日は出ないと思うアル」

 ネギを完全に見失った後は、何度も名前を呼んでいたのだ。先ほどのアスナという少女も、二人と同じくネギを探していたらしい。

「……それもそうか。クーもこの寮に住んでるなら、今日の所はここでお開きにするか」

「了解アル。また、明日回てみるアル」

「やっぱり来るのか?」

「士郎にだけ抜け駆けはさせないアルよ」

「頑固だな」

「お互い様アル」

 

 

  つづく

 

 


あとがき:士郎とネギの接近遭遇は顔合わせのみです。
追記:士郎の戦闘力について微妙に修正しました。