『シロネギまほら』(2)
異なる世界にやってきて一夜明けた。
士郎が目覚めたのはいつものごとく早朝だ。遅い時間まで考えを巡らせていたというのに、習慣通りに目を覚ましていた。
本来ならば、自分の遭遇した状況にもっと混乱していてもおかしくないはずだが、彼の動揺はひどく少ない。衛宮士郎が自分に関わる全てを失ったのは、これが初めてではなかったからだ。その経験が士郎を落ち着かせていた。
朝日の元でみると、並んでいるテーブルの下にゴミが転がっているのが目に付いた。屋台に立てかけられていた竹箒を使ってのんびりと掃除をしながら、士郎は今日の予定を考える。
夕方の営業開始までに、個人的なことは終わらせておく必要があった。
着替えや洗面道具も必要だ。風呂にも入っておきたい。思いつくのは最低限の文化的生活に関することばかりだ。士郎の趣味はせいぜい料理で、これは嫌と言うほどすることになるだろう。
あとは、剣や魔術の鍛錬をしておきたい。これは彼にとって、すでに習慣となっていることだった。残念ながら、頼りになる師匠は存在しないが、それでもやめるつもりはない。
早くも三時過ぎには五月がやってきた。
営業を前に、全メニューの確認や大まかな作業分担と作業手順について教え込まれる。
事前に出来る下ごしらえは、このまま進めることになった。
並んで厨房に立ちながら、五月の指示に従ってギョウザのアンを作り始める。
「集合は4時のはずだろ? 四葉はいつもこんなに早いのか?」
「本当は開店が17時半で準備を始めるのは17時からです。衛宮さんはお金が必要そうなので、16時からの作業でお願いしました」
「そうなのか? 早く始める必要がないなら、俺も17時開始で構わないぞ」
「衛宮さんに下準備を頼めれば、お料理研究会に出る時間も空きますから。衛宮さんには16時からでお願いします」
「悪いな。気を使わせて」
「違いますよ。自分のためです」
言い直したのは士郎への気遣いだろう。
「研究会っていうのはこの店と関係あるのか?」
「お料理研究会はこの学園の部活の一つで、この超包子も研究会としての活動の一環なんです。研究会では中華料理だけでなく、イタリアンやトルコ料理も作ったりしますよ」
「俺は和食の方が好きで、作るのも和食が一番多いな」
「和食を作る事もありますよ。料理好きが集まっていますから、いろんな料理を作って、お互いに食べ比べるのが楽しいんです」
「四葉は本当に料理が好きなんだな」
「将来自分のお店を持つのが夢なんです」
「少なくとも、料理の腕だけなら充分にやっていけるんじゃないか?」
バイト経験から店を経営する苦労も多少は知っているつもりだ。だから、無責任な事も言えないものの、自分にわかる点で感想を述べた。
「ありがとうございます」
五月は嬉しそうに微笑んだ。
「衛宮さんは自炊だと言っていましたけど、料理を作る事は好きですか?」
「俺は無趣味な人間だけど、調理するのは好きな方かな。妹みたいな子がいるけど、どっちが料理を作るかでケンカになるし」
「わかるような気がします」
「逆に食べる事を目的にやってくる騒がしい連中もいるしな。ホントに賑やかだったよ」
「楽しそうですね。……あ」
突然、五月が居心地悪そうに身を縮ませる。
「ん?」
不思議に思った士郎は、今の会話を振り返って、五月が何を気にしたのか思い至った。
今の士郎が、金に困っている事や、寝泊まりする家もない事を、五月は知っているのだ。
「四葉が気にすることじゃないだろ。詳しくは話せないけど、俺が帰れない理由は事故みたいなものなんだ。みんなも俺を待ってくれていると思うし」
帰る目途はまったく立っていないが、少なくとも五月が哀しむべきことではない。
「早く帰れるといいですね」
「ああ」
17時半の営業開始にあわせて、17時には超包子のメンバーが集合する予定である。
17時少し前にやってきたのが、耳の辺りを金属パーツで覆っている背の高い少女だった。
「初めまして。私は絡繰茶々丸といいます」
士郎を見て礼儀正しく頭をさげた。
「俺は衛宮士郎。今日からバイトで入ったんだ」
「学校で五月さんからもお聞きしました」
「じゃあ、これからよろしくな」
「こちらの方こそ」
ペコリ、ともう一度頭を下げた。
茶々丸はふきんでテーブルの上を磨きつつ、棚から出した箸や調味料を手早く並べ始めた。
17時を過ぎてから、勢い良く駆け込んできたのは、褐色の肌でチャイナ服を着た少女だ。
「遅れて済まないアルー」
全速力で走っていたわりには息一つ乱していない。
「お前が士郎アルね。採用おめでとアル」
五月と並んで調理している士郎に気安く話しかけた。
「私は
古菲が右手を差し出してきた。
「あ……、ああ。よろしく」
相手に応えて握手を返すと、古菲は握った手を楽しそうにぶんぶんと振りまわした。
五月の説明によると、残りの二人――超鈴音と葉加瀬聡美の二人は休みとの事だった。二人とも調理担当らしい。
「もう、客が来たアルよ」
「ずいぶん、早いんだな」
「いつものことアル。超包子は凄い人気店ネ」
古菲の言葉に頷いて五月が答えた。
「そうですね。準備ができしだい開店しましょうか」
調理担当のメインは五月で、士郎はそのアシスタントとなっている。古菲と茶々丸はウェイトレスだ。
まごついている士郎とは違い、他の三人はそつなく仕事をこなしている。
「初めてですから、あまり無理はしないでくださいね」
士郎を励まして、五月はてきぱきと作業を進める。
いくつも注文を捌いていくと、二人の手順も上手くかみあうようになる。会話出来る程度に余裕も生まれて、士郎が尋ねた。
「本人の前では聞けなかったけど、絡繰ってロボットだよな?」
「そうですよ。この店を休んでいる超さんとハカセさんが茶々丸さんを作ったんです」
「そうなのか? そりゃ凄いな」
見たところ茶々丸にはケーブルの類が接続されていない。無線操縦かあるいは完全自動式なのだろう。もしかすると、科学技術についてはこちらの世界の方が進んでいるのかも知れない。
「今は二人とも研究が忙しくて、大学に詰めているんです。アルバイトを募集したのもそのためなんですよ」
「じゃあ、二人とも俺の恩人ということになるのかな」
「そうですね。会った時には挨拶をしておいてください」
「研究ってどんなことをしてるんだ?」
「今は茶々丸さんの新しいボディを開発中らしいですよ」
「よっぽど頭がいいんだな」
「はい」
五月が言うのだから、それは事実なのだろう。
茶々丸は両手に中華せいろを高く積み上げて、テーブルの間を回っている。
もう一人も同じだけせいろを積み上げているのだが、こちらはローラースケートを使っているのだから、難易度はさらに上だ。
「あっ!」
客にぶつかったらしい古菲がバランスを崩すのが見えた。
だが、士郎の心配など無用だった。
古菲はすぐに体勢を整えるなり、両手を動かして崩れたせいろの塔を立て直してしまう。
『おおおおおーっ!』
席に着いていた客が思わず拍手を送っていた。
その曲芸に士郎も驚かされる。
「くーさんは中国拳法の達人なんです。学園で開催している武術大会で優勝したくらいですから」
「なるほど。凄いな」
閉店時刻は20時半。これは21時までに作業を終了させるためだった。
後かたづけを終えたメンバーが帰るのを見送って、ここに寝泊まりしている士郎だけが残っている。
「チャーハンを頼むネ」
明日のために使う材料を整理していると、少女の声が耳に届いた。
「え?」
カウンターの前に立っていたのは、頭の両サイドで髪をお団子に結い上げている中華服の少女だった。
「チャーハンを作ってほしいネ。それとも、あなたには作れないカ?」
営業終了後にやってきてチャーハンを頼むなど、狙ってやったのならば余程ひねくれた客に違いない。
「えっと、もう営業時間は終了したんですけど」
調理する手間の問題ではなく、すでにレジは施錠してしまっている。何より、閉店後に客を扱っていいものか、新人の自分では判断しかねた。
「超包子は客を追い返すのカ?」
「む……」
少女の挑発は受け流すわけにいかなかった。自分の行動が原因で、超包子の悪評を流されてしまっては、雇ってもらえた恩を仇で返すようなものだ。
「悪いけど、閉店してしまったから注文を受けるわけにはいかない」
その答えを聞いた相手がつまらなそうに肩を落とす。
「だけど、俺用のまかないとして、残り物を使ってこれからチャーハンを作る。余らせるのももったいないから、半分食べてもらえるか? 客じゃないから代金はいらないぞ」
そう続けると、少女の表情が一変する。
「それはありがたい。ぜひ、お願いするヨ」
卵とハムだけの単純なチャーハンと温め治した中華スープを、お盆に一人前乗せると席に着いている少女の元へ運ぶ。
「お待たせ」
「あなたは食べないつもりカナ?」
「店の中で食べるよ」
「一人で食べるのは寂しいネ。私と一緒に食べるのは嫌カ?」
「俺は一応店員だからな」
「もう閉店しているから、あなたは店員ではないし、私も客ではないはずヨ」
さきほどの士郎の言葉を前提にして、その少女はそんな風に切り返してきた。
「まあ、君がそう言うなら……」
士郎はもう一人前運んでくると、少女の対面の席に腰を下ろした。
二人がレンゲですくって、チャーハンを口に運ぶ。
「まかないだけあって具材は少ないけど、これなら充分な出来ネ」
「それならよかった。営業中に来てくれれば、ちゃんとしたチャーハンも出せるぞ」
「店の宣伝までするなんて抜け目ないネ」
「そういうつもりで言ったんじゃないけどな」
「私の名は
「え、そうなのか? あれ? でも大学生だって聞いてたけど」
「それはきっと勘違いネ。私とハカセは大学の研究室を借りているけど、れっきとした中学生ヨ」
「中学生!?」
中学生でありながらあの茶々丸を作ったというのだろうか? それが事実ならば、この超とハカセは間違いなく天才だった。
「あ、俺は――」
士郎が名乗るよりも早く、超が口を開いた。
「今日から入った新人アルバイトの衛宮士郎。昨日のうちに五月から連絡を受けてるヨ。今日は勤務状況を確認に来たネ」
「それで、どうだった?」
「もちろん合格ネ。料理も及第点だし、対応も悪くなかた。本来なら、営業終了後は注文を断てもかまわないヨ。中学生だから学祭時期以外は営業時間にうるさいネ。今みたいに衛宮サンが調理するなら、売り上げは翌日に回せばいいヨ」
「そういうことなら、今度はそうする」
お互いに会話しながら、レンゲの動きは止まらない。
「やっぱり、四葉の目は確かネ。少なくともアルバイトとしてはお買い得だたと思うヨ」
「新人が入るたびに、こんなテストをしてるのか?」
「違うヨ。衛宮サンだけ特別ネ」
「なんでさ?」
超が正面から士郎の目を覗き込む。相手を見極めようとする冷徹な瞳。身に纏う雰囲気こそ違うものの、士郎は遠坂に似たものを感じた。
「衛宮士郎なる人物の戸籍を調査してみたヨ。同姓同名が一人いたけど、衛宮サンとは条件が合致しなかた。気になるのはあたりまえネ」
「…………」
「さっきも言た通り、テストは合格ヨ。ただし、五月の信頼を裏切るつもりなら、覚悟しておくことネ」
脅しと思われるその言葉に対して、士郎はなぜか安堵のため息を漏らしていた。
「それなら大丈夫だ。俺は四葉を裏切るようなまねは絶対にしない。四葉には本当に感謝しているんだ」
士郎の回答と態度に、超は邪気のない笑みを浮かべる。
「今度は営業時間中に衛宮サンの料理を食べに来るネ」
そう言い残して超は立ち去った。
ほんの一日で戸籍の調査を終えて、わざわざ士郎へ釘を刺しにきたのだ。社長という肩書きも、ダテではないらしい。
「超包子か……。なんか、凄い店だな」
士郎は思わず唸っていた。
あとがき:閉店後にやってきてチャーハンを頼む元ネタは「鉄鍋のジャン」です。