『シロネギまほら』(1)魔法で異邦人

 

 

 

 衛宮士郎は戸惑っていた。

 気がついた時には、地面に横たわっていたのだからそれも仕方のない事だろう。

 真っ昼間で、視界一杯に青空が広がっている。

 体を起こして周囲を見回すと、見覚えのない小さな公園だと気がついた。

 そこがまずおかしい。

 士郎は慌てて記憶を辿ってみる。

 

 

 

 遠坂凛という少女と親しくなって丸一年。彼女との英国への留学が間近に迫っていた。

 文化祭の行われた秋頃に、彼女はある実験を行って見事に失敗した。留学直前の時期に、彼女が再び実験に挑んだ理由はそのリベンジである。

 幾重にもにも防護策を施し、彼女は今度こそ無様な失敗はしないと断言した。

 成功しているのならば、なぜ、自分はこんなところに寝ているのか?

「…………」

 まあ、考えるまでもないだろう。

 重要な時に限ってミスを犯す遠坂家の当主のことだ。今回もまた失敗したに違いない。

 いつまでも地べたに座り込んでいる訳にもいかず、砂を払い落としながら立ち上がる。

 人影もまったく見あたらない。

「遠坂ー! セイバー! いないのかー?」

 この時点での彼は、いたずらでドッキリを仕掛けられた可能性を考慮しているため、危機感というものがまるでなかった。

 ふらりと、一人の黒スーツの男性が公園に入ってきた。髪をオールバックにまとめ、髭を綺麗に切りそろえたダンディな男だった。

 サングラスのためはっきりとはわからないが、その視線は自分に向けられているように感じる。

 士郎はちょうどいいとばかりに話しかけた。

「すみません。ここで一番近い駅というと、どこになりますか?」

「中央駅だろうな」

「中央駅?」

「麻帆良学園都市中央駅さ」

 相手の答えに首を傾げる。まったく聞き覚えのない駅名だ。街の名前を尋ねたい所だが、そんな質問をしては不審がられるのが目に見えている。

「この近くに電話ボックスはありませんか?」

「ふむ……。その道の先の交差点を左に回ると、スーパーがある。そこに公衆電話があったはずだ」

 男は煙草を挟んだ指先で、方向を指し示した。

「ありがとうございます」

 軽く頭を下げて、士郎は教えられた道順で足を進めた。

 衛宮士郎が本格的に魔術を習うようになってようやく一年。魔術師見習いから半人前程度には成長したものの、持っている魔力も素質の高い一般人並で、魔力を感知する能力も未熟だった。

 そのため、この時の士郎は相手がどんな人間か全く気づかなかった。そして、同じように相手もまた士郎の存在に違和感を感じなかった。

 男は公園内をしばらくうろついていたが、特に興味を引く物もなくそのまま帰っていった。

 

 

 

 公衆電話の受話器を持ち上げる。

 公園で目が覚める前、自分がいたのは冬木市郊外の古城だった。あそこへ連絡できれば一番早いのだが、あいにく電話が通じていない。

 最初に電話をかけた先は、この事態の元凶である遠坂の携帯であった。

『電波の届かない場所におられるか、電源が入っていないためかかりません。電波の届かない……』

 受話器から聞こえてくるのは無情な解答である。

「あれ、番号は間違ってないよな」

 つぶやきを漏らして、再びかけ直したものの、結果は同じである。

「あの城は電波が入っていたはずだよな。それとも、癇癪でも起こしてまた壊したか?」

 それならばと自分の家にかけてみた。もともと一人暮らしではあったが、家主が不在でも出入りする人間が少なからず存在する。こちらは呼び出し音が鳴ったものの誰も出てはくれなかった。

 士郎は携帯電話を持っていないため、親しい相手の電話番号はきっちりと記憶している。しかし、それら全てが他人の家へかかってしまった。

 これには士郎も呆然とするしかなかった。

 

 

 

 悪い予感がした士郎は、マンガ喫茶に入ってインターネットでいろいろと調べてみた。

 そこでようやく事態を正確に知る事となった。

 彼の住んでいた冬木市の地図は彼の記憶と随分違っていた。中央公園がなかった。言峰教会がなかった。そして、彼の住んでいた広い日本家屋は民宿となっていた。

「これはまさか……」

 遠坂凛が目標としている力は第二魔法――平行世界への移動である。

 現在の遠坂にはそこに至るほどの力はない。実験の目標も、平行世界の観測に留まっていたはずだ。

 しかし、我が身に降りかかった事態を振り返ると、辿り着く結論は一つしかない。

 遠坂はやはり実験を失敗したのだ。それも、より高い成果を出す形で。

 第二魔法の実験に立ち会ったとはいえ、士郎自身は第二魔法の理論について基礎すら知らない。自力で帰る事など不可能だった。

 そうなると、士郎のできる事は待ち続けることだけだ。張本人である遠坂が迎えに来るまでひたすら待つ。

 なんといっても、自分の世界では歴史上ただひとりしか為しえなかった第二魔法だ。遠坂凛の起こせる奇跡が品切れという可能性もある。

 それを考えると、迎えがやってくるのは天文学的な確率なのかもしれない。

 

 

 

 途方に暮れた士郎がふらふらと力無く歩き続けていると、その足はいい匂いに引き寄せられていた。

 ガヤガヤとした喧噪が耳に届く。

 匂いの元は、たくさんの食卓や路面電車からだった。

「なんだこれ?」

 しげしげとその様子を眺める。

 どうやら、路面電車内に厨房があって、屋台として使用しているようだった。

 電車の上の看板が店名らしく『超包子チャオパオズ』と掲げられている。

 すでに夕飯時であり、並んでいるテーブルはほとんど埋まっていた。

(そう言えば、腹も減ってきたな。食事でもすればいいアイデアが浮かぶかも知れない)

 空いていたカウンター席に座り、注文を行った。

 すぐに積まれた小さなせいろから、焼売を口に運ぶと思わず声を漏らしていた。

「美味い!」

 焼売はタマネギの旨味とたっぷりの肉汁が実に見事だった。値段を考えれば美味すぎるくらいだ。

 ちまきもほくほくで染み込ませた出汁もよければ、具材のバランスもよく考えられている。

 調理をしているぽっちゃりした少女を感心して眺める。

 この調理場は彼女が一人で切り盛りしているようだ。動きにそつはなく、手際もいい。それでも大変そうに思えたのは、明らかに注文が多すぎるからだ。

(ひとりだと大変そうだな)

 その疑問はすぐに氷解した。

 近い所の壁に貼り紙がされており、こう書かれていたからだ。

 ――調理担当のアルバイト求む。経験者優遇。

「……そうだよな。生き延びるためには金がいるんだし」

 現在、財布の中には7万ほど入っている。学生としては充分な金額だ。しかし、収入がない以上、使い切るのは時間の問題だった。お金というより、食事の確保は最優先だ。

 この時まで気づかなかったが、持っていた紙幣や硬貨が使えた事すら非常な幸運だったのだ。地図や歴史が変わっている以上、お金の仕様が違っていることは充分にあり得た。

 士郎は食事を終えると、カウンター越しに調理人の少女へ声をかける。

「すいません。アルバイトに雇ってもらいたんだけど」

「それでは、学生証と履歴書を準備してもらえますか」

「それがその……どっちもないんだ」

 在籍している学校もなければ、こっちで確認できるバイト先もない。書類上でごまかしたとしても、すぐにバレてしまうだろう。

 それを考えると暗澹たる気持ちになる。身分証明ができないからには、どの店に行っても門前払になりかねない。

「……困っているんですね?」

「ああ……」

 少女の目が士郎を正面から見た。

 偏見や思惑による濁りのない、ただ相手を見つめる瞳。それは、無垢な子供のようで、自分の保護者である藤村大河にどこか似ていた。

「私は四葉五月といいます。お名前を教えてもらえますか?」

「俺は衛宮士郎っていうんだ」

「衛宮さんは、仕事の希望はありますか? 事務関係や配達の仕事もありますけど」

「一応料理が得意だから、厨房でも大丈夫だと思う」

「それでは、店じまいするのが20時半なので、その頃にもう一度来てください」

 

 

 

 士郎は木陰に移動して、店が終わるまでずっと営業状況を眺めていた。うまくいけば、明日からでも働くことになるからだ。

 二人のウェイトレスが帰った後、一人残った調理人の少女から質問を受ける。

「料理経験はどのくらいですか?」

 士郎にとっては採用試験ということになる。彼は言葉使いを改めることにした。

「中華料理を作るようになったのは、1年ぐらい前からです。それまでは、和食や洋食ばっかりでした。一人暮らしが長いから、自炊だけなら7年ぐらい続けてます」

「衛宮さんが作れる中華料理の名前をあげてもらえますか?」

「えーと、餃子、焼売、麻婆豆腐、回鍋肉、青椒牛肉絲、酢豚、八宝菜……」

 指折り数えて上げていく。

 中華料理の腕前については、そっちの師匠でもある遠坂より劣る。この店の料理にかなうとは思わないが、店としては下ごしらえの人間だって必要なはずだ。

「それでは青椒牛肉絲をこの場で作ってみてもらえますか?」

 傍らに控えた五月は、士郎の料理する様子を眺めていた。五月は自分からは何もせず、士郎が質問した時だけ道具や食材の場所を教えてくれる。

 もちろん、五月の目的は料理の手際を確認することなのだろうが、士郎はその視線がほとんど気にならなかった。試験官というよりも、見守る母親のような雰囲気なのだ。

「よし……と。これでどうかな」

 皿に盛って五月に差し出した。

 馴れない場所での調理だったので、幾度も味見をしていている。味には問題がないはずだ。この店で使っている材料の質が思いのほか良かったため、自分でも驚くほど美味くできた。

「合格です」

 五月は一口食べただけで、評価を下した。

「時給は1300円で、勤務時間は16時から21時の5時間になります。土日は休みとなっています。よろしいですか?」

「もちろんです。ちなみに、俺は調理師免許なんて持ってないけど大丈夫ですよね?」

「ええ。食品衛生責任者資格は大学部の先輩が持ってますから」

 五月の回答に士郎も納得する。

 法律上で言えば、飲食店に義務づけられているのは食品衛生責任者の存在で、必ずしも調理担当が調理師資格を持っている必要はない。士郎もバイトの経験上そのことを知っていた。

「衛宮さんは18歳でしたよね? それなら敬語を使わなくていいですよ。私は中学生ですし」

「でも上司になるわけですから」

「それでは上司として、敬語を使わないように命令させてもらいます。この店の仲間達は、敬語を使われると嫌がると思います」

「そう……なのか? それならそうするけど」

「名前を呼ぶ時も呼び捨てでお願いします、衛宮さん」

「じゃあ、四葉でいいかな?」

「それでお願いします」

「多分、長く世話になると思う。これから、よろしく頼む」

「こちらこそ、よろしくお願いします」

 アルバイトのクチが決まって、もうひとつの懸念材料が思い浮かぶ。

 士郎は言いづらそうに口を開いた。

「それと……、このあたりに、野宿できそうな場所あるかな? 屋根があれば嬉しいんだけど」

 士郎の言葉に、五月が目を丸くする。

「ひょっとして、……寝る場所もないんですか?」

 士郎が金に困っているのはまるわかりだったのだろう。すぐにそんな質問を返された。

「面目ない」

 ホテルに泊まる案もあるが、収入が心許ない以上、贅沢は敵だった。

「ここならどうですか?」

「ここ?」

「はい」

 五月がにっこりと笑った。

 側面の棚を開けると、中からは布団が一式出現する。

「なんで、屋台に布団なんか……」

「学園祭の時期にはお酒を出して遅くまで営業するので、眠り込んでしまうお客さんもいるんです。そういうときのために準備しているんですよ」

「ありがたいんだけど、俺のことをそこまで信用してしまっていいのか? 厳密にいえばまだ雇われてもいないわけだし」

「衛宮さんは悪い人には見えませんから」

 そう言った五月の笑顔は、士郎の胸を温かくする。この店が繁盛しているのは、きっと味だけが理由ではないのだろう。

「好意に甘えさせてもらうよ。本当に助かる」

「風邪を引かないように気をつけてくださいね」

 五月は本当にいい人だった。

 こうして、士郎は超包子に転がり込むこととなった。

 

 

 

 つづく

 

 

 
あとがき:学園の庇護下に入らなかった場合、誰が士郎を助けるか? ここでは“いい人”である五月を頼る事にしました。ちなみに、この話はネギが赴任してきた2月の出来事です。