ぼくのかんがえたマギステル・マギ (5)人ならざる者の挑戦

 

 

 

「ごめん、このか。今日は一人で登校してくれない? 私はコイツを引っ張っていくから」

「大丈夫なん? 頭が痛いんやろ?」

 布団の中に潜り込んでいるネギへ、心配そうに視線を向けた。

「大丈夫、大丈夫。こいつはちょっと拗ねてるだけなんだから」

「拗ねてるわけじゃない」

 そう否定しても、アスナは取り合ってくれない。

「このかがいると話せない事もあるのよ」

「そうなん? ほな、無理だけはせんようにな」

 最後まで気づかいつつ、このかが部屋を出て行った。

「……それで? やっぱりエヴァンジェリンさんが怖いわけ?」

「怖いですよ! 決まってるじゃないですか! 僕は吸血鬼に命を狙われているんですよ!」

 ネギは自分の感情を抱え込む事ができず、思わずアスナにぶつけてしまった。

 昨夜、ネギはのどかが不審人物に襲われた場面へ遭遇した。その犯人は、自分の生徒でもある吸血鬼のエヴァンジェリンだった。

 深追いしてしまったネギは、現れた茶々丸に取り押さえられてしまう。アスナが駆けつけてくれなければ、血を吸い尽くされていただろう。

 いつまた襲われるかわからないのに、これまでと同じく教室で顔を合わせる事などできっこない。

「いい加減にしなさいよ。怖くて震えているだけなんて。それでも、魔法使いなの?」

 その指摘にネギはショックを受ける。

 ただの魔法使いならばまだいい。だが、自分は『マギステル・マギ』を目指しているのだ。

 その自分が、目の前にいる『悪い魔法使い』から逃げ回っていていいはずがない。

 ガバッと、被っていた布団を蹴り飛ばすようにして起きあがる。

「……そうですね。一番大切な事を忘れていました。僕は逃げるわけにいかないんです」

 ネギの目に強い意志の光が宿っていた。

「僕の事はいいですから、アスナさんは登校してください」

「あんただって授業があるでしょ? 学校をサボるつもり?」

「仕事よりも命の方が大事ですからね。しばらく、学校は休みます」

「そんな事が許されるわけないでしょ」

 アスナに注意されても、ネギはその判断を撤回するつもりはない。

 弱腰で逃げ出すのではなく、ここで生活していくのに必要だと考えたからだ。

「戦いが避けられないなら、有利に戦えるだけの条件を整える必要があります。そのためにも、学校では会わない方がいいんです」

 

 

 

 寮を出たネギが向かったのも、実は女子中等部である。ただし、目的地は3−Aでも職員室でもない。

 学園長室を訪れたネギは、部屋の主と対峙していた。

「エヴァンジェリンさんが吸血鬼だという事実を知らなかったとは言わないよね?」

「うむ……。もちろん、知っておった」

「彼女が生徒を襲って血を吸っていた事は? 満月の時期に吸血鬼が現れると、噂になっていたらしいけど?」

「……噂は聞いておる。残念ながら証拠は見つからんかったが」

「エヴァンジェリンさんは僕の父さんを憎んでいるみたいだった。そのエヴァンジェリンさんを僕の生徒に入れたのはなぜかな?」

「学園にも……都合があってのう」

 学園長が渋面で告げる。

「この点だけは確認しておきたいんだけど……、エヴァンジェリンさんについて何も教えなかったのは、僕を生け贄にするのが目的だったのかな?」

 ネギはもともとよそ者なのだし、学園全体の利益を考えるならば、その可能性もゼロではない。

「それはない。断じてそんな事は考えておらん」

「昨夜、アスナさんに助けてもらわなかったら、僕はあの時点で殺されていたよ」

 本人に『死ぬまで血を吸い尽くす』と宣言されたのだから、怯えない方がどうかしているだろう。

「所詮、脅しじゃよ。彼女はそこまで冷酷な人間ではない」

「現に僕は襲われているんですよ! 僕が吸血鬼になったり、実際に死なない限り、放っておくと言うんですか!?」

 状況を理解しているとは思えないいい加減な対応を目にして、怒りのあまりネギは地の性格をむき出しにしてしまった。

「落ち着いてくれんか。おぬしを見捨てようなどとは思っておらん」

「問題は僕の事だけじゃありません! どうして今まで放置していたんですか! 昨日はのどかさん! 一昨日はまき絵さん! 先月もその前も事件が起きているんでしょう!?」

「記憶は消しておるようじゃし、騒ぎにはなっておらんよ」

 学園長の答えを受けて、ネギは苛立たしげに両掌をデスクに叩きつけた。

「そんなことを言ってるんじゃないんです! 昨夜ののどかさんは酷く脅えていました! 記憶を消すなら、怖がらせてもいいと言うんですか!? 後遺症が残らなければ、血を吸ってもいいんですか!? バレなければ、魔法を悪用しても許されるんですか!?」

 彼は魔法使いとは人助けをする存在だと信じている。そして、『マギステル・マギ』を目標として努力を重ねてきた。

 その上、のどかな町で生まれ育った田舎者であり、魔法学校を卒業したての子供に過ぎない。

 そんな彼が、学園長の対応に不満を持つのは当然のことだった。

「そうではないんじゃが……」

 一方で学園長も苦り切った表情を浮かべていた。

 ネギの言葉に理があることは学園長だってわかっているのだ。正しさを疑わずに高みを目指すネギの志は立派だと思う。利己的な性格だと考えていたため、今の会話を通じて見直したと言ってもいい。

 しかし、彼はエヴァンジェリンの事情にも通じていた。

 エヴァンジェリンをこの地に縛り付けたのはナギだ。不可抗力にせよ約束を果たさずに姿を消したのだから、彼女が逆恨みするのも仕方がない。

 彼女が子供を殺すような残酷な人間でないと知っていたため、これまでの対応も甘くなっていた。

 ネギが襲われる事も予想はしていたのだが、こんなにも早く行動を起こすとは思っていなかった。すでに手遅れとなってしまったが、本来ならば事前に助力する予定もあったのだ。

 学園長はあくまでも魔法使い側の論理で動いていた。一般人への迷惑よりも、魔法使いとしての都合を優先したのだ。

 さらに言えば、関東魔法協会に属する人間の多くがエヴァンジェリン否定派なので、正式に会議にかければ彼女には厳しい処罰が課せられていただろう。

 つまり、エヴァンジェリンに同情的な学園長は、ネギに対して情報を伏せていたというだけでなく、魔法協会の規則すら破っているのだ。しかし、内部事情を知らないネギは、そこまで気づけなかった。

「エヴァンジェリンさんに関する情報をもらえるよね? 僕に手を貸すつもりがあるなら」

 ネギの要求を学園長は拒むことができなかった。

 

 

 

 それからの数日は、いつもと変わりない平穏な日々が続いた。

 エヴァンジェリンは満月近くでなければ牙が出現せず、ネギを襲っても血が吸えないとわかったためだ。

 表面上はふてぶてしく、内心ではビクビクしながら暮らしていたネギの前に助言者が現れた。

「2対1じゃ話になんねぇぜ、兄貴! ここは一発、パクティオーして従者を作ろうぜ!」

 ウェールズからネギを慕って追いかけてきたオコジョ妖精のカモである。

「それはだめだよ。『マギステル・マギ』は自分の力だけで問題を解決しないと」

 襲われたときに、エヴァンジェリンも従者の必要性に言及していたが、それは『ぼくのかんがえたマギステル・マギ』にある理想像とは違っているのだ。

「ああ、アレっすか。相変わらずっスねぇ」

 カモはネギがノートを見つける前からの知りあいだ。そのため、ネギがノートを指標にしている事をよく知っていた。

 カモとしてはパクティオーしてもらった方が、オコジョ協会からの報酬が得られるため非常にありがたい。しかし、ネギがそこにこだわる以上、自分では説得できないという事をカモは嫌と言うほど理解している。

「こちらの姉さんには、地を見せちまっていいんスか?」

 しゃべるオコジョを目にして、驚いているアスナについて尋ねた。

 同じくこの部屋の住人であるこのかは外へ出ているため、人目をはばかることなく2人と1匹で話し合っている。

「うん。魔法使いの事だけじゃなく、こっちもバレちゃってさ」

 冷静を装っている顔ではなく、一人の子供としてネギが応じていた。

 

 

 

 先に行動を起こしたのはネギの方だった。

 カモが口にした、戦いにおける数の論理は正しい。

 2対1は絶対に避けるべきで、ネギは従者を持つつもりがないのだから、方針は1対1に持ち込むことに絞られるだろう。

 ネギはカモの助言に従って、まずはエヴァンジェリンより力が劣るはずの茶々丸に狙いを定めた。

 その日、人助けをしたり子供達と交流している様子を眺めながら尾行を続け、人気が無くなったことを確認してから彼女に近づいた。

「私に何か御用でしょうか?」

 猫へ餌を与えていた茶々丸は、背を向けたまま、接近するかすかな足跡を感知した。

「質問に答えてもらうよ。どうして、エヴァンジェリンさんに従っているのかな?」

「彼女が私のマスターだからです。私はマスターに従うために作られました」

「エヴァンジェリンさんが間違った事をしていても?」

「間違っているかどうかを判断するのは、私ではありません」

「猫に餌をやったり、人を助けたりしたのは、エヴァンジェリンさんに命じられたから?」

「あれは私の個人的な意志です。特別な理由はありません」

「エヴァンジェリンさんに禁止されたら?」

「……実行しません」

「自分の意志よりも、エヴァンジェリンさんの命令を優先するってこと?」

「ハイ」

「それなら、戦うしかないね」

「そうですね」

 棒立ちに見える茶々丸に向かって、ネギが杖を向ける。

 ネギが呪文を唱え始るよりも先に、茶々丸が間合いへ飛び込んできた。

 この期に及んで、全力で戦うつもりはないのか、茶々丸のデコピンがネギの額へ迫る。

「解放(エーミッタム!)」

 茶々丸がその言葉の意味を理解した時には、すでに遅かった。

 先日の遭遇戦では使えなかったが、今回はネギの奇襲という形である。遅延呪文(ディレイ・スペル)を使うだけの余地があった。

 今回仕込んでいたのは、魔法の射手(サギタ・マギカ)・戒めの風矢(アエール・カプトウーラエ)。

 対象を拘束する風の矢が、茶々丸の体を縛り付けた。

「エヴァンジェリンさんに従うのをやめてくれないかな」

「それはできません」

「そうなると、ここで倒さなければならなくなる」

「ネギ先生の立場であれば仕方のない事だと思います」

 ロボットなのだから当然とも言えるが、その表情からは内心を読みとる事ができなかった。

 これ以上の交渉は無意味だろう。

 それに、交渉するだけの時間も残されていない。

 ネギが勝てるチャンスは今しかなかった。

「そうだね。仕方のない事だ」

 ネギが覚悟を決めた。

「ラス・テル・マ・スキル・マギステル。光の精霊11柱、集い来たりて敵を射て。 魔法の射手(サギタ・マギカ)、 連弾・光の11矢(セリエス・ルーキス)!」

 ネギの放った光の矢が、動けずにいる茶々丸へと迫る。

「すいません、マスター。もし、私が動かなくなったら、ネコのエサを……」

 自分が停止する事を覚悟した彼女の遺言だった。

 その言葉が耳に届き、ネギの心にわずかな動揺が生まれた。

 11本の矢が次々と命中し、茶々丸の体を砕いて地面へと転がす。

 彼女は地に臥し、反撃の力はすでに残されていない。両足と左腕が千切れ飛び、ほとんど動けなくなっていた。

 ネギが心を乱さなければ、今の攻撃で全てが済んでいただろう。

 失敗したばかりに、彼は『もう一度茶々丸を殺す』決断をしなければならなくなった。

「大切なものは猫だけじゃありません! どうして、エヴァンジェリンさんに従って人を襲えるんですか!? 命じられるまま従ったりせず、自分の意志で動くべきでしょう!?」

 憤ったネギは本心をそのまま口にしていた。

 今日の行動を見ていて、茶々丸はいい人だと思えた。だからこそ、自分の意志を捨てて、吸血鬼に従うのが許せなかった。

「エヴァンジェリンさんを止めてください! そう約束してくれれば、茶々丸さんを殺さなくて済みます」

 例え口約束であっても、それで許せるとネギは思ったのだ。

 しかし――。

「お断りします」

 茶々丸は拒絶した。

 プログラム上の制約もあるし、彼女の意思としても了承できない要求だったからだ。

「わかった」

 ネギの表情が歪む。

「ラス・テル・マ・スキル・マギステル。光の精霊29柱、集い来たりて……」

 ドドドドドーっ! バキっ!

「ふべっ!」

 突然の衝撃を受けて、詠唱途中のネギの体が吹っ飛んだ。

 事態を飲み込めず、頭を振ったネギが周囲に視線をさまよわせる。

 彼が目にしたのは、茶々丸をかばうようにして立ちふさがったアスナの姿だ。彼女はネギを止めるために実力行使に踏み切ったらしい。

 ネギの右頬には、アスナが邪魔した証拠として、足形がしっかりと残っている。

「どうして、邪魔をするんだい?」

「もう、やめなさいよ。茶々丸さんはあんたの生徒じゃない」

「生徒であることをやめて、敵になることを望んだのは彼女たちの方だよ。僕だけが教師という立場に縛られるのは、不公平じゃないかな?」

「それは……、そうかもしれないけど……」

「敵は全力で排除しなければならないんだ」

「それもあのノートに書いてあるの?」

「そうだよ」

「自分で考えようとしないで、ノートに書いてあることに従うのは、茶々丸さんとどう違うの?」

「…………」

 ネギが一瞬言葉に詰まった。

「僕が戦いを避けようとしても、エヴァンジェリンさんの方で襲ってくるんだ……。それなら、戦って生き残るしか方法はないじゃないか。その結果、相手を殺すことになっても……」

 ノートにはこんな一文が記されている。

『殺していいのは、殺される覚悟がある者だけ』

 ネギ自身、これまでに何度も自問自答してきたのだ。

 しかし、次の満月が来たら否応なくネギは殺される。ネギの意志など関係なく、覚悟の有無に関わらず。

 それならば、ノートに書かれてあるとおり、『殺す覚悟』を持って戦おう。ネギはそう決意したのだった。

「あんたは、殺したり殺されたりすることまで覚悟して、戦ってるの?」

「……覚悟はある。……僕は戦う」

 アスナがひどく悲しそうな表情で口を開いた。

「だったら……、なんで、そんなに辛そうなのよ?」

 指摘を受けて、ネギが唇を噛んだ。

「圧倒的な力があれば、うまくはぐらかすことだってできるだろうね。だけど、僕はまだまだ力不足で、敵に温情をかけられるほど余裕がない。頼れる相手もいないしね」

 頼れるはずのタカミチは出張中で、最高権力者である学園長はまるで信用できない。だから、ネギは自分の力で立ち向かうと決めたのだ。

「私がいるでしょ!」

「一般人では魔法使いに勝てないって、教えたはずだよ」

「大事な事を忘れてない? エヴァンジェリンさんからあんたを助けたのはこの私よ!」

「…………」

「私があんたを守ってみせる! だから、茶々丸さんを助けてあげて! お願いだから!」

「……………………はぁ」

 長い沈黙の後、ネギが止めていた息を吐き出した。

 バツが悪いのか、視線をそらしてポツリとつぶやきを漏らす。

「……止めてくれて、ありがとうございます」

 思いが通じたと感じてアスナも安堵する。

 彼女が知るはずもないが、少しばかり二人の認識にはズレがあった。

 アスナの制止を受けたことで、ネギは『殺さずにすむ理由』を模索し、一つの答えに行き着いた。

 茶々丸本人はネギを殺したいなどとは考えていない。彼女は強要されて手伝ったに過ぎないのだ。ならば、彼女もまた被害者と言えないだろうか?

 ネギを殺したいと望んだのも、その責任を負うべきなのも、他にいる。

『闇の福音』こと、エヴァンジェリン・A・K・マクダウェルだ。

 

 

  つづく

 

 

 

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魔法先生ネギま! 限定版(32)