ぼくのかんがえたマギステル・マギ (1)英雄の血を引く魔法先生

 

 

 

「ここが、今日から僕の暮らす麻帆良学園か……」

 麻帆良学園中央駅の改札を出た少年は、一斉に登校する生徒達の光景に感嘆する。

 彼は身長に匹敵する長い杖と、たっぷりと中身の詰まったリュックを背負っていた。

 ちょっと長めの銀髪を後ろで束ねており、右目が茶色で左目が青いオッドアイ。

 名前はネギ・スプリングフィールド。

 英雄の血を引く少年であった。

 

 

 

 学園長への挨拶を済ませて、ネギは本校女子中等学校2−Aの教室を訪れていた。

 扉を開けると、仕掛けられていた黒板消しが落下し、頭に当たる寸前で停止する。

 少年の手がわずかに遅れてそれを握った。

「危なくひっかかるところだった」

 苦笑を浮かべて少年は教室へ足を踏み入れる。

 気を抜くのは早かった。トラップが一つだけではなかったからだ。

 張られていたロープにつまずき、水の入ったバケツをかぶり、お尻に吸盤の矢が命中し、転がった勢いのまま教卓へ激突する。

 その醜態に爆笑が起こったものの、被害者が子供だと知って、数人が慌てて駆け寄った。おそらく、これらの罠を仕掛けた犯人だろう。

 立ち上がった少年は、目をつぶり、無言のまま、取り出したハンカチで濡れた髪や顔を拭く。

「この教室にいるのは中学生だと聞いていたけど、ずいぶんと子供っぽい歓迎だね」

 向けられた皮肉に少女達が鼻白む。

「僕は新しくこのクラスの担任となったネギ・スプリングフィールド。担当教科は英語。これからよろしく頼む」

 ネギの言葉を、ここまで案内してきたしずな先生が肯定する。

 ざわ……。ざわ……。

 戸惑いを見せる少女達の中から、ツインテールの少女がズイっと進み出た。

「ねえ、あんた。さっき黒板消しに何かしなかった? なんかおかしくない?」

 神楽坂アスナが、ネギの襟元を締め上げるようにして追求する。

「……君は今朝の?」

 ネギには見覚えがあった。駅からここへ来る途中に出会った少女なのだ。

「なるほどね。登校中に教えた失恋するという占いが不満で、暴力に訴えようというわけだ?」

「ちっ、違うわよ! そんな嫌がらせするわけないでしょ!」

 両手でネギの体を揺さぶるアスナを見て、机を叩きながら一人の少女が制止の声をかける。

「いいかげんになさいっ! 教師に暴力を振ったらどうなるかぐらい、あなたにもわかるでしょう! そんなだから、おサルと言われるんです!」

 委員長である雪広あやかだ。

 あやかの言葉は腹立たしいが、言っている事はアスナにも理解できた。

 不承不承、アスナはネギを解放する。

「くっ……」

「猿とは違って、ちゃんと分別をわきまえているようだね。安心したよ」

 またしても発せられたイヤミに眉を跳ね上げるものの、アスナはなんとか自制する。

 自分の席へ戻る途中、あやかの横を通り過ぎるタイミングで、アスナは小さく皮肉を口にした。

「あの子を気に入ったわけ? 委員長はショタコンだもんね」

「私の好みはもっと礼儀正しくて素直な子です。あの先生の為ではなく、あなたの為に注意したんじゃありませんの」

 思わぬ返答にアスナの言葉が詰まる。

「そ、そうなの?」

「そうですわ」

「その……、ありがと」

「どういたしまして」

 思わぬところで友情を確認するアスナとあやかであった。

「さあ、授業を始めるから、さっさと席について」

 ネギの言葉に従って、全員が椅子に腰を下ろす。

 皆の顔を見渡してからネギが自分の抱負を口にする。

「僕が担任となったからには、この2−Aを1年で甲子園を狙えるクラスにする」

「バッカじゃないの! 甲子園が何かも知らないくせに!」

 あからさまに嘲笑するアスナの言葉に、ネギが深刻な表情で返した。

「冗談で言ったんだけどね。まさか、本気にされるとは思わなかった」

「なっ!?」

「ユーモアのセンスが無いのは諦めるとしても、教師に噛みつくのは止めてもらえるかな」

 湧き上がる自分の感情を消化できずに、アスナが体を震わせた。

 彼女だけではない。

 2−Aの生徒達は、イヤミたっぷりな新しい担任に好意的な印象を抱けなかった。

 

 

 

 その事件が起きたのは、放課後になってからだ。

 ネギは銅像の近くに腰を下ろして、出席簿を眺めていた。そして、本を運んでいた少女が、足を捻って石階段の端から転落する場面を目撃する。

 彼は咄嗟に魔法を使って少女の身体を支えると、石畳に激突する寸前で受け止めた。

 自分の生徒である宮崎のどかに、怪我がない事を確認して彼は安堵する。

 その直後にネギは絶句していた。

 驚愕の表情を浮かべるアスナと目があったからだ。

 今の一連の行為を、全て見られていたのだ。

 ネギに言い繕う暇も与えず、アスナはネギを抱えて林の中へと連れ込んでいた。

「ああああんた、やっぱり超能力者だったのねーっ!?」

「い、いや、違……」

「ごまかしたってダメよ! 目撃したわよ! 現行犯よ!」

 自分の目で見た以上、ネギがどのように弁解しようと言いくるめられるわけがない。たとえ、どれほどのバカであっても。

 狼狽えていたネギが、ようやく落ち着きを取り戻す。

「……ふー。仕方がないね。気づいてしまった君が悪いんだ」

「え……?」

 ネギの態度がガラッと変わり、冷たい気迫がアスナを打った。

「ちょっ、ちょっと、何をする気?」

「記憶を消すだけさ。少しパーになるけど、かまわないだろう? アスナさんなら何も変わらないと思うしね」

「変わるわよーっ!」

 涙目で反論するアスナをスルーして、ネギが呪文を唱える。

「消えろーっ!」

 …………。

 何も起きなかった。

 アスナに向けて突き出した何も持たない右手が、ネギの困惑を示すように握ったり開いたりを繰り返す。

「アレ、杖は?」

 彼はようやく杖を持っていない事に気がついた。

「さっき、落としたんじゃないの?」

 のどかを両手で抱き止めたため、あの場で杖を手放していたのだ。

「アワワ、早く拾ってこなきゃ……」

 慌てて取りに戻ろうとするネギの襟首を、アスナの右手が伸びてガッシリと捕まえた。

「待ちなさい!」

 アスナが怖い笑顔をネギに近づける。

「あんたひょっとして、杖がないと力を使えないの?」

 鋭い指摘。

「ア、アスナさんは見かけに寄らず、察しがいいんですねー。アハハ」

「見かけに寄らずは余計よ!」

 アスナの左手が、ネギの頭にアイアンクロー。頭を持ち上げられ、ネギの小さな体が釣り鐘のように揺れる。驚異的な握力と腕力であった。

「さあ。全部聞かせてもらおうじゃないの!」

 

 

 

 ネギは全てを白状させられた。

 一人前の魔法使いとなる修行のために、この学園で教師をする事。行方不明になっている父親を探している事。父親と同じ『立派な魔法使い(マギステル・マギ)』になるのが夢だという事。

「それより……、何よ、その態度?」

 アスナが半眼でネギを睨んでいる。

「な、なんですか?」

 脅えてるネギの様子は、肉食獣に捕まった小動物の様だ。

「さっきまでと全然違うじゃない。一体、何を企んでるのよ?」

「実は……、こっちが本当の性格なんです。いつもは、このノートの教えに従ってるんですけど」

 ネギが上着の内側から、A5版程度のノートを取り出した。

「何よ、これ? 英語?」

 タイトルが知らない言葉で書かれているため、彼女には読めなかった。日本語で書かれていても、読めない可能性はあるのだが。

「ラテン語で『ぼくのかんがえたマギステル・マギ』と書かれています。僕の父さんが小さい頃に書いたノートで、いつも肌身離さず持っているんです」

「何が書いてあるのよ?」

「これには、父さんがどうやってマギステル・マギになったか書かれているんですよ。この通りに頑張れば、僕もきっとマギステル・マギになれるはずです!」

 拳を握ってネギが力説する。

「で、なに? ヒネクレ者になれとか、人の嫌がる事をしろって書いてあんの?」

「あの……、女性はあんな態度の男性が、好きなんじゃないんですか? いつもは自己中心的で冷淡な感じだけど、たまに笑いかけると魅力的だー、とか」

「そんなわけないでしょ」

「おかしいなぁ。ノートにはそう書いてあるのに……」

「デタラメなんじゃない?」

 アスナがごく客観的な指摘を試みる。

「そんなはずありません! これは、他人には見つからないように、箱の底へ大切に保管されていました。きっと、僕のために残しておいてくれたんですよ!」

 どうして厳重に隠されていたのか。残念ながら、ネギはその真相に気づけなかった。

 父親への憧憬なのか、誰かに言い含められたのか、ノートの内容を疑ってもいないらしい。

「他にはどんな事が書いてんのよ?」

「えーと、銀髪でオッドアイであるべきだ、とか」

「当てはまってるじゃない」

「この髪は染めてるんですよ。左目が青いのもカラーコンタクトですし」

「そうなの?」

「姿を似せるだけでも、マギステル・マギに近づける気がして。アスナさんもオッドアイですから、きっと素質があるんですよ」

「いや、そんな素質いらないし」

 アスナは本心から拒んでいた。

「あとは、名乗る時のために二つ名も欲しいんですけど、まだ決めかねているんです。『黒き』とか『堕天使』とか『ゼロ』とか、そんな言葉が含まれてるといいみたいです」

「あんたのお父さんはどんな名前を持ってんのよ?」

「『千の呪文の男(サウザンドマスター)』です」

「それは使えないの?」

「そうですね。『千の』を入れるとカッコいいかも……」

「……って、なんで私まで一緒になって考えてるのよ」

 アスナが我に返った。

「それよりも、魔法使いって事は秘密なの?」

「バレたら、仮免没収の上、連れ戻されちゃいます。ひどい時はオコジョにされちゃって……」

「そうなれば、高畑先生が担任に戻るわよね」

 アスナとしてはその方が望ましい。

「ムー。僕はどうしても一人前の魔法使いになりたいんです。邪魔するつもりなら、なんとしてでも魔法をかけて、忘れさせて見せます」

「くっ……」

 この場をしのげたとしても、いつかはネギに魔法をかけられてしまうだろう。

 そうなった時、アスナに残るのは『魔法を本気にして騒ぎ立てた』という情けない評判だけだ。肝心の証拠がないし、記憶を失っては弁明のしようもない。

 仕方なく、アスナは譲歩する事にした。

「私が秘密を守るって言ったらどうするのよ? それでも記憶を消すつもり?」

「黙っていてくれるなら、無理に魔法はかけなくていいかも……」

 厳密に判断するなら問題行為なのだが、本来のネギは優しい少年なので、強引な真似は避けたいと考えていた。

「しばらくなら様子を見てやってもいいわよ。ただし、何か問題を起こしたら黙ってないからね」

「は、はい! ありがとうございます!」

 こうして、アスナはネギの秘密を知り、共有する事となった。

「それより、教室に戻るわよ。みんなが待ってるんだから」

 アスナの言葉にネギが肩をすくめた。

「やれやれ。騒ぎたてたのはそっちじゃないか。それに、教師へ向かって上から目線で話すのは止めて欲しいね」

「…………」

 歩き出していたネギが、動こうとしないアスナに声をかける。

「何をモタモタしてるんだ? みんなに迷惑がかかるんだろう?」

「ムカつくわね、その口調」

 拳を握ると、ネギのこめかみをぐりぐりする。

「い、痛いですよーっ! やめてくださーい!」

 

 

 

 こうして、ネギは赴任一日目にして、魔法使いという正体を知られてしまった。

 しかし、彼の修行はこれからも続く。

 ネギはようやく登り始めたばかりなのだ、果てしなく遠い魔法使い坂を。

 

 

  つづく

 

 

 

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