『棋聖vs女神』
注意:これは、小説『フルメタル・パニック!』とのクロス・オーバーです。『女神の戯れ』(『フルメタ』SS)の『ヒカ碁』視点となります。
ウィスパード(ささやかれた者)。
それは、特殊な力を持った人間のことである。彼らは、”囁き”と呼ばれる不思議な意識に接触することで、現存しない科学的知識(ブラック・テクノロジー)を理解する。その能力が発現したウィスパード達は、急速に理数系の能力が発達し、一種の天才となるのだ――。
「……誰だ、コイツ?」
モニターを見つめて、ヒカルが驚いていた。
ネットカフェを訪れていた彼は、今しがた、モニタ上で繰り広げられた対局に驚きを隠せなかった。
今、彼の前で行われていたのはsaiと挑戦者の対局である。
未だに無敗を続けるsaiを相手に、今の相手は、二目半にまで迫ったのだ。これだけの強さを持つ棋士を、ヒカルは塔矢名人以外に知らなかった。
現在は、アマチュアの国際大会があるほどで、世界的にも囲碁は普及している。インターネット上でのネット碁も盛況だった。
しかし、いかに世界中の人間がアクセスしているとはいえ、本当に強い人間はネット碁にほとんどいない。強ければ当然、プロになっているはずだし、プロであればネットに参加する機会も減る。端的に言うと、プロ棋士にとって、本当の強敵とは、プロの世界にこそ存在するからだった。
そんな中、プロ棋士に勝る力をもちながら、ネット碁しかしないという、ただ一つの例外があった――saiである。
そのsaiが、わずか二目半にまで迫られたのだ。
一体……誰なんだ?
相手は、”ansuz”と名乗っていた。
「アンスズ……って読むのか? 強いな。コイツ」
見知らぬ棋士を目にしてから数日が経ち……。
ヒカルは思いもかけずに、その正体を知ることとなった。
進藤家。
ヒカルが自室でマンガ雑誌を読んでいると、チャイムの音が鳴った。
面倒なので放っておいたが、なかなか母親が出ようとしない。
それもそのはずで、買い物に出かけていたのを思い出した。
「はーい」
返事をしておいて、慌てて階段を駆け下りる。
扉の外に立っていたのは、二人の若い人間だった。
自分と同じ年頃と思われるアッシュブロンドの少女と、硬い目つきの高校生ぐらいの少年である。
「えっと、うちになんの用?」
そう尋ねる。
まさか、セールスマンとも思えない。
「あなたが、進藤ヒカルさんですね?」
尋ねてきたのは少女の方である。
「……どこかで会ったっけ?」
「ええ。……ただし、直に顔を合わせたのはこれが初めてになりますが」
「え?」
「インターネットで一度だけ貴方と対局しました」
「ネットって……? だって、オレは確か……」
よくネット碁を行っているが、”ヒカル”の名で参加したことはほとんどなかったはずだ。
戸惑うヒカルに、少女が驚くべき一言を告げる。
「あなたにsaiの事でお聞きしたいことがあります」
「……っ!」
ヒカルの目が驚きで見開かれた。
それは、彼がもつ一番重大な秘密だったからだ。
その表情を、二人の客が興味深そうに見つめている。
「ハ、ハハハ……。なんで、その話をオレに聞きに来るわけ? オレ、saiの事なんて、ほとんど知らないんだけど」
少女が首を振って、静かに告げる。
「saiがネット碁に現れるのは、あなたがネットカフェにいるときだけです。あなたが使用していたパソコンの接続記録が、サーバーにも残っていました」
「え!? そ、そうなの?」
驚きの言葉を発してしまい、慌てて口を押さえた。
そんなヒカルに、少女は優しく微笑みかけてきた。
「私たちはあなたを糾弾するために来たわけではありません。少しだけ、お話をしたかっただけなんです」
そう言われても、ヒカルは怪訝そうに二人を見た。
二人がどういう人間なのか見当もつかなかい。棋院関係者としても、記者としても、若すぎた。一体、どんな目的でsaiを探しているのだろう……?
「まだ、名乗ってませんでしたね。わたしの名は、テレサ・マンティッサ。この人は、相良宗介といいます」
テレサ・マンティッサ──テッサの愛称で呼ばれる少女が、そう告げる。
宗介と紹介された少年が、ヒカルに軽く頭を下げた。
「は、はあ」
とりあえずヒカルも頭を下げておく。
二人を自分の部屋まで通した。
saiが自分だと知られてしまっている以上は、無下に断るわけにもいかない。
(なんだよ。こいつら?)
ヒカルが傍らに立つ相棒に尋ねる。
──わたしに、わかるわけがないじゃないですか。
幽霊である佐為の姿は、二人の目には映っていないはずだが、なんとなく居心地が悪いらしく、もぞもぞと座り直した。
テッサが先に口を開いた。
「最近になって、わたしもネット碁をするようになったんですが、saiほどの打ち手を初めて知りました。そこで、どんな人間なのか確認したかったんです」
「ふーん……」
「ひょっとしたら、変わった力を持っているんじゃないかと思いまして」
「変わった力?」
「はい。例えば、何者かの声が聞こえるとか……」
(え!?)
──ええっ!?
ヒカルと佐為が、彼女に視線を集中させる。
「聞こえるのですね?」
再び念を押された。
「もしかして、オマエもそうなの?」
「……はい」
少女が頷いた。
(おい、佐為! そうなのか? コイツにもお前みたいのが取り憑いてんの?)
──さあ……? わたしにもわかりません。
(だって、同じ幽霊なんだろ? お前には見えるんじゃねーの?)
──たまに幽霊を見かけたりしますけど、この子の周りには見えませんよ。
(じゃあ、嘘なのか?)
──取り憑いているけど、わたしには見えていないだけなのかも……。はっきりとは断言できません。
(そっか……)
佐為とそんな”無言の会話”を進めていて、宗介の視線に気づいた。
(なんか、アイツ、にらんでない?)
──そうみたいですね……。
(なんでだ?)
──ヒカルが失礼な話し方をするからじゃないですか?
(そ、そうだった?)
──ヒカルはいつも考えずに口に出してしまうから、あとでモメることになるんですよ。
ため息をしつつ、佐為が告げる。
(余計なお世話だ!)
「さて、ではもう一度、saiの力を見せてもらいましょうか」
そう言って、テッサが部屋の隅の碁盤を持ってきた。
「力って言っても、saiの棋力は知ってるんだろ?」
「ええ。でも、saiとしての実力を直接確かめてみたいんです」
「でも、……オマエと打つの?」
「そう言えば、説明していませんでしたね。この前対局した、ansuzというのは、わたしなんですよ」
「え!? マジ?」
──なんですって!?
ヒカルも佐為も驚きの目を向ける。
「だって、オマエ、女じゃん!」
「女が強いとおかしいですか?」
「そういうわけじゃねーけど……」
言い淀んだが、隠しようもないことだった。
ヒカルが知っている強い棋士達は全て男である。プロ棋士を見渡しても、女流棋士は数も少なく、タイトルを手にすることも珍しい。女流棋士だけのタイトルがあって、男性限定のタイトルがないのは、そのあたりに理由があるのだろう。
だが、目の前のテッサの実力は未知ではあるものの、ansuzの強さは二人とも知っている。
ヒカルが頷いて見せた。
「よし。打とうぜ」
佐為の表情が一変した。
普段は穏和だが、碁盤に向かうときの佐為は、棋士の顔となる。決闘に赴く武士のようなものだ。
突然の来訪だったが、あの苦しめられたansuzとの対局であれば、佐為にとっては望むところであった。
佐為が先手となり、黒を取った。
ヒカルと、テッサが、お互いに石を並べていく。
が、どうも彼女の打つ手が危なっかしい。
”打ち筋が”ではなく、物理的な石の持ち方の事だ。いかにも初心者のような打ち方だった。
ヒカルはその様子を見て、佐為に出会った頃の自分を思い出していた。
ヒカルの視線に気づいたのか、テッサが恥ずかしそうに告げた。
「すみません。いつもネット碁なので、石を持ち慣れていないんです」
その言葉にヒカルが苦笑する。
「ああ。わかるよ。オレも最初はそうだったから」
「そうなんですか……」
ヒカルもテッサもお互いになんとなく親しみを覚えながらも、盤上の戦いは進んでいく。
隣に座っている宗介はまったく口を開かずに、じっと終局を待っていた。
「確かに、最強ですね」
整地を終えて、テッサがそう告げた。
コミを含めて、黒が一目半の勝ちとなった。
「そっちも強いじゃん。ansuzって、どんなヤツなんだ? 外国の棋士か?」
ヒカルの言葉に、テッサが目を丸くする。
「え? あの、ansuzはわたしですけど?」
「だから、オマエに取り憑いてる幽霊の名前じゃねーの?」
ヒカルが再び尋ねる。
「幽霊って? ……あの、何を言っているのかわからないんですけど……」
「じゃあ、お前、saiのこと、何だと思ってるんだ?」
不思議そうにヒカルが尋ねる。
「その、……貴方ではない、別の……、二重人格みたいなものだと考えてました」
「なに言ってんだよ。ここに佐為がいるんだよ」
「ここに……?」
ヒカルの指の先を、テッサが視線で追いかける。
確かにそこに佐為がいて、持ってる扇子で自分を指しているのだが、テッサは佐為を素通りして、向こうの壁を見つめていた。
「わたしには壁しか見えませんけど?」
「……ちぇっ。まあ、いいけどさ。どうせ、幽霊の話なんて信じてもらえないだろうし」
投げやりに告げたヒカルの言葉に、テッサが首を振る。
「わたしには見えなかったというだけで、進藤さんの言葉を疑っているわけじゃありませんよ」
「そういうオマエはどうなんだよ? 幽霊に取り憑かれてるんじゃないなら、なんの声が聞こえるんだ?」
「説明が難しいんですが、存在しない者の声でしょうか?」
「幽霊とは違うの?」
「理解してもらえるかどうか……。わたし自身も正確に把握できていんです。あえて説明するなら、混沌とした意識の集合体……という感じです。その声を聞くことで、脳細胞が活性化されて、頭が非常によくなるんです。一種の超能力者のようなものです」
「ふーん。それじゃ、オマエは超能力者ってわけ?」
「そうなります」
超能力だかなんだか知らないが、コイツの力は本物だった。プロ棋士である自分が対局しても歯が立たないだろう。
「スゲェな。テレサ!」
塔矢名人が言っていたっけ。『プロでなくとも、碁は打てる』って。saiの他にも、彼女のような”プロではなくとも強い棋士”が存在しているのかも知れない。
「あ、わたしのことはテッサと呼んでください」
「マジ、すげぇよ。テッサぐらい強ければ、今すぐにでもプロになれるぜ。今度のプロ試験を受けてみろよ。絶対合格するって」
「でも、わたしは……」
「気にすんなって。中学生でプロになったヤツは他にもいるから。オレもそうだし」
そう言って、熱心に勧める。
「わたしは中学生なんかじゃありませんよ」
「え!? じゃあ、小学生?」
「違います!」
さすがにテッサの声も大きくなった。
「……コホン。それに、わたしはある組織に属しているため、公の場に出るわけにはいかないんです」
「チェッ、もったいねぇ。オマエみたいに強いヤツはプロになるべきだよ」
「こちらにも、事情があるんです。残念ですけど」
彼女としても、本心からの言葉だった。
立場上、口にはできなかったが、彼女はこの若さでとある秘密組織の幹部を務めている。そして、組織内で最高機密となっている力の持ち主でもある。彼女はヒカルもまたその力を宿しているのではないかと考え、直接確かめに来たのだった。
玄関まで、ヒカルが二人を見送りに出た。
テッサが去り際に振り返る。
「一つ、聞かせてください。佐為さんは、強い人と戦いたいですか?」
ヒカルが、佐為に視線を向ける。
(戦いたい?)
──もちろんですっ!
佐為が激しく首を縦に振った。
「頷いてるよ」
「でしたら……」
二日後――。
日本棋院で顔を合わせたアキラに、ヒカルが尋ねてみる。
「塔矢。オマエ、ansuzって知ってるか?」
「いや……聞いたことないけど、一体、なんの話なんだ?」
「ネット碁で見かけたんだけど、凄いぜ。saiと同じぐらい強かったんだ」
「saiと同じくらい?」
アキラが不審そうにヒカルを見る。
はっきり言って、信じられることではなかった。
ネット碁で無敗のsai――彼の実力はアキラ自身もよく知っている。
父親である塔矢名人以上かも知れないとまで思った、あのsaiと同じ?
単なるうわさ話であれば、一笑に付すところである。
しかし……、他でもないこのヒカルの言葉となれば、話は別であった。
アキラがライバルと認めているのは、このヒカル一人であり、なんの決め手もないが、saiの秘密を握っているのも彼だけだと、今でもそう信じている。
「それに、プロ棋士じゃないんだぜ。こんなヤツがsai以外にもいるとは思わなかったよ」
そう続けるヒカルを見て、アキラは、俄然、ansuzに対する興味が沸いてきた。
さらに、数日後、今度は興奮したアキラの方から、ヒカルに詰め寄ってきた。
「進藤! 彼は一体……?」
「彼って?」
「ネット碁のansuzだよ!」
「だって、彼って……、ああ、そうか。ansuzがどうしたんだ?」
テッサを指していたとわかってヒカルが頷いた。
「……まさか、君はansuzの正体も知っているのか?」
「なんだよ。”も”って」
「saiの事も知っているんだろう?」
途端に真剣な表情でヒカルの様子をうかがい始める。
「知らねーよ。この前も言ったろ」
「もしかして、ansuzは……彼ではなく、彼女なのか?」
「だから、知らねーって言ってるだろ! それより、ansuzがどうしたんだよっ!?」
「この前、打ったよ」
「どうだ? 強かっただろ?」
「ああ、saiに匹敵するんじゃないか? ……いや、saiより上かもしれない」
「なに言ってんだよ。saiより強いわけねーだろ」
「……最近のsaiは知らないしね。昨日の感触を考えれば、saiよりも間違いなく強かったよ」
「あのなー。saiはアイツに……」
──ヒカル!
(なんだよ。うるさいな)
──落ち着いてください。塔矢はわざと挑発してるんですよ。
(挑発?)
──あなたから、私について聞き出したいのでは?
(げ!)
言われてみれば、確かに。
自分らのレベルで、あれほどの実力者の優劣を語れるはずがないのだ。アキラにとっても、saiへの思い入れの方がずっと強いはずだ。
アキラの視線に気づいて、あわてて自分を落ち着ける。
「オレが見たときに、たまたま、saiと打ってたんだよ。当然、saiが勝ったぜ」
「saiが勝った? 二人は対局したのか?」
「……あれ、言ってなかったっけ?」
「聞いてないぞ! 本当なのか?」
「ああ」
「棋譜を見せてくれ。その時の棋譜を」
ヒカルにとっては、目にした棋譜を並べることなど造作もない。
「どうするかなぁ」
わざとジラす。
「じゃあ、今度、オレにつきあえよ」
「?」
二人の少年が、連れだってここまでやってきた。
「その話は本当なのか?」
「ああ、チャットでansuzと話したんだ。アイツからの情報だから、興味あるだろ」
「しかし、そこまで強い打ち手がゴロゴロいるとは思えないけど……」
「だから、それを確かめるんだろ。まあ、そいつが碁を知っているか、どうか、わかんないけどな」
「なんだそれは? いい加減な。なぜ、碁を打ったこともないのに強さがわかるんだ? ……打ったことがない?」
自分の発した言葉に愕然となった。
「な? 興味あるだろ?」
そう言って、いたずらっぽくヒカルが笑みを浮かべる。
忘れもしない。アキラが初めてヒカルと出会ったときの事だ。
「一度も対局したことがない」と口にしたヒカルは、小学生にしてプロ並みと目されていたアキラに圧勝したのだ。ルール上ではアキラの勝利だったが、アキラ自身は自分の敗北だと悟っていた。
そのansuzの言葉が誰を指しているのか不明だが、確かに興味だけはある。もしかすると、このヒカルのような打ち手なのかもしれないのだ。
あの日、テッサはヒカルにこう告げたのだ。
『でしたら……、いい人を教えてあげますね。私と互角か、それ以上かもしれない可能性を持っている人を。ただ、もしかすると囲碁をまったく知らないかも知れませんが……』
二人の若きプロ棋士が訪れたのは、とある高校であった。
この学校には、テッサと同じくウィスパードである少女が在籍しているはずだった。
この後、囲碁未経験の少女に碁を打たせようとして、一悶着あるのだが、これはまた、別の話である。
おわり
あとがき:
『ヒカ碁』ファンには楽しんでもらえたのでしょうか? ……無理でしょうねぇ。
もう、こういう話はないと思うので、今回は勘弁してください(^_^;)
私はたまに、”戦いはこれからだ”みたいに締めることがあります。続編を考えているわけではなく、本人はオチのつもりだったりしますが……。