『ふたりの碁』(15)国際対局
手合いを終えて、ヒカルは和谷と連れだって棋院を出た。
「アレ? 和谷も呼ばれたんじゃないの?」
「いいや。オレは今回、関係ないんだ」
「だって、一昨年も参加したんだろ?」
「バ〜カ。前回手伝ったから、今回は許してもらえたんだよ。まあ、オマエがいなかったら、やっぱりオレが呼ばれただろうけどな」
「なんだよ、ソレ。じゃあ、オレは和谷の身代わりってワケ?」
「そういうこと。代役ご苦労様です」
そう言った和谷が、ふざけて敬礼してみせる。
数日後。
この日、プロに属していない強者達が、日本に顔をそろえていた。
アマチュア棋士たちの晴れ舞台──『国際囲碁アマチュアカップ』の開催日である。
「ちぇっ、和谷のヤツ。オレに押しつけやがって」
ぶつぶつと文句を言っているヒカルに傍らから声がかけられた。
「進藤プロ。応援にきてくれたんか?」
がっしりとした筋肉質の男である。あまり碁打ちと感じさせない印象の人物だった。
先日、旅行先の広島で出会ったアマチュア棋士だ。
「周平さん!? そういえば、日本代表だって言ってたね」
「なんじゃ、忘れとったんか? 冷たいのぉ。ワシは進藤プロとの対局を楽しみにしとったのに」
「ゴメン。ゴメン。ちゃんと会えたんだからいいじゃん」
「ほんなら、進藤プロは何しにここへ来たんじゃ?」
「世話になってる森下先生がこの大会に呼ばれて、オレも手伝いに狩り出されたんだ」
「ほうか。じゃあ、ワシにとっては幸運じゃったの。すっかり、進藤プロには忘れられとったんじゃから」
「だから、ゴメンって」
「許す替わりに、約束したワシとの対局を頼めるかの?」
「うん。いいよ」
ヒカルが頷いた。
「進藤。ちょっとこっちへ来い」
ヒカルの姿を見かけて呼びかけてきたのは、森下である。
「じゃあ、また、後で」
「おお」
参加者達は確かに、その国の代表者ではある。しかし、それぞれの実力にはずいぶんな開きがあった。
囲碁が盛んな国の代表ならば、そのままプロでも通用しそうなほどだが、逆に、囲碁後進国の代表となると院生にも劣る。
まだまだ、国際的な囲碁の認知度も低いというわけだ。裏を返せば、発展の余地も多分に残されているとも言える。
大会はリーグ戦に近い。勝率や対局者ごとに得るポイント数で順位が決まるのだ。
早くも敗北してしまった人間が、第二戦目を前に、こちらにやってきた。
「じゃあ、指導碁を打ってればいいの?」
「せっかく日本まで来てくれたんだ。もっと鍛えてやりたいじゃねぇか」
「なんだ。碁を打つだけなら、簡単じゃん」
「よし。こっちは任せたぞ」
「はい」
森下が離れるとすぐに、参加者の一人が碁盤を挟んで席に着いた。
「よ〜し、オレも仕事するか」
…………。
腕まくりしながら、傍らにいる佐為に気付いた。
――なんです?
ヒカルの視線に気付いて、佐為が首を傾げた。
幽霊である佐為のそんな姿は他の人間には見えていない。
(オマエが打ってみるか?)
――え?
(どうせ、これっきりの相手だし。実力に差があるだろうから、オマエの強さもわからないんじゃねぇ? 指導碁ならバレっこないだろ)
――はい。はいっ! 打ちたい! 打ちたい♪
しっぽでもあれば、喜んで振りそうな勢いだ。
前回の広島旅行の時と同じく、素人相手の多面打ちだ。佐為ほどの実力者ならば軽い仕事でしかないものの、彼にとっては碁が打てるというだけで十分だった。
それに、広島を除けば、ほとんどがネット碁である。
相手の顔を見ながらの対局は、やはり張り合いがある。それに、佐為にとっては見慣れない異国の棋士との対局は非常に興味深かった。
この場合、対局者たちにとっても、幸運だったろう。
千年もの年月をかけて熟成された佐為の棋力である。その指導碁なのだから、受け手が正しく応じられれば、それは素晴らしく価値の高いものになるのだ。
数人を相手に、佐為は指導碁を行った。
大会は早くも最終日となる。
ポイント数で見ても、三強と目されている、日本・中国・韓国のどこかが優勝する可能性が高い。
特に、中国代表などは優勝候補である。数年にわたり同じ人間が代表を続けており、なにしろ、去年の優勝者でもある。
そんな大会を横目に、今日も、ヒカル――というよりも佐為が指導碁を行っている。
ヒカルが打っている盤面を一人の少年が興味深そうに覗き込んでいた。
(誰だ?)
参加者の家族だろうか?
ヒカルと同じぐらいの年齢だろう。周平の子供と言うには大きすぎるので、親戚かもしれない。
少年は、指導碁をじっと見つめている――。
昼食を終えて指導碁を開始しようとすると、さっきの少年が歩み出てきた。
「オネガイシマス」
……?
言葉のイントネーションからすると、日本人ではなさそうだ。
「あ、うん」
ヒカルが盤面に数個の黒石を置いていく。
それを、少年がすべて拾い上げてしまった。
「タガイセン。オネガイシマス」
笑顔でもう一度口を開く。
ずっと見ていたのだから、こちらが強いことは分かっているはずだ。
それなりに自信があるのだろう。
第八戦目が始まったばかりなので、参加者はここにいない。
「よーし。お願いします」
ヒカルが応じた。
――あれ、ヒカル?
(オレが打つぞ)
――だ、だって、この子は私に挑んできたんですよ。
(バカ言うな。オマエが相手したら、勝負になんないじゃん。年も同じみたいだし、オレが打つよ)
――そんな〜。
よよと泣き崩れる。
(なんだよ。昨日から、打たせてやってるんだから、今回ぐらいはオレにも打たせろよ)
そう言って、ヒカルが石をニギる。
少年が黒石となった。
強い。
打ち始めてすぐにわかった。
参加者の家族と思っていたが、違うのだろうか?
昨日から相手をしていた誰よりも強い。大会の参加者のはずもない。
一体……?
自分より年下かもしれないが、同期の和谷や越智よりも棋力は上だ。
「面白しれぇ」
その一角に人だかりができていた。指導碁を望んできた人間が、その対局を観戦している。
人垣をかき分けてきた一人の人間が、対局相手の少年に話しかけた。
(この人……)
ヒカルに見覚えがあった。
確か、優勝候補の一人――中国の李臨新(リ・リンシン)だ。少年は臨新の知り合いなのだろう。
二人は中国語で話している。
「へー。あの子もプロなのか」
背後から誰かの声が聞こえた。中国語をわかる客がいるらしい。
「そうなの?」
ヒカルが尋ねる。
「そう言ってるよ」
この強さなら、それも納得できる。
よ〜し。
ますますやる気を出したヒカルだったが……。
「おい進藤。なんの騒ぎなんだ?」
森下も顔を出した。
「ちょっと、対局を挑まれたんです」
「対局?」
「うん。この子もプロらしんだけど」
「ほー」
感心したように呟いた。
「強いのか?」
「はい」
「だったら、長くならないうちに、早めに切り上げろよ」
「え!? だって……」
「オマエをここへ呼んだのは、オマエのためじゃないんだぞ。わざわざ日本までやってきた、外国の代表者を楽しませるためなんだ。できるだけ多くの人と打ってやれ」
「そんな……」
ヒカルが少年に目を向ける。
少年の方も、心細そうにこちらに視線を向けた。
もしかしたら、向こうもやめるように言われたのかも知れない。
じっと、お互いの目を覗き込んだ。
…………。
顔を上げたヒカルが、森下に申し出る。
「あ、あの。これだけ。この一局だけはちゃんと最後まで打たせてください。お願いします」
そう告げて頭を下げた。
「進藤……。そんなワガママが通用すると思うのか?」
「でも……」
「いいか、オマエはプロなんだ。プロってのは、金をもらって仕事をするからこそプロなんだ。自分の望みよりも優先しなきゃならんことがある。そんなことじゃ、プロとしてやっていけんぞ」
そう言って、厳しい視線をヒカルに向けた。
「…………」
ヒカルが肩を落とす。
「……が、今回のオマエは、あくまで手伝いだからな。指導碁はオレが替わっておいてやる」
「先生っ!?」
「そのかわり、負けんじゃないぞ」
「はい!」
ヒカルが改めて頭を下げた。
少年の方へ視線を向けると、向こうも説得に成功したようだ。少年を残して、臨新は対戦場所へ戻っていく。
お互いの様子を見て、二人が笑顔を交わした。
「よし。やろうぜ」
ヒカルの言葉が通じたかどうかわからない。
しかし、少年は嬉しそうに頷いた。
ほぼ互角だった。
一進一退を繰り広げる。
しびれを切らしたヒカルが強引に攻め込んでいった。少年も負けじと迎え撃つ。やさしそうな顔の割に、少年はヒカルに対して積極的に攻め込む。
少年が攻めに気をとられた隙をついて、ヒカルは黒地を荒らすことに成功した。
それが、勝敗を分けることになる。
ヒカルが強引な手に出たのは、少年の対応を予測して誘いをかけるためだったのだ。
結果、一目半で白の勝利に終わった。
「ふー」
ヒカルが深い息を吐いた。
久々に自分の力を使い果たした気がする。
相手も、似たような様子だった。
少年は軽く笑みを浮かべて、なにやら話しかけてくる。当然、ヒカルにはわからない。
「?」
「名前を聞いているみたいだよ」
さっきの客が通訳してくれた。
「オレは、進藤ヒカル」
「シンドウ? シンドウヒカル?」
繰り返し、口の中で呟いている。
少年が、自分を指さしながら、言葉を発した。
「趙石」
耳慣れない発音なので、よく聞きとれなかった。
「え? ……ちゃお、しい?」
自信がないまま口に出すと、少年が頷いた。
「そうか、チャオ・シィっていうのか……」
国際囲碁アマチュアカップは、韓国の代表が優勝して幕を閉じた。
二位は中国の李臨新。
残念ながら周平は三位止まりだったが、大会中にヒカルと対局できたので、それなりに満足そうだった。
帰路――。
(優勝は韓国か……、アイツはどうしてんのかな……?)
――アイツ? ああ、洪秀英(ホン・スヨン)ですね。
佐為が頷いた。
去年、碁会所で対局した韓国棋院の研究生――日本で言うところの院生である。
趙石がプロだったように、洪秀英もプロになっているかもな。
このときのヒカルは、翌年の春に彼等と再会することを、まだ知らなかった。
あとがき:
強引といえば、強引。無茶と言えば、無茶。
展開的に無理がありますけど、まあ、勘弁してください。