『ふたりの碁』(3)葉瀬中vs海王中(参)
葉瀬中の創立祭当日。
前日までに、理科室の模様替えはほとんど済んでいる。
壁には、現在のタイトル保持者一覧表を貼り出したり、詰め後の問題もいくつか並んでいる。
他には、夏に行われた囲碁大会のトーナメント表も貼りだした。優勝はもちろん海王中で、葉瀬中は参加すらしていない。
また、今回の招待試合にも関連して、最近の若手プロを写真入りで紹介している。中学生でプロ入りというのも、前例は確かにあるのだ。より、身近に感じてもらえるだろう。
創立祭は9時半から始まっているものの、それほど客がいるわけではない。対局は10時30分開始の予定なので、まだ、塔矢アキラも到着していなかった。
「ちょっと、進藤。あんたは招待試合の後も指導碁で忙しくなるんだし、今の内に見て回ったら?」
金子がそう勧めてくれた。
「うん? そうだな……」
「藤崎さん。私が残ってるから、あんたも進藤と行ってきなよ」
「ちょ、ちょっと、金子さん」
「一人で、回るよりいいんじゃない?」
軽く促されて、あかりが頷いた。
戸惑いながらも、どこか嬉しそうにも見える。
二人は連れだって創立祭を見て回った。
まだ、ほとんど客がいないため、混雑にぶつかることもなく、さくさくと覗いていった。
フランクフルトやらたこ焼きやらつまんだので、それなりに腹もふくれていた。
あかりに連れられて、手芸部のいる家庭科室にも顔を出した。ビーズで作られた、小さなアクセサリーをあかりが楽しそうに眺めている。
「欲しいのあるか?」
「これなんか、いいかも」
黄色や赤で、花の形をしているブローチだった。
「じゃあ、オレが買ってやるよ」
「え? ど、どうして?」
頬を染めながらも、尋ねる。
基本的にヒカルは周りに対する配慮が足りないため、こういう申し出はほとんどしない。
「まあ、感謝の気持ちってところ」
「感謝?」
「ああ。オレは囲碁部が好きだからさ。今回、参加できて嬉しいんだ。それに、塔矢とも戦えるしな……。あかりには感謝してるんだぜ」
「ヒカル……」
ヒカルが代金を支払い、そのブローチをあかりに渡した。
あかりは両手で大事そうに、それを受け取る。
「ありがとう。大事にするね」
嬉しそうに笑った。
その笑顔だけでも、買ってやった甲斐があったというものだ。
そのころ、理科室では二人の少年がにらみ合っている。
一人は、遅れてやってきた葉瀬中の囲碁部員であり、もう一人は、招かれたはずの海王中の囲碁部員である。
「もう一度言ってみろよ」
三谷に言われて、相手が正確に言葉を繰り返してみせる。
「葉瀬中なんか遊びの相手にもならないのに迷惑な話だ、って言ったんだよ」
顔立ちは整っている方だが、やや頬がこけているため印象の悪い少年だった。彼は長瀬と名のった。
「前回もその前も、お前は大会に出たことないんだろ? レギュラーにもなれなかったくせに、偉そうに言うんじゃねーよ」
「ふん。ウチは優秀な人間が多いんだよ。そっちは去年の大会に出場したらしいけど、岸本先輩にあっさり負けてるんだろう。レギュラー選手だからって、威張れるような事じゃないね」
「最近は進藤と打って、オレも腕を上げてるんだ。甘く見るな」
「進藤? 岸本先輩から聞いてるよ。塔矢アキラを追ってるんだって? 身の程知らずだよな。院生になるにも力が足りないって、聞いてたし……。今回のプロ試験はレベルが低かったんだろう」
「ふざけんな! アイツの力も知らねーで」
噛みつかんばかりに三谷がエキサイトしている。
「やめなよ。みっともない」
金子がため息をつきながら、止めようとする。
「そうよ。長瀬くんも」
海王中の女子代表の川崎も、仲間をたしなめる。
「いまさら、文句を言ってもしょうがないでしょ。文句があるなら、尹先生に言いなさいよ」
川崎は、長瀬と違いまるで感情のこもらない声で正論を主張する。
「気持ちはわかるけどね。さっさと終わらせて、創立祭を見てまわりましょうよ。どうせ、すぐに終わるわ」
こちらは長瀬とは逆に、葉瀬中を敵視すらしていない。
彼女と対局予定の金子も、さすがにかちんとくる。
「自信がありそうね?」
「自信っていうか、……負けるわけないもの」
平然と応える。
残りの葉瀬中の面々は、気の弱い人間がばかりなので、どう対処すればいいかわからず、ただ、おろおろするばかりだ。
「長瀬。川崎。いい加減にするんだ。二人とも、招かれた客として、恥ずかしくない態度をとるように」
「はい」
「……はい」
顧問である尹の言葉に、二人とも渋々頷いた。
ただ、口を閉ざしただけで、非友好的な視線をぶつけ合ってはいるのだが……。
「進藤」
あかりと一緒に校庭の出店を回っていたヒカルに、声がかけられた。
「和谷! 来たのか?」
「まあな。お前と、塔矢の対局だったら、面白そうだからな」
「オレ自身も楽しみにしてるんだ」
笑顔で応える。
「あんまりみっともない負け方すんなよ」
「縁起でもないこと言うな! オレは当然、勝つつもりでいるからな」
「そうだな。脳天気な方が、お前らしいし」
「どういう意味だ!」
二人のやりとりに入っていけず、あかりが戸惑っている。
ヒカルの同期である和谷の顔は知っていたが、会ったのはこれが初めての事になる。
「誰だよ?」
和谷があかりに気づいて、ヒカルに問いかけた。
「あ……、オレの幼なじみの、あかりだよ」
「は、初めまして」
あかりが頭を下げる。
「へー。可愛い子じゃないか。やるな〜、進藤」
「な、何言ってんだよっ! あかりは幼なじみって言っただろ! 幼なじみ!」
あわてて弁解する。
その様子に、あかりは機嫌を損ねたようだ。
「ヒカル。私、先に戻ってるから。……ふんだ」
振り返りもせずに走り去った。
「ちぇっ。なんだよ、アイツ」
憮然としたヒカルの隣で、和谷が笑い出した。
「なんだよ?」
「お前もガキだな。ちゃんと、あの子に謝っとけよ」
「なんでだ? 別に悪いことなんてしてないだろ」
「子供だね〜」
「どういう意味だよ。おい」
赤いスポーツカーが葉瀬中の校門近くに止められた。
「ありがとうございました」
そう言って、アキラが降りた。
「礼の必要はないさ。言っただろう? ちょうど、オレにも用があるんだって」
「え? それじゃあ……」
「ああ。初めから君らの対局を見るつもりだったのさ」
そう答えた相手の、眼鏡の奥の瞳がきらりと光る。
この緒方もまた、アキラやその父である塔矢名人と共に、ヒカルが院生となる前から注目していた人間だった。
塔矢名人が門弟達をあつめて行っている研究会で、アキラが今日の予定について話したのだ。
「来年の春を待たずに、二人の対局が見られるとは、幸運だったな。オレも今日を楽しみにしていたんだ」
そう告げる。
「さっき見かけた駐車場に車を止めてくるよ。先に入っていてくれ」
「はい」
アキラは葉瀬中の校門をくぐった。前にも来たことがあるので、囲碁部のある理科室の場所は知っていた。
校門をくぐったアキラがすぐに対面したのは、二人のプロ棋士であった。
「進藤?」
「塔矢……」
和谷は、二人の様子を面白そうにうかがっていた。
理科室に、ヒカルとアキラの二人がやってきた。後ろに和谷もついてきている。
「来たようだね」
尹先生が、二人を出迎えた。
「はい」
アキラが応じる。
「あ、今日はどうもありがとうございます」
ヒカルが頭をさげた。
「いや。礼を言いたいのはこっちの方だよ。君たちの対局を見せてもらえるんだからね」
時間は10時13分といったところだ。
対局までは、もう少し時間がある――。
5分前。
お互いに話もせず、固い視線をぶつけ合っていたメンバーが、それぞれ席についた。
ヒカルと、アキラ。
三谷と、長瀬。
金子と、川崎。
3組の対局者達が、相手や盤に視線を向ける。
「……越智くん?」
アキラの声に、ヒカルも振り向いた。
「どうも」
越智が軽く頭を下げた。
「あれ、オマエ、塔矢と知り合いだったか?」
和谷が不思議そうに尋ねたが、越智は答えなかった。
実は、プロ試験のさなか、ヒカルとの対局を前にして、アキラの指導後を受けた事があるのだ。しかし、敵視していたアキラに教えを請いながらも、結果は越智の敗北だった。越智にとっては二重の意味で、口にしたくない事情だった。
「オマエが来るとは思わなかったな」
ヒカルが声をかけた。
「和谷から聞いていたからね。ちょうど、ヒマだったし」
「なんだよそれ? オレには忙しいとか言ってたクセに」
「急に、ヒマになったんだよ」
悔しそうにそう言い返した。
前宣伝のためか、なかなか囲碁部に客も集まっている。
中学生にしてプロ棋士同士の対決だ。
それなりに盛り上がる。
海王中もアマチュアとしては名が知られているため、注目度が高い。
プロ対決だけでなく、他の対局にも客がついている。
それぞれの大将にあたる、ヒカルとアキラが石を握って、先番を決める。プロと女子が黒。男子が白となった。
「10時半になりました。では、始めてください」
一応、部長である夏目が声をかける。
『お願いします』
口々に言って、三つの黒石が盤面に打たれた。
あとがき:
はい。打ち始めまででした。
次回でこの話は完結となります。
理科室はもっと別な部が使用しそうですが、勘弁してください。化学部とか登場してませんし、やはり、囲碁部=理科室のイメージが強いので。
あと、海王中のメンバーはオリジナルです。公式設定があれば変更するかも……。