『ふたりの碁』(1)葉瀬中vs海王中(壱)
葉瀬中学校というのは、将棋部が強いことで有名な学校だった。
その一方で、囲碁部は比較するのが可哀相なくらいに弱小である。
彼らは専用の部室も持たず、理科室で活動している。
放課後、四人の部員がそこで囲碁を打っていた。
「……でも、やっぱり、何かしたいじゃない」
一人の少女が口を開く。
「あかりはそう言うけど、囲碁部で何をするの?」
碁盤を挟んで、対局している少女が尋ねる。
「だから、それを相談してるんでしょ」
不満そうに頬をふくらませた少女の名は藤崎あかり。
その相手をしているのは、親友の津田久美子といった。
「でも、囲碁をする以外に、思いつかないよ」
彼女としては、そうとしか答えられない。
もともと、あかりに誘われて入部するまで、囲碁を全く知らなかったのだから、相談する方がおかしいのだ。
「ねえ、夏目くんもそう思うでしょ?」
困った久美子が傍らの少年に尋ねた。
別な碁盤で打っていた大柄な少年が、こちらに顔を向ける。
「そうだね。海王中ぐらい強ければ、指導碁もできるかもしれないけど……」
囲碁部の部長を務めている夏目が答えた。
「残念だけど僕たちじゃ、力不足だよ」
悔しそうにつぶやいた。
「そうですよね」
彼と対局していた、対照的に小柄な小池も頷いた。小柄なのも道理で、囲碁部に所属している人間の中で、彼だけが一つ下の一年生だった。
「もし、お客さんの方が強かったりしたら、みっともないですよ」
小池の言葉はもっともである。
指導する側が、間違いを指摘されてしまっては、本末転倒だろう。
皆の言うことは、あかりにもよくわかる。
しかし、彼女としてはせっかくある囲碁部なのだから、もうすこし皆に知ってもらいたいし、部員も増やしたいとも思う。
なんらかの形で、参加をしてみたいと考えているのだった。
「あ、そういえば、筒井さんは詰め碁をしてたんだ」
一昨年の事を思い出した。
葉瀬中の創立祭──。
思い返すと、あれが、今の囲碁部へとつながったのだ。
当時の囲碁部は、すでに卒業した筒井先輩ひとりだけしかいなかった。
あかりの幼なじみである進藤ヒカルが、突如として囲碁に熱中し始めた頃で、筒井が訪問客相手に出題していた詰め碁に、ヒカルが挑戦したのがきっかけで三人は出会うことになった。
葉瀬中に入学してすぐ、囲碁部に入部したヒカルに付き合っているうちに、あかり自身も興味を持ち始めた。
三谷というもうひとりの部員も集めて、男子は囲碁大会の団体戦へ参加したのだ。
あかりが懐かしく思い返す。
「じゃあ、詰め碁をやるの?」
久美子の声で、あかりの意識が現実へと引き戻された。
「そうなるのかなぁ。詰め碁だったら、本さえあればできるもんね」
あかりがそうつぶやいた。
扉を開けて、同じく囲碁部員の金子正子が入ってきた。同学年の少女だというのに、外見も中身も大人物と感じられる少女だ。
「何の話?」
「あ、金子さん。ほら、そろそろ、創立祭が近いから、ウチの部でも何かやれないかと思って」
「あー、なるほどね。まあ、無理じゃないの? 面子も足りないし、囲碁でできることなんて少ないからね」
あっさりと答える。
「そうなのかなぁ……」
あかりとしては諦めきれないようで、つぶやく言葉もため息混じりだった。
「あたしらみたいに運動部だったら、招待試合とかやるけどね」
金子は、もともとバレーボール部に所属していて、むしろ、囲碁部の方が兼部という形になる。
「招待試合?」
「練習試合を見せるのが、一番楽しんでもらえるじゃない。対戦相手が有名な学校だったら話題にもなるしね。まあ、囲碁って、知らない人間だと、見てもわかんないから、そうもいかないだろうけど」
「あ、それ、いいかも」
「いいって?」
「だから、招待試合」
「ちょっと、待ちなよ。どこを招待する気?」
「海王中なんて、どうかな?」
「最強なんでしょ? 相手が悪すぎるんじゃない? ボロ負けしたら、恥ずかしいわよ。力の差がありすぎると、相手にも失礼だし」
「でも、打倒海王中が目的なのに、やる前から怯んでたら、勝ってこないよ」
「それはそうなんだけどね」
金子は乗り気じゃなさそうだ。
「ようし。私、タマ子先生に頼んでみる」
それは、進藤ヒカルが中二のころ──。
プロ試験と、新初段戦の間の出来事だった。
あかりは職員室まで訪れて、タマ子先生に願い出た。
タマ子は理科の教師をしており、囲碁部の顧問でもあるのだ。
彼女は二つ返事で了承し、海王中へ電話をしてくれた。
おそらく海王中の顧問の先生と話しているのだろう。意外にも、簡単に了承を得られたらしく、タマ子先生は何度もお礼を告げていた。
「一応、話は通しておいたから、明日にでも、詳しい話をしてきたら?」
「はい。わかりました」
あかりが嬉しそうにうなずいた。
次の日の放課後。
部長の夏目と、あかりが一緒に海王中を訪れた。
全国有数の進学校で、囲碁部の名門──海王中学。
行き交う生徒がすべて、大人びて見える。
全く違う制服で校門をくぐるのには、いささか勇気がいった。
囲碁大会はここで行われているので、以前にも訪れたことはあるのだが、平日に訪れるのは、気後れしても仕方のないことだろう。
大柄な夏目の影に隠れるようにして、あかりは校舎へ向かう。
生徒の視線を受けて、子供っぽい自分が恥ずかしく思えた。
実際は、あかりが思うほど、奇異の視線に晒されているわけではなかった。もっと単純に、愛らしいあかりの容姿が人目を引いただけだったが、そこまで彼女は気づいていない。すでに意中の人間がいると、そういう視線に鈍感になるのだろう。
そこへ──。
偶然だろうか?
それとも、何者かの作意でも働いたのだろうか?
二人の方へ、一人の少年が歩いてきた。
おかっぱ頭で、整った顔をした理知的な少年。
あかりたちの存在に気づいて、その少年が足を止めた。
「葉瀬中……、囲碁部の人ですよね?」
「う、うん。囲碁部の顧問の先生に会いたいんだけど」
相手の顔を見知っていた、あかりが答えた。
「それなら、僕が案内するよ」
彼──塔矢アキラの先導で、二人は囲碁部に向かって歩いていた。
あかりは塔矢アキラをいくらか知っている。
自分と同じ中二だが、すでに彼はプロの碁打ちとして活躍している。確か、すでに二段だったはずだ。
そして、ヒカルが目標にしている相手でもある。
「えっと、今日はどういう用件で来たのかな?」
アキラの方でも、あかりの顔はかろうじて覚えていた。そうはいっても、彼が葉瀬中の囲碁部に興味を示すのは、進藤ヒカルがいたからであって、彼以外となるときわめて印象が薄い。
改めて、進藤しか視界に入ってないのだと実感する。
「今度、ウチの学校で創立祭があるから、招待試合に応じてもらおうと思って」
「招待試合? そうか……、羨ましいな」
「羨ましい?」
あかりがきょとんとなった。
「う、うん。懐かしいよ。あのころ」
当時を思い返す。
自分を負かした進藤ヒカルとの対局を望み、プロに匹敵する実力を持ちながら、アキラは場違いにも囲碁部に入ったのだ。気がとがめたのは確かだが、自分よりも強い進藤も入部しているのだからと、無理矢理自分を納得させた。
そこまでして、大会に参加したというのに、進藤はまるで稚拙な碁を打って、自分を落胆させたのだった。
彼を忘れてプロになったはずなのに、今度は進藤が追ってきた。それも、プロ試験に合格し、自分のすぐ後ろにまで迫っている。
アキラにとって、ヒカルは再び注目すべき存在となっていた。
自分も招待試合に参加できれば、ヒカルと戦えるかも知れない。そんな事まで考えた。
彼もまたプロなのだから、囲碁部に所属してるはずがないのに……。
部室として使用しているホールをアキラが訪れた。
彼と囲碁部はちょっと微妙な関係なのだが、あかりにそこまではわからない。
顧問の尹(ゆん)先生がホールから出てきた。名前でわかるだろうが、韓国の人間だった。
彼は夏目の詳細な説明に頷いてみせる。
「ああ、招待試合は受けるよ。ただ、ちょっと、考えてみたんだが、メンバーを変更してはどうだろう?」
「どういうことですか?」
あかりが尋ねる。
「男女混合で三人の選抜メンバーではなく、男子から一人、女子から一人、という具合に……」
「でも、もう一人は?」
「海王中と、葉瀬中にはプロが一人づついるじゃないか。プロもまじえての団体戦となると、客にも楽しんでもらえると思うよ」
「え!?」
あかりが驚いて目を見開いた。
ヒカルがプロ試験に合格したのは、ついこの前のことだ。正式にプロとして動くのは四月になってからなので、正確にはまだプロとは言えなかった。
しかし、あかりが気にしたのは、別なことだ。
「でも、ヒカルと塔矢くんじゃ、勝負にならないと思うんですけど」
もちろん、勝ってもらいたいのはヒカルなのだが、正直、難しいだろう。
去年プロになり、連勝記録まで立てたアキラと、まだプロ未満のヒカル。単純な比較として一年の開きがあるのだ。
「さて、それはどうだろう?」
尹が不意に別な方向を見た。
あかりも目を向けると、まだそこにアキラが立っている。
「塔矢くん。どうだい? 興味あるかい?」
話に興味があるからこそ、恥ずかしい行為だと思いながらも、聞き耳を立てていたのだ。本来、部員でもない自分は部外者に過ぎないと言うのに──。
ヒカルに関することはどんなささいな事も、今のアキラは無視できずにいる。
「はっ、はいっ! ぜひ、僕も参加させてください!」
意気込んで訴えた。
アキラにとって、興味があるのは、どんな高段者たちよりもヒカルなのだ。
現在の彼の実力がどの程度なのか、頼み込んででも知りたいぐらいだった。
この前も、彼の新しい棋譜を手に入れようとしたのだが、それも失敗に終わった。
アキラの心情としては、まさに渡りに船。あるいは、棚からぼた餅とでもいったところだ。
「聞いての通りだ。海王中は喜んで参加させてもらうよ。進藤くんにも参加してもらえるんだろう? 私も彼には興味があるんだ」
それは、お世辞ではなく、彼の本心だった。
「…………」
あかりの言葉が詰まった。
実は葉瀬中囲碁部でもいろいろと軋轢がある。囲碁部とではないが、部員のひとりと、ヒカルはうまくいっていないのだ。
でも、この先生の言うことは非常に魅力的だった。
話を聞いただけでもドキドキしてきた。
アキラがヒカルとの対局を望むように、ヒカルもまたアキラとの対局を望んでいる。ヒカルの方は問題がないはずだった。
問題は、もう一人の方だ。
もしかすると、これが仲直りのきっかけになるかもしれない。
そうあかりは判断した。
「はい。それで、お願いします」
そう言って頭を下げた。
「お、お願いします」
慌てて、傍らの夏目も頭を下げる。
翌日。
あかりは登校途中で、ヒカルの姿を見かけた。
整った顔をしているが、無邪気さにあふれている様な少年だった。
話しかけようとして、あかりは躊躇する。
「よう、あかり。……どうかしたのか?」
ヒカルが先にこちらへ気づいた。
「う、うん……」
いろいろ考えて、一番、ヒカルが興味ありそうな事から話すことにした。
「ねえ、ヒカル」
「何だよ?」
「塔矢くんと、戦わせてあげようか?」
「え!?」
進藤ヒカルと塔矢アキラ。
昨年の夏の大会で対局してから、約1年半。
再び、彼らの対局の時が迫っていた──。
あとがき:
創立祭はいつでしょう? キャラクターズ・ガイドの『碁ジャス』では1月となっていました。
よさそうなタイミングなので、これで固定とします。
一昨年の創立祭の「たこ焼きチケット」が「2月四日(日)」と書かれている気がしますが、今回は、新初段戦の前の1月に早まったという設定とします。
どうせ、IFものなんですけどね……。
ほとんど佐為は登場しませんが、佐為がいる頃の話にしたかったので。