『のび太の雛見沢事件簿解』(10)鬼隠し2

 

 

 

 水が冷たかったためか、呼吸が苦しくなったからか、バケツ一杯の水をぶっかけられた小此木が目を覚ました。

 ロープで縛り上げられた彼を、魅音が傍らに立って見下ろしている。

「どうしてこんなこと企んだのか、教えてもらうよ」

 魅音が睨み付ける。それは園崎家頭首代行しての鷹の目であった。

「…………」

 対する小此木は無言で応じた。

 敗れたといえども、小此木は不正規戦部隊の隊長を務めていた男である。小娘相手に凄まれたからと言って、あっさり口を割るほど矜持のない男ではない。

 これが『東京』内部での尋問だったなら、保身の必要もあり正直に白状していただろう。だが、部外者相手に暴露するには、機密性の高い情報が多すぎたのだ。

 彼自身が、雛見沢症候群の秘密保持のために、殺人すら犯してきた人間なのだから。

「言わないなら、こっちにも考えがあるよ。無理矢理口を割らせる方法は私も知っているからね」

 魅音の口調は感情を廃した冷酷なものへと変わっていた。顔立ちに変化はないが、まるで別人へと変貌したかのようだ。

 余所者である小此木は正確に知らないだろうが、この村の暗部は血の色で染まっている。園崎家がこの村に君臨できているのは、村民への資金援助という飴だけでなく、恐怖による統制という鞭も活用しているからだ。

 魅音から感じる恐怖が原因なのか、のび太は祭具殿に並んでいた拷問器具を思い浮かて震え上がる。

「ご、拷問なんてダメだよ!」

 小此木が拷問されるのもそうだが、拷問を加えるような魅音を見たくなかった。

「ドラえもん、正直電波出して」

 正直電波をあびた小此木は、全てを正直に告白する。

「鷹野三佐の命令でさ」

「鷹野三佐?」

 いつものナース姿と三佐という役職名がつながらなかった。

「三佐も入江所長も自衛隊に出向扱いでね。実質的な入江研究所の最高責任者は三佐なのさ」

「それじゃあ、鷹野さんが黒幕ってわけ?」

 代表して質問しているのは、場慣れしている魅音だった。

「まあ、実行責任者ではあるな」

「どういうことよ? 計画した人間が他にいるってこと?」

「『東京』本部の野村って女にそそのかされたのさ。滅菌作戦が成功するにしろ失敗するにしろ、三佐に責任を押しつけて始末するように指示されているんだ」

「そんなのひどいよ!」

 思わずのび太が叫んでいた。残りの皆も、のび太に同調して嫌悪感を露わにしている。

「そそのかされたと言っても、三佐の罪に変わりはないとおもうがね。山狗に大金を積んだのも、滅菌作戦の立案も三佐なんだ。上層部に研究の中止を命じられたが理由らしいな」

 野村や小此木に利用されたのは確かだが、鷹野は決して無実ではない。そういう意味では、情状酌量の余地は非常に少ないのだ。

「それで、富竹さんも殺したの?」

「そいつは違う。富竹も始末する予定だったが、その前に消えちまったのさ。三佐もな」

「……どういう事?」

「どうもこうも。綿流祭の晩に消えちまったよ。いまさら駆け落ちってわけでもないだろうがな。どこを探しても見つからなかった」

「じゃあ、命令する人間がいないのに梨花ちゃんを狙ったの?」

「野村の方で、早めに事を起こす理由があるらしい。作戦自体は三佐抜きでも可能だからな」

 山狗を買収したという事実があれば、野村達にとっては十分なのだ。

「鷹野さんはどこにいったのかな? かな?」

「作戦の実行が近いというのに、姿を消すメリットはありませんわ」

 表向き姿を消すならまだしも、山狗との接触を断つ理由が想像できない。

「まさか、本当に駆け落ちってわけもないだろうしねぇ」

 魅音も首を捻った。

「ドラえもん。あの恐竜を探した時の道具は?」

「やってみるか」

 四次元ポケットに突っ込んだ右手が、目的の道具を取り出した。

「○×占い〜」

「なんなんですの、それは?」

 沙都子の質問にドラえもんが説明する。

 ○×占い――質問に対する答えを、○×の二択で解答する道具だ。その正解率は100パーセントである。

 ドラえもんが道具に問いかけた。

「鷹野さんは雛見沢にいる?」

 ──×。

「鷹野さんは興宮にいる?」

 ──×。

「山狗が補足していないんだから、もっと違う場所じゃないの?」

 そう告げて魅音は人気の少ない山間部の地名を幾つか挙げてみる。

 ──×。

 この調子で彼等の質問は全て否定されていった。思いつく限りの地名を挙げたものの、全てが否定されてしまう。

 仕方なく、質問範囲を徐々に大きくしていったのだが、辿り着いたのは意外な答えだった。

 ──鷹野は地球上には存在せず、生きてもいないし、死んでもいない。

 以前の失敗も活かし、“地球上”だけでなく、地下にもいないことを確認していた。

「ど、どういうことよ? おかしいじゃない!」

 魅音の疑問はもっともである。

「その道具は壊れているんじゃありませんの?」

 沙都子が疑うのも無理はない。

「そんなはず無いんだけどな」

 ドラえもんの表情も怪訝そうだ。

「もしかして、……これが鬼隠しなのかな?」

 レナの言葉を耳にした皆は、うそ寒い思いに駆られてその体を震わせていた。

 単純な行方不明とは違う、まったく不可解な消滅事件。それは、死ぬという現実的な状況とは全く違い、得体の知れない恐怖心を呼び覚ます。

 遠くで聞こえるヘリコプターの音が、かろうじて現実感を取り戻させた。

「何を笑っているんですの?」

 沙都子がその事に気づいた。

 梨花ひとりが、なぜか楽しそうな笑顔を浮かべていたからだ。その様子は、事態の深刻さをまるで理解していないようだった。

「ボクには鷹野の居場所がわかるのですよ」

「「「「「ええっ!?」」」」」

 梨花の言葉に、その場の全員が驚きの視線を向ける。

「鷹野は──」

 彼女は鷹野の居場所をずばりと言い当てたのだった。

 

 

 

 プルプルプルという小さな駆動音とともに、祭具殿付近にふたつの人影が降り立った。

「あの中だ」

 祭具殿に駆け寄ったふたりは、壁を見て間に合わなかったことに気づいた。

「通り抜けフープがついている。中にいるのはボクらだよ」

「じゃあ、ふたりとも立ち去った後だね。どこへ行ったんだろう?」

「梨花ちゃんに聞いてみようよ」

「よし。探しにいこう」

 ふたりはタケコプターを使用して再び夜空へ飛び立っていく。

 通り抜けフープの穴から、顔を出したのは眼鏡をかけた子供である。それは間違いなくのび太本人だった。

 きょろきょろとあたりの様子をうかがっている。

 誰かの声が聞こえたように思ったが、外には誰もいなかった。

 

 

 

 梨花の告げた回答は、単純な事実でありながら、絶対確実なものだった。

 曰く──。

「鷹野は三日前の祭具殿にいるのですよ」

 言われてみればもっともである。鷹野の存在を確認できたのは、その時その場所が最後なのだ。

 そして、タイムマシンがある以上、鷹野を捕まえるのは可能なはずだった。

 梨花はさらにこう続けた。

「ボクはそのころ、演舞台の近くにいるはずなのです。困った事があったら頼って欲しいのです」

 

 

 

 彼女の言葉は正しかった。

「梨花ちゃーん!」

 奉納演舞を終えた直後、巫女姿のまま歩いていた梨花がこちらを振り向いた。

「どうしたのですか、のび太?」

「鷹野達がどこにいるか教えて! もう祭具殿を出たみたいで、どこに行ったかわからないんだ」

「鷹野が祭具殿に忍び込んでいたのですか?」

 梨花が怪訝そうにのび太を見返す。

「え? そうだよ……。梨花ちゃんだって知ってるじゃない」

「ボクは初耳なのですよ。なんの話をしているのですか?」

「ちょっと待ってよ! 鷹野さんが祭具殿にいるって教えてくれたのは、梨花ちゃんじゃないか!」

「……?」

 梨花はきょとんとした表情で、のび太を見返している。

 のび太は梨花の言葉に納得できない。同様に、梨花もまたのび太の言葉を理解できずにいる。

「おかしいよ。なんで知らないのさ! 山狗を倒した後で、そう言ってたじゃないか! 早く見つけないと鬼隠しにあっちゃうよ」

 のび太の言葉が、どれだけ梨花を驚かせた事か。

「どっ、どういうこと!? 山狗の事もそうだし、鬼隠しにあうなんてどうして知っているのよ! あんたたち一体何者なの!?」

 驚愕のためか、梨花は言葉遣いまでおかしくなっている。

「だって、ボク達はタイムマシンで戻ってきたんだから、知っていてあたりまえじゃない」

「タイムマシン……?」

 のび太の口にした言葉に、さすがの梨花も唖然とする。

「梨花ちゃんだって予言でいろいろと教えてくれたでしょ」

 のび太の方も腑に落ちない。あれほど有効な助言をしてくれた彼女が、ここまで事情を把握していないとは思っても見なかった。

「変だよ。最初に説明したときには、すぐに信じてくれたのに」

 梨花の家を訪れて、のび太達は知っている情報を説明した。あの時の梨花は驚くほど素直に正確に話を理解してくれたのだ。

 首をひねるのび太と違い、ドラえもんはそのからくりに気づいたようだ。

「逆だよ、のび太! 梨花ちゃんが簡単にボク達を信じてくれたのは、この時点でボク達から話を聞いていたからなんだよ」

「どういう事?」

「つまり、梨花ちゃんが最初に事情を知ったのは、綿流しの夜なんだ。ボク達と家で会った時には、全て知っていたんだよ」

「それって……、梨花ちゃんの予言は、全てボクたちが教えた内容だったの?」

「そういうこと」

 ようやく納得したふたりに対して、梨花は置いてけぼりである。

「……ふたりが何を言っているのか、まるでわからないわ」

 ドラえもんが改めて尋ねる。

「詳しい説明は改めてするけど、鷹野さんと富竹さんがどこにいるか知らない?」

 

 

 

 鷹野と富竹は連れだって暗い夜道を歩いている。

 綿流しをさっさと終わらせて、早めに引き上げて来たのだ。

 富竹はふたりっきりの道行きを単純に喜んでいるが、鷹野は微笑の裏で小さな葛藤を続けていた。

 向かっている診療所で何が起こるか、ふたりはまったく別な事態を想像している。

 そこへ、空から三つの影が降り立った。

 薄暗い街頭によって、その三人が梨花とのび太とドラえもんである事がわかる。

 診療所へ向かっているという梨花の推測が当たったのだ。

「僕達に急用でもあるのかい? 祭はまだ終わってないんはずだろう?」

「鷹野を捕まえに来た」

 のび太が用件を端的に告げる。

 呼び捨てにされて鷹野がわずかに眉をひそめた。

「私を捕まえに……? オヤシロ様の祟りについて詳しく聞きたいのかしら?」

 鷹野にとっては、“偶然に図書館で出会った子供”に過ぎないため、そのように考えてしまう。

「オヤシロ様の祟りって、雛見沢症候群が原因なんでしょ? さっき、梨花ちゃんから聞いたよ」

 ドラえもんの言葉が鷹野と富竹を驚かせた。

「「なっ!?」」

 梨花は真剣な表情で二人の視線を受け止めている。

「友達に嘘を吹き込むのは良くないわよ、梨花ちゃん。友達に迷惑をかけるのは嫌でしょう?」

 鷹野は怖い微笑を口元に浮かべながら、鋭い視線を梨花にぶつけた。秘密を守るために、のび太達を殺すかもしれないという脅しだった。

「それなら心配はいらないよ。山狗は全員捕まえたから」

 そう口にしたドラえもんは、時間移動によって齟齬が発生している事に気づいた。

 この時間の山狗はまだ健在なのだ。人員を集められると、非常に困ったことになる。

 仕方なく、ドラえもんはそのまま畳みかけることにした。

「だから、梨花ちゃんを殺しても滅菌作戦を起こすのは無理だよ」

 その言葉がふたりを驚愕させていた。

「な、き、君達は何を言っているんだい?」

 ひとりはあまりにも予想外の言葉に。

「っ!?」

 ひとりは信じられない追求を受けたがために。

 鷹野は目を見開いて愕然としている。その様子は当惑しているというよりも、なにかの真実を突きつけられたようにしか見えなかった。

「馬鹿な事を。山狗があなたたちなんかでどうにかできるはずないでしょ! 小此木はプロなのよ」

「……鷹野さん?」

 富竹の視線に気づいて、鷹野は慌てて言葉を続ける。

「それに、梨花ちゃんを殺して滅菌作戦を起こすなんて、そ、そんなことあり得ないわ」

 あり得ない事。だからこそ、彼女が疑われたりすることも、あり得ないはずだった。そのあり得ない事態がなぜか起こっている。

 その狼狽ぶりが、富竹の不信感を招いていた。

「言いがかりよ。まさか、そんな話を信じたりしないわよね、ジロウさん?」

 なんとか取り繕う鷹野だったが、隠された真実が存在する以上、それは無駄なあがきだった。

「それなら、またこれを使おう」

 もう、何度目になるだろうか。ドラえもんが正直電波を取り出していた。

 鷹野の懺悔が始まる。

 

 

 

 電車事故で両親を失った後、預けられた施設で虐待を受けた事。

 助け出してくれた恩人が、雛見沢症候群の研究者だった事。

 論文を嘲笑された恩人に替わって、研究のために入江機関を設立した事。

 組織内の勢力争いの結果、雛見沢症候群の研究が断念させられた事。

 滅菌作戦を実行させることで、権力者に雛見沢症候群の実在を信じさせようとした事。

 彼女の祖父・高野一二三は、『偉大な事跡を残した人物の名は、永遠に語り継がれる。それこそが人が神に至ることだ』と鷹野に言い残していた。彼女が雛見沢症候群を研究していた理由はただ一つ。高野一二三と鷹野三四の名を人類史に残すためだ。

 そうすれば、電車事故のような不幸があっても、二人の名は別れることなく生き続るだろう。

 彼女はドラえもんから事態の経緯を聞かされて、ようやく全てを受け入れた。

 冷酷に振る舞ってはいても、村人すべてを死滅させることは、彼女にとっても苦渋の選択だったのだ。

 富竹の胸にすがりついて、鷹野はいつまでも泣き続けた。

「あなた達には礼を言わないといけないわね。あまりに唐突で、なんの実感もわかないけど」

 梨花の言葉は本心である。

 梨花は未来を知っている理由を予知夢と説明していたが、それは真実ではない。

 誰にも信じてもらえないだろうが、梨花は自分が死ぬ度に別な世界の過去へと渡り、幾度も人生をやり直していたのだ。

 彼女の人生はのべ百年にも及んでいる。

 それはオヤシロ様の加護によるものだったが、繰り返すたびに逆行する期間も短くなり、今となっては数週間の猶予しか残されていなかった。

 このままでは、真犯人を特定できても対処する時間が残されておらず、なおかつ、次に逆行する力さえ失われようとしていた。

 それだけの窮地において、こんなにも唐突に全てが解決してしまっては、梨花が戸惑うのも無理はない。

「うまくいくように、私もあなた達に協力するわ」

 これまでの梨花の戦いは、間違いを潰していく事にあった。

 自分を殺しかねない要因を削ぎ落としていき、いつか正解に辿り着こうというものだ。肝心の正解を知らないために、無限に近い選択肢を確かめねばならず、無駄に思える行動も多かった。

 しかし、今の彼女は正解を知っている。全員が生き延びて、山狗を撃退できたのなら、理想的と言ってもいい。

 だから、正解へ辿り着くために、彼女は仲間達を導かなければならないのだ。皆の意見を調整したり、正しい方法を助言しながら。

 これは彼女にしかできない事だった。

 この後、梨花は河原へ向かい、まだ何も知らない仲間達と合流する事になる。

 

 

 

 富竹がカメラマンと名乗っているのは、世を忍ぶ仮の姿(?)だった。

 彼は『東京』の査察部の人間で、入江機関の動向を把握するのが本来の職務である。

 今回の様な状況こそ彼が動くべき事態であり、だからこそ、一番に山狗の標的にされていた。

 タイムマシンには、時間移動の他に、空間移動の機能もある。

 山狗部隊が村境で警戒している可能性もあるため、富竹は東京まで直接送り届ける事にした。

「僕の方でも、これからの三日間で野村について調べておく。もちろん、番犬部隊も手配しておくよ。裏山へ到着するのは、4時頃でいいんだね?」

「うん」

「その頃なら、全部終わっているはずだからね」

 のび太とドラえもんが依頼したのは、山狗部隊の処理だった。

 のび太達自身に人殺しなどできるはずもない。そうなると、彼等を拘束・処罰する手段が必要となるのだ。彼等を解放した途端に梨花が殺されては元も子もない。

 そこで、富竹に依頼して、山狗部隊をも上回る実戦部隊――番犬部隊での対応を依頼したのだ。

 この時間の山狗は、富竹と鷹野を見つけられずに右往左往していたはずだが、富竹はこの時点ですでに東京へ戻っていたのだ。

 

 

 

 そして、のび太とドラえもんは本来の時間軸へ戻るべく、タイムマシンに乗って亜空間を進んでいた。

 後ろには興味深そうに周りを眺める鷹野の姿もあった。生来の好奇心が刺激されているらしい。

 鬼隠しを回避するために、鷹野は直接三日後へつれて行く事にしたのだ。

「待てよ……」

 ようやくドラえもんが気づいた。

「鷹野さんは地球上(地下も含む)には存在せず、生きてもいないし、死んでもいない」

「どうかした?」

 自分を見るのび太に対して、ドラえもんが説明する。

「あれはこの事だったんだよ! 鷹野さんは時空間を越えて3日後へ運ばれることになる。だから、その3日間は地球のどこにも存在しない」

「……鷹野さんが行方不明になったのは、ボクたちのせいなの?」

「そうなるね」

「だったら、あんなに怖がっていたぼくが馬鹿みたいじゃないか!」

「君の馬鹿は今にはじまったことじゃないだろ」

「…………」

 ドラえもんに背中を向けて、のび太が体育座りする。

「悪かった。正直に言いすぎた」

 こうして、五年目に起きたオヤシロさまの祟りは、ごく平和的に解決したのだった。

 

 

 
つづく

 

 

 
あとがき:これで時間移動ネタはコンプリートだと思います。タケコプターが三つあるのはコピーロボットの分を回収したからとして納得願います。