『のび太の雛見沢事件簿解』(9)裏山決戦

 

 

 

「魅ぃ。東方向に三人接近しているのです」

 梨花が報告する。

 不思議なことに、梨花は見えない敵の数や方向を、正しく察知してしまう。まるで、障害物の先まで見通しているようだった。

「あっちのトラップはほとんどが発動済みですわ」

 沙都子は裏山に仕掛けたトラップを全て把握している。沙都子自身が作成したトラップマップを見て、魅音が対応方法を練る。

「投石のトラップなら狙えるよね? 沙都子のでば……おっと。沙都子とレナのふたりで、左端から順に眠らせてきて」

「了解ですわ」

「行ってくるね」

 沙都子のトラップには、自動的に起動するものだけでなく、タイミングを見計らって手動で使用する罠も存在する。彼女はその操作を行うために現場へ向かった。

 レナが同行するのは陽動と護衛のためだ。レナパンと称される強力な拳は、パワー手袋によって強化されていた。

 梨花は感覚の鋭さを活かして斥候や連絡係を担当している。これがオヤシロ様に仕える巫女としての力なのかもしれない。

 魅音個人の戦闘力は極めて高いのだが、戦略的な判断を下すのも彼女にしかできない事だった。彼女は後方から仲間達に攻撃目標や、対応手段を指揮していた。

「魅ぃ。沙都子がうまくやったのです」

 魅音の傍らに残っていた梨花が戦果を告げる。

「じゃあ、次行ってみようか」

 

 

 

 裏山での攻防戦は部活側の主導で進められていた。

 負傷者が発生した場合、治療や救出のためにひとりかふたりの手がふさがってしまう。それを考えると全兵力の3割が罠にかかると進軍が不可能なはずだった。

 数年がかりで設置した沙都子のトラップは、それこそ裏山を埋め尽くすほどだ。彼女の費やした知恵と時間と労力が、山狗達の足を引っ張り、手を煩わせ、戦意を挫く。

 だが、戦略的な見地から言うと、決して部活側が優位とは断言できない。

 そもそも、彼女たちの勝利条件が非常に厳しいからだ。山狗側の目的は梨花を拉致すること。一人を残して全滅しても、梨花を拘束できれば山狗側は目的を果たしたことになる。つまり、山狗を全滅させなければ勝利とは言えないのだ。

 罠が尽きた時が、おそらく魅音達の敗北となるだろう。それまでの間に、どれだけ時間を稼ぎ、どれほどの敵を倒せるかが、勝負の分かれ目となる。

 山狗部隊も多数の犠牲者を出す代わりに、相応のトラップを無力化している。時間の経過に伴い、少女達の体力が落ちてくると、逆に山狗は行動の自由を手にしていく。

 彼女等の基本戦略が誘い込む事にあるため、部活メンバーが後退するのにあわせて、山狗は徐々に戦線を押し上げていた。

 戦略眼を持つ魅音は、戦況が悪化していることに気づいていた。

 戦場が広すぎるために、仲間が四人だけではカバーしきれないのだ。敵の包囲が狭まることで、結果的に敵の進軍コースからはずれた罠が無駄になってしまう。せめて、あと二人いれば状況は違っていたかもしれない。

 だが、事態はさらに悪化することになる。

 

 

 

「きゃあっ!」

 がしっ、と足首を掴まれて、沙都子が悲鳴を上げていた。レナの攻撃を受けて倒れていた男が、気絶したフリをしていたのだ。

 間の悪い事に、レナと話そうとして石ころ帽子を外したところだった。

「ここまでだ、ガキども」

 沙都子を抱え込んでいる男が、ギラつく視線をレナへ向けている。

 これまで、圧倒的な数の差を覆されて彼の部隊は翻弄されてきたのだ。不正規戦の訓練を受けたプロフェッショナルとして、到底我慢できない事だった。

 それも、こんな子供なんかに。

「離して! 離してくださいまし!」

 左腕を背中へねじり上げあられながら、沙都子がなんとか逃げ出そうとする。

「痛……いですわ」

 ギリギリギリ。片腕といえど、鍛えられた男の腕力だ。ふりほどけるわけながい。

 さらに、右手に握ったナイフは沙都子の首筋に当てられている。

「どうする。こいつを見捨てて、お前だけ逃げるのか?」

 男が口元に冷笑を浮かべる。

 どんなに手強くとも相手は少女にすぎない。そんな薄情な真似をするはずがないと彼は確信していた。

「「沙都子っ!」」

 伝令をしていた梨花とともに、魅音もこの場に駆けつけたが、状況を一目見て行動を封じられてしまう。

 梨花が持っているヒラリマントでは事態の解決に役に立たない。

「魅ぃ」

 不安そうに視線を向ける梨花に、魅音が頷いてみせる。

 男が無線機を手にして、仲間達を呼んだ。

「こちら雲雀13。敵の一人を捕まえた。応援を請う」

 ブツッ。………………。

 反応が返ってこないため、再度無線機で呼びかけるが、結果も同じだった。

「レナが攻撃したのはひょっとして……?」

「うん。あの無線機に当たったせいで、あの人は無事だったみたい」

 悔しそうにレナが答える。

 雲雀13は自分が無事だったかわりに、無線機を失ってしまったのだ。

 しかたなく、雲雀13は機械に頼らずに大声を張り上げる。

「ガキどもはここにいるぞ! 一人を捕まえて動きが取れない! 手を貸してくれ!」

 近くにいた何人かが、雲雀13に応える。

「でかしたっ!」

「どっちだ? 無線機はどうした?」

「無線機は壊れた! 雲雀11の西側にいるはずだ!」

 このまま時間が経過すれば、いずれ山狗の隊員がここへ駆けつけるだろう。

「レナ。梨花ちゃんを連れて逃げて」

「でもっ!」「魅ぃっ!」

「これは命令だよ!」

 敵の最終目標が梨花なのはわかっている。そして、梨花が背負っているのは、彼女ひとりの命ではないのだ。

「おっと。動くなよ。このガキを殺されたくないだろ」

 雲雀13の脅しが、レナと梨花の足を縫い止めてしまう。

「沙都子に傷一つでもつけたら許さないよ! 覚悟するんだね!」

 魅音が鷹を思わせる目で睨み付ける。

 それは確かに一瞬は雲雀13をすくませた。だが、彼は自分が切り札を握っている事をよく理解していた。

「だったら、下手なマネはするなよ」

 魅音はすぐにでも決断しなければならない。

 沙都子を見殺しにして、他を活かすか。

 敵に降伏して、梨花を犠牲にするか。

 しかし、魅音はどちらを選ぶ事もできなかった。

 部活メンバーというのは、ただの友人ではなく、大切な仲間だから。

「私の事は放っておいてくださいまし!」

「何言ってんのよ! そんなことできるわけないじゃない!」

「梨花が殺されてしまったら、この村の全員が死ぬんですのよ! 魅音さんは園崎家の次期頭首なんでしょう!」

 自分の失態で仲間を巻き込むわけにはいかないため、沙都子はなんとか魅音を説得しようとする。

「……違うよ、沙都子」

 魅音は笑って見せた。

「園崎魅音は園崎家次期頭首である前に、部活の部長なんだよ」

 ちっぽけな、本当にちっぽけなプライド。だが、それでも捨てられないものがある。

 だから魅音には、投降も、逃亡も選べなかった。

 ドン! ドン!

 二つの衝撃音が空気を震わせる。

 それに二人の男の悲鳴が重なった。雲雀13にはわからなかったが、それは先ほど彼の呼びかけに答えた仲間の声だ。

「な、なんだ!?」

 うろたえる雲雀13とは逆に、少女達の表情が明るくなる。

「もしかして……?」

「来たです!」

 レナの期待する答えを、梨花が指差してみせた。

 彼女たちが身につけているトレーサーバッジを頼りに、残りの仲間が駆けつけたのだ。

 雲雀13の耳にその声が届いた。

「沙都子ちゃーん!」

 木の間を縫って、飛んでくる子供が叫んでいた。ヌイグルミのような青いロボットもその後ろに続いている。

 雲雀13が慌てて後ろを振り向く。

「沙都子っ!」

 魅音の声に反応して、沙都子は男の腕を払ってその場にしゃがみ込む。そんな事をしたところでかせげるのはわずか数秒。

 しかし、魅音が欲していたのはその数秒だった。

 彼女が選んだのは、三つ目の選択――自らの手で仲間を助け出す事。

 突き出した魅音の右手が、雲雀13を指差していた。

「バンっ!」

 魅音の発した言葉とともに、雲雀13が気絶して倒れ込む。

 空気ピストル――薬を指先に塗りつける事で、キーワードとともに空気の塊を飛ばす道具である。

 彼女もまた射撃が得意なだけあって、雲雀13を一発で仕留めていた。

 気絶した雲雀13の頭を、沙都子がかなり強めに蹴ったが、誰一人文句は言わなかった。もちろん、被害者も。

「遅れてごめん」

「みんな、大丈夫かい!?」

 のび太とドラえもんの声に、みんなが明るく返す。

「いま大丈夫になったんですの」

「のび太達のおかげだよ」

「ドラちゃんも助けられたんだね」

「ひやひやさせられたのです」

 つい先ほどまでの危機など、どこ吹く風である。

 人質になった沙都子もドラえもんも救出できたのだ。緊張していた子供達が気を緩ませるのも仕方のない事だろう。

「はいはい、喜ぶのはここまで」

 軽く手を叩いて、魅音がその場の空気を引き締め直す。

「私達の戦いはまだまだこれからなんだからね」

 目前の危機を乗り越えたに過ぎない。

 裏山にはいまだ多くの山狗が存在するはずだった。

 魅音の言葉に皆が頷く。

「だけど、こうして全員が揃ったんだから、もう負ける気はしないけどね」

 それは全員の意見を代弁したようなものだった。皆の顔には自信の笑みが浮かんでいる。

「私達の恐ろしさを見せつけて、山狗部隊を完膚無きまで叩きのめす! 二度と雛魅沢に来ようなんて思わないぐらいにね! 綿流祭の第2ラウンド、裏山六凶爆闘! いくよ、みんな!」

「「「「「おーっ!」」」」」

 五人が応じた。

 彼ら六人を止められる者は、もはや存在しなかった。

 

 

 

 山の頂上付近で、皆がそれぞれの活躍を誇っている。

 雛魅沢村を全滅させようと企んでいた敵を、自分たちの手で壊滅させてやったのだ。それで喜ばない方がどうかしている。

 だから、彼等の油断だというのも酷だったろう。

 ガーン! 一発の銃声が響いた。

「あ痛っ!?」

 ドラえもんの頭が大きく揺れた。

「動くな! そのままじっとしてろ!」

 木の陰からのそりと姿を見せた男が、その冷酷な視線を部活メンバーに向けていた。

 のび太達は知るよしもないが、彼こそが山狗部隊を率いていた隊長の小此木である。

 彼はやっかいそうなロボットをまず狙ったのだが、残念ながら銃弾が通用しなかったらしい。

 正しくは当たった場所が悪かっただけで、ドラえもんは拳銃でも破壊する事が可能だった。銃弾が体表で弾かれてしまったのは、ちょっとした幸運による。具体的に言えば、角度とか。

「古手梨花には俺と一緒に来てもらおう。友達が死ぬのを見たくないだろう?」

 銃口を彼等に向けながら梨花を脅す。

 彼の拳銃の総弾数は六発。梨花を除けばちょうど同数なのだが、ロボットに通用するかは不安が残る。

 それに子供だからと言って彼等は侮れる相手ではない。山狗部隊は自分一人を残して、壊滅状態にまで追い込まれたのだ。むしろ全滅と言った方が早い。

 なんとかして敗北を認めさせ、彼女等を諦めさせたいところだ。

 しかし、のび太達に小此木の考えまではわからない。

 飛びかかるには距離がありすぎ、拳銃をちらつかせる小此木を睨み付けるのがせいぜいだった。

 魅音の空気ピストルは、『バン』の言葉で暴発するのを避けるために、使い切ってしまった。弾を補充しようにも薬が乾くまでのタイムラグが発生する。

「ボクと勝負しろ!」

 名乗り出たのび太が、仲間達の輪から離れた。

「どういうつもりだ?」

「早撃ちだったら、ボクは誰にも負けない」

「な……」

 のび太の放言に小此木が絶句する。

 のび太がごくりと唾を飲み込んだ。

 緊張にこわばっているが、彼の覚悟が揺らぐことはない。

「待ちなよ、のび太。それなら私がやる」

 魅音が代わろうとする。代表して戦うのならば、それは部長である自分の役目だと考えたのだ。

「大丈夫。のび太に任せよう」

 それをドラえもんが止めた。

「だって、のび太じゃ……」

「綿流祭でも言ったじゃない。射撃はのび太の唯一の特技なんだ」

 硬い表情ではあっても、ドラえもんは確固たる自信を持って魅音を止めた。

 誰も信じないだろう。

 小心者で平和主義者ののび太に、銃での決闘経験があるなどとは。

 のび太は小此木に対して右へと歩き出した。流れ弾が魅音達に向かわないように、開けた場所へ移動したのだ。

 そのせいで、夕方にさしかかり高度の下がった太陽が、小此木の後方に位置するようになってしまう。

「……しまった」

 今さら悔やんでも遅い。

 逆行によって、小此木の表情や動きが見づらくなってしまった。

 のび太は気づかなかったが、彼は冷笑を浮かべていた。これは彼にとっても好都合だからだ。

 正々堂々と戦って倒してしまえば、勝てないことを子供達も悟るだろう。目の前で仲間が殺されれば、恐怖にすくみ上がるだろう。

 所詮、相手は子供に過ぎないのだから。

「いいぜ。俺もそういうのは嫌いじゃない」

 小此木は作業服の前ボタンを外し、左胸のホルスターに拳銃をしまう。

 のび太のショックガンも腰のホルスターにしまわれている。

「先に抜かせてやるよ」

 その言葉にのび太が首を振る。

「そっちが先でいい」

 胸のホルスターの方が抜きづらいためだ。

 小此木が鼻で笑う。応じるつもりはないという意思表示だ。

 先に抜いた方が確実に有利になるというのに、二人ともそれを拒んだ。

 のび太は子供らしい正義感から。

 小此木はプロとしてのおごりから。

 両手をだらりとぶら下げ、中腰の二人が対峙する。その視線も意識も相手にだけ向けられている。

 緊張感に絶えきれなくなった方が先に抜く事になるだろう。

 抜き撃ちの速さだけでなく、いかに自分の動揺を鎮め、その瞬間に反応できるか。そして、確実に命中させる事ができるか。そういう勝負だった。

 小此木の頭の中では、のび太に対する疑問が浮かんでいた。

 真っ青になっているのび太は、決闘に関する恐怖を知っているように見える。それなのに、勝てると判断する根拠があるらしい。銃を使い慣れた小此木とて、決闘などするのは初めての経験だというのに。

 のび太の決闘した相手とは、宇宙の彼方で遭遇したギラーミンという男だった。目的を果たすためなら惑星を破壊するだけの豪胆さと、爆破の寸前まで見届けようとする慎重さを兼ね備えた強敵だった。そのギラーミンを倒した自信が彼を支えている。

 ピリピリとした肌を刺すような緊張感。

 大きく膨らんだ風船がたやすく破裂するように、なにかのきっかけによってこの決闘が動き出すだろう。それが、どれほど些細なことであっても。

 それがわかるからこそ、部活メンバーも凍りついたように動きを止めている。のび太の身を案じて、ただ彼が勝つ事を願っている。

 緊迫感が辺りにも伝わるのか、徐々に物音が消え去っていく。鳥の羽音や、獣の声。そして、枝を揺らす風の音さえも。

 見守る人間の心臓を、締め付けるような時間が過ぎていく。それはわずか数秒にすぎなかったのか、それとも数分に及んだのか。

 静寂が破られる。

 きっかけとなったのは、ひぐらしのなく声。

 二人の右腕が翻り、二丁の銃が動いた。

 それは残像すら知覚させずに行われた、一瞬の攻防だった。

 一発の銃声がこだまする。

 のび太の足元には、銃弾の穿った弾痕が生じていた。のび太に向けられるはずの銃口が、上がりきる前に動きを止められたからだ。

 わずかな差で、衝撃波が小此木を襲い、その動きを封じていたのだ。

 力無く傾いた小此木の身体が、どうっ、と地面に倒れ伏した。

「「「「「やったあああぁぁぁ!」」」」」

 仲間達のあげた歓声が山に響く。ようやく生色をとりもどしたように、鳥や虫たちもまた動き出していた。

 緊張が解けたためか、のび太の膝は自身の体重を支えきれなくなり、糸の切れた操り人形のようにその場にへたり込んでしまう。

「は〜、怖かった」

 それは偽りのないのび太の本心だった。

 

 

  つづく

 

 

 
あとがき:魅音が空気を読まずに自力で救出(笑)。決闘をのび太に回したので、ここで活躍させました。
決闘についてはコインの合図では物足りなかったのと、『宇宙開拓史』へのリスペクトでこんな感じになりました。