『のび太の雛見沢事件簿解』(5)因果関係
表面上は平和なものの、滅亡の淵にある雛見沢村――。
しかし、裏面の事情を知らない人間にとっては、何の特徴もない普通の日にすぎなかった。村一番の祭が終わったところで、ようやくいつもの日常が戻ったところだろう。
一夜明けて、魅音とレナも“いつもの通り”の行動をとるべく、雛見沢分校へ登校していた。
あえてあげるならば、梨花と沙都子がそろって学校を休んだ事が、いつもと違っている点だった。
「……暇なのです」
梨花も沙都子も、風邪を口実に休んだものの、身体が健康なため時間をもてあましてしまったようだ。
「梨花は緊張感が足りませんわ。自分の命がかかっていることを忘れたんですの?」
「今から緊張しても疲れるだけなのです。今のうちに心も体も休めた方がいいのですよ」
「それはそうかもしれませんけど……」
「四人でトランプでもしましょうなのです」
のび太とドラえもんを交えた四人が、七並べを始めた。
戦績についてはわざわざ触れるまでもないだろう。その中の一名だけ負けが込んでいた。
やる前から結果はわかっていたので、罰ゲームは設定していない。
「邪魔するよ」
ガラッ。障子を開けたのは意外な人間だった。
「お魎?」
そうやって名前を呼び捨てにできるのは、この村で梨花一人だけだった。
「なぁに子供が部屋になんぞ閉じこもっとるん。わざわざこの村に来たなら外で遊んだらどうね?」
のび太とドラえもんが、平日の昼間から旅行先でトランプに興じているのが不満らしい。
「でも、ボクたちは梨花ちゃんと一緒にいないと……」
「ほんなら、梨花ちゃまと沙都子ちゃんも一緒に行ったらええがね」
「「ええっ!?」」
お魎の発案はあまりに論外だった。
一番危険なのは梨花であり、ついで沙都子となる。彼女たちは“敵”の標的なのだから。
「いまから外へ遊びに行こう、ドラえもん」
「そうしよう」
立ち上がった二人は、慌てて部屋を飛び出していった。
とはいえ、この村に見物すべき観光スポットは非常に乏しい。
二人の滞在日数は、ドラえもんですら四日目。のび太にいたっては七日目になる。
祭りの後ということもあり、目新しい物事などすでになさそうだった。
田舎の風情や自然を堪能するにも、現在の状況は非常に厳しいものがある。
「あれ?」
田んぼの間を歩いていたのび太は、目の前の光景を見て何かを思い出した。
「どこかで見たような……」
「あの車かい?」
二人の視線の先で、白いバンが道路端の空き地に駐車していた。
積んでいるスコップや苗木から考えると、造園業者のものらしい。運転手が休んでいるのだろう。
「思い出した! 梨花ちゃんの家の前に止まっていたんだ」
「という事は、もしかすると山狗の車かもしれない」
まさか、こんなところで敵の手がかりがみつかるとは思わなかった。
「ねえ。どうにかできないかな?」
「どうにかといわれてもね」
そもそも、本当に山狗かどうかもわからないのに、どうにかしていいわけがない。
「それなら、位置だけでもわかるようにしておこうか」
ドラえもんがポケットから取り出したのは、小さなバッジだった。
トレーサーバッジ――発信器となっているバッジで、現在位置をモニターで把握する事ができるのだ。
車両の後ろにかがみ込むと、バンパーの裏側にバッジを取り付けておく。
「なんね。いたずらでもしとるんか? ああ?」
その声に視線を向けると、助手席に座っている男が窓を開けて怒鳴っていた。鷲鼻のがっちりした体型の男が、不機嫌そうににらんでいる。
威圧感に真っ青になったかと思うと、のび太は脱兎のごとく逃げ出していた。
「ごめんなさーい!」
取り残されたドラえもんも慌てて追いかけていった。
男は本気で怒っていたわけではないらしく、追いかけてきたりはしなかった。
息の続く所まで走って、のび太が道端でへたり込んでいた。
機械であるはずのドラえもんも舌を出してあえいでいる。不必要な所まで人間らしく、無駄に高性能というべきか。
「おー、その青いの見つかったんか?」
歩いてきた老人が話しかけてきた。
「見つかったって、なんのこと?」
「ぼんずは青狸を探しとる言うとったじゃろうが」
「ボクらは朝から一緒だけど」
のび太の返事を聞いて、老人がみるみる怒りだした。
「なんが鬼隠しじゃ! わしらを馬鹿にしよんか、こんクソガキが!」
のび太とドラえもんに拳骨を落としたが、それでも腹立ちが納まらないのか、老人は肩を怒らせて立ち去っていった。
「なんなのさ。これ!?」
「それはボクのセリフだよ」
ふたりが痛みに涙をこぼしながら不満を口にする。
「君はなにをしたんだい?」
「なんにもしてないよ! ドラえもんも朝から一緒にいるんだから、知ってるじゃない!」
「たしか、鬼隠しがどうとか言ってたね?」
「うん。言ってた」
「ひょっとすると……」
ドラえもんはその答えに辿り着いた。
「原因は最初の君だよ」
「ボク?」
自分を指差しつつ、のび太は不思議そうに首を傾げる。
「ボクが鬼隠しにあったと思って、君は村中を探したんだろ? さっきの人にも尋ねていたんじゃないかな?」
鬼隠しだと騒ぎ立てて、行方不明のはずの相手と遊んでいたなら、誰だって怒る。人が良ければ、冗談だと考えて笑って済ませてくれるかもしれないが。
「じゃあ、もう一人のボクのせいか。迷惑な事するなあ。もう少し、後先考えればいいのに」
気分のままに過去の自分を責めた。
「…………」
ドラえもんが無言でのび太を見つめている。
「なにさ?」
「ボクは君が大物だと思う事があるよ」
「やだなー。照れるじゃない」
「褒めたつもりはないけどね」
ブッブー! クラクションを鳴らしながら、彼等の側を一台の白いバンが通過する。
「……あれ?」
車に乗っていたのは、さっきの男達ではなかった。
「今のは違う車みたいだね。もしかして似たような車が何台もあるんじゃない?」
ドラえもんが指摘する。
「そうなのかな?」
のび太が考え込む。
「それなら、全ての白いバンにバッジを着ければ、どれかは犯人じゃない」
「無駄な努力のような気もするなぁ」
ドラえもんは懐疑的だった。
梨花と沙都子が園崎家へ隠れているため、昼食を同席するのは魅音とレナの二人だけだった。
机を向かい合わせにして食事をしていると、窓ガラスが叩かれた。
外から覗き込んでいたのはのび太だった。
「どうしたの? こんなところに来てさ」
「魅音さん。ドラえもんは魅音さんの家にいるの?」
「ドラえもんがどうかした?」
家に残った後に、ふたりはケンカでもしたのだろうか?
「昨日の晩から帰ってこないんだ」
その答えで理解できた。
目の前ののび太は、園崎家にいるのび太ではなく、時間を遡る前ののび太なのだ。
「のび太くん、ひょっとして……」
レナの言葉をふさぐ形で魅音が答えた。
「……私は知らないよ。どうして私に訊いたの?」
「ドラえもんが園崎家へ向かって歩いていたって聞いたんだ」
「うちに来たことはないね。誰に聞いたか知らないけど、勘違いじゃない?」
その目撃証言は正しいはずだが、魅音はそれを否定した。
「そうなの?」
しばらく魅音の顔を眺めていたが、のび太は諦めたようだ。
「……沙都子ちゃんはいる?」
「沙都子は休んでる。梨花ちゃんも一緒だよ」
「どうして? どこに行ったの?」
「家にいるはずだよ。風邪で休むって、学校に連絡があったから」
「でも、昨日は沙都子ちゃん元気だったよ。梨花ちゃんも醤油をもらいに行ったんでしょ?」
「醤油……って?」
それは全く理解できない。沙都子からも梨花からもそんな話を聞いていないからだ。
「回覧板で連絡していたんじゃないの?」
どうやら、梨花が園崎家を尋ねた理由と考えているらしい。
「あ、ああ、あれね。そうそう、梨花ちゃんは昨日から調子悪そうだったよ。祭りの疲れが出たんじゃない?」
「今朝、二人の家に行ったけど誰もいなかったんだ」
「きっと、ふたりとも寝込んでたんだよ」
「でも、ひょっとして鬼隠しとか……」
「そんなわけないって。それより、軽々しく鬼隠しなんて口にしない方がいいよ。村の大人に怒鳴られるからね」
レナが怪訝そうに、のび太と魅音の表情を窺っている。
「だって、ドラえもんがいなくなったんだよ。これって鬼隠しでしょ!?」
「いなくなった理由はわからないけど、そのうちひょっこり帰ってくるって。元気だしなよ」
“この”のび太が知るはずもないが、いずれその再会は果たされるのだ。
「だけど……」
「心配することないって」
魅音は元気づけるようにのび太の肩を叩くが、その効果はなかったようだ。
のび太はしょんぼりと背中を向ける。
「……のび太」
「え?」
「ひょっとして……、ふたりのお見舞いに行く気なの?」
「うん」
二人は不在なのだから、それがわかってしまうと問題になりそうだ。
「あのさ、……えっと、寝込んでいるかもしれないから、無理に起こさないようにね」
「わかった」
魅音の言葉に、不思議そうな表情でのび太が頷いた。
のび太が去った後、レナが魅音に尋ねていた。
「魅ぃちゃん。どうして教えてあげないの?」
魅音は、ドラえもんが消えた理由も、どこにいるかも全て知っている。それを、彼女はあえて隠したのだ。
「それなんだけどさ……。レナはタイムパラドックスって知ってる?」
「SF小説なんかに出てくる設定の?」
「そうそう。タイムマシンで過去に戻って、過去の自分を殺せるかってやつ。たとえば大人の自分が、子供の自分を殺してしまったら、大人へと成長するはずがない。つまり、殺しに行く大人が存在しないわけだから、子供は無事に成長してしまい、やはり殺しに行くことになる。そういう矛盾のこと」
「のび太くんに話さなかったのも、そのタイムパラドックスと関係があるのかな?」
「私も自信がないんだけど……、のび太がタイムマシンで戻ってきたことは確かでしょ? だけど、ドラえもんが無事だと知ってしまったら、今ののび太はタイムマシンで戻ってくるのかな?」
「つまり、のび太くんが戻ってこないことによって、私たちは梨花ちゃんの事情を知ることが出来なくなる……ということかな?」
「そう思ったんだ。帰ったらドラえもんに話してみようよ。過去ののび太に教えるのは、いつでもできるんだから」
「「ただいまー」」
そんな挨拶を口にして、のび太とドラえもんが園崎家に帰宅する。
のび太の主張通り、見つけた白いバンすべてにバッジを着けてきたから、時間が遅くなったのだ。
「のび太は何をしたのですか?」
真っ先に梨花が尋ねる。
「なんのこと?」
「お魎がカンカンなのです。出かけたはずなのに、一度戻っで来たのですか?」
「そんなことしてないよ」
のび太が首を振るものの、ドラえもんは先ほどの一件を思い出した。
「のび太はボクが鬼隠しにあった時に、ここへは来てないのかい?」
「来たよ。ドラえもんがこの家に向かったって聞いたから」
「じゃあ、それだね」
「そうか。またボクのせいか。まったく迷惑なヤツだなぁ」
その言葉を誰も否定しなかった。
お魎からの説教を受けて、のび太とドラえもんがげんなりして部屋へ戻ってきた。
室内で待ち受けていた魅音とレナが、学校を訪ねてきたのび太について説明する。
「……というわけ。間違ってるかな?」
「魅音さんの判断は正しいと思う」
自分の経験に照らし合わせて、ドラえもんは魅音の考えを支持した。
ただでさえ、頭の痛い状況なのだから、余計な問題を抱えるべきではない。過去ののび太が無事なのはすでにわかっているのだから。今の自分たちが考えるべき事は、過去よりも未来の事だ。
それよりも、時間移動の経験もない魅音が、そんな判断をできたことに驚かされる。よほど柔軟な思考を持っているのだろう。
「……よくわかんない」
やっぱりのび太には理解できなかったようだ。
ドラえもんがかみ砕いて説明する。
「以前に、未来の新聞を見たことがあったじゃない。隣の家に空き巣が入ることを知って、その夜に空き巣を捕まえようと待ちかまえていたら、事件そのものが起きなかった。つまり、未来の知識に基づいて過去を変えてしまうと、別な未来になってしまうんだよ。今回の場合は、きみが一度目に経験したことを変えてしまうと、今のきみの記憶や行動にも影響が出るってことなんだ。……わかった?」
「どうしてそうなるのさ? ボクが知っていることはもう起きたことじゃない」
のび太はその時点から納得できないようだった。
「えーとね……。つまり、のび太の覚えていることと違うことをしたら、のび太が混乱するじゃないか。だから、同じ事をしようってわけ」
「なんだ、そんなことか。それならそう言ってくれればいいのに」
のび太は満足げにうなずいた。
「ドラちゃん。その説明は乱暴すぎないかな?」
レナがためらいがちに指摘する。
「のび太にはこのぐらいじゃないと理解できないから」
ドラえもんが残念そうにレナに答える。
「あーっ!? それはだめだよ! そんなことしたら梨花ちゃんが死んじゃうじゃない!」
改めてのび太が声を張り上げた。
のび太の記憶通りに進めば必ずそうなる。
「もちろん、それは絶対に阻止するよ。他のことはともかく、梨花ちゃんを死なせるわけにはいかないからね」
魅音が断言する。
彼女や仲間達にとって、それはどんな障害があろうと変えなければならない未来だった。
「それで詳しく聞きいておきたいんだけど、梨花ちゃんが死んだ状況はどんな感じだったの?」
「たしか、お腹を裂かれて内臓を引きずりだされていたって……うっぷ」
口にしただけで気分が悪くなった。
「どこで?」
「えっと、神社とか言ってた」
「のび太は見てないわけ?」
「見てない! 見てない! 村の人が話していたのを聞いただけだよ。見たいとも思わないし」
「それなら、梨花ちゃんが本当に死んだとは限らないんじゃない? のび太をからかっただけかも知れないしね。……情報操作の可能性もあるよ。私たちを揺さぶるためとか」
「それはおかしいですわ。そんな噂を流したところで、私たちは梨花が生きていることを知っていますもの。動揺するわけがございませんわ」
沙都子の意見にも一理ある。
「そうなんだよねえ。そんな噂を流したところで向こうにメリットなんて……。ああっ! なるほど、それはいいアイデアだわ!」
何を思いついたのか魅音が嬉しそうな声をあげると、沙都子も同じように頷いている。
「そうですわ! それなら向こうへの揺さぶりになりますもの!」
「どういうことなのかな?」
盛り上がる二人と違って、レナが首をひねる。
「梨花ちゃんもわかってるのかな?」
「ボクもわかっているのですよ。にぱ〜☆」
「どういうことなの?」
「さあ?」
のび太は当然としても、ドラえもんもわかっていない。
三人を見かねたのか、魅音がヒントを出す。
「山狗の目的は、梨花ちゃんを殺して、48時間以内に村ごと抹殺することなんでしょ? つまり前提条件は梨花ちゃんが死んでいること」
「梨花ちゃんを死んだことにすると、作戦が早まるんじゃないのかな?」
「ボクもそう思う」
レナの意見にドラえもんが同意する。のび太は首を傾げている。
「そうではありませんわ。敵が本当に必要としている条件は、梨花の死んだ時刻を正確に把握することなんですのよ」
「「わかった!」」
レナとドラえもんの言葉がハモる。
「「梨花ちゃんが48時間前に死んでいたことにすればいい!」」
それこそが、作戦開始における重要なファクターなのだ。
「そういうこと」
魅音が満面の笑みで告げる。
「そもそも、雛見沢症候群は初めて発見された病気なんだからね。女王感染者が死んだ事例なんてひとつもないんだ。それなら、48時間以内に全員が発症するなんて誰にも断言できないはずだよ」
「48時間経って何も起きなければ、必要のない『滅菌作戦』を実行するわけがありませんもの」
『東京』にそう信じ込ませる事が出来れば、『滅菌作戦』そのものを廃止に追い込めるのだ。
盛り上がる五人を前に、のび太がぽつんと取り残されている。
「……よくわかんない」
「つまり、梨花ちゃんが死ぬことを前提にしてるわけだから……」
ドラえもんが根気よく説明を始めた。
あとがき:祭囃し編で48時間作戦を実施していますが、その間は赤坂・入江・大石・富竹の行動が主体となっていて、部活メンバーの行動は不明なんですよね。ずっと、園崎家に詰めていたんでしょうか?